豊野 中宮の力持ち  Powerful man in Nakamiya


 豊野のゆり輪田辺りの中宮に住む 力持ちが いました。4俵(昔の1俵は120Kg 現在の1俵は60Kg)を ヒョイと片手で 一気に持ち上げました。ある日  馬に 米俵3俵を積んで 足守に 売りに出かけると、運悪く 足守の殿様の行列に 出会いました。狭い道なので、殿様のお籠が 通るのがやっとでした。供の者は 走って来て、力持ちを 橋の上からどかそうとしましたが、橋を 引き返すのが 面倒なのか その場で 馬の四足を 持ってズ イと持ち上げ 橋の上から 川の上に 捧げたまま、腰をかがめ 殿様が 通り過ぎるの を待ったそうです。「吉備中央町の民話(1)」


スクモ山 Sukumoyama mountain "mountan made with chaffs"

鬼が ゆり輪田に 山から下りて来て 相撲を 取って遊びました。腹が減ると 田の稲穂の米を1粒づつ食べて、籾殻Momigara(すくも)を 現在の山スクモ山に 積み上げました。スクモが 腐り土に 帰りましたが、余りに 多いので その跡が 山となりました。それで スクモ山と 呼ぶようになり、\そのため スクモ山には 石がないのだと言われます。吉備中央町の職員より口伝」


ユリ輪田 Round-shaped rice fields in Yuri

ゆり輪田は 清く美味しいOisii米が 採れました。そのため天皇が 即位し 天皇のご先祖の高天原の神々に 即位の報告するための大嘗Daijyou-sai/Oonie-maturi/Ooname-maturiの時に用いられる神饌Sinsenとして 選ばれました。それ故に 籾殻までも粗末にできないので、収穫され 脱穀された籾殻も 粗末に 扱われず、ゆり輪田に 大切に積み上げられました。しかし 冬になると激しい季節風によって 東の丘に 吹き飛ばされ、東の丘に 積もりました。積もってから 時が 経ち、スクモは 腐敗醗酵し 土となりました。それでその東の丘を スクモ山と 呼びました。「豊野福万の村人より口伝」

 


中宮力持ち物語 Tale of the powerful man in nakamia

昔、中宮に 国中に 名前が轟く力持ちが いました。その力持ちは 俵を指先で ヒョイと頭上に  容易く 持ち上げる事ができました。ある日 馬に米俵3俵を 積んで、足守に 売りに出かけました。運悪く 橋の中程で 足守の殿様の行列に 出会いました。狭い橋なので 殿様のお駕篭が 通ると やっと 人とすれ違う程の余地しか 残されていませんでした。供の者が 走って来て 力持ちを 無礼討ちしようと 刀を抜くと、殿様はその男の怪力ぶりを 前々から見たいと思っていたので 家来を制止し 家来に「後で城に呼べ」と 命じると、家来は「橋の端に立って 川に向いて頭を下げ 駕篭の邪魔をするな」と 命じました。すると力持ちはその場で馬 の四足を持って、ずいと持ち上げ 橋の上から 川の上に 捧げたまま腰を 屈めました。

それを見たお殿様は「天晴Appareな 剛の者である」と 言うので お共の者達は 余りの予期せぬ 無礼な出来事でしたが、罪を 問いませんでした。力持ちが 殿様の通過し終わる迄 そのままの姿を保持ち 続ける様子を 駕篭の中から 見ていた 殿様は「お城に 登れ 侍にしてやる」と 声を掛け 通り過ぎました。時が 経ち 池之原の八畳岩に 住んでいた鬼が 中宮に 出て来て ゆり輪田を土俵にし 相撲を取 って遊ぶようになりました。激しく 取り組むので 腹を空かし、付近の田に 稔った稲穂を しごき取って 食べ  籾殻を 付近の丘に 投げ捨てました。村人は 皇室の納める田が 荒されるので 困りはて 何人かが 立ち向かいましたが、酷い目に 合わされる ばかりでした。足守の殿様に 鬼退治を お願いすると お武家が 大勢来ましたが、あっさりと 追い払われました。殿様は 力持ちを 呼び出し 村人の要請を 伝えましたが、人間が 鬼に叶う筈は 有りません。中宮の力持ちは 断りましたが、死活問題を 抱える村人は  諦めません。熱心さに 折れて 引き受け 鬼に 立ち向かうと、鬼は「相撲で勝負だ お前が 勝ったら山に 帰ってやる  わしが 勝ったら好き勝手させてくれ」と 言いました。力持ちは 案の定、相撲に 負けました。鬼がせせら笑って「中々強ぇ  久しぶりに 気持ち良く相撲が 取れた  本来ならここで、腕の一本も 圧し折ってやる所だが、良い 素質を持っておる 修行して 鍛え直して来い  そうして 強くなった所で もう一回 勝負したい  もう一回だけ 機会をやろう」と  言いました。鍛えると 言っても、これ以上 何を鍛えれば良いか 解りませんでした。

困り果て 西波神社Saipa-jinjyに お参りすると 才の神が 現れ 稽古をつけてくれました。男は 命がけで挑み、技を 工夫し次第に 巧みな技を 身に付けました。人間の身で 神と競うのですから、満身創痍の毎日です。しかし、不思議に 翌日には 癒えているのです。修業場に 植えた桃に 実がなりました。3年たったのです。男は 金剛様の様な姿に 変わっていました。郷の中宮に 帰って見ると 鬼共は 村人に 奴隷のように作物を 作らせ、辺り一面の作物は 鬼共に 食い荒らされ スクモの山が できていました。男は 鬼共に 相撲を仕掛け「ほら土産じゃ  才の神の霊力の桃じゃ  精を付けろ  わしも食うた  3年前の約束じゃ 相撲しょう  わしが 勝ったら お前ら 山に帰れ  もう2度と出て来るな  お 前らの一匹でも わしに 勝ったなら、わしを 煮て 食おうが 焼いて食おうが 好き勝手にせられぇ」 と 高々と 宣言しました。鬼共は男 が逞しくなっていた ので、好勝負ができると 大喜びしました。今度は 力持ちが 鬼共を ポンポン投げ飛ばし 勝ったのです。鬼は 男の強さに 魂消て 山に帰って行き それ以来 郷に降りて来なくなりました。スクモ山のスクモは 腐って土になったのです。それで スクモ山の表面には 石が無いのです。「吉備中央町の民話(1)」「吉備中央町の職員より口伝」「豊野福万の村人より口伝」神社伝説 生贄の原」を組み合わせた物語     上中宮:豊野2396番地    中宮奥:豊野2465番地    くも山:ゆり輪田の矢野川向うの小山 北緯34度52分42秒東経133度42分22秒    ゆり輪田:北緯34度52分44秒東経133度42分22秒   度々主基田に選ばれました。    西波神社:北緯34度52分53秒東経133度43分53秒 才の神を祀るのでしょう    桃:伊邪那美命と 伊邪那岐命が 離婚する時、妻の手下の鬼から逃れるために 伊邪那岐命が 黄泉平坂の桃を投げつけます  桃を 鬼が食べている隙に 黄泉戸大神(塞ぎの岩・才の神)に よって 伊邪那岐命は 妻から逃げおうせました  桃には 魔除けの霊力があり、才の神には 病魔退散 外敵退散の神徳が あります    八畳岩と言う岩:北緯34度53分16秒東経133度43分45秒 かつて鬼の住処が あったとされます    八疉岩:豊野6536・6537・6540番地  西波神は 八畳岩の鬼を 退治したとされます       平成24年(2012年)12月29日