吉川 千木 道免寺    橋供養碑 Memorial stone monumennt for bridgh


橋供養碑に関る言い伝えは いくつかありますが、生活に欠かせなかった橋を 何らかの理由で壊さなければならなかったか、洪水などで 流されたので 供養したものと考えます。石原房子氏の屋敷周りを 道免寺と呼びます。屋敷の山の中に 寺が有ったそうです。房子宅にその寺の本尊が 有るそうです。道免寺の下 千木から 小茂田に渡る橋は 吉川最古の橋でした。道免寺の尼さんが 橋より落ちて死亡したので、村人の久兵衛により 供養塔が 建てられました。供養塔には 妙善菩薩 橋供養石 施主當村 久兵衛と 刻まれています。「吉川史」 

吉川餅田6651番地の屋敷の上の山中に、かつて道免寺と 言う尼寺がありました。現在は 吉川6651番地邸内に高さ 1尺程の本堂が 残されています。それが由来で 吉川6651番地付近の地名を 道免寺と 呼んでいます。道免寺の南 千木Sengiから 小茂田Komodaに向かう所に 千木川が 流れていました。村人の久兵衛が 篤志して吉川で最古の橋を架け、村人に 貢献しましたので  久兵衛橋と名付けられていました。道免寺の尼さんが、奇特で優しく整った顔に 逞しい身体を 具えた 九兵衛に惚れ  禁断の恋をし、挙句の果て叶わぬ恋に 世を儚んで 久兵衛橋より 入水自殺しました。それを知った久兵衛は 橋を架けた事を悔をみ、橋のたもとに 供養塔を立て悼みました。供養塔には妙善菩薩 橋供養石 施主当村 久兵衛と 刻まれています。「千木の村人のより口伝」 昔 道免寺の尼さんが 尼となった事を悔やみ、世を儚で 夜道を彷徨っていて  誤って橋より転落 し死にました。村の田夫 久兵衛は 気の毒がり、供養碑を 立てて 悼みました。供養塔には 妙善菩薩 橋供養石 施主 当村 久兵衛と刻まれています。「小茂田村人より口伝」    堂免:吉川千木6804-6809番地 道免寺本堂:吉川町田ノ上6651番地 北緯34度50分2秒東経133度44分40秒    橋供養搭:北緯34度49分59秒東経133度44分38秒    平成26年(2014年)7月9日