上竹 玄賓の袈裟掛の大岩 Large rock hung on Kesa by Genpin


高僧玄賓Genpinが 着ていた袈裟を 脱いで、傍の大石(上竹袈裟掛の大石)に 腰掛けたと言われます。それで この地を 袈裟掛と 呼びます。「賀陽町史」  玄賓(天片6年~弘仁9年:734年~818年)は  河内国(大阪府)に 生まれた平安時代の僧侶で、法相宗大和興福寺(奈良県)で 仏教修行し 徳の高名を 欲しいままにしました。伯耆国Houki-no-kuni会見郡Aimi-no-gouri鳥取県西部)に移り、延暦24年(805年)桓武天皇(Kanmu-tennouの病気平癒祈願しました。翌年即位した 平城天皇Heizei-tennouに 大僧都Daisouzuを 任ぜられますが、辞退しています。大同4年(809年)嵯峨天皇Saga-tennouの願いで 平城天皇の病気平癒祈願を 行いました。身内の弓削道鏡Yuge-DFoukyouが 天皇を蔑ろ)するに至り、身を恥じて 隠遁生活に 入りました。弘仁7年、備中国哲多郡Tetta-gouri(新見市や高梁市辺り)に来て、一時は 落合の玄賓谷の松林寺に 住みました。米に 代わり 鉄で 貢進Kousinしても良いよう 天皇の許可を 頂き、民衆を 喜ばせたと 言われています。鹿や 猪害対策として 鹿脅しSisi-odosi添水Souzuを 考案したと伝えられます。 「高梁ハイパーデーターベース」「https://ja.wikipedia.org/wiki/玄賓

 

玄賓の袈裟掛の大岩物語 tale of the big rock hung on Kesa by Genpin

昔 弘仁の頃、旅の僧侶が 上竹にやって来ました。いかにも 疲れ果て、喉を涸らし、空腹そうでした。見かねた村の夫婦が、休息を 勧めると 旅の僧侶は「かまわん 座ると 次に立つのが 億劫になる」と 休む場所を 探しました。庭の片隅で、樒(sikimiの木の脇に 岩が 立っている場所で「ああ 良い日陰じゃ  香しい  この場所を 拝借させて頂き 休ませていただきたいが よろしいか」と 汗を拭き拭き 許可を求めました。ゆっくりと 法衣を取り、傍に 有った石に 衣を掛け、体を 鎮めました。夫婦は 恭しく 礼儀正しい僧侶に、並々ならぬ後光が 射すような高徳を 感じ取り、身が締まる思いに なりました。「飲み物は、何に 致しましょうか」と 恐る恐る尋ねると、僧侶は「そうじゃな 少しばぁ 贅沢を言わしてもろうて 宜しいかな  衝羽根Tukubane-tyaを 所望したいが、無理じゃろうか」と 申し出ました。夫婦は 偶然 この辺りに 良く生えている 衝羽根の砂糖漬けを 作り 香りを 楽しもうとしていた事を 見抜いた 僧侶の人智を 超えた能力に 驚きながら、茶川から 汲んだ水を 添え 閼伽Akaの器に 乗せて持って来ました。僧は 大変喜びし「これに増す幸せはない  ああ吾 唯 足るを知るの境地じゃ  有り難い  有り難い」と 言って、幸せそうにゆっくりと 味わいながら 飲み干しました。

山田守る 僧都の身こそ 哀れなれ 秋果てぬれど 問う人もなし まさにそのような心地じゃのう  上竹ぁ 寛ぐのう  じゃが 今 行脚中じゃ  岡山には 法相宗の行基菩薩ゆかりの寺が 四十一ヶ寺あるけぇ 訪ねるのには 骨がおれる  早う いなにゃぁおえん  ご丁重なお持成に お礼を せねばおえんのぅ  何か 所望する事が ありましょうか」と 尋ねました。夫婦は「これ位の事で 持成と言うて呉れるんか  嬉しいのう  見れば徳の高いお坊様じゃ  甘えさせて頂いて相談に 乗ってくだされぇ  雀の害に 悩んでおる  せえに腰が 痛うて辛いんじゃ じゃけぇ イライラするんじゃ」と 答えると、僧侶は「世話ぁねぇ  雀の害には この衣で 玄賓僧都を作りなされぇ  腰痛には 真庭の上水田井殿の鍾乳穴Kanati-anaの鍾乳石を 粉にして、酢で 解いて呑みなされぇ」と 説いて 旅立ちました。その衣で 玄賓僧都(案山子Kakasi)を 作り山の田に立てると、徳が 発せられ 雀や 鼠の被害がなくなりました。鍾乳石の栄養効果も 有って腰痛も イライラも 治りました。僧都の衣には「三つの輪は清く浄きぞ唐衣 くると思うな取ると思はじ」と 歌が書かれていたそうな。夫婦は あの旅の僧侶が 玄賓僧都と解り、衣を掛けた岩を 大切に護りました。「玄賓の業績」「玄賓の逸話」「袈裟掛け伝説」を基にした物語

玄賓の袈裟掛け岩の案内塔:北緯34度50分42秒東経133度39分43秒 玄賓の袈裟掛けの岩:北緯34度50分44秒東経133度39分46秒 袈裟を掛けた跡があります 玄賓の袈裟掛け大岩と呼ぶ人もいます 大八幡神社Oo-Yahata-jinjya北緯34度50分33秒東経133度40分3秒 添水:いわゆるシシオドシ 茶川:玄賓の袈裟掛け岩の側に 流れていたそうですが、現在は ありません 備中鐘乳穴:岡山県真庭市上水田 北緯34度57分19秒東経133度40分44秒の鍾乳洞  平安時代には 朝廷に「カルシューム」薬源として 鍾乳石の粉が 献上されました  吉備津彦命の評定場と されます  ヒメボタルの名所(七夕の頃)です 新見市の玄賓僧都伝説:平安時代初期に 相宗興福寺の高僧玄賓は、僧都職を 辞し 備中国哲多郡湯川寺に 隠遁した  それ故 備中国の各地には 玄賓開基の伝承を持つ寺院が いくつか存在しています  備中国湯川寺は 現在の岡山県新見市にある  新見市には 玄賓開基伝承を持つ寺院が 湯川寺 大椿寺 四王寺の三ヵ寺あり、興味深い伝説が 伝えられます 玄賓塚:矢掛町小林 僧都集落に あります 玄賓谷:高梁市落合町近似に あり、玄賓が 住んでいたとされます 行基菩薩が開いた寺:恩徳寺 円通寺 蓮台寺 不洗観音寺 経ヶ丸観音院 嫁いらず観音院 済渡寺 三尾寺 真光寺 松本寺 静円寺 円城寺 興隆寺 菩提寺 井原温泉鳥休めの湯 玄賓の足形岩:僧都と 言う所に 玄賓和尚が 住んでいて 汲川が 残っていると 言われます  そこから 1Km程高梁津川に向かうと 狐谷に 二つの岩があり  玄賓の足形岩と 呼ばれる岩が有るらしい     平成23年(2011年)8月27日