小森 星見岩 Rock for looking at stars


昔 昔 高天原Takama-ga-haraと 葦原中国Asihara-no-nakatukuniが 相並んで栄えていた頃、高天原の天照大神Amaterasu-oomikamiは「葦原中国は 我が息子の治めるべき国である」と 無茶苦茶な 理論を掲げて 唐突に 攻め取ろうとしました。戦争を 嫌った者達もいたので  色々の理由 を付け反対者を粛清syukuseiしてゆきました。天と地の全ての反対者が 粛清されても 天津甕星神Amatu-Mikahosi-no-kamiだけは 葦原中国の立場に立って 気長に 理論的に 平和を説き、同時に 武力征伐には 武力で抵抗し 続けました。余りの強さに 驚いた 天照大神は 百戦錬磨の武神である建御雷之男神Kake-Mikaduti-no--o-no-mikotと 必断の剣神である 経津主神Hutunusi-no-kamiに 全力で 不順神Maturawanu-kamiであるとして 天津甕星を 屈服させようと 決断しました。天津甕星は 天下無双の最強布陣の2神と 良く戦いましたが、次第に 押され 抗し切れず 御衛星と共に 葦原中国に不本意ながら 逃げ、天津甕星は 小森の原に 落ちて来ました。落ちた時は 散々に体力を 消耗していたので 小さい石に なっていましたが、小森の清々しい空気を吸い込むと 体力を 回復し 次第に 大きくなり 大岩になりました。村人は 天津甕星の降り立った地を 星原と呼び、大きくなって 天を伺う 天津甕星岩を 星見岩と呼びました。暫く 高天原軍と 天津甕星の睨み合いが 続くと 武神であり 織物の神である 建葉槌命Take-Haduti-no-kamiが 平和交渉に やって来て「葦原中国の大国主命との交渉は 平和裏に行う事を 唱える者が有れば 懲罰を加えても決して殺しはしない」と 衣に包むような 柔和なしぐさと 温かい声で 話しました。天津甕星は 納得し天に戻って 金星となりました。この後 経津主神と武御雷之男神が 大国主命Ookuninusi-no-mikotoとその子の言代主命Kotosironusi-no-kamiに 降伏を迫り、武御名方命Take-Minakata-no-kamiと 力比べをして、平和的に 葦原中国を 高天原に 服従させ 天孫降臨しますが、今も 金星は キラ星として 輝き続けています。星見岩も 天津甕星の霊が 抜けさった後も 霊力ある大岩として 地上に残っています。

星見岩

国道429号線を 小森から 旦土に向かい 小森トンネルを抜け、大きなカーブの手前 北緯34度55分50秒東経133度48分49秒近くに 星見岩があります。昔 空から 大きな岩が 豊岡川の岸に 落ちてきました。その岩が 天津甕星の霊が 抜けた岩だと 言うのです。それで この付近を 星原と呼び、その岩が 故郷の空を 懐かしむように 向いているので 星見岩と 呼ぶのだそうです。 暦の普及していない時代には 村人が 星見岩の上に立ち 草木の萌え始めや 咲き始めや 紅葉の始まり 虫や獣 特に渡り鳥の動き 川の水嵩 空の色等を 観察して 作物の種蒔きや 植え付け 等の時期を 判断していたそうです。昼と夜の長さと 夜の星の位置は 農作のために 極めて重要な意味を 持っています。ところが ,不思議な事に 星見岩の下側は 魚が好みそうな隙間があるのに、魚が 住み付かないのです。村人は このような情報を 正しく知らせてくれる岩だったので、星見岩には 天から下りて来た星の神様が 棲んでいると 考えました。それで 星の神様の威光を 魚が敬い この岩の周りに 寄り付かないのだと 考えました。雨が降らない時には この上で火を燃やし 雨乞いをし、稲の害虫が 増えると この岩に 虫退治を 祈願し さねもりをし、害獣が 蔓延るhabikoru時には この岩に 詣で 山に 狩をしに 入りました。江与味Eyomiから流行性の感冒が 近づいた時も、この岩の上で 星見していた者が 第1報を 聞いたと 言うのです。有り難い この岩のご利益に 感謝し、ご利益あるごとに 酒盛りをし 星見岩を 讃えていたそうです。旧旭町通谷Kaitani辺りでは 今も 実盛と言う 虫追いをしています。腹いせかどうか 解りませんが、小森辺りの人は 旭町に 向け風邪追いを しました。「加茂川町史」「星原の村人より口伝」「日本の神話 天津甕星  天孫降臨 国譲り

岐阜中津川に星ヶ見岩:石垣島川平湾に 星見ヶ岩があります。星ヶ見岩は 2つに裂けた岩で、星見岩は 穴が貫通している石で、どちらも星の観察に利用された物です  観察結果は、農業に役立てられました。 岡山市北区足守真星の星神社北緯34度47分29秒東経133度48分48秒 天津甕星神:金星紳 妙見菩薩の化身 不順神:敵対する神 鬼神    御衛星:護衛星の間違いかも 北斗七星    武御名方命:大国主命の次男 高天原軍に従わず建御雷之男神に手を握りつぶされます  この争いが相撲の起源とされます    さねもり:平家方の斎藤実盛は 馬が 稲の切り株につまづいたところ、源氏の武将に 討ち取られました。その年は 稲の害虫ウンカ実盛虫)が大発生したので実盛の祟りとされました  さねもり・さねおりは虫祈祷の行事です。   川戸:小森1359・1412番地等    坊主淵ノ上エ:小森1458-1461番地    星原:小森1465・1481番地等 古明見:小森1551番地」 星見橋:北緯34度55分59秒東経133度48分43秒当たり 

 

加茂川町の俗信

ナンバ(とうもろこし)の根が 高い所から下りる時は 大風になる:玉蜀黍は 台風の時期に 背が高く育つので 大風による 風倒被害が 他の作物よりも 目立ちます。玉蜀黍は 地面近くの節より 支根を出し 水分を より多く吸収しようとします。乾燥で 茎が弱ると 倒れ易く、台風等で 水に恵まれると 茎は良く育ち 支根が増えます。支根が 増えると農作業の一環として 支根を守るために 土寄せしします。すると倒れ難くなり 根の働きが 増すので 実の収量が増えます。 秋の北の空や 春の南空が 明るい時の夏は 干ばつになる:陽が 沈む頃、陽が上る頃に 空が焼けますが、水蒸気や 埃を 多く含む時、夕焼けや 朝焼けは 広く鮮やかになります。北方が湿ると 偏西風に 流された水分で 日本に 雪が降ります。また逆に 雨が少なく 空気が 澄んでいれば 空焼の色は 鮮やかになります。 寒い冬の後の夏は 干ばつになる:南洋の海水温が 低いと 台風の発達が 悪くなるので 伝説に示される現象 が起こる傾向は あるようですが、一概に 正しいとは 言えません。冷害と 旱魃が 同時に起こると 農業被害は 甚大となり、悪い印象が 強調されます。 いつもより温いと 稲の虫が 多い:気温と虫の発生には 相関が有ります。 肌が 乾燥し寒い と風邪が 流行る:インフルエンザウイルスは 乾燥し 気温が低いと 失活し難くなります。 山が 不作の年は 猪Sisiや狸が 里に下りて来る:山に 木の実が 不作であれば、当然 餌を求め 野生動物の行動範囲が 広がります。 平成23年(2011年)8月21日

 

平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が 発行されました。P118~P119に「俗信」が載せてあります。夜口笛を ふくと 鬼が来る 夜口笛を ふくと 蛇が来る 夜 口笛をふくと 狼が来る 夜 口笛をふくと 悪魔が来る 夜 口笛をふくと 人さらいが来る ほうずきを鳴らすと 蛇が来る 蛇が 木に登ったら 雨がふる ツバメが 低く飛んだら 翌日は雨 蜂が 低い所に 巣をすると 台風が多い 月が 輪をかぶったら 雨 雨蛙が 鳴くと 雨になる ハトウジ(カメムシ)が多いと 雪が 降る 秋の夕焼けは 鎌を とげ 春の夕焼けは 井出 を外せ 夏の夕焼けは 夕立ちになる 夕立は 馬のしりがわを 越しそうで越さん 夕立は 牛の背を 分ける 円城で 津山線の汽笛が 聞こえたら 雨が降る 正月元旦は 寝の日で、雨戸を 閉め、外に出ず、じっと していなくてはいけない‐洗濯、風呂を沸かしては いけない 七夕は 少なくとも 三粒の雨が 降る 亥の子様のお祭には 大根を 供える 亥の子祭の日には 大根畑に 入ってはいけない 亥の子祭りが きたら 雪がふる 亥の子祭は 寒い(亥の子様は加茂川では三ヶ所 高富の五明の亥の子  円城の津恵田亥の子  高谷の十力亥の子) 近所に ハシカが 出たら、茶釜の蓋と 茶葉を 白い布に入れて 頬に当てると うつらない ズイキイモ(里芋)の親芋は、えぐいから「親が知らさん お留守かな」といって焚くと おいしく炊ける 歯痛の時は、道べりの地蔵の頬を なぜ、それから 自分の頬をなぜると治る。 虹の元には 財宝が有る 夜 爪を切ると 親の死に目に 遭えない 靴は 畳の上 で 履いていけない -葬式の際の 棺方は わらじを 畳の上で履いているから 山で 弁当を食べたら その割り箸 を折る 山で クズのつるを 割くと よくない 結婚や生活に関する俗信は「栄子の悩み」を 葬式に関する俗信は「磐長姫の祟り」を 天候や作柄に関する俗信は「星見岩」正月行事については「正月行事 灰神楽の灰防」を 参照ください。  平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利吉備中央町図書館 吉備人出版】が発行されました。P334に「山で “ねこ” と言わない」「土方へ行って ”さる”」「嘘をつくと背なに松が生える岡山弁」と言う俗信が載っています。 

 

新聞を跨いではいけない Do not  stride over newspaper


著者が 5歳の秋頃 豊岡小学校に 幼稚園が 模範的に開設されました。昭和24年(1949年)には 加茂川町で 初めての試みであったと言います。真実は解りません。姉二人が 豊岡小学校に通っていたが登校時間も下校時間も 学習時間 も違ったので 頼る事も出来ず、家族から 離れ 見知らぬ大勢の子供に囲まれ とても 心細い思いをした。「幼稚園に行くのが 嫌だ」と祖父に言うと 丸めた新聞紙で 肩を叩かれ 酷く叱られました。それでも 叔父が 同級で 有ったので 何とか 逃げ出さずに 済みました。新聞紙を 風呂敷代わりにして 上履等を 包んでいました。姉達は 折り紙や 習字の下書き用の紙に 使っていました。著者等 男の子は 新聞紙を丸めて造った刀で チャンバラごっこをしたました。ポットントイレの脇には 新聞紙を 切って作った 尻拭き紙が 置いてありました。尻拭き紙は 良くもんで 柔らかくして使いました。当時 新聞を 取っていたのは 三谷集落でも 著者の家位で 貴重な物だったのでしょうが、著者は 新聞紙Sinbun-gamiは使い捨てする価値のない物だ と思っていました。ある日 祖父の前で 新聞紙Sinbunsiをうっかり跨いだのです。祖父は 著者の首根っこを捕え 拳骨を 頭に食らわせ 叱ったのです。あまりに 痛かったので 鳴きながら「尻を拭く紙を 跨いだだけで酷い」と訴えると「新聞の価値が 解らんのか  新聞を 取っているけぇ 他の者が 知らん事を 早う知れるんじゃ  新聞紙Sinbun-igamiと 新聞紙Sinbun-siは 違う物じゃ」と教えてくれました。    平成29年(2017年)1月31日

 

平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。P101に「新聞」の話題が載っています。 

 

 

肝試し Test of courage


昔  見栄っ張りの和尚が 居ました。寺の境内で 遊んでいた子供達が 狸が出て来て 怖がっているのを見ると「わし等が 子供の頃は 狸と よう遊んどった」と 子供達に 話しかけました。子供達は「狸や狐ぁ 人を騙すと 言うけぇ きょうてぇ  お住さんは 狐も きょうとうないんか」と 尋ねると、和尚は「当り前じゃ  坊主でなけりゃぁ 狐汁にして 食いてぇ程じゃ」と 悪い癖が出ました。お頭の回転が速い子が「じゃぁ肝試しして遊ぼう  裏山にゃぁ狐が居る」と 言い出しました。見栄を張った手前 和尚は まずい事になったと 思いましたが 断れません。和尚は「山の頂上の神社の近くの枯れ松に 名前を付けた釘を 打って来よう」と 提案したのです。しめたとばかりに お頭の回転の速い子が「枯れ松の場所を下調べしておくけぇ 今 夜 和尚さんと一緒に肝試しじゃ」と  言って 他の子供達を 連れて 神社に 向かいました。子供達が 宮司の家に 行き 訳を話すと「龍王宮を 押し付けている あの糞生意気な 和尚を 懲らしめてやろう  ワシが代りに 釘う 打っておくけぇ」と 言って 怖そうな俗信を子供達に教えました。晩になって 和尚と子供達が 出かけましたが、下調べした子供達は 和尚を置いて 坂道を駈け上りました。 一人の子供が 和尚の元に 釘を打って帰って来た振りをして「ああ楽しかった  嘘じゃった  背に松が生えた」と 言って 怖そうに 背中に刺した 松の枝を和尚に見せました。次の子は「楽しく笛を吹いとったら 鬼が出て来て 頬玉ぁがまちゅうどやされた」と 言って 自分で叩いて 赤くなった 頬を和尚に 見せました。茨で足に傷のあった子は「猫が居ったんで “猫や" と呼んだんじゃ そしたら 猫又が わしの足ぅ傷つけた」と 言って 茨のひっかき傷を 和尚に見せました。‥‥‥全部の子供が 怖い俗信を 語り 証拠を示し そろって帰って言ったので、仕方なく 和尚は 一人で暗い坂道を「俗信なんぞ」と 呟きながら ボトボトと 登って行きました。枯れ松の近くまで来ると 道の真ん中にあった石に 躓きました。すると 丸い石だったの でゴロゴロと 音を立て 転げて行きました。「天狗転ばしが 出た  危うく転ばされる処じゃた」と よろめくと カヤ(ススキ)が道 脇に 敷かれていて 痛みが走りました。「鎌鼬じゃ」と 思わず 叫び 俗信の恐ろしさを感じ始めました。やっとの思いで 枯れ松に 辿り着き 釘を打とうとすると、衣の端が 何かに引かかり 腕が動きません。「夜食にキュウリの塩もみぅ喰った  河童に 引かれとるんじゃろうか」と 思い 怖さのあまり 力一杯引っ張ると ピリッと笛を吹くような音がして 衣の裾が破け その余しを食らって 仰け反ると 木の枝が 頬に 強く当たりました。「鬼に叩かれた」と 思い 思わず小便を ちびりました。するとブンブンと 音がして 背中に激しい痛みが 走りました。木の枝に ハチの巣が あったのです。見る見る内に 痛みが広がって行きますが 背中に手が届かないので 何が起こっているか解りません。「こんなに怖いのに 強がって嘘を ついた 背中に  松が生えてきたんかも知れん」と 思いました。逃げ出そうと 腹に力を入れると ピピッと 口笛のような音で オナラが出ました。そのとたんに 何かに 足を取られ転びました。「夜中に 笛を吹いた  鬼が出たか 蛇がでたか」と 思いながら 這って逃げようとしても 足が掴まれているので進めません。もがけばもがく程 更に強く握り締めて来るのです。ついに 和尚は 気が振れんばかりの恐怖に 耐えられず 気を失ってしまいました。翌朝になっても 和尚が帰って来ないので、子供達と宮司が 枯れ松を 訪ねてみると、狸の足跡の近くで 和尚は ククリ罠に 足を取られ、恥ずかしい格好で 気絶していました。宮司が「わしの罠に掛かりおって」と 呟きながら 祝詞を上げると 和尚は 気が付きました。それからの和尚は 見栄を張る事を止め 仏事に仕えたので、檀家に 好かれ寺は 栄えましたそうな。  「三谷野呂の百怪談」 平成23年(2011年)8月21日

 

平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利吉備中央町図書館 吉備人出版】が発行されました。p198に「肝試し」の話題が載っています。p278に下土井長尾の「槌ころがし」と言う民話が載っています。