(仮称)産土神社 Ubusuna-jinjya


神道における産土神Ubusuna-gami/Ubusina-kami/Ubu-no-kamiとは、生まれた土地の守護神 則ち鎮守の神です。その者の生前から 死後まで 守護する神とされ、移住したとしても 守護してくれるます。遠く に移転した時は 類系統のその土地の神社に 変更する事ができます。このような信仰を 産土信仰と言います。 氏神とは一族の血縁を基に信仰する神で、氏神を共にする者を氏子と言います。即ち 氏神とは 一族の祖先神 或いは守護神です。産土神社にお参りする事を 産土詣Ubusuna-mairi(産土参と言い、初宮参り 成年式(法律で定められた成人年齢と関係ありません) 七五三 初参り(観光目的のものではありません 元旦に当主が参拝します)等がそれです。産土神は 個人で選ぶ事ができますが、子供の頃に 親が決める場合が 殆どですので  氏神と同じである事が殆どです。中世になると 産土神と氏神の区別が 曖昧になり、現在では 殆どんの神社の祭祀区域Saisi-kuiki(氏子域)は 暗黙の裡に 或いは厳重に決められていて 祭り参加や 人生儀礼奉告のために参拝する人達迄も 氏子と呼ばれ、氏子信仰は 産土信仰に吸収されかけています。信仰の自由の普及 人口流動の激化 新都市誕生もあって 氏子区域も 曖昧になる傾向が見受けられる地域もあります。産土神は 安産の神である産神とも関連づけられます。この項目では、古典的な産土神社や 氏神社 産土の文字が付く神社等を 取り上げます。


尾原   吉備の誉恵比寿神社 Kibi-no-homare-Ebisu-jinjya in Obara

落合加茂川線(66号線)沿いの尾原町中公会堂と、尾原新山町Niiyama-mati620番地の新山郵便局の間 北緯34度55 分4秒東経133度45分21秒に 吉備の誉恵比寿神社が建ちます。かつて この地に栄えた「吉備の誉酒造」の産土神社(著者には氏神社の思えます)でした。大黒天恵比寿天神の像と祠の他 埴山姫神Haniyamahime-no-kami 罔象女神Mizuhanome-no-kamiが祀られています。社の軒下には明治明治二十三年寅四月一八日に奉納された絵馬が掛かります。 尾原馬場田615-3番地の南の広場に一宮社が建ちます。神様は お留守です。吉備の誉神社の古い社と思われます。金刀比羅堂:尾原545番地 乗次:尾原603・612番地等 狼田:尾原606番地 馬場田:尾原613-616番地  新山町:尾原617-636番地 山ノ神:尾原640・700番地等  平成25年(2013年)11月11日 

 

尾原 苅山の産土地神社 Ubusuna-Dijin-sya in Kariyama 

尾原苅山城寺屋敷は 尾原仮山1447番地の西北の畑に陶器製の小さい産土地神社が建ちます。  日ノ丸:尾原1363・1388番地等 矢ノ谷:尾原1367・1395番地等 矢ヶ谷:尾原2429・2473番地等 大屋敷:尾原1393・1434番地等 大屋敷:尾原2106・2114番地等 観音堂:尾原1401・1415番地等 太鼓丸:尾原1417・1519番地等 仮山:1419・2017番地等  平成28年(2016年)5月10日 

 

尾原 込山の丸須天大神社 Marusuten-no-ookami-sya in Komeyama

落合加茂川線(66号線)沿いの尾原空下Sora-kuda79番地の南 北緯34度54分40秒東経133度45分21秒に 2尊の野仏が立ちます。小豆洗いでの犠牲者とされますが、いかなる意味を持つ 供養碑なのかは不明です。その北の崖の傍に 小さい祠があり、丸須天大神産土大神が祀られているそうです。産土大神とは その土地や人を守護する神です。 小豆洗い:小豆洗の飛びは 尾原道下タMiti-sita12-1番地付近 北緯34度54分25秒東経133度45分23秒の豊岡川に 架かります 空下:尾原63・64・73・74・65・68-72・75・76-79(北緯34度54分42秒・東経133度45分21秒)・358・359-361番地   込山尻:尾原1682・1683番地 込山口:尾原1704番地    込山西平:尾原1696(北緯34度54分56秒東経133度44分42秒の隣地)・1697・1700・1701番地    込山:尾原1698・1699・1702・1705番地    平成25年(2013年)11月21日 

 

三納谷 三所神社の産土神社 Ùbusuna-gami-sya of  Sansyo-jinjya in Minoutani

下土井中尾1208番地の遼か東 三納谷若宮1179番地 北緯34度52分37秒東経133度46分21秒に三所神社が建ちます。 境内には 摂末社として 本殿右奥に 若宮 本殿奥の左の社として 龍王宮龍王海宮 中央の大きい社として 斎宮斎神社 本殿奥の左の社として 産土神中尾三宝荒神社に 素戔嗚命が祀られており、その後ろに 朽ちかけた神様がお留守の社が建ちます。その左手に 燈明用の石の祠Guro三所権現が乗馬してやって来て 残した馬の足迹が 石に刻まれたとされる  馬蹄石が 祀られています。 若山・御供田:北緯34度52分41秒東経133度46分25秒  鶴峰・霜峯:三所神社から 美原と三納谷の境になっている道を 東に進むと 直ぐに三叉路があり 北西に折れた所 北34度52分38秒東経133度46分26秒付近  仁五ノ前:下土井1207・1208番地 箕口:三納谷1168・1296番地等 父井:三納谷1002・1336番地等 父井坂:三納谷1057・1066番地 装束面:三納谷1058番地 宮の鼻:三納谷1101・1144番地等 御供田:三納谷1121・1159番地等  平成24年(2012年)5月4日 

 

田土 吉長の産土荒神社 Ubusuna-Kou-jin-sya in Yosinaga

吉長公会堂 竹荘八十八ヶ所霊場第二十八番札所を右に回り 次いで左に回り 北上すると、田土才ノ乢Sai-no-tawa1728番地の近くで  行き当たりになります。この北 北緯34度52分16秒東経133度43分32秒に 産土荒神社が祀られていました。行き当たりの直ぐ手前に 右に折れる分岐が有ります。行き当たりから 西に向かう細い道が有るので 進むと、右に引き込みの山道が有り 引き込み道の右に いかなる神が祀られるか解りませんが 石の祠が有ります。明治39年に 荒神社は 川合神社へ合祀されています。元は 田土吉長1810番地にありました。 荒神ワキ:田土1808・1809・1830・1839番地    荒神ノ元:田土1740・1841・1846・1848番地    大歳風呂:田土1863番地    大才ノ下:田土1864番地  平成26年(2014年)8月15日 

 

上竹 陰地 御王神社

上竹丸山前Maruyama-no-mae4716番地 北緯34度50分22秒東経133度40分26秒に 御王神社が建ちます。拝殿前には 坤艮金神Hituji-saru-Usi-tora-no-Konjin 御歳皇神Mitosi-no-sume-kami 大国主命 言代主命 5柱大神別天つ大神五柱でしょうか 天照大神男紳五柱でしょうか) 御王大神 天神(土+心)祇諸神Tenjin-tigi-syosin 産土産土大神Ubusuna-no-ookamiの紙のお札 矢倉神社の木札が 納められた箱が 備え付けてあります。麻留山:北緯34度50分17秒東経133度40分35秒 御王神社護王神社の多くは 和気清磨呂Wāke-no-Kiyomaro 和気広虫Wake-no-Hiromusiが 祀られ 大祭の時は御王神社祭と 表現される事が有ります 豊岡八幡宮の末社、護王神社にの祭神は 天児屋根命Ame-no-Koyane-no-mikotoです  陰地御王神社の祭り神:御王大神は 素盞嗚命Susa-no-o-no-mikoyto  天兒屋根命Ame-no-Koyane-no-mikoto 天鈿女命Ame-no-Ùzume-no-mikoto 高丘親王Takaoka-sinnouです。   高丘親王:どなたか分かりません。良く似た名前の親王は高岳親王がおります   坤艮金神新宗教「大本出口なおによると 国常立尊Kuni-no-tokotati-no-mikotoを艮の金神Usitora-no-konjin豊雲野尊Toyokumono-no-mikotoを坤の金神と呼称します   矢倉神社:かつては 矢倉山の東に建っていましたが、現在は納地矢倉の北緯34度50分21秒東経133度41分33秒 納地宮地2043番地に建ちます    荒神ノマヘ:上竹4609(北緯34度50分27秒東経133度40分23秒)・4670番地    上竹丸山前4716番地護王神社:北緯34度50分22秒東経133度40分30秒    荒神ノハナ:4672番地丸山前:4716-4718番地    上竹ヨコヒ4290番地:北緯34度50分24秒東経133度40分19秒     平成26年(2014年)4月23日