美原 日名忠兵衛 Hina-Tyuubei


延宝晩年  宇甘川洪水 が起こり、集落や 田畑が 濁流に飲まれました。流路が変わり、耕地交通路も 奪われました。村人は 言葉を失う程 悲嘆にくれたのを見て、日名忠兵衛は 道路の破壊を 修復する決心をしました。流路を 穿ちugati元の流路を 復元し、破綻した堤 数か所を 新しい 堰堤Enteiを 修復し 又築き、標高の低い地に 石を積み 堤を 新設、再度の禍の根を 絶ちました。この時 崖から落とした 2間よりも大きい割石の大岩が 美原の宇甘川左の道に 近い田の中にあったので、この岩が 記念として残されました。忠兵衛は93歳で没しました。

ところが 昭和34年に 伊勢湾台風が 潮岬に上陸し、紀伊半島から 東海地方を中心とし 日本全国に 甚大な被害を及ぼしました。美原の里も 例外ではなく、延宝晩年の台風被害と 同様に 田畑川岸の破壊を もたらしました。村人は 日名忠兵衛の教訓に従い、県 町の支援を受け 協力して 復旧活動に 身を置きました。無事に 復旧が成ると、碑が 立て換えられました。昭和42年(1967年)12月県道拡幅工事に合わせ、碑と記念の大岩が 現在の地に移されました。「美原野原の村人のより口伝」 日名忠兵衛翁頌徳碑:美原平兵衛田523番地の東北約200m 高梁御津線(31号線)のカーブの北側 北緯34度52分23秒東経133度46分39秒     平成23年(2011年)7月17日