豊岡上 怖いとは何か What is terrible


豊岡上 上光寺に 住む大森肇さんの 昭和初期の経験談です。昭和の初め 頃遊びは\ チャンバラごっこや 戦争ごっこや S合戦(陣取りごっこ)や 相撲でした。ある日の遊びで お友達と 戦争ごっこを 定光寺城跡で しました。当時には 朽ち果てかかった 城らしき建物が 建ち、その庭には 人が入れる程の 深い穴が 建物 を囲むように 並んでていました。

肇は 戦争ごっこが 始まると 掘られていた穴に 入り 敵方の友達を 待ち伏せしていましたが、夕方になっても 友達は 攻めて来ず、とうとう日が 暮れました。友達は「肇は我儘ばぁ 起こして勝手に 山を下りた」と 思い、夕方になったの で 皆 家に 帰ったのです。この夜は 月もなく 暗くて 山道は見えないし 意地もあって 穴の中で 寝る事にしました。狐や 鳥の奇妙な 声がしました。未だ 山犬 と呼んでいた 狼が 山にいると 信じられていた時代です。怖ろしくて オシッコが 漏れそうで 眠るどころでは 有りません。「どうしょうか  今よりも そっと恐体Kyoutei事を 考えれば 目前の恐とさは 忘られ、御伽話Otogibanasiの中の世界 を楽しめる  恐てぇ物は 地震 雷 火事 親父Oyajiじゃ その中で 一番恐てぇと 思う お父の事を考える事にしょう  お父 拳骨Genkotu たん瘤Tankobu 瘤を冷やしてくれるお母 母は御上 大神狼 狼らしい声が聞こえる 余計恐てぇ事になった  他の事を 考えよう 御伽話の火事にしよう カチカチ山 狸の背中の火事 猿蟹合戦 栗がはじけて火事 浦島太郎は煙でお爺に 知っている物は 全部きょうとうぎたないだけじゃ」等と連想 遊びをしました。そして「この恐とさの中で 寝るのが 一番恐てぇ  何が 有るのか解らんけぇ恐てぇ  何が起こるか 解らんけぇ恐てぇ  いつ起こるのか 解らんけぇ恐てぇ  どんなふうになる か解らんけぇ恐てぇ  寝れば 何も見えん  寝れば 何にも 考えられん  寝れば 逃げ出す事もできん  じゃけぇ寝るもんか じゃが 何でわしは 逃げんのじゃろう  狼より 暗闇の方が 恐てぇんじゃろうか  狼を恐てぇと 思うとらんのじゃろうか  河原六郎右衛門は 何も知らないで殺された  何も知らなかったんじゃけぇ恐とうなかったんじゃろうか  ならば寝れば 良いのに 寝られん  狼は 何で来んのじゃ  狼は 何を 考えとるんじゃ  狼は わしを 恐とがっとるいるじゃろうか  狼は わし が狼を 恐とがっとるのを 知らんのじゃろうか」と 支離滅裂な 思いが 脳裏を 駈け廻る内に いつの間にか 朝を向かえました。家に帰って 安心た肇は「狼を 恐てぇと思っていた が 狼が 恐てぇんじゃぁなくて 本真は狼 が何をするのか 解らんけぇ恐てぇ  何も 悪い事が 起こらない事が解っている事が 安心」と 気が付きました。また「安心な 所で寝るのが 恐とさや 辛さを忘れるのに 一番良い方法」と 解り ゆっくりと寝ました。「上光寺森氏談」    常光寺:豊岡上324番地    上光寺:豊岡上289・411番地等 北緯34度54分1秒東経133度45分42秒辺り    常光寺城跡落合加茂川線66号線)と豊岡上小森線(371号線)の交差点亀山八幡宮の北の山の頂上付近 北五34度54分16秒東経133度45分41秒が定光寺城跡です  初代長田荘の地頭 伊賀頼氏の居城と想像されますが、平成26年(2014年)1月頃 作平され 完全に 破壊されました。    きょうとうぎたない・恐体汚い:怖いのですが大して怖くない    河原六郎左衛門直次/河原六郎右衛門:伊賀久隆の家老で 有能な兵法者であったため 妬まれ、出世争いをする者達が 伊賀久隆に懺悔すると「振る舞い事があるので 定光寺に 出向いて来るように」と命じられました 定光寺に出向くと 河原六郎左衛門主従20数人は 暗殺された筈ですが 天正8年(1580年)の上加茂合戦では 伊賀方の裏切り者 河原六郎右衛門として 毛利軍の道案内役を 務めています。        平成23年(2011年)11月3日