火雷神社 Ho-no-ikaduti jinjya/karau-jinjya    魔法宮 ahou-guu

火雷大神Ho-no-Ikadutiikaduti-no-ookamiは 火雷神Ho-no-ikaduti-no-kami 雷神Ikaduti-no-kami 八雷神Yakusa-Ikaduti-no-kamiとも呼ばれなす。火之迦具土神Hi-no-Kagututi-no-kamiを生み 女陰を焼いて 死んだ 伊邪那美命Izama-mi-no-mikotoの体に生じた 八柱の雷神の総称です。火雷大神は 雷神であり 水の神 雨乞いの神 稲作の守護神として 信仰されます。大雷神Oo-Ikaduti-no kamiは 強烈な雷の威力を、火雷神は 雷が起こす炎を、黒雷神Kuro-Ikaduti-no-kamiは 雷が起こる時に天地が暗くなる事を、

柝雷神Saku-Ikaduti-no-kamiは 雷が物を引き裂く姿を、若雷神は 雷の後での清々しい地上の姿を、土雷神Tuti-Ikaduti-no-kamiは 雷が地上に戻る姿を、鳴雷神Naru-Ikaduti-no-kamiは 鳴り響く雷鳴を、伏雷神Husu-Ikaduti-no-kamiは 雲に潜伏して 雷光を走らせる姿を、つまりそれぞれが 雷が起こす現象を示す神であると されます。8柱の内の1柱である火雷神は、丹塗り矢に変身し 賀茂建角身命Kamo-Taketunumi-no-mikotoの娘玉依日売Tamayori-himeに 流れ寄り 加茂別雷命Kamowake-Ikaduti-no-mikotoを 妊娠させました。https://ja.wikipedia.org/wiki/火雷大神神話の中では 火之迦具土神を 生み 女陰を焼き 死んだ 妻の美しく愛しい 伊邪那美命葦原中国に 連れ帰り 更に多くの神を産 もうとした 伊邪那岐命が 黄泉の国に向かうと、伊邪那美命は「黄泉の国の食物を 既に食べたので 戻る事ができない」と 伊邪那岐命に応じました。しかし自分を 愛しみ  後を追って黄泉迄来てくれた 伊邪那岐命の思いに 沿いたい一心で 黄泉の神に相談すると 言い残し  御殿に戻りました。そのまま 何時まで待っても 戻って来ない伊邪那美命の事が 気に掛ったので 伊邪那岐命は 櫛の歯に 火を点けて 御殿に忍び込みました。僅かな 光の中で見えた 伊邪那岐命の体は 蠢くで 覆われ、頭に大雷神 胸に火雷神 腹に黒雷神 女陰に咲(裂)雷神 左手に若雷神 右手に土雷神 左足に鳴雷神 右足に伏雷神の八柱の雷神(総称して火雷大神)が しがみ付いていました。伊邪那美命の余りにも醜く不気味な姿に恐れを抱いた 伊邪那岐命は 黄泉の国から逃げ出そうと御殿を飛び出し黄泉平坂Yomotu-Hirasaka(出雲国の伊賦夜坂Ihuya-no-saka 現在の島根県松江市の旧東出雲町地区)に向い走りました。醜い姿を見られ 裏切られた思いの伊邪那美命は「 恥をかかされた」と 黄泉醜女Yomotu-sikomeに「伊邪那岐命を捕まえよ」と命じ 後を追わせました。伊邪那岐命が 蔓草turukusaの冠を 投げ捨てると 葡萄Budouの実が なりました。黄泉醜女が それを食べている間に 振り切ろうとしましたが、葡萄を 食べ終わった黄泉醜女が また 迫って来ました。今度は 右の角髪Mizuraに  差していた竹製の湯津津間櫛Yututuna-kusiを投げ捨てました。するとTake-no-koが 生えたので 黄泉醜女が それを食べている間に 逃げ出しました。伊邪那美命は 更に 八柱の雷神と黄泉軍に 伊邪那岐命を 追わせました。伊邪那岐命は 十拳剣Totuka-no-turugiで 雷神達を振り払いながら 逃げ、ようやく黄泉の国と地上葦原中国Asihara-no-nakatu-kuni)の境の 黄泉比良坂の坂元に 辿り着きました。そこ生えていた の木の実を 三個もぎ取り 投げ付けると、追いついた黄泉の国の悪霊達は 桃の霊力を 恐れて  逃げ帰って行きました。伊邪那岐命は 「人々が困っていれば助けてくれ」と願って 桃に 意富加牟豆美命Oo-Kamuzumi-no-mikotoと 名づけました。最後に 伊邪那美命自身が 追い掛けてきたので、伊邪那岐命は 千人がかりでも 動かせない程の大岩で 黄泉比良坂を 塞ぎ 悪霊が 黄泉平坂を超えられないようにしました塞の神参照の事)。その巨岩を 挟んで 夫婦は 唾を吐き掛け合いながら 別れ話を 合意しました。伊邪那美命は「私はこれから毎日 葦原中国の人を一日に千人ずつ殺そう」と 言放つ と伊邪那岐命は「私は一日に千五百人 生ませよう」と 言い返しました。この時から 伊邪那美命を 黄泉津大神Yomotu-ookamiとか 道敷大神Tisiki-no-ookami(坂で追いついた)と 呼び、黄泉比良坂を塞いだ大岩千引岩Tibiki-no-iwa道返之大神Tikaesi-no-ookami 或いは 黄泉戸大神Yomito-no-ookami と呼ぶようになりました。地上のに逃げ戻っ た伊邪那岐命は 黄泉国で穢れた 体を清めるため、筑紫日向小戸阿波岐原Tukusi-no-Himuka-no-Tatibana-no-Odo-no-Awagi-haraに 向かい 禊ぎを 行いました。携えていた杖を 地面に刺すと 衝立船戸神Tukitati-Hunato-no-kami(岐神Timata-no-kami 辻神Tuji-no-kam 疫病や災害をもたらす 悪神の侵入を防ぐ神 才神Sae-no-kami/Sai-no-kami)が生まれ、脱いだ褌Hundosiから 道俣神Timata-no-kami(村への悪霊の 侵入阻止の神 才神 道の分岐点や交差点に祀られる境界を守る神)が 生まれ、解いた帯から 道之長乳歯神Miti-no-Nagatiha-no-kami (長い道の神)が生まれ、衣服から 和豆良比能宇斯能神Wazurai-no-usi-no-kami(煩わしさから解放され 苦しみや病から回復させる)が生まれ、冠から飽咋之宇斯能神Akigui-no-usi-no-kami(口を開けて穢れを喰う厄除けの神)、首飾りから 御倉板挙之神Mikuratana-no-kami(御倉の棚の上に安置する神 何のために乗せるのか不明)が生まれ。袋から 時量師神Toki-Hakasi-no-kami 或いは 時置師神Toki-okasi-no-kami(解き放つ神)、左手の腕輪(手袋)からは 奥疎神Okizakaru-no-kami(沖から遠ざかる神) 奥津那芸佐毘古神Okutu-Nagisabiko-no-kami(沖の渚の神) 奥津甲斐弁羅神Okutu-kaibera-no-kami(沖と渚の間を司る神)の三柱の神々(沖合までの海水の動きを表す神々)が生まれ、右手の腕輪からは、辺疎神Hezakaru-no-kami 辺津那芸佐毘古神Hetu-Nagisa-hiko-no-kami 辺津甲斐弁羅神Hetu-kaibera-no-kamiの三柱(沖合までの海水の動き絵を表す神々)の神々が生まれ、禊ぎを行った時の体の垢から 八十禍津日神Yaso-Maga-hi-no-kamiと 大禍津日神Oo-Magatu-hi-no-kami(両神を総称して 禍津日神Magatui-no-kami 災厄の神)が 生まれました。そして Magaを流す神として 神直毘神Kamu-Naobi-no-kami 大直毘神Oo-Naobi-no-kami 伊豆能売Izuno-meの三柱の神々(穢れを払い禍を正す神々が 生まれ、水底から 底津綿津見神Soko-watatumi-no-kami 底筒之男神Soko-Tutu-o-no-kami 水中から 中津綿津見神Naka-Watatumi-no-kami 中筒之男神Naka-Tutuo-no-kami 水の表面から 上津綿津見神Uwa-Watatumi-no-kami 上筒之男神Uwa-Tutu-no-o-no-kami(二組をそれぞ綿津見三神Watatumi-san-sinあるいは 大綿津見神Oh-watatumi-no-kami 住吉三神Sumiyosi-san-sinと 総称 します 海の神 航海安全や水難守護等の神々)が 生まれ、左目の穢れから皇祖神である 天照大神Amaterasu-oomikomi 右目の穢れから 月読命Tukuyomi-no-mikoto 鼻の穢れから 建速須佐之男命Takehaya-Susa-no-o-no-mikoto 即ち素戔男尊Susa-no-o-no-mikotoの三柱の 三貴神Mihasira-no-uzu-no-miko/Sanki-sinと 呼ばれる神々が誕生しまし。「https://ja.wikipedia.org/wiki/神産み」「https://jinjajin.jp/modules/contents/index.php?content_id=159


加茂市場 神原に建つ火雷神社・からい神社 Ho-no-Ikaduti-jinjya in Koubara

高梁御津線(31号線)の宇甘川の浜崎井堰の辺り 加茂市場清水929-2-2番地から 西に登り、加茂市場久方904番地の分岐を 南西に折れ 藤沢山金比羅神社の参道を 登ります。その途中 加茂市場西袖944番地の手前の東北に向かう取り合い道の奥 北緯34度51分57秒東経133度45分10秒に 日名荒神が 建ちます。周辺に有った小神社を 集め参詣を容易にしたそうです。社内には 五社宮が有り、左から順に小山神社 権現神社 妙権神社 日名荒神社 火雷神社です。    久方:加茂市場669・907番地等    宮地ヶ谷:加茂市場859・865番地等 大師ノ上:加茂市場870番地    才ノ面:加茂市場878-880番地 城山:加茂市場888・991番地等 清水田:加茂市場929番地    神原:加茂市場912・939番地等 西袖:加茂市場933・976番地等    平成25年(2013年)1月3日

 

富永 大王に建つ火雷神社 Ho-no-Ikaduti-jinjya in Taiou

富永行安1771番地 北緯34度52分56秒東経133度45分16秒に 大王公会堂が有り、加茂霊場札所 大王観音堂 大王祇園神社が 併設されています。本殿には 建速須佐之男命Takehaya-Susa-no-o-no-mikoto)が 祀られています。その脇に 五宮社とやや大きい一宮社が 立っています。五宮社には いかなる神々が祀られているか解りません。やや大きい一宮社は 雷神社で、火雷紳が 祭られています。    行安:富永1734・1793番地等    丸山:富永1764番地    神子田:富永1794・1808番地等 神堂ノ下:富永1809番地    行者脇:富永1811番地 墓ノ後:富永1812番地    城ノ後:富永1450・1466番地 城後:富永1467番地     平成24年(2013年)3月13日

 

三納谷 魔法松に建つ火雷神社

Ho-no-Ikaduti-jinjya in Mahoumatu

火雷神社の所在地は 北緯34度53分09秒東経133度47分10秒 上田西摩法松158番地と なっていますが、社は 上田西と三納谷の境の三納谷側に 建っています。宮司との連絡先は 0867-35-0103です。「ほのいかづちじんじゃ」と呼びますが「からいじんじゃ」と読む人も 多くいます。祭神は 火雷神Ho-no-Ikaduti-no-kamiです。魔法様は末社ですが、火雷神社を 魔法様と呼ぶ人が 多く居ります。魔法様とは キュウモウと言う 南蛮渡来の妖狸Youriです。牛馬の守護神で、円城化生kesyou-danukiの 異称を待ちます。呰部村のキュウモうは  摩利支天の変化身であるとされます。摩利支天の法を使うので  魔法様と呼ぶのでしょう。

円城より 下土井に向かう道下土井下加茂線 372号線)より  久保田神社(妙見山)の前を抜け 黒杭口を進むと 右に入る山道があり、その行き止まりが 火雷神社です。拝殿の背後の本殿が 魔法宮を兼 ねています。 久保田神社に 陶製の狸様の狛犬 があります。キュウモウ狸と 貉Mujinaの混血と言われます。狸の置物が 多く奉納されていますが、久保田神社の主祭神は 天御中主命で、その使わしめは 狐です。黒杭口の久保田神社寄りに 環境省岡山県の魔法宮の案内板があります。

[その昔、一匹の古ダヌキが 南蛮渡来の船にまぎれて日本にやって来ました。その名を「キュウモウ」という狸で化けるのがとてもうまく、この地方に住みつき 人間と同じような生活をしていました。また いたずらが大好きで、人家に入っては 悪いことばかりしていました。困った人々は、狸のいたずらではないかと 円城寺の和尚にタヌキ退散の祈願をしてもらうと、キュウモウは 狸の姿に戻ってしまい「これからは牛馬の健康を助け、火難 盗難を告げ 善家一司を守ります  だから助けてください」と涙を流して頼みました。翌朝 境内には大きな注連縄が張ってあり、それきり狸は消えてなくなりました。村人はそれからこの神社を「魔法様」と呼び、牛馬の守護神として祭った と云い伝えられています]との趣旨が示されています。」

伝説では 黒杭の銅鉱山が 閉鎖されると、キュウモウは 高見山三納谷城跡・城主高見小四郎)の鉱山跡に 住み付いたとされます。高見山は 火蕾神社から山道を ひたすら南に進むと 辿り着きます。    摩法松:三納谷183・186番     久保田神社・細田天津神社:北緯34度53分39秒・東経133度47分7秒 高見山・三納谷城跡・銅鉱山跡:北緯34度52分53秒東経133度46分56秒 魔法様・まほうさま・魔法宮:民間信仰の一つです  加茂の化け狸キュウモウ狸で 牛馬の守護神です  上田西黒杭の火雷神社 細田の久保田神社 総社市槁と総社市中尾滝山魔法神社等で祀られています その由来は 備前加茂日本一狸由来記に 書かれているそうです。かつては10月4日の縁日では 牛馬があふれ出す程 賑わっていましたが、現在では 牛馬が飼われなくなりひっそりとしています    神納:三納谷227-232(北緯34度53分16秒・東経133度46分57秒)・235番地等    摩法松:上田西80・167番地等 城山:上田西2・22番地等    黒杭:上田西31・905番地等    毘沙免:上田西172・185番地等    矢柄:上田西182・188番地等    金山:三納谷84・175番地等 高見:三納谷130・193番地等 目黒:三納谷166-171番地  平成24年(2012年)7月3日

                    

三納谷 火雷神社の摂末社としての魔法様

Mahou-sama in Ho-no-Ikaduti-jinjya 

下土井下加茂線(372号線)の大畑バス停から 西に向かう分岐を 道なりに 久保田神社 案田池や 矢柄池を過ぎ 南に1000m程の道のりを進むと 細田と三納谷の境  三納谷大地久保216番地の北西の黒杭口Kurokui-guti/ border between Minoutani and Hosoda and Ùeda-nisi に出ます。南東に 向かう分岐を120m程進むと 南向きの火雷神社の参道が あります。参道を270m程 進むと 三納谷上田西の境 北緯34度53分9秒東経133度47分1秒に 建つ火雷神社に辿り着きます。拝殿の左に 常夜燈と一宮社が2社と円柱状の碑が祀られます。2社に 祀られる神名は 確認できませんでした。その右奥に 大きな石の記念碑が2基立っています。石碑の右後に 屋根に 三日月形で錆びのある 一宮社の大御前社が 建っています。更に 奥に 青い屋根の一宮社が 建っています。新しい御幣が 供えられていますが、神様はお留守です。近くに  石塔等の石碑が 立ちます。本殿の裏手には 朽ちかけた社が ありますが、解放され社内には 神様は見つかりません。その社の左脇に 陶器製の社があり、お神酒と狸の置物が奉納されています。魔法宮 Mahou-guuでしょうか。    魔法様・魔法宮:民間信仰の一つで、加茂の化け狸キュウモウ狸で牛馬の守護神です    目黒:三納谷166-171番地    魔法松:三納谷183・186番地 神納:三納谷227・235番地等 黒杭:上田西31・905番地    摩法松:上田西80・167番地     平成30年(2018年)3月27日

 

 上竹 猿目神社の真保宇神 Mahou-sin of Sarume-jinjya

岡山自動車道から長屋賀陽線(78号線)を 北に向かうと 戻る方向に 猿目集落に向かう道が 有ります。その道を上ると3辻のY字路が有るので、いずれも北(左)の道を選ぶと 上竹家の上i6065番地に出ます。そこより北(左)に折れ 比較的に 細い道を上り切ると、東(右)の茂みの中に 竹荘八十八霊場の巡礼札所が 建ち、その奥 北緯34度49分42秒東経133度40分9秒に 猿目神社が 建ちます。雨囲いの建物の中には 一宮社が 3社祀られています。左の一番小さい社は 荒神社で 小さな三宝荒神が 祀られています。中の社は 猿目神社で 天王様の札 真保宇神 保食神Ukemoti-no-kamiが 祀られています。右の大きな社は 須賀神社天王社の札が奉納されています。 天王社:牛頭天王素戔嗚尊を 祀る神社で、多くは 八坂神社 祇園神社の名が付けられます  吉備中央町加茂川地区では 素戔嗚命を祀る神社の異称です 真保宇神:いかなる神か知りません 保食神Ukemoti-no-kamiの異名でしょうか  魔法神(魔法様)でしょうか  魔法様は 摩利支天の化身であるとする説があります 須賀神社:多くの須賀神社は牛頭天王素戔嗚尊を祭神とする祇園信仰の神社です サルメ:上竹6016・6152番地等 家ノ上・ヤノ上:上竹6032・6077番地等  平成26年(2014年)4月13日

 

 竹荘 岩牟良神社の魔法社 Mahou-sya of Iwamura-jinjya 

北緯34度51分51秒東経133度41分13秒 竹荘馬場1074番地に建つ。岩牟良神社境内末社の魔法社には 保食神Ukemoti-no-kamiと 猿田彦神Saruta-hiko-no-kamiが 祀られます。火雷神社Ho-no-Ikaduti-jinjya/Karai-jinjya 久保田神社Kubota-jinjya 化生狸キュウモウ 「https://ja.wikipedia.org/wiki/魔法様」を参照ください。 サイ砂・サイ迫:竹荘1004-1007番地等 加大田サイ砂:竹荘1004番地 ばば・ババ:竹荘1014・1076番地等 馬場:竹荘1074・1078番地 權田:竹荘1027-1030・104番地 墓後:竹荘1080・1081番地 地頭久:1083・1091番地等  平成24年(2012年)8月11日