室戸台風の爪痕 The scars of typhoon Muroto


左の写真はhttps://sites.google.com/site/okayamasabo/home/08-saigai/dosyasai-syasinより(令和5年には検索できませんでした)

室戸台風は 昭和9年(1934年)9月21日に 高知県室戸岬に 911.6HPの大型台風として 上陸し、淡路島を 経由し阪神地域に 再上陸し 若狭湾に 抜けました。岡山県では 旭川や 百間川が 増水し 大洪水となり、岡山市内の広い面積が 浸水しました。建物の全半壊4560棟 死者145名 負傷者348名 親水面積19790Haでした。室戸台風による 洪水の水位を示す 標識後楽園 山陽新聞本社 就実学園体育館 中国銀行本店 NTT クレドビル岡山店 等に 今も残っています。

https://www.cgr.mlit.go.jp/okakawa/bousai/hyousiki/page1.htm#suii」「https://www.okayamania.com/colum/jikenbo/14.htm 」「https://ja.wikipedia.org/wiki/室戸台風 」 旭川ダム流域では 未曾有の大災害で ダム地点流量は 5100m³/秒 死傷者493人 浸水家屋4916戸でした。「www.pref.okayama.jp/page/detail-27431.html」 旧加茂川町における 農産物の被害では「収穫皆無160軒 5~9割減280軒」 住家の被害では「全壊21軒 半壊4軒 床上浸水42軒」耕地関係被害復旧事業費は469056円でした。人的被害についての資料は 見つかりませんでした。「加茂川町史続編P921~」「大和村史P326」

371号線(豊岡上小森線)沿いの常江田山の麓の 豊岡川側の畑の奥の大岩の張り出しの上 豊岡下岩崎685番地の北の崖上北緯34度54分54秒東経133度47分2秒に 川神と その両脇に 小さい大日如来の碑が祀られ 中連講の石碑が 立ってています。 かつては大 岩の下は 深い渕だったそうです。川神様には 南無阿弥陀佛 享保二酉(?)歳の横に丁と 刻まれています。高梁市に 享保元年(1716年)と 享保6年(1721年)に 大洪水が ありました。その時の豊岡川の北側の畑の奥の大岩で 川の様子を 観察していた少年が 鉄砲水に 呑まれ 水の犠牲者になったそうです。その少年を祀ったのが 川神様だと 言います。この岩の上まで 水位が上がったのであれば 豊岡下から 二川に 掛けた 平家は 全戸屋根が 隠れる程に 水没した事に なります。室戸台風の時も 旭川の支流である 豊岡川が 氾濫し この岩の中腹辺り迄 水位が上り 川神様を 守る家の人は「我が家も 床上浸水した」と 語りました。

平成23年3月2日

 

昭和9年(1934年)室戸台風が 下加茂を襲うと 宇甘川  此谷川は 氾濫し 下加茂の原は まるで湖のように 全面が 水没しました。田中の村人は 大倉神社と 貴布祢神社を 高台に 勧請 遷宮しました。この洪水で川上から溺死した人が流れ着いたので田中 大寺 安井の人達は勧請した大倉神社と遷宮した貴布祢神社の脇に御崎神社を建て身元不明の御霊を祀りました。 河原文太郎さんも信心深い人でしたので宇甘川右岸に流れ着いた二人の御霊を岸上に祀り 毎日灯明しながら大般若経を転読していました。下加茂山根の安井さん家(ち)の母ちゃんと姉妹の3人が遠くから見ていると貴布祢神社辺りに狐火が毎日のように現れるので、倉庫街(そうこまち)の田圃辺りに来て、川下右岸の田中の貴布祢様に参ってみると煌々と燈明で辺りは明るくなっていたのです。その明るさは暖かい気持ちにさせたので「大倉神社の稲の神様である下照姫様あるいは大国主命と貴布祢神社の水の神である闇オカミ様は協力して稲を育てたくて狐火を起こし貴布祢神社に火を点してくださった あれはお狐様だった」と3人は話し合ったそうです。

創庫町:北緯34度51分44秒東経133度48分39秒 田中:北緯34度51分27秒東経133度48分52秒付近で大倉神社が祀られます。 久西安井:北緯34度51分39秒東経133度49分10秒 山根:北緯34度51分44秒東経133度49分17秒 田中の水田脇の大倉神社:下加茂田中1915番地の南東の北緯34度51分29秒東経133度49分4秒 宇甘川右岸の高台の大倉神社・貴舟神社・御崎様:北緯34度51分256秒東経133度48分59秒 河原文太郎さんの祀った御崎様:北緯34度51分27秒東経133度49分3秒 室戸台風の時の水嵩はこの祠下迄届く勢いだったとされます。 河原文太郎:下加茂真瀬良1780番地に住み山上不動明王堂(加茂88ヶ所霊場巡礼3番奥の院真瀬良札所 北緯34度50分54秒東経133度49分12秒)を管理し、水子を良く供養し、種々の祈祷を行なった人のようです。「鍋谷の狐」「貴布祢様の狐」にも登場します。河原法印 河原法橋Hokkyouとも呼ばれていました。お亡くなりになっています。

平成24年(2012年)5月4日

 

平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。P74~P75にかけて「祈祷」と言う物語りにカワラニッキョウの名前で河原法橋さんが登場します。