上竹 画伯・妹尾天然  Master artist -Tennen Senou


上竹マヘ1991番地の西 北緯34度50分55秒東経133度40分3秒の近くに 明釼神社が 建っています。明釼神社から 南に下り、逆T字路を左 すなわち 東に進み、次の十字路 北緯34度50分51秒東経133度40分12秒に 妹尾天然を 讃える石碑が 立ちます。「妹尾天然 画伯 顕彰碑」と 彫られ 題字は「最上稲荷総本山 稲荷日応」と 署名と 花押があります。その奥に「妹尾天然画伯顕彰碑棋譜者及び協力寺院院御芳名」碑が あります。案内板には『妹尾天然画伯略歴 瀬尾天然画伯は 明治二十一年 賀陽町上竹に生まれ 高梁中学校を経て 京都市立美術工芸学校で学び 絵画の道を進まれました。その作品の人格 画風 共に高く評価されて 著名な寺社をはじめ 多くの敬慕者の家宅に 所蔵されています。特に 身延山久遠寺において 大聖像 大聖画 を完成され 昭和五十二年 九十歳の生涯を閉じられました。ここに 郷党の有志相 諮りまして 屋敷跡に 顕彰の碑を 建立いたしました。瀬能天然画伯を 顕彰する会』と 記されています。なお 石碑の裏に 碑文があります。

本名は 妹尾寛で、号は 寛 寛山 木南 放牛 瑞彦 天然です。生家は 酒造業を営んでいました。明治36年 京都市立絵画工芸学校日本画科入学しました。日本画を 学ぶ中で16歳の頃に 日蓮宗信仰に 目覚め、高山樗牛Takayama-Tyoguuの著書に出会い 日蓮聖人遺文に 興味を持ち、摩訶止観Makasikanや 一切経を 研究し 日蓮教学を 学びました。父の死後、家族と共に 京都に住み、戦時中は 山梨県日蓮宗総本山身延山に 身をよせました。晩年は 篤き法華信仰に 実を置いて、身延山に住み、久遠寺大客殿の「日蓮聖人御影」等を 残しました。

昭和5年頃 天然の雅号gagouを 名乗り「絵は 元より 天真を 貴び 個性を 重んず」という意味と 言われます。上手に 描いて賞を取る事を 好まず、現在の日展に 当たる帝展に 出品しませんでした。 終戦後は 主に岡山に 住みました。  高山樗牛・林次郎:評論家、思想家東京大学大学在学中、歴史小説 滝口入道を 書き読売新聞の懸賞に 当選すると 一躍名を上げますが、その後は 小説を書きませんでした 早稲田大学や 東京大学で 教壇に立ち、又 旺盛に評論活動を 行いました高山樗牛 - Wikipedia」 日蓮聖人遺文:日蓮聖人は 多くの弟子や 信徒に 信仰や 教えを 書き示しています  これ等の著作や 手紙を「遺文」と 呼ばれますwww.kujhoji.or.jp/noframe/sub14_3.htm」 摩訶止観:中国天台宗の祖 智顗Tigoの著した禅の指南書です 摩訶とは 大「大いなる」の意味です  止は「平静となっている心」すなわち[激怒り、悲しみ、喜び等の情念にない状態]を 意味します  観は「物事を 正しく認識する事」と いう意味です  よって「摩訶止観」とは「心を静め、物事の真の実相を 認識する大いなる方法」と 言う意味となりますwww006.upp.so-net.ne.jp/shorikai/sub25.htm」    一切経大蔵教:多くの経典を 収録したものを 一切経や 大蔵経と 呼びます  発行時期と 発行国により 内容が異なります  日本の最新版は 大正新脩大蔵経Taisyou-sinsyou-taizoukyouで、歴史的な順に 2920経典が 収められていますtobifudo.jp/newmon/okyo/isai.html」 日蓮宗総本山身延山:山梨県南巨摩郡身延町早川町 北緯35度23分51秒東経138度24分59秒の山です  身延山久遠寺は 身延町身延3567番地 北緯35度22分55秒東経138度25分30秒に建ちます  本尊が三宝尊です  平成25年(2013年)8月17日