杉谷 千光寺夜泣観音 YONAKI-KANNNON OF SENNKOUJI TEMMPLE "KANNNONBOSATU IN SENKOUJI TEMPLE WHO CRIES AT NIGHT"

杉谷山千光寺池田光政による岡山藩の寺院統制の時、廃寺の憂き目を見ました。室町時代の作とされる本尊の千手観音像は 真庭の一色の清水寺に 移されました。住職の枕元に 毎夜千手観音が現れて「すぎたに すぎたに」と 夜泣きし千光寺に帰りたいと 訴えたため 元の千光寺に戻されました。杉谷山千光寺

 

夜泣観音物語 Story of  Yonaki-Kannnon


寛文の頃、江戸時代の3大名君と評判の池田光政と言う殿様が、岡山が 貧し過ぎるので 岡山を良くしようと 鳥取から 岡山に引っ越してきました。岡山の人達は 信心深く 仏や神様を敬うので、あちこちに 沢山 お寺や 神社がありました。村人達は 亥の子荒神摩利支天地神様 お稲荷水神庚申様 村社様 総社様 等の神社や お寺の氏子や 檀は それぞれの神社やお寺に重複して複雑に関わり合っていて、それぞれの小神社や小寺に  それぞれ神領や 寺領があり 免税されていました。そこで 池田光政は 多くの小神社や 小寺、徳川幕府が快く思っていない宗派の寺を 合祀あるいは 廃寺し 元の寺領 神領からも 年貢を払わせ税 収を増やしました。その時 千手観音菩薩を本尊としていた 杉谷山千光寺も 小寺として廃寺になりました。

福聚山清水寺Hukujyu-zan-Seisui-jiの和尚は 廃寺になった 千光寺の千手菩薩像は 不思議な力を持っていると聞いて 欲しくなりました。そこで「御本尊を わしの寺へ譲って下されぇ」と 千光寺の住職に頼んだのです。千光寺の和尚は 「円城寺へ移す」と 言ったのですが「円城寺には 立派な千手観音様が 既に鎮座して居られよう 同じ寺に千手観音が2 尊もなくても良かろう」と  説得され清水寺に 預けました。清水寺の和尚は「有難や 有難や 立派なご本尊が 来られた オンバザラタラマキリクソワカ」と 喜んで 読経し 本堂に千手観音像を祀りました。すると その夜から本堂で 泣き声がするようになりました。和尚が 耳をそばだて聞くと「帰りてぇ 帰りてぇ 杉谷ぃ 杉谷ぃ シクシク」と 小声が聞こえるのです。「その内 仏も諦め 泣かなくなる」と 思って毎日 丁寧に 読経し 千手観音菩薩像の機嫌を取ろうとしました。読経中は 静まるのですが、読経が 終わると 少し泣き声が大きくなりました。次の日も次の日も 続きました。和尚と 観音菩薩の我慢比べが 限界に達する頃になると 寺の梵鐘が「千手観音の奴 煩るそうてuru-souu-te)わん  眠れん わしは 怒った ゴワーン ゴワーン」と ヤケクソを 起こしたのです。流石の修行を積んだ 和尚でしたが、寝不足に苦しめられ「煩うて眠れん  帰りてぇ杉谷ぃ・シクシクと泣くな   ゴワーンプンプンと怒っるな 耳が痛ぇ  仏よ梵鐘よ諦めてくれぇ」と 気が狂いそうでした。 ところが 和尚の希望は 叶わず、観音菩薩像は泣き続け 梵鐘は怒り続けたので、和尚は耐えられず「解った 解った  仏様  杉谷に戻りなされ」と 言って、古びて 寺突Teratukouの餌場になっていたお堂を 元の杉谷に 再建立し 千手観音を戻すと この騒ぎが治まりました。「千光寺の夜泣観音伝説」を基にした物語    杉谷山千光寺:杉谷屋敷ノマヘ1054-5番地の北 北緯34度56分26秒東経133度44分57秒で 高野神社の境内    福聚山清水寺:伝説によると一色の清水寺と言われますが、関にある福聚山清水寺の事でしょう  夜泣きの鐘が 真庭市指定文化財になっています 北緯35度0分13秒東経133度40分19秒    高野:杉谷1063・1064・1066・1067-1077番地    シシドウ:杉谷1079番地    ミトウノ前:杉谷1081-1083番地    寺突:キツツキ        平成26年(2014年)10月15日