森神社 Mori-jinjya


森神社には 種種の神を 祀ります。徳島市方上町森谷63番地 北緯34度1分15秒東経134度31分19秒の森神社の祭神が 五十猛神で、奈良県天理市森本町字高岸178番地 北緯34度37分57秒東経135度50分1秒の森神社の祭神は天兒屋根命です。兵庫県豊岡市竹野町轟356-1-1番地 北緯35度37分16秒 東経134度45分16秒の森神社の森大明神は 大山祇命Ooyama-tumi-no-mikoto八幡大神です。吉備中央町の森神社の多くには 素戔嗚命が 祀られます。日本書紀一書の神話では「高天原でのスサノオの行いは余りに悪かったので、神々は スサノオを 高天原から追放すると、スサノオは 子のイタケルを連れ、新羅の国のソシモリに 降りましたが 気に入らず、土で船を造り出雲の国の鳥植山Torigami-yamaに戻り、そこで人を呑む大蛇を 退治しました イタケルが 天降る時に 種々のの木の種を 持って 降り立ったのですが、韓地に 播かず 日本に持ち帰り 妹のオオヤツヒメ  ツマツヒメと 一緒に 日本の国中に 播いて 国土を全部青山にしてしました」とされ、日本書紀一書の別の神話では「スサノオは 韓郷の島には 金銀があるけれども、わが子大己貴神Oonamu-ti-no-kamiが 私に代りに治める国葦原中国Asihara-no-nakatu-kuniに 船がないと 言って スサノオ はひげを 抜いて 杉の木を作り、胸毛を抜いて檜を 作り、尻毛で槙を、眉毛で 樟を作りました」との趣旨が 記されています。www.mikumano.net/setsuwa/susanoo.html」 森神社の多くは造船航海安全大漁の神 林業の神 五穀豊穣の神等として信仰され、商売繁盛 開運招福 悪疫退散 厄除け等の神徳があります。 スサノウオ:建速須佐之男命Takrehaya-Susa-no-o-no-mikoto 速須佐之男命 速素戔鳴尊Haya-Susa-no-o-no-mikoto 神素戔鳴尊Kamu-Susa-no-o-no-mikoto 素盞鳴尊Susa-no-o-no-mikoto 素戔鳴尊Susa-no-o-no-mikoto 素戔烏尊Susa-no-o-no-mikoto 神須佐乃烏命Kamu-Susa-no-o-no-mikoto 神須佐能袁命Kamu-Susa-no-o-no-mikoto 須佐能袁命Susa-no-o-no-mikoto 速神須佐能雄命Hayakamu-Susa-no-o-no-mikoto 須賀神Suga-no-kam    イタケル:五十猛神Isotakeru-no-kami/Iso-Takeru-no-kami 伊太祁曾神Itakiso-no-kami 射楯神Itate-no-kami/Takeru-no-kami/Iso-Takeru-no-kami ソシモリ 曽尸茂梨 蘇尸茂利 蘇志摩利 :金の山 輝の山の意味を持つ 山古代朝鮮 新羅Siragiの地名の他 諸説があります 鳥植山 鳥上山 船通山Sentuu-zan 鳥髪山Torigami-yama 鳥上峰Torikami-no-mine 鳥髪峰鳥取県日南町と島根県奥出雲町との県境 北緯35度9分21秒東経133度10分43秒にある山で 古くは「鳥上山」「鳥髪山」「鳥上峰」「鳥髪峰」と呼ばれました。「古事記」によれば 船通山の山麓へやって来た スサノオは 八岐大蛇を退治し その尾に潜んでいた 天叢雲剣草薙の剱を天照大神に献上したとされます。この山に斐伊川(八岐大蛇の実体)の源流があります。5月初め頃 山頂付近で カタクリの花が開花します。毎年7月28日に 天叢雲剣発の神話にちなんだ宣揚祭が行われます。この山の6合目辺りにある「鳥上の滝は ヤマタノオロチの住処と伝えられます 人を呑む大蛇 八岐大蛇Yamata-no-oroti 八俣遠呂智 八俣遠呂知 高志之八俣遠呂智Kosi-noYamata-no-oroti:「日本書紀」によると 素戔嗚尊は 天より 出雲の國の簸の川Hi-no-kawa上に降り立ちつと、川上で 泣き声が 聞こえたので、その主を 尋ねてみると、脚摩乳Asi-na-duti(足を持たない 稲田を守る正義の蛇神 荒魂Ara-mitama八岐大蛇の和魂Nigi-mitama)手摩乳Te-na-tutiという老夫婦が 奇稲田姫Kusi- Inadanada-hime(不思議な力を持つ 稲田を守る女神)と言う 美しい少女を 囲んで 泣いていました。老夫婦は「私達の娘は 元々 八人いましたが、毎年 一人ずつ 八岐大蛇に食べられてしまい、今は 末娘の奇稲田姫だけに なってしまいました。そして 奇稲田姫も じき食べられてしまうので 泣いています  勇ましく 神々しい お武家様 娘を救っください」と 訴えました  素戔嗚尊は「奇稲田姫を 嫁にくれるなら 八岐大蛇を 退治してやる」と 答えると 老夫婦は 喜んでその申し出を 承諾しました。素戔嗚尊は奇稲田姫を 湯津爪櫛Yututuma-gusiに 変え 御髻Mizuraに 刺しました  老夫婦に 八塩折之酒Yasiori-no-sake(八回醸した酒)を作らせ、八面の塀の各々に 酒を 盛った樽を 置かせました。時が過ぎ 八岐大蛇が現れ 酒を飲んで 酔いつぶれた 隙を見て素戔嗚尊は 十握剣Toyuka-no-turugiで 八岐大蛇を ズタズタに斬り 尾を斬ろうとすると 剣の刃が 欠けました。尾を割り裂くと「草薙剣」が現れたので現れたので 天神Amatu-kami(天照大御神に献上しました。そして奇稲田姫と結婚の地を探して、出雲の淸地Sugaを訪れ、宮を建て住む事にし「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と 日本初を和歌を詠んだのです オオヤツヒメ 大屋都比賣神Oo-Yatu-hime-no-kami 大屋津姫命Oo-Yatu-hime-no-mikoto 大屋毘売神Ooyahimre-no-kami +大屋津比古命Oo-Yatu-hiko-no-mikotoオオヤツヒメ父神は素戔嗚尊 兄神は五十猛命で、五十猛命と一緒に 素戔嗚尊の命により 全国の山々に 木の種を撒き、紀伊国(現在の和歌山県)に 住んだとされます  オオヤツヒメの「ヤ」は 家屋の意味で 樹木を司る神 木製の家屋や 船等を 守女神です。木の種を 撒く事は 出産 育児をすることに 通じ 生殖を司る女神でもあります  兄神五十猛命と共に 木の文化を司る女神とされ 林業や 建築業に 携わる人達の信仰を 集めています ツマツヒメ 抓津姫神Tumatu-hime-no-kami 抓津姫命Tumatu-hime-no-mikoto 都麻都比賣命 爪津姫神 枛津姫神 枛津姫命:ッマツヒメの「ツマ」は  製材した材木の意味で 神徳 御利益は オオヤツヒメと同じです    大己貴神Oonamu-ti-no-kami 大国主神Ookuni-nusi-no-kami 大国主尊Ookuni-nusi-no-mikoto 大穴牟遅神Oonamu-ti-no-kami  大名持神Oonamu-ti-no-kami  大汝神Oonamu-ti-no-kami 大物主命Oomono-nusi-no-mikoto 八千矛神Yatihoko-no-kami 八千戈神 葦原色許男神Asiwara-Siko-o-no-kami 葦原醜男神 顕国玉神Utusikunitama-no-kami 宇都志国玉神 国作大己貴命Kunitukuri-no-Oonamu-ti-no-mikoto 所造天下大神Ame-no-sita-Tukurasisi-ookami 所造天下大穴持命Ame-no-sita-Tukurasisi-Oonamoti-np-mikoto  伊和大神Iwa-no-ookami 地津主大己貴神Kunitu-nusi-Oonamu-ti-no-kami 幽世大神Kakuriyo-no-ookami 幽冥主宰大神Kakurigoto-Sirosimesu-ookami 杵築大神Kituki-no-ookami 御親大神Mioya-no-ookami 等:奇稲田姫Kusinada-himeとの子 葦原中国の支配者   葦原中国:葦原の中つ国  豊葦原中国Toyo-Asihara-no-nakatu-kuni中津国Nakatu-kun9 中つ国 豊葦原千五百秋瑞穂国Toyo-Asihara-no-Tiioaki-no-Mizuho-no-kkuni    神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります


井原 寄峰の森神社 Mori-jinjya in Yorimine 

井原向長畑327番地の北に 空屋になっていますが 井原新屋敷135番地が  有ります。そのお宅の北側の林 北緯34度53分39秒東経133度45分50秒に お堂が 建っています。 お堂の中には 三宮社を挟んで 一宮社が 左右に1社ずつあります。 三宮社の内の左の厨子は 八百万神宮で、中央の厨子は 森神社で、右の厨子は 祇園神社である 荒神社です。 堂ノ西上:井原134番地 新屋敷:井原135番地 城山上切:井原146・147番地 向長畑:井原327番地 金子谷頭:335番地  平成29年(2017年)6月3日

 

円城 畑の森神社 Mori-jinjya in Enjyou-Hata

円城畑曽根466番地の隣地 北緯34度53分21秒東経133度48分32秒に 2番荒神社が 建ち、その境内に 森神社が 祀られます。吉備中央町加茂川地区の森神社の祭神は 多くは 素戔嗚命です。 森免:円城470・474番地等 森ヶ一:円城442・469番地等 畑曽祢:円城448-450番地 畑曽禰:円城455・467番地等 平成25年(2013年)5月18日

 

上加茂 鴨神社の森神社 Mori-jinjya of Kamp-jinjya

北緯34度51分6秒東経133度49分22秒 上加茂宮坂Miyazako471番地に 鴨神社が 建っています。境内に 金刀比羅宮があり 多くの小社が 合祀されています。その中に 森神社があります。森神社には 神速須佐之男命Kamuhaya-Susa-no-o-no-mikoto(素戔嗚尊を祀ります。    觀音堂:上加茂400・438番地等 原:426・576番地等    宮坂:上加茂443・481番地等     平成25年(2013年)1月13日

 

加茂市場 加茂総社宮の森神社 Mori-jinjya of Kamo-Soujya-guu

北緯34度51分51秒東経133度45分30秒  加茂市場惣社1567番地に 鴨総社宮が建ちます。本殿奥の左手に 地神碑と8社の小祠が立ちます。一番左と次の祠の祭神は不明で、3番目の社は 宮荒神社です。4番目の社の祭神は不明で、次の社は 森神社です。右から2番目の社は 火御崎神社、右端の社は火鋒神社です。森神社の祭神は 素戔嗚尊と思われます。 宮ノ前:加茂市場1560・1577番地等 惣社:加茂市場1567番地 墓ノ段:加茂市場1590・1591番地 天神前:加茂市場1594・1608番地等 平成24年(2012年)6月12日

 

神瀬 神瀬の森神社 Mori-jinjya in Kanse

小森温泉から 柿山を経由し 重信に進み、変則4叉路を 年末Tosisueに 向かい 次のY字路を 右に進むと 神瀬Kanse大小屋122番地の東 神瀬向196番地の南の北緯34度55分30秒東経133度50分26秒に 森神社が 神瀬集会場と共に 建ちます。北に進み 神瀬196番地の南の西側の坂下 北緯34度55分32秒東経133度50分29秒に 子安観音堂が 建ち、南に戻り 北緯34度55分27秒東経133度50分24秒近くに 荒神社が 有ります。一般に 森神社には主祭神として五十猛神Iso-Takeru-no-kami(素戔嗚尊の息子)を祀り 又大屋津姫命Ooyatu-hime-no-mikoto(五十猛神の妹)枛津姫命Tumatu-hime-no-mikoto(大屋津姫命の妹)や 素戔嗚尊を祀りますが、この神社の祭神は 素戔嗚命と 思われます。 大小屋:神瀬75・148番地等 御供田:神瀬154番地 森ヶ乢:神瀬157・169番地等 神田:神瀬150番地 ウタユウ門:神瀬166番地 堂免:神瀬172-174・180番地等 荒神:神瀬218番地 寺ノ前:神瀬222-224番地 荒神前:神瀬230番地 堂ノ前:神瀬228・256番地等 宇太夫屋敷:神瀬238番地 堂ノ前ヲンジ:神瀬255・258番地等 堂下前:神瀬259番地 車場:神瀬335・336・699番 神子屋敷:神瀬444・449番地等    平成24年(2012年)6月29日

 

高富 重信の森神社 Mori-jinjya in Sigenobu

小森温泉から 五明 柿山 毛気神社に 向かう交叉点が 北緯34度54分59秒東経133度49分11秒に あり 「気喜神社へ十四丁」と 刻まれた道標が 立っています。柿山に向かい 原下橋を渡り下ると 高富公民館が有り、桜の植樹の並木に出ます。桜並木に添って 4叉路を 右に進むと 左手 高富ソラ2678番地や 高富重延2684番地の東北東 約100m 北緯34度55分21秒東経133度49分47秒に 森神社が建ちます。境内には 地神碑 荒神社が 祀られます。又いかなるものか解らない石碑と、風化の進んだ 力石と思われる丸い石、河原翁頌徳碑が 有ります。 原下橋:北緯34度55分11秒東経133度49分24秒 五明と柿山を結ぶ中間点 高富公民館:北緯34度55分25秒東経133度49分40秒 五明より柿山への入口 桜の植樹の並木:北緯34度55分22秒東経133度49分47秒 チロリン村:北緯34度54分43秒東経133度49分37秒 重信・重延:高富1619・2684(北緯34度55分30秒東経133度49分46秒)・2695(北緯34度55分29秒東経133度49分46秒)・2701(北緯34度55分28秒東経133度49分47秒)・2715番地等 堂脇:高富26954番地(北緯34度55分28秒東経133度49分45秒)  平成27年(2015年)7月27日

  

高谷 大谷の森神社 Mori-jinjya in Ootani

加茂市場から 下加茂方向に 宇甘川に添って 西に進むと 大きく南に 曲がり 直ぐに北に反転した辺りが 大谷で、県道 高梁御津線(31号線)の大谷バス停から 南西へ曲がり、約300m進ん所の藪yabuの中 北緯34度51分36秒東経133度46分12秒に 森神社が建ちます。森神社は 元 総社の末社でしたが、江戸時代中期の洪水で 宇甘川Ukai-gawaに 流され、美原 江下Mihara-Ege\の対岸の森原に留まりました。一緒に 太鼓も流れ着いたので ここを 太鼓町と名付けられました。次の洪水で 再び流され、大谷集落の南方荒神社の上に 留まりました。そこで 住民は 森神社を宇甘川から引き上げ、森大明神として 荒神社の地に 祀りました。「加茂川町史」

境内に 荒神社が 建ちます。森神社では 2月第2日曜日 粥管祭りをし 作物の収穫の吉凶をうらないます。 加茂総社:北緯34度51分51秒東経133度45分30秒 加茂市場惣社1567番地 境内末社に 森神社があります 太鼓町:江下付近で 社が引っ掛かる 可能性のある 宇甘川が 大きく曲がり、流れが 岸にぶつかる地形は 大月の淵老僧淵しか ありません 大月の淵の堰の江下集落の対岸の杜Moriの中 北緯34度52分5秒東経133度46分2秒付近に 地蔵菩薩像が祀られています 番の字が読みています  奥の院と地元の人は 奥の院と 読んでいて、老僧渕で 溺死dekisiした人(萩の坊の老僧あるいは水遊びしていた少年)を 今も 供養していると言います  奥の院辺りが太鼓町なのでしょう    森原:美原1301・1310番地等    神子岩:高谷1562・1738番地等    大明神前:高谷2193・2200番地等 森:高谷2228・2274番地等 大谷バス停:北緯34度51分41秒東経133度47分18秒    森面:高谷2325・2347番地等 森免:高谷2341番地 森神社の建つ辺り    森原:美原1301NEシール三原工場 北緯34度52分8秒東経133度46分7秒)・1310番地等  平成23年(2011年)13日

 

竹部 青樹神社の森神社 Mori-jinjya of Aoki-jinjya 

北緯34度49分24秒東経133度46分52秒 竹部青樹264番地に 青樹神社が 建ちます。境内末社に 秋葉神社 護王神社 森神社の3宮社があります。秋葉神社には 火之迦具土神Hi-no-Kagututi-no-kamiが 祀られています。    青樹:竹部264番地    宮ノ上:竹部265-266番地等     平成24年(2012年)7月4日

 

富永 森上の森神社 Mori-jinjya in Moriue

落合加茂川線(61号線)から 森上 和田に向かう鋭い角度の坂道を登ると 富永奥の前1176番地の北 北緯34度53分23秒東経114度45分17秒に 森上公会堂が建ちます。加茂霊場不動堂第二九番の札が 掲げられます。公会堂 建立時 森上集落の森神社 森上荒神社 不動堂 地神碑が ここに集められました。「村人口伝」 不動堂と荒神社は 富永畝ノ上1818番地の北の林(東山)の中 北緯34度53分19秒東経133度45分13秒に有りましたが、現在は 全ての施設が取り除かれている筈です。

森神社は 富永柴屋向2022番地から 芝屋池を通り 南に山道を登るか、富永池ノ下1951番地の西から 山道を登り 交叉する山道を 左に回ると 北緯34度53分27秒東経133度45分3秒に 現在も社が 残ります。 奥ノ前:富永1095・1183番地等 畝ノ上:富永1818 番地 神子田屋敷:1803・1805番地 堂ノ下:富永1809番地 行者脇:富永1811番地 墓ノ後:富永1812番地 荒神前:富永317・466番地等 東:富永404番地 東山東:富永700・701番地  平成25年(2013年)8月15日

 

三谷 三谷森神社 Mori-jinjya in Mitani

三谷日名集落から 三谷川を渡り 二川に向かいます。峠と橋の中間 北緯34度54分26秒東経133度47分42秒辺りに 道標が有ります。左の石碑には「 左化気神社三十二丁」、右の石碑には「 左?????二十二丁」とあります。ここより 東に登る 山道を登り 道なりに 南 東 南 南東に進み 鳥居から階段を昇ると 灯明搭があり 北緯34度54分25秒東経133度47分49秒 三谷605番地の東 約150mに 森神社が建ちます。拝殿の後に 本殿が有り、拝殿の左に 一宮社の2社を祀る小屋と 中央に一宮社の2社を挟む三宮社と 四宮社からなる九宮社が 建ち、次に 地蔵菩薩と 思われる石像 一宮社 石碑 地神碑が2石碑 一宮社 3組の灯明祠と思われる金属製の祠が 並びます。拝殿の横壁に 天津神社氏子 稲荷神社氏子 小森中の奉献札 天計神社氏子中の奉献札 久保田神社 細田氏子中の奉献札 御餅三俵 御?一座 御神酒一樽 五明氏子中の札が 掛けられています。

三谷森神社の創建は 享保年間(1716年〜)と考えられています。祭神は 他の森神社と異なり 素戔嗚命一族でなく 森大明神です。森大明神は 宇迦之御魂神です。稲荷神社なのでしょう。9月第3日曜日 に秋祭りを行います。氏子は 三谷集落の人達です。 小森天津神社:北緯34度55分4133度48分4048分40秒 小森岑田1012番地 小森稲荷神社:北緯34度54分58秒東経133度48分20秒 大勝天計神社:北緯34度55分31秒東経133度46分30秒 豊岡下大勝2667番地 細田久保田神社・細田天津神社:北緯34度53分39秒・東経133度47分6秒 細田明見1372番地 五明家財神社:北緯34度55分13秒東経133度48分54秒 三谷:細田1120・1163番地等 三谷原:細田1143・1155番地等 守坂:三谷375・544番地番地等 森神社:三谷392番地 杭坂:三谷388―390番地  森薮:三谷602・605(北緯34度54分25秒東経133度47分42秒)・627番地等 タレコ免:三谷607・619(北緯34度54分21秒東経133度47分36秒)・630番地等  平成24年(2012年)6月29日

 

上竹 淡島神社の廣峯神社 Hiromine-jinjya  of Awasima-jinjya 

大八幡神社上竹八幡Yahata3268番地の近く阿弥陀堂のやや南 北緯34度50分28秒東経133度40分2秒の近くに 淡島神社が 建ち、近くに 日名生活センターが 建ちます。淡嶋神社には  大山祇神社 広峰神社が 合祀されています。 大山祇神社 広峰神社を合わせて 森神社と呼ぶ人が おりました。堂内には 一宮社が2社と 男根神が3尊 祀られています。かつては 逢引の名所でした。廣峯神社の祭神は 素戔嗚命Susa-no-o-no-mikoto 五十猛命Iso-Takeru-no-mikotoです。   八幡・ヤハタ:上竹3258・3371番地等     平成25年(2013年)8月5日

 

納地 矢倉神社の五十猛命社 Isotakeru-no-mikoto-sya of Yagura-jinjya 

納地平分2053番地の東 納地矢倉2043番地 北緯34度50分21秒東経133度41分34秒に 矢倉神社が建ちます。大正4年 (1915年)龍王山中高地の玉依姫命Tamayotri-bime-no-mikoto、矢倉の石砂神社より経津主命Hutu-nusi-no-mikoto、中屋敷島神社より少彦名命Sukuna-biko-na-no-mikotoを 合祀しました。本殿裏の右手に 建つ大きな社囲いの建物の中に3社が祀られています。左の社は 若宮 正殿五十猛命社で、五十猛命Iso-Takeru-no-mikotoを 祀ります。中央の3宮社は 各々若宮右殿室納村中祖霊社 と若宮正枝五十猛社 と若宮左殿若吉備津彦命社で、それぞれ 祖霊と五十猛社と 若吉備津彦命を祀ります。右の社は 末社の火雷神社 島神社で 島神を祀ります。矢倉神社本殿より 左に離れた位置に 室納下組荒神社が 建ち「しの御崎之命」が 祀られています。 五十猛命:須佐之男命スサノオ素戔嗚尊の子で、オオヤツヒメ大屋津姫命 ツマツヒメ枛津姫命は 妹  五十猛神は 林業の神ですが、土の船を作り海を渡ったので 造船 航海安全 大漁の神として信仰され、商売繁盛 開運招福 悪疫退散 厄除け等の神徳があります 神話によると「高天原を 追い出された素戔嗚尊と一緒に新羅曽尸茂梨Sosimoriに 天降りしましたが、素戔嗚尊が「乃興言曰 此地吾不欲居」と 言ったので、一緒に埴土船を 造り海を渡って 出雲斐伊川上の鳥上峯Torikami-no-mineに 戻りました。五十猛神が 天降る前から多くの樹木の種を 携えていましたが、新羅に 撒かず 全てを持ち帰って 大八洲国Ooyasima-no-kuni(葦原中国Asihara-no-nakatukuni日本国に 植えたので、大八洲国は 青山に被われる国となった」 また「素戔嗚尊が 鬚髯から 胸毛から 尻毛から槇と榧 眉毛から楠 等 体の毛を抜いて化成させた各種の樹木を、二柱の妹神(大屋津姫命と枛津姫命)と一緒 に全国に植えました」https://ja.wikipedia.org/wiki/五十猛神」    矢倉:納地1577(北緯34度50分32秒東経133度41分40秒)・1594(北緯34度50分31秒東経133度41分38秒)・2043(矢倉神社)番地等 〆ノ神:納地1366番地 荒神山:納地1261番地   中高地:納地2096・2148番地等 中屋敷:納地1358・1364番地等 中高地ノ上:2100納地 龍王山:納地2102納地 平成24年(2012年)8月22日