金毘羅信仰で は一般的に讃岐の金刀比羅宮の金毘羅大権現を信仰しました。金毘羅はインドガンジス川の鰐を神格化した龍神・クンピーラ神でしたが、仏教に取り入れられ宮毘羅大将 ・と呼ばれる仏教の守護神である十二神将の1尊となり、日本では蛇神の大物主命と習合しました。明治になると神仏分離により仏教色が排除され権現の名を使わず、祭神を大物主命等とし宮名も金刀比羅宮となりました。海上安全 船舶航行 祈雨 農業 五穀豊穣等の神として祀られます。 ㊟神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります
井原 天神堂の金比羅神社 Konpira-jinjy of Tenjin-dou in Ihara
井原出シ943番地より西に 墓場を幾つか越え登ると 頂上付近・倉木池の東 北緯34度53分50秒・東経133度45分26秒 井原i池尻967番地から約120m北 井原943番地の西約80mmに 地神搭と共に井原天神堂が建ちます。五宮社の両脇に 一宮社が祀られます。五宮社の一番左の社が 金刀比羅神社です。 馬引免:井原921・922番地 地蔵前:井原924・1367井原 天地ノ山:井原939-940井原 出シ上:井原943-945井原 門ノ曽根:井原985・987井原 丸山:井原994井 平成25年(2013年)10月4日
上田西 立石の金毘羅宮 Konpira-guu in Tateisi
上田西国近1344番地の東 北緯34度52分53秒・東経133度47分17秒の共愛公会堂の堂内に一宮社が 4社祀られています。右から2番目の社が 金比羅宮です。
円城 円城東の金比羅神社 Konpira-jinjya in Enjyou-higasi
円城曽根184番地の北隣 北緯34度53分22秒・東経133度48分16秒 本宮山円城寺中之坊跡に 金比羅神社等が建ちます。429号線から 下土井に向かい 医王院を右に見て進むと 左手に 案内標識が立っており、石の門が 北緯34度53分26秒・東経133度48分14秒に 建っています。道路よりの斜面に 歯痛地蔵が 祀られています。南に進むと 円城曽根184番地の民家が見え、左手に 3社の祠がある広場に出ます。大きい祠と 小さい祠と 朽ちかけた祠が建ち、2組の石製の手水鉢が有ります。大きい祠には 大現尊神Daigen-son-jinと 十方三寶諸善紳が 祭られています。小さい祠には いかなる神仏が祀られているか 解りませんが、案内標識が 金毘羅堂となっていますので 金毘羅権現が 祀られているのでしょう。もう一つの祠は 朽ちかけていて 祠内は 空であり、小さい祠の側に建っているので 恐らく小さい祠の遷宮前の祠でしょう。金毘羅様には 大物主命が祭られます。 大現尊神・大元尊神・泰山府君Taizanhu-kun・東嶽大帝Tougaku-taitei:元々は中国の神ですが、安倍家の守護神です 安部仲麻呂は 遣唐使として中国に渡り 泰山府君信仰に出合い 阿部家の守護神として 日本に布教しようと試みましたが、帰国する事が 許されませんでした 止む無く 吉備真備Kibi-no-Mabiにこ の事業継続を頼み、日本の阿部家に 思想を伝えて貰おうとしました 吉備真備は 阿部家の子孫に合う事が無く、止む無く 加茂家に 経典を預け 安部氏の有力者が現れる迄 預って貰いました 後に 安部清明が現れ、加茂家より 陰陽道の極意を受け取り、泰山府君を 普及させました 大現尊神は 仏教の護法善神である 天部の諸尊十二天の一尊、焔摩天Enma-tenの眷属Kenzokuの一尊です 泰山信仰(祭神である 泰山府君は 病気や寿命 死後の世界の事等 生死に関わる事全般に、また碧霞元君Hekika-genkunは 出産等 女性に関する願い事全般に、そして眼光奶奶Yangan-nainaiは 目に利益があります。羈医臼と習合し泰山府君となりました 道教の東嶽大帝に当たります。胎蔵界曼荼羅での形象は1面2臂Iti-men-Ni-piで 左手に人面の杖を持ち、右手で書物を 書いています 十王信仰(道教や仏教で地獄での亡者の10審判尊)では、泰山王(薬師如来:死後77日すなわち49日の裁判官)になりました「www.big.or.jp/~arch-613/gekka/unsei/onmyou/taizan.html」 泰山府君:泰山府君とは 中国の五岳の一座で 東岳泰山を神とし、五行論では 東方は生命の誕生を司る方位で また人の死後に 魂の集合場所とも されます 故に 泰山府君は 人の寿命を操る神です 泰山府君は 同僚の天曹Tensou(天上の星々の諸神)と 地府tihu(地上及び冥界の諸神)即ち天曺地府Tentyuuti-huを 管領Kanreiして 閻羅冥官Enra-myoukan(閻魔大王)の任務を遂行し、前世の人の禍福を 考慮して 人の寿命を 増減します 泰山府君を 敬えば 福祚Hukuso(天から授かる福)を得、深く信じ 帰依すれば 長寿を保ちます 陰陽道では 寿命延長や 除災平安を祈ります 大元尊神は 一部の神道では 天地に生ずる前に 陰陽を超え 始点も終点もなく 宇宙の全体に顕現(見える形で現れる)した神 即ち 宇宙根源の神とされ、保食神Ukemoyi-no-kamiと 同一の神や 天御中主命Ame-no-Minak-anusi-n-mikotoや 国常立命Kuni-no-Tokotati-no-mikotoと同一神とみなしました「泰山府君とは - コトバンク (kotobank.jp)」 「東岳大帝 - Wikipedia」 十方三寶諸善神:十方とは東 西 南 北 北東 南東 南西 北西 上 下即ち 全ての方角の事です 三寶(三宝)とは 仏教における仏(釈迦等) 法(仏の教えの集大成) 僧(僧伽sougya 修行僧の集団)の事です 三宝に帰依して初めて仏教徒なります 3は 聖数とされます あらゆる世界 3宝を守護する 善をなす神々の意味でしょうか 金比羅後:円城152・154・168番地 金比羅北:円城de161-163番地 寺向:円城133・175(北緯34度53分24秒・東経133度48分20秒)-181(北緯34度53分23秒・東経133度48分18秒)・235番地等 金比羅南:円城170・172番地 中ノ房:円城171番地 平成25年(2013年)3月6日
大木 上大木の金毘羅神社 Konpira-jinjya in Kami-Oogi
大木堂元260番地の南東の山の中 北緯34度54分14秒・東経133度46分23秒付近・上大木公会堂の近くに 金毘羅神社が建ちます。右の一番大きい社に 萬松山吉祥寺と 金毘羅宮が祀られ、中の社に 菅原大神と 國津神社が 祀られています。大木城の出城跡とされますが、敷地が狭いので 小さな砦だったのでしょう。 萬松山吉祥寺:大阪市天王寺区六万体町に本山が有る曹洞宗の寺院です 赤穂藩主浅野主匠頭長矩Asano-Takumi-no-kami-Naganoriの大坂での菩提寺Bodai-jiでした 國津神社:主に近畿地方、中国地方に点在する神社です 大国主命を祀る傾向が 有りますが 種々の神々が 祀られています 岡山県南区郡616番地の國津神社の主祭神は 國魂建日方別Kunitama-no-take-Hikata-wake-no-mikotoです 上大木公会堂:北緯34度54分21秒・東経133度46分31秒です 神子堂:大木230番地 堂元:大木252-256・260番地 祇園山:大木295・296番地 平成25年(2013年)1月25日
大木 柳井田の金毘羅神社 Konpira-jinjya in Yanaida
豐岡上小森線( 371号線)の須用治橋(北緯34度54分19秒・東経133度46分20秒)を渡り 最初の交叉点を左に進み、林道大木国成線を国成りに向かって登ると 北緯34度54分11秒・東経133度47分2秒(細田コレノキ570番地の北 約450m) 国成のやや手前の頂上に建っています。大物主命を祀ります。ここが大木城跡とされる と言う村人が、 ますが 大木城は定光寺城の事らしく、地形から推測しても過ちでしょう。この地域で戦争があったようで、一時的に兵士が 留まったのかもしれません。 殿井:大木876・891番地等 栁井田池口:大木894・903番地等 膳足北:大木914-91番地 膳足田上:大木917番地 塚ノ前:大木918・936番地等 塚ヶ搭・塚ヶトウ:大木922-925番地 柳井田:地元の人はYanieda あるいはYanadaと発音します 平成27年(2015年)7月1日
上加茂 三宅の常夜燈 Night light in Miyake
429号線沿いの上加茂ふれあい広場から南に向う分岐をすすむと加賀中学校の体育館の北に出るので地神の祀られる側で体育館に沿って南にすすみプールの南に唐南東に60m程進むと上加茂2358番地の南西 北緯34度50分41秒・東経133度48分17秒に奉燈と記された常夜燈が建っています。金毘羅島ではありません。 令和5年(2023年)3月20日
上加茂 光堂の常夜燈 Night light in Hikari-dou
429号線の上加茂光盛42-1番地の南隣地 北緯34度51分16秒・東経133度48分38秒に「常夜燈 に嘉永二歳(秀)〇 片山氏秀(完)」と刻まれた常夜燈が立ち、傍に袈裟切りに割れており「為俗(多)免八菩〇 文政三年𫝕冬」の刻みがある仏像が 祀られています。 光盛:上加茂1・51番地等 石盛:上加茂57番地 八幡谷:上加茂60・107番地等 八幡前:上加茂72番地 平成28年(2016年)3月25日
上加茂 原の常夜燈 Night light in Hara
429号線奥谷橋の南の分岐を 北西に240m程進んだ所の左側の崖上 北緯34度51分11秒・東経133度48分23秒に 立派な常夜燈が 立ちます。金毘羅燈ではありません。東 道向に 原公会堂が 東北 道向かいに 上加茂高尾283番地があります。近くに 奥谷野田古墳群や 流れ柿が あります。 平成28年(2016年)3月25日
加茂市場 藤沢山金比羅神社 Hujisawa-yama Konpira-jinjya
藤沢山金比羅神社は 通称 金刀比羅宮で 旧社格は無社格です。高梁御津線(31号線)の加茂市場浜崎井堰の西北のT字型交叉点を 西に進み 加茂市場小山塚ノ上k804番地の西のY字路を南西に入り、道なりに南に進んで 金屋橋を東に見る辺り 北緯34度51分46秒・東経133度45分10秒に 金刀比羅宮建ちます。9月10日に盆踊り(火燈祭)をします。この辺りの殆どの神社で 火燈祭・夏燈祭を行い、踊りと花火が奉納されます。ここの金刀比羅様の火燈祭では、珍しい谷「谷渡し提燈」が 行われます。山の頂上の神社から 谷を跨いだ向かいの金谷山迄の約300mに 綱を張り 提燈を並べ 暗闇の中に灯を灯します。この金刀比様は 四国の本宮(本山)の象頭山zouzu-sanの 金刀比羅宮を 勧進したもので、航海の神を 祀っています。祭神は大物主命Oomononusi-no-mikotoです。宮司との連絡先は電話番号0867-35-0114です。 権現谷:加茂市場754・766番地等 宮地ヶ谷:加茂市場859・865番地等 明現曽禰:加茂市場799番地 塚ノ本:加茂市場803番地 小山塚ノ上:804番地 地蔵渡:加茂市場813・819番地等 城南:加茂市場950・990番地等 藤澤:加茂市場988・989番地 平成23年(2011年)11月13日
下加茂 愛宕山の金比羅神社 Konpira-jinjya on Atago-yama
愛宕山の麓 下加茂田中2046番地 北緯34度51分31秒・東経133度48分51秒に牛頭山宗林寺が建ちます。愛宕山の頂上に 金比羅神社等が建ちます。牛頭山宗林寺より 裏山に向かうと 途中に絶壁に向って立つ 地蔵菩薩が祀られ、又岩を四角に彫った洞窟があります。愛宕山の頂上に宝篋印塔と2社があります。大きい社が 愛宕神社で 稲荷神社と金比羅神社が 合祀されます。右の小さい社 は祇園牛頭天王堂です。 堂ノ前:下加茂126・130番地等 堂ノマヘ:下加茂1899-1901番地 久西神社:下加茂2004番地 田中河原:下加茂2019-2022番地 愛宕山:下加茂2053番地 平成28年(2016年)4月8日
高谷 長丸の常夜燈 Night light in Tyougan
十力城跡・台ヶ峰の麓の 高谷張丸132-番地の南西 約30m 長丸ふれあいセンターの東 北緯34度51分44秒・東経133度46分43秒 に常夜灯が立ちます。長丸の地名は 恐らく十力城の出城である東山城(構造上からすれば本丸)が 細長い事 即ち長丸Nagamaruに由来るのでしょう。霧の名所です。十力越:加茂市場2233-2235番地 城本:高谷1120番地 長丸:高谷1297・1329番地等 城山:高谷2451-2456番地 平成23年(2011年)8月20日
豊岡下 湯の瀬の金毘羅加茂大御所の碑 Monument of Konpirsa-Kamo-Oogosyo in Yu-no-dse
豐岡上小森線(371号線)の湯の瀬温泉郷キャンプ場の南西の大曲辺りに 豊岡下妙見1517-5番地 と豊岡下妙見1517-1番地が有ります。両家の間を北に登り道なりに右に曲がると 突当り 北緯34度54分48秒・東経133度47分21秒に石碑と一宮社があります。石碑には 金毘羅大御神 加財大御神と刻まれており、一宮社は 明見社です。 妙見:豊岡下1483・1532番地 湯ノ瀬:豊岡下1508・1616番地等 湯ノセ:豊岡下1533-1539番地 ハテノ場:豊岡下1555・1586番地等 薬師堂:豊岡下1558番地 平成29年(2017年)4月29日
広面 風神社の金比羅神社
429号線を 下加茂から 吉備新線(72号線)に向かうと 左手に道路工事の時 向きを逆さにされた道標Mitisirubeがあります。この道を左に下ると右手 広面奥1269番地 北緯34度49分18秒・東経133度48分35秒に 風神社が建ちます。本殿の東奥に神輿庫があり、その隣に 拾二社神社があり、右手に一社宮が 3社並びます。その左端の社が 金比羅神社です。その3社の中央の社は沼名前神社Numakuma-jinjyaであり 金ぴ羅神社でもあります。金ぴ羅神社の「ぴ」の字は「刀」の冠に「比」の脚を 組み合せています。崇徳上皇と 大物主命を祀ります。沼名前神社には 大綿積津命と 須佐之男命を祀ります。 供養石元:広面1248・1249番地 神幸場:広面1261番地 ミユキバ:広面1264番地 神納河内:広面1262・1267番地 奥:広面1268・1760番地等 宮ノ後:広面1271番地 ドンド:広面1277・1278番地 平成29年(2017年)4月1日
逆Y字路を 北に向かうと 頂上 北緯34度50分14秒・東経133度48分43秒に 金刀比羅神社が建ちます。境内に 摩利支天神社と 地神碑があります。金刀比羅神社には 天照天皇大神と 大物主命が祀られ、手帆負命Taoki-Hooi-no-mikoto 彦狭知命Hiko-Sasiri-no-mikotoが 金刀比羅宮を 護っています。摩利支天神社には 護王五柱大神も 祀られています。昭和五三年建之の石柱が 有ります。 護王五柱大神:護王大明神は和気清麻呂Wake-no-Kiyomaroの事で 護王神社の主祭神です しばしば姉の和気広虫が 一緒に祀られます しかし五柱の神は摩利支天社に祀られているので 武御雷命Take-Mikaduti-no-mikotoや経津主命Hutu-nusi-no-mikotoと行動を共にした五柱と考えます 則ち邇邇藝命Ninigi-no-mikotoの天降りに随伴した 天児屋命Ama-no-Koyane-no-mikoto 布刀玉命Hutodama-no-mikoto 天宇受売命Ame-no-Ùzume-no-mikoto 伊斯許理度売命Isikoridome-no-mikoto 玉祖命Tama-no-oya-no-mikotoの五伴緒Itutomo-noの事であろうと考えます ちなみに 浜松市中区利町302-5番地 北緯34度42分23秒・東経東経137度43分30秒の五社神社には 太玉命Hutodama-no-mikoto 武雷命Take-ikaduti-no-mikoto 斎主命Iwai-nusi-no-miloto 天児屋根命Ame-no-Koyane-no-mikoto 姫大神Hime-no-ookamiを主祭神とします。加奈川県綾瀬市早川1603番35地 北緯35度26分'16秒・東経139度24分31秒の五社神社の祭神は天照皇大神Amaterasu-sume-ookami 天忍穂耳尊Ameno-osihomimi-no-mikoto 天津彦火瓊瓊杵尊Amatuhiko-ho-no-ninigi-no-mikoto 彦火火出見尊Hiko-hohodemi-no-mikoto 鵜草葺不合尊Ugaya-hukiaezu-no-mikoto です 左崖上神道系の墓場:北緯34度50分12秒・東経133度48分46秒 広面西谷2626番地:北緯34度50分10秒・東経133度48分41秒 カミシタ:広面2579・2598番地等 荒神下:広面2774・2824番地等 西谷:広面2568・2942番地等 金刀比羅田:広面2823番地 平成29年(2017年)4月22日
溝部 金刀比羅神社 Konpira-jinjya in Mizobe
落合加茂川線(66号線) を尾原から 溝部に入り 豊岡川に沿ってY字路を左折し 恩木ダム方向に向かうと 直ぐに中渡橋があり、その西の溝部中田299番地と 溝部屋敷341番地の間の細い道を 西に行くと 北緯34度56分17秒・東経133度44分29秒に 加茂八十八霊場巡礼40番溝部下札所の聖観音堂が 建ちます。近くに 地神塔が 有ります。更にその西奥右手に 金刀比羅神社と五角地神塔が立ち 奥正面に 五社が建っています。 中田:溝部290・299-303・306番地等 堂ノ後:溝部265・266番地 湯カミ:溝部304・307番地等 丸山:溝部313・326番地等 堂マヘ:溝部328・337番地等 宮ノマヘ:溝部336・番地等 宮ノ前:溝部345番地 屋敷:溝部341番地 三寶山・三宝山:溝部346番地 平成29年(2017年)6月23日
三谷 森神社の金比羅神社 Konpira-jinjya of Mori-jinjya
北緯34度54分25秒・東経133度47分49秒に三谷森神社が あります。拝殿の後に本殿が有り、拝殿の左に一宮社 2社を祀る小屋と 中央に一宮社・2社を挟む三宮社と四宮社からなる九宮社があり、次に地蔵菩薩と思われる石像 一宮社 石碑 地神碑が2石碑 一宮社 3組の灯明祠と思われる金属製の社が並びます。地蔵菩薩と思われる石像の左隣の一宮社は 金比羅神社です。 森脇:三谷336・342番地等 隠し田・カクシ田:三谷344-374番地 森坂:三谷375・544番地等 杭坂:三谷388-390番地 水走・水走リ:三谷396-398番地 廣堂:三谷436・452番地等 平成25年(2013年)6月7日
三納谷 火雷神社奥の魔法松金毘羅の金毘羅神社 Konpira-jinjya in Mahoumatu
下土井下加茂線(372号線)の大畑バス停から 西に向かう分岐を 道なりに進み 久保田神社 案田池や 矢柄池を過ぎ 南に1000m程の道のりを進むと 細田と三納谷の境の三納谷大地久保216番地の北西の黒杭口に出ます。南東に 向かう分岐を120m程進むと 南向きの火雷神社の参道が あります。細田と三納谷の境界線に沿う参道を 270m程進むと 北緯34度53分9秒・東経133度47分1秒に建つ 火雷神社に 辿り着きます。その南に 山道があり十数メートル進むと 一宮社が 2社建っています。手前の社は 金毘羅宮で 後ろの社は 金刀比羅宮です。黒杭の人達が護るのでしょう。 神納:三納谷227・235番地等 魔法松:三納谷183・186番地 黒杭:上田西31・905番地 摩法松:上田西80・167番地 平成30年(2018年)3月27日
上竹 ケサカケの常夜燈 Night light in Kesakake
高梁御津線(31号線)の正力交叉点を 北西に進むと 玄賓Genpinの腰掛け大岩の表示のある常夜灯が上竹菊森 3199番地の隣地 北緯34度50分37秒・東経133度39分44秒に 地藏堂が建っています。その北西 北緯34度50分43秒・東経133度39分43秒に 竹荘八十八ヶ所霊場巡礼67番辻堂札所・地蔵菩薩堂が 建ちます。堂の近くに 大きな常夜灯「後谷 中筋 中 明治四十一戌寅年十二月吉日」と石仏があり、堂内には 多数の地蔵菩薩が 納められています。豊野地区 竹荘地区 上竹地区から集められたものだそうです。概ね 百尊は有るでしょうか。 宮地下:上竹2069・2082番地等 石佛:上竹2085・.2094番地等 袈裟掛・ケサカケ:上竹2097・3817番地等 平5年(20⒉3年)2月16日
堂内には3基の厨子が 祀られており、それらの上に「〇〇明見大菩薩 清正公大尊儀」の木札が 掛けられていいて それの右側上部の壁には 妙見菩薩らしき姿、加藤清正らしき姿、参拝者らしき姿、提灯2張の絵 等が 描かれています。その右に 辻堂の左に 題目碑(南無妙法蓮華教 明治十七年申申年九月吉日)が、右に 金比羅常夜灯((金)奉燈 明治九年七月吉日) が 立っています。常夜燈側に 石祠1基と2尊の仏像が 祀られています。 令和5年(2023年)2月2日
上竹 陰地佃の金比羅神社 Konpira-jinjya in Onji-yukuda
高梁御津線(31号線)の正力交差点より 北々東に進み、十字路と T字路を過ぎ、次の十字路を右、即ち 南東々に進み、T字路を北東々に進んだ直ぐのT字路の左手高台 上竹高ヤKouya4706番地の北 北緯34度50分22秒・東経133度40分26秒に 佃荒神社の お堂が建ちます。堂内には 一宮社が2社有り、左の社は陰地荒神社で、右の社は金比羅宮で天照大御神のお札が 納められています。大八幡神社Ooyahata-jinjyaに 合祀された経緯があるようですので、何らかの理由で ここに 再び祀られるようになったのでしょう。 荒神ノハナ:上竹4672番地 高ヤ・コウヤ:上竹4705-4707番地 丸山前・丸山ノマヘ:上竹4716-4718番地 平成26年(2014年)4月24日
上竹 田中小林に立つ金比羅燈 Konpira-tou in Kobayasi
高梁御津線(31号線)沿いの町立上竹荘小学校の東北の上竹石佛2085番地の変則的十字交差点を北西に登ると 小林池が 上竹才の元1796番地の西隣地に金比羅常夜燈が あります。池の東端の土手下 北緯34度50分58秒・東経133度40分20秒です。「天神社 荒神社 明治十二年 卯ノ八月吉日 惣氏子中」と 刻まれています。 石佛:上竹1717・1765番地 山根前サイ元:上竹1766番地 才の元・サイノモト:上竹1767・1796番地等 ソウズ・ソフズ・シュウズ:上竹1782・2340番地等 小林・コハヤシ:上竹1789・1857番地等 平成29年(2017年)11月11日
上竹 俵原の金比羅神社 Konpira-jinjya in Tawarabara
高梁御津線(31号線)の正力交差点から 北西に進み 袈裟掛を過ぎた所の 岡山道の隧道を潜り、大きく南西に向き 戻るように 分岐する道を曲がり、上竹新デン3473番地の次の 民家の山道を 北に50m程登った所 北緯34度50分48秒・東経133度39分30秒の近くに 岩で作られた荒神社と思われる祠が有ります。 そこから70m程 山を登ると 先が尖った巨岩の前に 石で組まれた祠が有り、金刀比羅神社の札が 納められています。この山には 同じような石の祠の白楽天宮 大婆宮Daiba-guuも 有ります。村人はこれ等祠の神の祭を総称して荒神祭と呼んでいます。 俵原池尻:上竹3451・3547番地等 聖坊西:上竹3549番地 キツ子イワ・狐岩:上竹3541・3571番地 サイノカミ・サイノ神:上竹3551・3555番地等 タワラバラオク・俵原奥:上竹3561-3563番地 狐谷山:上竹3655・3748番地等 口無谷・口ナシ谷・クチナシ谷:上竹3671・3775番地 平成25年(2013年)8月4日
北 店の金比羅常夜燈 Konpira-Nighy light in Kita-Mise
総社賀陽線(57号線)沿いの妙本寺の南西・北尾湾1408-2番地の5叉路の交差点を北西に進み、槇谷川の妙本寺橋を渡ると 右手高台・北kita馬場baba387-2番地に 町立北保育所が建っています。保育所の南隣地 北緯34度48分36秒・東経133度42分1秒に 金毘羅常夜灯と共に店地区の地神碑が 建っています。 妙本寺:北緯34度48分35秒・東経133度42分15秒 北・尾湾1408-2番地の5叉路:北緯34度48分31秒・東経133度42分7秒 妙本寺橋:北緯34度48分33秒・東経133度42分5秒 北・馬場387-2番地・北保育所:北緯34度48分36秒・東経133度42分1秒 番堂ケ一:北1159・1202番地等 番堂ケ市:北1207・1257番地等 尾灣:北1276・1413番地等 才道:北1303・1330番地 城山:北1377・1426番地等 平成27年(2015年)11月26日
黒山 黒山大倉の常夜燈 Night light in Kuroyamsa-Ookura
黒山高下479番地と黒山前498番地の間 北緯34度47分45秒・東経133度46分3秒にかつて火の見櫓が有りました。その遺構として常夜燈が現在も立っています。吉川八幡宮の祭日には ここに8本の旗を立て、燈明するそうです。吉川八幡宮が黒山より正行に遷宮される時に この近くで輿Mikosiを休め、ここに八本の旗を立てたとされます。そのためこの地を幡と呼びます。この集落を王倉と呼びます。 高下:黒山461・480番地等 前:黒山498・539番地等 門内:黒山495・514番地等 寺上:黒山523番地等 寺ノ前:黒山539・・567番地等 寺前:黒山539・556番地等 平成24年(2012年)8月20日
牛王畑:黒山592・593番地 野勢倉:黒山994番地 大草田:黒山995-997番地 城堀坂:黒山891-894・896・906・913番地 雨包:黒山895・914-918番地 鳶の巢:黒山919・921・923・924・934・935番地 東藏:黒山925-930・936-938番地 トビノ巢:黒山931番地 長クラ:黒山939番地 野勢クラ:黒山943-947・978-982・985・990・1015-1025・1028・1029番地 野瀬倉:黒山954・977・983・984・1010-1014・1026・1027・1030・1031番地 前:黒山959-961・965・967・969-971・973・1035・1036・1045・1046・1053・1055・1057・1070番地 廣草田:黒山1008番地 グイビ谷:黒山1033・1034・1040・1047・1056・1060-1063・1067・1068番地 梅屋敷:黒山1034番地 平成26年(2014年)10月5日
岨谷 馬越の金比羅常夜燈 Konpira-Night light in Makosi
北緯34度46分28秒・東経133度43分40秒辺りが 馬越城跡です。賀陽道の駅(道の駅「かよう」)や妙仙寺から 妙本寺に進み 近くでその 近くで槇谷に向かい 山根口 宮納 二本坂 東村の各バス停を過ぎ、さらに三穂の郷ファンタジアや 岡山県広域水道ポンプ場を過ぎ、野俣の手前の馬越橋が(赤の谷橋 岨谷赤ノ谷2190番地の東 約210m)が 赤の谷川を渡る地点に進むと 野俣宮の案内石柱 金比羅常夜灯と地神碑が 立っています。 賀陽道の駅:北緯34度49分1秒・東経133度42分18秒 妙仙寺:北緯34度48分54秒・東経133度42分4秒 妙本寺:北緯34度48分32秒・東経133度42分16秒 三穂の郷ファンタジア:北緯34度47分15秒・東経133度43分27秒 岡山県広域水道ポンプ場:北緯34度46分52秒・東経133度43分24秒 地神碑 野俣宮の案内石柱 馬越橋:北緯34度46分33秒・東経133度43分33秒 才ノ乢:岨谷1944・1945番地 城山:岨谷1951-1953番地 小城:岨谷1954・1971番地 神東:岨谷2008番地 馬越:岨谷2050番地 赤ノ谷・赤谷:岨谷2151・2201番地等 平成24年(2012年)4月12日
竹荘 山田 恋田の金比羅神社 Konpira-jinjya in Koida
高梁御津線(31号線)沿いのコメリハード&グリーン・竹荘宮田742-2番地と特別養護老人ホーム吉備高原賀陽店・竹荘宮ノ後753番地の間の分岐を北西に登り 竹荘堂メン804番地の十字路を 北に進み 七人御崎塚を過ぎ 坂道を登ると Y字路となるので 北西に曲がります。すると竹荘堂ノ乢Dou-no-tawa2393番地に 西に向かう分岐があり 北緯34度51分38秒・東経133度40分33秒に金毘羅常夜燈が 立っています。そこから西に向かうと 道は北東に曲がりますが、進行方向に続く山道を進むと 北緯34度51分38秒・東経133度40分36秒に朽ち果てた 恋田金比羅神社跡があります。 施鬼免:竹荘2024番地 堂ノタワ:竹荘2097・2394番地等 堂ノ峠:竹荘2395番地 カイセン:竹荘2104・2596番地等 戀田山:竹荘2126・2149番地等 ヒシリ坊:竹荘2150-2167番地 平成26年(2014年)4月16日
竹荘山田 恋田三上様の常夜燈 Nigth light of Sanjyou-sama
竹荘山田恋田の竹荘カイセン74-5番地の北に岩泉池Kaisen-ikre/Gaisen-ikeがあります。その池の西の山際 北緯34度51分51秒・東経133度40分28秒に地神碑と神変大菩薩 等4尊の仏像と 常夜灯が立っています。村人は山上様 と言わず三上様と呼びます。三尊の神変大菩薩の意味でしょうか。金毘羅常夜灯で無く「奉燈」と だけ記されています・ 堂ノタワ:竹荘2097・2394番地等 堂ノ峠:竹荘2395番地 カイセン:竹荘2104・2372番地等 カイセン:竹荘2596番地 平成29年(2017年)11月14日
田土 陰地の金比羅神社 Konpira-jinjya in Tado-Ondi
高梁御津線(31号線)沿いの田土京免1055番地・田土ライスセンタ-から 田土長左衛門屋敷1628番地や 田土中圓569番地に関る 変則的な五叉路に向かいます。五叉路を 西に向かい 変則的な4差路を 進行方向 即ち西に向かうと 田土陰地i1677番地があります。田土1677番地の東の藪の中に 2組の盤座が有ります。入り口に近い盤座には 陶器製の小さい一宮社社・祇園神社が祀られ、奥の盤座には陶器製の小さい一宮社が2社祀られています。一社は 金比羅神社ですが、残りの一社に祀られる神は いかなる神か解りません。 才ノタワ・才ノ峠:田土1442・1468番地等 七日殿:田土1469・1470番地 トアミ田:田土1509番地 渡阿弥陀:田土1511番地 ヲンジ・陰地:田土14814・1677番地等 ヤシキトアミ田:田土1509番地 阿弥陀:田土1510番地 塚原:田土1519・1583番地等 交合岩:田土1532・1586番地等 地蔵ノタワ:田土1541・1662番地等 平成29年(2017年)9月9
豊野 下市西の宮の常夜燈 Night light in Simoiti-Nisi-no-miya
豊野町ノ後406番地の道路向かい側 北緯34度52分3秒・東経133度41分33秒に常夜燈が立ちます。「奉燈 天保四年 巳年十一日吉日」の字が 読みとれます。金毘羅燈では ありませんでした。西の宮は かつて下市の北の方に 有りましたが、現在は岩牟良神社に 祀られているそうです。いつの頃か「常夜燈が この地に移され、下市の市に 通う人や 津山の牛市で 牛を購入し 加茂川に帰る人達の 往来の足元を照らしていた」と 言われます。この周囲の家庭には 阿須波々比岐神Asu-hahsahiki-no-kaiの守護札が 張られています。岩牟良神社から受けるそうで、年一回、正月に家祈祷Ya-kiyouするそうです。 阿須波々比岐神:大年神と天知迦流美豆比売神の子で、足盤 足場の神・足下の神 足で踏んで立っている所を守る神 岩牟良神社:北緯34度51分51秒・東経133度41分13秒 竹荘馬場1074番地 津山の中山神社:北緯35度6分1秒・東経133度59分41秒 西の宮:豊野1215・1216番地 塚原:豊野401・488番地等 町ノ後:豊野402・432番地等 平成25年(2013年)7月19日
納地 室納下組荒神社跡の金毘羅常夜燈 Konpira-Night light in the ruins of Koujinjya of Simo-gumi in Muronou
黒土北線(305号線)が室納で大きく北に張り出す辺りに 室納公民館が建ちます。その西に 鋭い角度で太い道が北に分岐します。鋭い角度で囲まれる高み 北緯34度50分20秒・東経133度41分50秒に金比羅常夜灯が立っています。天神社 荒神社 明治十二年 卯ノ八月吉日 惣氏子中と刻まれています。室納下組荒神社の跡地です。西隣地は 納地荒神前1673-2番地です。 宮ノ前:納地1611・1643番地 中矢倉仁子:納地1612番地 寺地:納地1639番地 荒神前:納地1673・1993番地等 慈眼寺脇・慈眼寺䏮:納地1676番地 寺:納地1683・1684番地 平成29年(2017年)8月30日
宮地 大和神社の大神神社 Ookami-jinjya of Yamato-jinjya
宮地宮谷445番地 北緯34度47分47秒・東経133度45分7秒に 大和神社が 建ちます。明治43年(1910年)に 大和村北 西 岨谷 宮地にあった35の小社が 村社八幡宮に合祀され、一村一神社となし、大和神社と改名されました。その合祀された小神社に 大和村大字北の古和田の古和田神社Kowada-jinjya(祭神不詳) 大神(御子神)の大神神社Oo-miya-jinjya(大物主命) 等が あります。 御崎之前・和泉寺:宮地137番地(北緯34度48分1秒・東経133度41分58秒) 宮乢:宮地432・481番地等 黒田:宮地274・446番地等 古和田「小和田」:北244・362番地等 大神:北2278-2285番地 大神前:北2635-2642番地 山神:西670・723番地等 龍王山:西2935・2949番地等 宮ノ前:西2916番地 天王山:西1303-1318番地 神田山:西1280・1281番地 平成16年(2004年)8月24日
湯山 大畑の常夜燈 Night light in Daibatake
湯山シブリ谷1116番地の近く 北緯34度51分28秒・東経133度44分41秒に 常夜燈が 立ちます。「金 文久二年 〇六月」としるされています。 大畑:田土2091・2139番地 仁熊:田土2915・2919番地 シブリ谷・仕フリ谷:湯山1058・1119番地 小丸山:湯山1060番地 ホウノキタ:湯山1071番地 ホウノ木田:湯山1081・1082番地 桝場:湯山1080・1153-1155番地 御崎免:湯山1084番地 大畠ケ・大畠:湯山1117・1129番地 大畑ヶ:湯山1131-1134番地 平成23年(2011年)12月2日
吉川 吉川八幡神社の金毘羅神社 Konpira-jinjya of Yosikawa-Hatiman-guu
北緯34度49分11秒・東経133度45分07秒 吉川苅尾3932番地に吉川八幡宮が建ち、多くの摂末社が合祀されています。その中に苅尾定金・金比羅神社が有ります。祭神は大物主命Oomononusi-no-mikoto 祟徳天皇Sutoku-tennouです。 苅尾定金・定兼:吉川1445・1455番地等 苅尾:吉川3932番地 宮ノ前:吉川3933・3934番地 苅尾:吉川1470・1582番地 地蔵山:吉川1469 寺尾:吉川1503・1547番地 小神坂:吉川1544番地 平成24年(2012年)7月7日
吉川 久保の金比羅宮 Konpirsa-jinjya in Kubo
吉川八幡宮より南下し町立吉川小学校の前を通り、吉川東刈尾938-4番地に出、その民家の東から東北に向かう山道を進むと 高台の頂上 北緯34度49分0秒・東経133度45分21秒に着きます。北を見ると 道を挟んで旧町立吉川中学校の建物が見え、南側は 激しく切り取られ 絶壁になっています。頂上に は石塔様構造物の奥に、2基の石で組まれ た盤座があります。北側の盤座に 金比羅宮の社が 最近まで残っていたそうですが、現在は祇園神社と同じく 無くなっています。境内には 輪塔が 破壊されたと推測される丸い石が 残されています。これらの神社は吉川八幡宮に合祀されているのでしょう。 吉川八幡宮:北緯34度49分10秒・東経133度45分 8秒 久保・窪:吉川924・948番地等 込堂:吉川吉川930・1075番地等 苅尾・刈尾:吉川938・1189番地等 金鑄場:吉川940番地等 平成26年(2014年)10月6日
吉川 出城の金毘羅神社 Konpira-jinjya on Deziro
吉川八幡宮より 南下し 町立吉川小学校の前を通り 吉川東刈尾Higasi-Kario水落1036番地に出、吉川槙谷線(307号線)に曲がり 最初の狭い北に向かう道を進むと 金比羅山の裾でY字路に成ります。右に進むと 山道はT字路となるので 左(西)に登ると 頂上に着きます。吉川大頭田945-2番地の向かいの野道を 南西西に 進むと 金毘羅山の裾でY字路となって山道となります。右の山道を選べば 頂上への近道ですが、茂みが激し過ぎるので 左(南南東)に進みT字路を右(西)に進むと 栗の木が栽培されています。そこを西に登ると 頂上に出ます。後者の道の8合目あたりに 2つに破壊された石仏と思われる石が有り、頂上の平坦地(出城)には 石仏が建っており、その奥に朽ち果てかけた金毘羅神社の祠が 建っています。平坦地の西端に 石塔状の石碑が立っており、その奥に 半分に破壊された鳥居が建っています。西刈尾金毘羅神社は 崇徳天皇Sutoku-tennnouが 施主とされ、大物主命が 祀られています。現在は吉川八幡宮に合祀されています。 西刈尾金比羅山:西刈尾 北緯34度48分46秒・東経133度45分6秒 出城とも呼ばれ、前世の城跡とされますが 山城らしい遺構は残していません。 崇徳天皇・新院・讃岐院:鳥羽天皇の第一皇子で、在位は保安4年(1123年)~永治元年(1142年)の第75代天皇です 菅原道真 平将門と共に三大怨霊とされます 金鑄場:吉川945940番地 大頭田:吉川945番地 水落:吉川957・991番地等 城ヶ畝:吉川945994番地 城ヶ鳴:吉川999番地 平成26年(2014年)10月6日
吉川 椎木の常夜燈 Night light in Sii-no-ki
吉川片山1419番地と吉川屋敷1417-1番地の間から 山道を北東に進むと町指定天然記念物に指定されている「すだ椎」の巨木が 立ちます。巨木から 所司屋敷に向かう途中の右側に 椎木荒神が 建っています。境内には常夜燈と、小さな社の魔利志天宮が 併設されています。 西刈尾公会堂:北緯34度48分41秒・東経133度44分52秒 町指定天然記念物のすだ椎:北緯34度48分47秒・東経133度44分54秒 所司屋敷:椎の木山と呼ぶ山を城山と呼び、その頂上を所所司屋敷(辻屋敷:北緯34度48分48秒・東経133度44分50秒)と呼びます 椎木荒神社・辻堂荒神社:北緯34度48分46秒・東経133度44分57秒 瓦免向:1326番地 才ノ鼻:吉川1373-1375番地 椎木:吉川1377・1453番地等 椎来:吉川1457番地 カジヤ:吉川1456・1496番地等 苅尾:吉川1470・1582番地等 地蔵山:吉川1469番地 寺尾:吉川1503・1547番地等 平成26年(2014年)10月6日