下土井 腰痛地蔵 Youtuu-Dizou-bosatu  "Dizou-bosatu with divine favour on low back pain"

ある日 中山照男が 田を耕していて 首のない地蔵菩薩像を 掘り出しました。田の土手に 置いておくと、ひどい腰痛持ちの福井久七 が 通りかかり 拝んで 山に柴刈りに出かけました。帰る頃には 長年苦しめられた腰痛は 治っていました。これは 黒住経の狸の発光であると 信じ、腰痛菩薩の祠を 建てると 参詣者が 押しかけました。そこで 住職に 横山嘉平を 迎ると、昭和の初め頃には 四国の金比羅様に 匹敵する程 賑わい、縁日には 花火が 打ち上げられ 太鼓や笛で 囃し 屋台が立ち並びました。「横山様の由緒書」


腰痛地蔵物語 Story of Youtuu-dizou

 昔 下土井の黒住教の道場の裏山に 親子の狸が 住んでいました。ある時 子狸が 中山照男の田圃に出て ミミズを取っている処を 照男に見つかり 慌てて 逃げました。照男が 春になったので 田起こしをしていて「狸の奴は 何かを掘り出そうとしていた」と 思い 子狸が 漁っていた辺りを 何時の年よりより 深く掘ってみると、鍬に石が当たったので その石を 掘り出しました。首の欠けた 地蔵でした。「狸の奴 地蔵を 盗んで 何かに化けさせ 悪さをしようとしていたのか  罠を仕掛けて 捕ま え お仕置きしてやる」と 呟きながら、首が欠けている とは言っても  粗末に扱えないので 田の畔に 祀っておきました。子狸が 再び遊びに来ると 照男の仕掛けた罠に 掛かりました。すると 腰痛持ちの心優しい 福井久七が 罠に近づいて来て「照男に謝らにゃぁおえんじゃろうかのう」と 言いながら、罠から子狸を 解いてやりました。子狸は 物陰に 逃げて 親切な久七の様子を伺うと、野に祀られている 名もな い首なし地蔵を 見つけ 両手を 合わせ 腰痛の快癒(Kaiyuを 祈願しました。山深い 父狸の元に逃げ帰ると 父狸は「恩を受けたら まず感謝し 礼を言い、受けた恩を 返さねばいけない」と 子狸を叱りました。子狸が 罠に掛かった時 逃れようとして 腰を痛めているのを見た父狸は「黒住経の神主は 座禅の時は 前を向き 屈まず背筋を伸ばし、寝る時は 枕をせず 仰向けに寝、歩く時は 目線を水平に 保ち背筋を伸ばし 腰を 回転させるように 手を振り 脹脛hukurahagiを使うように 地面を蹴りながら歩けば 腰痛が治ると弟子に 指導していた」と 教えてくれました。腰痛が治ると 子狸が久七 にお礼を 言いいに行こうと決心し 麓(に向かうと、久七は山に芝刈りに行く途中で 首なし地蔵に 両手を合わせていました。子狸は 地蔵の後ろの 藪に隠れ、厳かに言いました。「この下の河原の坂道を わしが告げるように 腰を伸ばした良い姿勢で 3往復して、芝刈りに 行きなされ さすれば 腰の痛みは消える」と 言うと、久七は 仏のお告げに喜びました。お告げ通りにすると 翌日から腰痛は 改善し始め 3日も続けると すっかり腰痛は消えてなくなりました。

久七は この祠の地蔵尊のご利益は 神に仕えるあの子狸の発光Hakkou)と 悟って 村人に伝え、近くの神社の神主の横山加平を 住職に迎え、横山様と 名を付けた お堂を建て 首なし地蔵を 祀りました。腰痛持ちの村人が「物は試し」と 久七と同じ修行をしました。際立って苦しい修行ではないのに 多くの人の腰痛は 治りました。治った人達は 横山様に 幟(を奉納しました。「横山様伝説」「腰痛体操」を基にした物語

そして、その噂は 日本全国に伝わり、四国の金比羅山に 匹敵する程の賑わいと なりました。お堂の前に 屋台や幟が 建ち並び、笛太鼓の音は止まず、花火が 毎夜打ち上げられました。 しかし 近代医療の発展で このような運動療法は 廃れSutare、現在は 横山様に 詣出る)者は 激 減し ほぼ皆無です。お医者さんに 相談し運動しても良いと 診断されたら、横山様を お参りすれば 劇的な腰痛改善が 約束されているよ。ぎゃあてい ぎゃあてい はらぎゃあてい そはらぎゃあてい 行こう 行こう こぞって行こう さあ行こう横山様へ.。     腰痛体操:座禅の「座禅の時は 前を向き屈まず 背筋を伸ばし、寝る時は枕をせず仰向けに寝、歩くときは 目線を水平に保ち 背筋を伸ばし 腰を回転させるように手を振り 脹脛を使うように地面を蹴りながら歩けば 腰痛が治るとされます」と あるテレビジョン放送が 放送しました「https://www.ces55.com/youtu-taisou.html」  平成23年(2011年)7月11日