豊野 道浄寺 甚五郎の龍 Statue of dragon  sculptured by Jingorou

道浄寺のお堂に 左甚五郎の作と言われる 大きな龍の彫刻があります。旱魃(Kanbatuが続く時、龍を川に持って行き 川の水で体を洗い 雨乞いすると、必ず 空が曇り 滝の雨が 降りました。ところがある旱魃の時、龍が お堂から抜け出し 村に僅かに残る柳の木の根元の水を 飲み干すようになりました。すると ある日 一人の勇士が村人の惨状を救いにやって来て、龍が水を飲み始める時を見計らって 槍で龍の目 を突き刺しました。翌日 村人が堂に集まると 龍は 寺に戻っていました。それ以降、龍は お堂を抜け出せなくなりましたが、雨乞いの手助けもしなくなりました。「賀陽町史」

 

道浄寺の龍物語 story of Doragon in Doujypu-ji Temple

昔 道浄寺は 沢山の宿坊を持ち 栄えていました。ある時 豊野に大旱魃が起こり、村人は飢饉Gasinに苦しみ 困りました。そこへ ボロボロの着物を着た みすぼらしい右手の無い男が やって来ました。村人は 亡地の者(余所者・よそもの)が 汚い形Nariだったので 必ずや食べ物を強請られるNeda-rareruだろうと心配しました。

案の定、旅人「腹が減った 宿と食べ物を用意くださらんか」と 人懐こく頼んだのです。村人は「そらきた」と重い「物凄ぇMonge-e 旱魃じゃもの わし等の食う物も足りん」と 断りましたが、寺の和尚は「ケンもホロロに扱わんでも良かろう  諸国を長旅されとるけぇ見聞も広かろう  旱魃を乗り越える良ぇ知恵知っておられるかもしれん 」と中に割って入りました。旅人は  「食べ物と宿舎をご用意してくださるなら、旱魃の事ならわしにまかせなされ  道浄寺に龍を彫りましょう  龍の体を綺麗に洗い 雨乞いをしなされ  必ずや霊験あらたかじゃ  じゃが決して縛ったり 金網で囲ったリ 爪を切ったり 目をついたりしちゃぁおえん」と 自信を以て言いました。村人が「片手だけで龍が彫れるもんか」と 疑い深く旅人の品定めをしていると、見識豊かな和尚は「京都見沼や滋賀宮ヶ崎 三田原 鎌倉大町 蒲生 番場 井ノ口 浜松 上野の彫り物の龍が 水不足の難儀Nangiぅ 助け合ぅたという話ぃ聞いておる  この御仁が どれ程の名人か 知らんが 信じてみよう」と 村人に提案しました。村人は 高名な道浄寺の和尚の提案に恐縮して 庄屋の屋敷に宿を与え、なけなしの食材をふんだんに使い 旅人を持て成しました。旅人は暫く構想を練ると 巧みな鑿捌きNomi-sabakiでアッと言う間に龍を彫って 寺の蟇股(Kaerumataに組み込みました。

早速、豊野原区に 旅人の言う通りに 道浄寺の御堂の龍を川に神輿Mikosiのように担いで行き 雨乞いをしました。川の水で 龍に付いているKokeraを落とすと、忽ちTatimati雲が湧き)出し ザーザーと雨が降りました。その後の旱魃の時には 積もった埃Hokoriを水で洗って 雨を賜り、道浄寺の龍に 何度も助けられました。長い間 龍のご利益Goriyakuを受けましたが、時が経ち 人が変わり 寺も廃れる間に 行事だけは受け継がれましたが、あの旅人の戒めimasimeを 知る者はいなくなりました。今度の旱魃は 特別に激しく 川に水は殆どなく、龍を川に連れて行っても 清い水で龍を十分に洗う事すらできませんでした。そればかりか 龍は夜な夜な寺から抜け出し、村に残された唯一の柳の根本の池の水を飲むようになりました。この水を龍に飲まれては 村中の水がなくなってしまいます。「神通力を持つ龍を退治してくれる者はいないか」と 村人が思案していたところへ、京都に勇者がいて 魔術を使う鬼を退治をしたという噂を聞きました。村人は藁(Waraをも掴むTukamu気持ちで勇者を訪ね、龍退治を頼むと、勇士は快く)引き受け 豊野に助太刀にやって来ました。枯れかけた草陰に 迷彩服で身を包んで潜み、龍が 夢中に水を飲み始める時を 見計らい神通力封じの呪いを唱えながら 大槍で突き掛かりました。龍は 水に気を取られ てあっさりと目を刺し貫かれました。龍は驚きと怒りの咆哮Houkouを上げ、御堂Midouに逃げ戻って ピクリとも動かなくなりました。それでも 2日後に雨が降りました。しかし その後はどんなに丁寧に龍を洗って雨乞いをしても、頼みを聞いてくれなくなりました。あの時の龍は 西方の龍からの情報で、翌日には 豊野に雨が降る事を知っていたので、もっと激しい 旱魃が続いた所に住む 友達の龍に 豊野の柳の下の水 で水の種を作って 送り届けようとしていたのです。https://ja.wikipedia.org/wiki/左甚五郎」「賀陽町史」「村人口伝」を基にした物語

蟇股:社寺等の頭貫Kasira-nukiHariの上 または 桁Hariとの間の蛙の股を広げたような形の 上部構造の重みを支える山形の部材 後には単なる装飾    原区: 豊野・原4178番地北東の地域    龍が水を飲んだ泉道浄寺: 369号線を豊野小学校付近から 北にやや進むと 戻る方向に大きく曲がる道(分かり難いのですが十字路)があります  大きく右に細い道に曲がると 左手に大きな農家が建ち、さらに坂を下ると 道は分岐し、道なりに 左に進むと 左手に大日如来と 彫られた小さい石碑が立つ変則的な4差路に出ます  道なりに中の道を選択すると 左手の高み北緯34度52分3秒東経133度41分58秒に道浄寺が建ちます  寺の裏の山道を東に進み 変則4差路を北に進むと 龍が 水を飲んでいたとされる水源に出ます  北緯34度52分4秒東経133度41分59秒付近は地図上では池ですが、実際は藪になっています  京都宮津市成合成相寺Nariai-san Nariai-ji北緯35度35分44秒東経135度11分17成合寺のお住職が 夢のお告げで 甚五郎に龍の彫り物を頼みましたが 仏師は龍を知りませんでした  寝屋川の寺で 仏に頼み夢に龍を見せて頂き 龍を彫って見事に雨を降らせたましたhukumusume.com/douwa/eto/tatu/html/03.htm さいたま市緑区見沼大崎山国昌寺Oosaki-yama Kokusyou-ji北緯35度53分30秒東経139度42分17秒 日光東照宮の「眠り猫」を彫った鑿Nomiを使って龍を彫りましたが、その龍が見沼を荒すので 門に釘付けし 龍を鎮めました  棺桶の中の死体を食べるそうです国昌寺 | さいたま観光国際協会 (stib.jp)www.ukima.info/feature/onarikaido/kokushoji.htm」 滋賀大津の長等山園城寺Tyoutou-xzan Onjyou-ji三井寺Mii-dera北緯35度0分48秒東経135度51分10秒 甚五郎の彫った龍が 琵琶湖を毎日荒すので 甚五郎は目に釘を刺し鎮めましたtukinohikari.jp/jinja-siga/topics-ootsu-miikuzuryu/index.html」    静岡葵区宮ヶ崎の浅間神社:北緯34度59分1秒東経138度22分32秒  安永の火災の時、池の水を吐き掛けて御殿を守りました

龍と浅間神社① 虹色の不思議写真 | ぼくのうしろに道はできる。『頑張ってきた長女のあなたへ』 心理カウンセラー 永井あゆみ 長野県 (ameblo.jp)」    埼玉桶川三田原の東叡山泉福寺Touei-zan Senpuku-ji北緯35度58分54秒東経139度31分28秒 泉福寺の正門の竜を旱魃の時、寺の池に泳がせると 大暴風雨となり 大洪水になりました  驚いた村人達は 竜の爪を切って 寺の門に金鎖で縛り付け鎮めました.www.okekan.com/mukashi/senpukuji.html」 神奈川鎌倉大町の法久山上行寺Houkyuu-san Jyougyou-ji北緯35度18分50秒東経139度33分17「上行寺 (鎌倉市) - Wikipedia」 埼玉越谷蒲生の慈眼山清蔵院Jigen-zan Seizou-in北緯35度51分45秒東経139度47分45秒 毎夜山門を出て田畑を荒らすので、寛永15 年(1638年)逃げ出ないよう金網で囲いました清蔵院。越谷市蒲生本町にある真言宗智山派寺院 (tesshow.jp)」 埼玉秩父番場の秩父神社:北緯35度59分51秒東経139度5分3秒 昔 立派な龍の彫刻があり 夜な夜な抜け出し田畑を荒らしていました  宮司の法力で 龍の彫刻を鉄鎖で縛り付けると 龍は鎮まりましたsaitama.fan.coocan.jp/tour/dragon.html神奈川足柄中井井ノ口の井寶山米倉寺Seihou-zan Beisou-ji北緯35度20分3秒東経139度14分2秒  葛川の田畑を荒らす2頭の竜を 川の水を飲まれないように目に角釘Kakukugiを打ちこみ 全身を切れ切れにしましたhttps://4travel.jp/travelogue/11378896」    静岡浜松北区佐町井伊谷の万松山龍潭寺Bansyou-zan Ryuutsan-ji北緯34度49分4秒・東経137度40分5秒 毎夜 寺を抜け田畑を荒らしたので 和尚が 片側の手前の龍の髭を抜くと 大人しくなりました「龍潭寺 (浜松市) - Wikipedia」    東京台東上野上野公園の東照宮:北緯35度42分55秒東経139度46分14秒 毎夜 不忍池の水を 龍が飲みに現れますwww.uenotoshogu.com/spot/」 左甚五郎の彫った龍達:上述の他100体位の龍を彫ったそうです  困った事には これらの龍達は 皆兄弟のように仲が良くて、水不足で難儀をしている仲間がいると 勝手に動きだして助け合うそうです  この助け合いこが 旱魃に苦しむ人間にとっては 迷惑に感じられました  より厳しい旱魃地に水を融通しようとしても、地元の者にとっては 我慢ならない出来事だからです「埼玉県越谷蒲生の人のより口伝」 寺前:豊野4433・4434・4444・4461・4462番地  平成24年(2012年)2月19日