下加茂 鍋谷の狐 Fox lived in nabetani and Buntarou Kawara


 大正の初め頃、下加茂山根の安井さん家Tiの母ちゃんと 姉妹と3人が 言っていたそうじゃ。円城黒杭から 河原文太郎さんが 毎年、護摩を焚いて 大般若経の転読をする法要を 行っていて、もんげぇ大きな 木札を 背負って 夜うさりぃ 帰っていると、下加茂の鍋谷に 辿り着くと、提灯の灯が 消えたそうじゃ。付けても 付けても 消えたそうじゃ。狐が 蝋燭の火を 盗んでいたんじゃと。梅原まで来ると 山向こうに、青い玉が フワフワと 動いとったそうじゃ。狐が火 を灯していたんじゃと。「吉備中央町の民話(1)」


鍋谷の狐と河原文太郎 FOX LIVED IN NABETANI AND BUNTAROU KAWARA

下加茂真瀬良に 河 原文太郎と言う男が いました。山上不動明王Yamagami-Hudou-myououの大きな守護木札を 背負い 大般若経をパラパラ捲りMekuriながら 黒杭 皿井野を通り 鍋谷に差し掛かると 化生狸に 騙されない 等 それ迄ご利益があった山上不動明王のご利益も 大般若経の転読のご利益も 失われたのか 夜道の頼りの提燈の火が 消えました。何度付けても 直ぐ消えるのです。

しかたなく 真っ暗闇の中 虚空蔵菩薩 地蔵菩薩の加護を 祈りながら 這いつくばり 和中川の岸を手で 探り探り 下って行きました。宇甘川に出ると 宇甘川に沿い 梅原に 辿り着いたので、鍋谷の方向を見ると 青い玉がフワフワと 動いていました。文太郎は「あれは 狐火じゃ。相手が 敗軍の霊では 山王不動明王の敵軍襲来守護のご利益が ない訳じゃ。」と 思い 宗林寺にお参りし、貴船神社に 燈明し、室戸台風による洪水の犠牲者の祠を 詣で 真瀬良に 戻ったそうです。「下加茂大寺の村人より口伝」

 

敗軍の霊 Spirit of the Defeated Army

天正8年(1580年) 上加茂清経に 粟屋与十郎を 先鋒隊の大将にして 毛利両川の大軍が やってきました。しかし  初戦で 粟屋与十郎が 討ち取られる等して 伊賀久隆に負け 加茂崩れを 起こした時 鍋谷城 鍋山城にも 敗軍の兵が 逃げ込みました。付近の民家を訪ね 食料を得ようとしたのですが、村には 人っ子一人おらず、食料になりそうなものは どこかに 隠され見つからなかったのです。伊賀久隆の事前の命令で 民も兵も できるだけ多くの食べ物を持って 虎倉に 集結していたからです。兵糧が 尽きた毛利の兵は、やむなく 提燈の明かりを頼りに 野草を摘み  狐や 狸を捕まえて 臭く不味いのを 我慢して食べました。  狐の中には 術を使えるものもいて、毛利の兵隊の提燈の火を消して 仲間の命を 守ったのです。  今でもその子孫の狐は 提燈持った人が 夜に鍋谷を通りかかると、毛利の敗軍の霊と 勘違いして 恐れ 提燈の火を 消すそうです。  狐に合うたら でっかくした マラを見せると 化かされないそうです。「下加茂大寺の村人より口伝

 

蓬川の狐 FOX IN AIKAWA

遠い昔 蓬川の堤に 色っぽい べっぴんに 化けた女狐が出没し、通りがかりの男に 色仕掛けで男を満足させ 、油断した処で 荷物を捕ったり 川に突き落としたり なおも迫って 生気を抜き取ったりして 困らせていました。ある時 剛の者が やって来て「面白い 化け狐を成敗してやる。」と 言って 手ごろの大きさの陽物石を 持ってやって来ました。そんな事とは  知らない女狐が 色仕掛けを始めると 男はいきなり陽物石を 女狐の秘所に差し込み「ざまぁ見ろ。男根石で 満足したか。」と 悠然と 立ち去りました。流石に 女狐も この痛さに懲りて 蓬川の堤に姿を見せなくなりました。しかし「石マラ 石マラ」と 恨めしそうな声だけは したそうな。 blog.livedoor.jp/ufodouji-tec_rec/archives/45663684.html

 

狐が蝋燭を取る THE FOX STEALS CANDLES

 狐は ロウソクが好物なので、提燈を 下げて行くと 尻尾 等で 上から提燈を叩き落とし 蝋燭を 盗んで食べると言います。それを させないためには 提灯の上に 手を入れて 持って歩かなければいけないと 言います。提燈の火が消えそうになったり 消えるのは 狐が提燈を 叩き落そうと 試みているからだ と言います。www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1460366.shtml杉谷 有漢 上竹の上ン茶屋kami-n-tyaya下ン茶屋simo-n-tyaya  等出に 蝋燭を取る狐がいたと伝えられます。 加茂八十八巡礼3番奥の院真瀬良札所:本尊は 山上不動明王 下加茂真瀬良1780番地付近の小道を 右に 宇甘川を渡り 左に進んだ所 北緯34度50分54秒東経133度49分12秒  河原法印(下加茂真瀬良1750番地)が 灯明を 絶やさないと 言われますが、彼の姿は 見当たりませんでした。  地蔵菩薩が 多く祀られています。 下加茂山根:現在の大寺 日吉神社の川向こうの 山根の屋号を持つ安井家は 北緯34度51分44秒東経133度49分17秒    山上不動明王・浪切不動明王:弘法大師(空海)が 海上安全を祈るため一刀三礼彫刻を 行ない、尊師 恵果阿闍梨の開眼加持を 受けた霊尊です。異国来襲の護りとされていま。。www.daihou.com/fudou.html 河原法印は 室戸台風の被害者を 悼むために 真瀬等に 山上不動堂を 開基したのでしょう。   不動明王:大日如来の元 悪魔軍を 撃退し 災害の悪毒を 除き 煩悩Bonnouを断ち 行者を護り 諸願を聞き届ける 決意を貫く仏ですhttps://kotobank.jp/word/荳榊虚譏守視-125428」    黒杭:上田西 北緯34度53分8秒東経133度47分1秒付近の集落で、三納谷との境の火雷神社にキュウモウと言う化生狸が 祀られっています。 高見山は 三納谷城で そこにある銅抗は キュウモウの住処とされます。    加茂八十八巡礼74番黒杭札所:本尊弘法大師 上田西有明132-1-1番地の下の高台 北緯34度53分65秒東経133度47分9秒 加茂八十八巡礼79番皿井野札所:本尊は弘法大師 上田西臺1758番地の臺南で 粟島神社(北緯34度52分34秒東経133度47分55秒)に併設されます 虚空蔵菩薩:下加茂ゴザイ841番地 北緯34度52分8秒東経133度47分23秒の上    地蔵菩薩:高梁御津線(31号線)の和中から 上田西に向かう道の右手の崖の中腹 北緯34度52分2秒東経133度47分24秒    加茂八十八巡1番礼宗林寺札所:本尊は 聖観音 429号線から 高梁御津線(31号線)が分かれる辺りの東 31号線の北 北緯34度51分31秒東経133度48分51秒    鍋山城跡:上加茂薬師262番地の北 北緯34度52分1秒東経133度47分40秒 加茂八十八巡4番鍋谷札所:本尊は 弘法大師  129号線の下加茂鍋谷1026番地の東を10m登った所 北緯34度52分9秒東経133度48分21秒 鍋谷城跡:下加茂鍋谷1028番地の南西 北緯34度51分54秒東経133度47分56秒    上加茂合戦・加茂崩:御津虎倉伊賀久隆が 毛利方から 織田方に付くと 毛利軍は3万の大軍で攻めてきまし 天正8年(1580年)上加茂で衝突し 毛利軍は総崩れしました。敗走する毛利兵は 作戦上もぬけの殻になっていた鍋山城 豊岡城 福山城 等に 逃げ込みました。    加茂八十八巡4番奥の院梅原札所:本尊は 弘法大師 高梁御津線の梅原橋を渡った下加茂梅原818番地の裏手の西の上 北緯34度51分44秒東経133度48分3秒に建ち、祇園様 荒神様が  併設されています。 平成24年(2012年)5月4日

 

平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備人出版】が発行されました。P222~P224に「ローソクを取る」「提灯を消す」の民話が、p271~P272に加場の原の「提灯がえし」 倉城の「提灯かつぎ」の民話が載っています。P276に福沢才の乢の「抜け首」と言う記事が有ります(毛利の小早川がこの近くの城”おそらく野々平城あるいは笹目城”攻めて来て首を切られ、その恨みを持った首の霊が現れる)。