豊野 天福寺の縁起 The history of Tenpukuji temple


昔 役行者En-no-gyoujyaが この地に来て、大平山を見て「瑠璃色の光が、夫Yoboroに 徹りToori(透けて通り)、瑞雲Zuiunの掛かる峰を 囲んでいました。行者は これを見て「不思議である」と 思い、木を切り 草を分け渓(Taniを渡り 山を 登って この地に来ました。

2匹の鬼が 住んでいたので、行者は「どう言う訳で ここに住んでいるのか」と 尋ねると、鬼は「この地は 薬師如来の司る浄土で 天仙や神龍の遊ぶ(自由に暮らす)所です 我等は この霊場を守るために ここに住んでいます」と 答えました。行者は 薬師如来の霊像を 彫って「これを 安置し、利世護国Rusei-Gokokuしなさい」と 言い終わると、2匹の鬼は 毘沙門天Bidsyamon*tenと 持国天Jikoku-tennになって 立ち去りました。そこで  行者は 毘沙門天と持国天の霊像を 彫って、薬師如来と共に 堂を建てて 祀りました。その後 行基菩薩Gyouki-bosatuが この霊場の事を聞きつけて、ここ に 寺を建て仏教の法を 修行しました。

空から「我名号Gamyougou)一経其耳Ikkyou-goni衆病悉除Syubyou-Situjyo身心安楽Sinjin-Anraku」と 声がしました。行基菩薩はその声を 聴いて ますます心から歓喜し、長らく ここに住み、遂には 弟子を取り ここに住まわせました。しかし 世の盛衰は 有るもので この寺も 興廃を 繰り返しました。天正の兵乱の時 寺の多くは 焼けて 今は、僅かに 小寺を残すだけです。古くから「山不在高有仙則名、池不在深有龍則雲(雲は霊の間違いでしょう」と 言われており、この寺は 亦mata 大きくは 有りませんが、天仙や 神霊が住む所なので、その霊名を 消さないために 後世に 伝えるために 書き残します。「賀陽町史追補版」   よぼろ:膝の裏側の窪み  強靭な脚  健脚の人    瑞雲:目出度い色である紫 あるいは5色の雲    利世護国:世に利益を与え、国の安泰を図る    我名号:私の名前を一.回えなさい    一経其耳衆病悉除:それを聞いた者の病気は ことごとく治ります    身心安楽:身も 心も 安楽になります    山不在高有仙則名、池不在深有龍則雲:山は  高ければそれだけで、霊(計り知れない神秘な力)を供えるものではなく 仙人が 住んでいればこ そ霊峰となり、名高い池は 深ければ良いと言うだけのものではなく 龍が 住んでいればこそ 霊泉となるのである。    カセ谷:豊野3410・3412・3413番地 宇フ:豊野3414・3415番地    福寺:豊野toyono天福寺tenpukuji3416番地 北緯34度53分51秒東経133度42分45秒    西ノ谷:豊野3417・3420・3421番地    二子岩:豊野3422・3425-3434・3436番地       平成23年(2011年)7月23日