陸軍上等兵(終戦時は軍曹)行森正雄は、厳しい軍律にもかかわらず、苛酷な捕虜生活を送っていたオーストラリア陸軍中尉エドウィン・エスラー氏に気遣い、こっそり食料や和英辞典を差し入れていた。戦後エスラー氏は、その好意に報いるため厚生省に消息を尋ね、終戦から四五年を経た平成二年の夏、夫婦で来日、行森行雄(昭和五二年死去)との再会を実現した。これらの詳細な経緯は、平成二年八月一日から八月十日間まで東京新聞に「花と兵隊…四十五年目の夏」と題し、九回にわたって紹介されました。その後、国際理解や国際交流を進める加茂川町は、この心あたたまる二人の話に感動し、平成九年十一月、加茂川町長片山舜平氏を団長とする 町民十三名の訪問団を、エスラー氏の住むオーストラリア・ブリスベン市へ派遣、夫婦との再会を 果たすとともに 交流を深めた。
地獄と化した異国にあって、立場を越えて 結ばれた心の絆の大切さと、平和の尊さを、永く後世に 伝えるため、ここに記念碑を建立した。平成十一年十月吉日 行森克己 題字は、加茂川町長片山舜平による」と 記されていました。 サンダカン捕虜収容所:1943年9月の頃には約1800名のオーストラリア軍捕虜と700名のイギリス軍捕虜が収容されていましたが、戦後まで生き延び
たのは この内たった6名(生存率0.24%)であったと言われています。 平成24年(2012年)1月22日