下加茂 喜平地蔵 Kihei-Dizou-bosatu


吉備中央町役場加茂川庁舎の前から 高梁御津線(31号線)宇甘溪に向かうと 下加茂真瀬良1791番地の南に 川魚養殖場跡が有ります。養殖場の東端 北緯34度50分60秒東経133度49分32秒に 祠があり 喜平地蔵と呼ばれる地蔵菩薩が 祀られます。この喜平と 言う人物は 上加茂の樋口久雄氏によると「昔 狸や猪が 田畑を荒すので 自費を投じて これ等の被害を防ぐ事に 尽力した人である」と 言います。上加茂の津賀の人は「下加茂は 猪が はびこり 田畑が 荒され続けていた。腕の良い猟師で 猪退治に貢献した人だ」と 言います。下加茂の村人は「真瀬良はしばしば水の被害にあう場所なので 自費を以て 治水を行なおうとして 水の犠牲者になった人、 或いは 土砂崩れによって犠牲になった人だ」と 言います。大正時代に 発電所(虎倉発電所:加茂川町史続編P149)があって 真瀬良で 宇甘川を堰き止め水を引き上げる工事中に この地蔵像が 川底にあったので 作業員がここに祀ったのだと 樋口氏は語ります。   虎倉発電所:大正11年(1922年)御津町との境 真瀬良に 宇甘川の水を利用し 発電所が 造られ、御津町 建部町 加茂村 赤坂町 山陽町 岡山市の一部に 送電されました。出力は 84KW 発電能力は70KWであったようです「加茂川町史続編P149~P152」「喜平地蔵」の川上隣地です 真瀬良:安全そうで 豊かな地であるような名前ですが、一度水嵩が 増せば 浸水しそうな場所です  この名は佳語で 実際には「真瀬悪」と 名付けるべき処です  河原文太郎氏が 構え 水の犠牲者をや 水子を法要していました 加茂八十八霊場巡礼札所 3番 下加茂・真瀬良・山上堂:河原文太郎が 守り水 の犠牲者 水子を 供養していました     平成23年(2011年)12月10日