尾原 刈山 狐に憑かれた娘 Daughter possessed by fox


昔 美しく気立ての優しい娘が 山里に住んでいました。村の浮かれた若者達は 恋を語るのですが、娘は それに 応じる事はありませんでした。裏山に住む妖狐も この娘に 恋心を抱いたのです。狐は しなやかなスタイルの体を持ち、おしゃれも上手で その上物知りで、人を楽しませる話も上手にできるのですが、妖狐に 生まれたばかりに 人に嫌われ 人に迫害されていましたので 娘を遠くから見守るだけでした。ある日 娘が 山に山菜取りにやって来ました。雨 が降って来たので、大きな横穴で 雨宿りしました。そこは 狐の住処でした。慕う娘の訪問に 狐は踊る心を鎮め 傘を差し出し 話し掛けました。狐が 人間の言葉を話すのに 驚き 化かされると 警戒しましたが、娘は 紳士的な狐の態度に 心を許し 話し込みました。いつしか 狐の語る物語に 真剣に耳を貸していました。娘が 狐に気を許した所で、狐は「あなたの心に 私が入っても良いですか」 と 尋ねました。娘は 何を意味するのか解りませんでしたが、狐の博学振りに 感心していたので「もう入って来ているではありませんか」 と 答えました。すると狐は 霊となって 娘の脳に入り込んだのです。娘が 山から傷だらけ 泥だらけの姿で 村に戻って来ました。ところが それからは娘に奇行が目立ち始めました。

狐の簪Kiytune-no-Kanzasiを 髪に刺して 気取ったり、花壇を造って 狐之剃刀Kitune-no-Ksamisoriや 狐の孫Kitune-*no-Magoや 狐の茶袋Kitune*no-Tysbukuroを植えたり、上等のお酒を 上等の油揚げを 肴Sakanaに ガブガブ飲んだり 四つん這いで 歩いたりしました。そんな こんなで、娘の奇行振りは 村人の間で 評判に成り「狐に憑かれている  あの娘の家は 狐持ちだ」と  気味悪がられました。村に 風采の上がらず 劣等感を抱く男がいました。この男は 不器用で、人付き合いが 下手でしたので、村の者は この男が 近づくと 鬱陶しがっていました。とは言え この男も 男には違いないので、密かに 幼馴染の この娘に恋心を 抱いていました。その男が 立派な柴犬の猟犬を連れて 矢喰宮に参ると 偶然に二人は 出合い、不思議な事 に 娘はこの男だけには 奇行を見せませず 親しげに 会話を交わし  いつの間にか恋を語り始めました。夜になり 帰途につき 随身門を潜ると 矢喰宮の神託があったように  途端に あれ程 娘に従順であった犬は 娘に向かい 唸り飛び 掛からんばかりに威嚇し、娘は娘で  狂わんばかりに苦しみ 喚き散らし 逃げ惑いました。犬が追い掛けると何者かが 娘の身体から 抜け出し 狐の姿になりました。狐は 憔悴Syousuiし 切っていて、息絶え絶えに「わしはこの娘と夫婦になりとうて憑いた  じゃがこの男の前では わしは無力だった  真の愛を この男に持っていたからじ ゃ 人間に 憎まれる狐に生まれた事が 口惜しい」と 言う と怨犠川に飛び込み 息絶えました。狐から解放された娘は 穏やかな性格に戻り 男の嫁になりました。男は 狐を丁寧に葬ってやりました。二人は 狐の霊に見守られ、田畑の作も順調で幸せに暮らしましたそうな。「三谷野呂百怪談」「 狐持ち(きつねもち)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp) 」「 https://ja.wikipedia.org/wiki/人狐」を基にした物語

矢喰宮:現在の重岡神社 苅山城の主郭 北緯34度55分8秒東経133度45分4秒 大屋敷・寺屋敷:苅山城の最重要拠点太鼓丸跡 北緯34度55分13秒東経133度44分51秒 キツネノカミソリ等:狐の付く草の多くは毒草か、食べるために役立ちません 犬の名の付く草は人の生活に役立ちません    怨犠川:現在の恩木川 恩木ダムは北緯34度56分30秒東経133度44分30秒       平成25年(2013年)1月9日

 

2017年3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館吉備人出版】が発行されました。狐憑きの民話がP237~P243に載っています。それらの民話での憑いた狐の落とし方は「唐辛子を燻した煙で異ぶり出す」「梅の木の枝で叩き出す」「油揚げを持って行き謝る」「提婆宮に参り祈祷する」「猫に追い払わす」等が示されています。憑いた狐を追い出すには「行者や神職を招き 狐を虐めたり、松葉燻し術を掛ける」と良いと「狐憑き(きつねつき)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)」「キツネ憑き - 霊能力入門 (xn--230ao56b.com)」に記されています。「狐の尿を飲ます」「狼の匂いを嗅がせる」「呪禁の札を貼る」等の方法が加茂川町で行われたようです。