大木 目取 腰折れ地 蔵 Dizoubosatu with broken west 


 大木目取1129番地の北の田の畔に 地蔵菩薩像が 立っています。何時の頃か解りませんが、洪水による水の犠牲者が 流れ付きました。恐らく昭和9年(1934年) この辺りが屋根まで漬かったと伝えられるる室戸台風の時の洪水でしょう。遺体は 無残にも 腰の骨が折れ 曲がっていました。ある豊岡上の村人は 不憫に思い、遺体のあった処に 地蔵菩薩像を立て 悼み\ました。腰から下の病 にご利益があるとされ 子供の寝小便や腰痛 腰の曲がりの平癒祈願に 訪れる人が 大勢押しかけていましたが、現在は この赤い着物を着せてくれている人しか いなくなりました豊岡上小森線371号線)を 上大木から 湯の瀬に向かう途中 南に大きく張り出す手前 北方の山裾に 天計神社Amahakari-jinjyaの鳥居が 建っています。鳥居のある付近の豊岡川の対岸の田の畦  大木目取1129番地の北面城跡の東北)北緯34度54分52秒東経133度47分10秒に 大日如来の石碑と 一緒に並んで立てられています。多くの腰折れ地蔵と名付かれる地蔵は 腰辺りで割れていますが この地蔵には傷は有りません。「大木長泉寺の村人より口伝」

 

昔々 貧乏でしたが 信心深い腰の曲がった お婆さんと 金持ちで 意地悪な 腰がしゃんとした お婆さんが居りました。下大木の田の畦に 大日如来と 腰折れ地蔵が 祀られていました。腰折れ地蔵は水 の犠牲で 腰が折れた少年を 悼んで立てられた地蔵 で腰から下の病に ご利益があるとされました。腰折れ婆さんは「腰の病が 治りますように」と 毎日 心を込めたお供えを持って お祈りに通っていました。大日如来は 上機嫌で「おい腰折れ地蔵や  あの婆さん、わし 等が 見える遥か向こうから 腰を低くしておろう 願う時正座しにゃぁ 正座し もそっと腰ぅ低くしよう  頼みゃぁ 腰の痛みの平癒だけじゃ あねぇにわし等のために 腰ぅ低くしとりゃぁ 余計に腰が痛くなろうに  腰ぅ低くせんでも良ぇと 言ってやろうじゃぁ無ぇか」と 言うと、腰折れ地蔵は「尤もじゃ」と 答え、次の日の婆さんのお参りの時 厳かに「わしは 腰折れ地蔵じゃ そねぇに腰ぅ折らんで良ぇ 楽にしなされぇ」と 言いました。信心深いお婆さんにはその声が聞こえ「勿体無ねぇ 仏様に踏反り返るような真似できません  痛みぅ無うして下されえ どうか今年も 豊年でありますように」と 祈願して 粗末ではありましたが 心のこもったお供え物をして 帰りました。大日如来は「初めて 腰の痛み以外の事ぅ 祈願しおった  願いぃ叶えてやらにゃぁ おえまぁ」と 言うと、腰折れ地蔵は「じゃぁ 貧乏の目ぅ取ってやりましょう  豊稔米の籾を やりましょう」と 言いました。

ある朝 腰折れ婆さんが 目を覚ますと 沢山の雀が 種籾を咥えてやって来ていました。お婆さんは 腰折れ地蔵が「あの時思わず頼んだ 願いを 叶えてくださった 有り難い事じゃ」と 言って、お婆さんの家では その籾で 苗を作り 米を取ると 税金に充てる分の他 有り余る米が 収穫できました。有り余った米の一部で お供え物と 雀への礼をし 余りを 町で売りました。そして家は 栄え 分限者に成りました。それを聞いて 意地悪なお婆さんが 真似をしました。威張っていて 祈願する時も、頭Koubeを 垂れません。大日如来は「腰を折らんか」と 言いましたが、意地悪婆さんには 信心が浅いので 仏様の声が 聞こえません。毎日の偉そうな参詣に 大日如来は怒って「おい  腰折れ地蔵 彼奴Kyatuの突っ張った腰ぅ 曲げてしまいねぇ」と 言うと、腰折地蔵は「仏の身で そねぇな事aできませんぁできません  とりあえず豊稔米ぅ作らせて 様子を見ましょう」と 言って 雀に 種籾を 運ばせました。意地悪婆さんは「これで もっと分限者に 成れる」と 喜び、事実その通りに 大豊作になりました。雀が お零れを戴きに来ると 雀を叩き 雀の腰を痛め追い払いました。雀は 腰折れ地蔵に お参りし「あねぇな悪たりゃぁおらん  仇ぅ取っておくれぇ」と 祈願しました。その話を聞いてさすがの慈悲深い腰折れ地蔵も 激怒し「あの婆の分限者の目ぅ取ってやらにゃぁ 気が済まん  雀達よ 糞婆の田圃の米ぅ稔ると直ぐに 全部食うてやれ  糞婆が 悪さaぁする時にゃぁ わし等が お前等ぁ 護る」と 言いました。意地悪婆さんは 雀を追うとすると 必ず転び 米を雀に 散々食われ貧乏になりました。それで、屋号を目取と 呼びました。「豊岡下の村人と著者とで交わした冗談話」目取に住む人に意地悪婆様はいません  目取:大木1101・1119・1125・1126・1129(北緯34度54分51秒東経133度47分12秒)・1169・1170番地 目取とは窪み(女・め)を埋めたの意味、あるいは面城Men-jiro(常江田城の出城)の堀の一面を 埋めたの意味と 想像します    女城東:大木1100番地        平成25年(2013年)5月6日