素盞嗚神社 Susa-no-o-no-jinjya


牛頭天王素盞嗚尊を祭神とする祇園信仰の神社を素盞嗚神社と呼ぶ事があります。素戔鳴神社素戔嗚神社と書く場合があります。他に祇園信仰に基づく神社名称としては八坂神社八阪神社弥栄神社Iyasaka-jinjy/Yasaka-jinjya/Yae-jinjya/Yaeijinjya祇園神社広峯神社天王神社津島神社八雲神社須賀神社木山神社があります。スサノオは素盞雄須佐男須佐之男進雄 等と書き、ミコト(命・尊)を加える場合があります。江戸時代迄は牛頭天王社と呼ばれ、牛頭天王を祭神としていました。総本社は京都の八坂神社または兵庫県姫路市広嶺山52番地 北緯34度52分26秒東経134度42分1秒地の広峯神社です。https://ja.wikipedia.org/wiki/素盞嗚神社災難厄除病気平癒 商売繁昌 心願成就等がご利益です。祇園神社 八坂神社は別項目で取り上げます。 ㊟神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります


上田西 光則の木山宮 祇園天王宮Kiysama-guu and Gion-tennou-guu in Mitunori

上田西公民館の西上田西奥1331番地の西の畑に面した 北緯34度52分56秒東経133度47分42秒の堂内には  左端に小さい一宮社と五宮社が有ります。 一宮社は木山宮山王様が祀られています。五宮社の左端の社には  八幡大神宮天神宮です。 2番目の社は 木山宮で八幡大神 木山神社大神 天神社大神を祀ります。3番目の社は三寶荒神社で、5番目 即ち右端の社は祇園天王宮です。 木山神社:真庭市木山 弘仁7年(816年)と伝えられており、京都祇園の八坂神社の分霊を祀っています  真庭市の木山神社によると 家内安全 商売繁盛 交通安全 除災招福 子孫繁栄 学業成就 必勝開運 縁結びがご利益です    奥:上田西1331番地 国近・國近:上田西1342・1492番地等    祇園山:上田西1381・1395番地等 胡摩免:上田西1396・1439番地等  平成25年(2013年)6月6日

 

上加茂 鴨神社の素盞嗚神社 木山神社 Susa-no-o-no-jinjya and Ki-no-yamsa-jinja of Kamo-jinjya

上加茂宮坂471番地 北緯34度51分6秒東経133度49分22秒に鴨神社が建っています。境内に金刀比羅宮があり、木山神社 地神社 川上神社 素盞嗚神社 番神社 今宮 系普神社 御玉神社 幸神社 祇園神社 山神社 加茂神社 水神社 武甕槌神Take-Mikaduti-no-kami-sya 大山社 愛宕神社 厄神社 森神社 龍神社 神納社が合祀されています。 宮坂:上加茂443・481番地等 平成25年(2013年)1月13日

 

高富 柿山の素盞嗚神社 Susa-no-o-no-jinjya in Ksakiyama

五明口から柿山集落に向い 集落の入り口の高富公民館の建つ十字路を右に折れ 東に進むと、Y字路を二つ繋ぐ(つなぐ)よう交叉点に出ます。左に折れた後 北に進むと 右手に加茂八十八ヶ所の霊場があり、その北でY字路となります。右手に廻ると 桜の道の終点地があり、大黒天と観音菩薩像が祀られています。その奥 高富中曽根2088番地の西 高富ソラ2678番地の北西西 北緯34度55分33秒東経133度49分47秒に 素戔嗚神社が建ちます。何時の事か解りませんが、この村に赤痢が流行った折り勧請されたと村人は語りました。最近でも 朝食を元気に食べた者が夕方には亡くなる程の激しい症状を伴う流行が、素盞嗚神社で祈祷を行った処、終焉syuuenしたそうです。境内には拝殿 本殿の他 一宮社二社と石組みの祠、および手水鉢Tyoudu-batiがあります。奥の大きい一宮社には いかなる神が祀られているか 村人の話から確認できませんでした。小さい社は護王神社で 丸い石が奉納されていいます。手水 鉢には祇園の刻字が 見て取れます。    案面後:高富2031・2075番地等 ドウメン:高富2145-2148番地    牛王:高富2149・2150番地 オフクラ:高富2151・2152番地 大庫:高富2153-2155番地 祇園後:高富2610番地 祇園下タ:高富2611・2666番地等    祇園山:高富2663・2670番地等    祇園前:高富2671・2760番地等高富    ソラ:高富2676・2683番地等 ソラ2678番地:北緯34度55分30秒 東経133度49分46秒 中曽根:高富2088・2138番地等 コウジンマヘ:高富2100・2130番地等  平成25年(2013年)9月12日

 

高谷 大高下の素盞嗚神社 Susa-no-o-no-jinjya in Ookoge 

県道竹部加茂市場線(366号線)加茂市場から登り、加茂市場139番地近くの大高下集会場のバス亭から山手に向かう道を登ると 北緯34度51分31秒東経133度45分55秒付近に3社が見つかります。その近く南に道通様、さらに山に向かうと八坂神社が祀られます。左の祠は竈三柱神Kamafdo-mihasiran-kamiすなわち火産大神Homusubi-np-ookami  奥津比古大神Okutuhiko-no-ookami 奥津比女大神Okutuhime-no-ookamiが祀られ、中の祠には素盞嗚尊(建速素戔嗚尊Takehaya-Susa-no-o-no-mikoto・早素戔嗚尊)が祀られ、右の小社には猿田彦命Sarutahiko-no-mikotoが祀られています。いずれも祟りの強い神で荒神と言われる神様達です。    馬立:高谷63・244番地等 オフゴケ:高谷87番地 大高下:高谷88・220番地等 オフコゲ:高谷90・176番地等 大芝:高谷111・177番地 ヲフコゲ:高谷206・218番地等 入道:高谷514番地等  平成24年(2012年)9月7日

 

竹部 乗木の素盞嗚神社御崎神社 Susa-no-o-no-Jinjysa(Misaki-jinjysa)in Noriki

北緯34度50分41秒東経133度47分24秒 竹部美民城761番地に 天神社が建ちます。境内摂社に 神社Kankou-jinjyaと素盞嗚神社があります。 菅原道真Sugawara-no-Dousin/Mitizana:菅公Kankou 菅原道真の正室:島田宣来子Simada-no-Nobukiko    美民城:竹部747-769番地 荒神:竹部860868番地 石塔:竹部918・957番地 十力:竹部998・1600番地 乗木山:竹部1009-1010番地 寺前・寺ノ前:竹部1012-1034番地 馬場:1035・1107番地等  平成24年(2012年)8月28日

 

富永 素戔嗚命社・建速素戔嗚尊社・速素戔嗚尊社 Susa-no-o-no-jinjya in Tominaga

八坂・祇園神社の富永の大王八坂神社を参照ください。

富永 長尾神社の素盞嗚神社vSusa-no-o-no-jinjya of Osao-jinja in Tominaga

富永西303番地辺りの長尾Nagao集落の北の峠の山道を 左(西)に進むと 北緯34度52分49秒東経133度44分52秒付近に 長尾神社Osao-jinjya建っています。長尾神社は 荒神社を兼ねていて、魔利支天社 素盞嗚神社を合祀しています。    有漢坊:富永273-276番地 堂ノ坂:富永296番地    西:富永303-304番地 福本:富永310番地    荒神前:富永317番地 荒神前:富永458・466番地等     平成24年(2012年)8月6日

 

富永 管田素の素の素嗚神社 Susa-no-o-no-jinjya in Karasuda

富永集落の北西部の和田と井原に接した富永の突出部に 柴屋池があ

り、直ぐ北に富永柴谷2022番地と富永窪2031番地に挟ま

れたY字路があります。その柴屋池より二つの墓場の間を南に

180m程進むと 北緯34度53分27秒東経133度45分3秒に素盞嗚神社が建ちます。 才ノ乢:1840・1869番地等 烏田:富永187・1904番地等 墓仁后:富永1880-1882番地 油免:富永1885・1975番地等 地獄谷:富永1908・1948番地等 石トウ:富永1915番地  平成30年(2018年)1月16日

 

平岡  鏡山大日不動堂の八幡神社

Hatiman-jinjya of Dainitihudou-dou

平岡集落の北部に 平岡小際185番地やや平岡hiraoka小際kogiwa154番地があります。平岡154番地の北を西に向く山道を45m程進むと 北に向く分岐があり30m程の北緯34度51分17秒東経133度47分26秒に 大日不動堂Dainitihudou hallが建ちます。大日不動堂の堂内には2段の祭壇があり 多くの神仏が祀られており、上段の左端の三宮社は大倉神社 八幡神社 金毘羅神社です。    湯谷:平岡73・135番地等 経納:平岡115・153番地等    山ノ神:平岡135・257番地等 小際:平岡138・229番地等   地蔵乢:平岡190・192番地    神道山:平岡203・297番地等     平成30年(2018年)4月9日

 

広面 岩目の祇園神社Gion-jinjysa in Iwame 岩目の沼名前神社 Numakuma-jinjya in Iwame

広面岩目2469番地の北の山の頂上の大岩の上に 一社宮と五社宮が建ちます。一宮社は 荒神社龍王宮です。五社宮の左端の厨子は 摩利支天宮で、左より2番目の厨子は 祇園神社八社神社 沼名前神社Nunakuma-jinjyaでもあります。中央の厨子は三寶荒神社で 摩利支天宮 八社神社 愛宕神社 祇園神社 長園神社でもあります。右より2番目の厨子は愛宕宮で祇園宮でもあります。右端の厨子は長園神社です。 沼名前神社:大綿津見命Oowatatumi-no-mikoto 素戔嗚命Susa-no-o-no-mikotoを祀ります 前園神社:祭神は解りません 広面2469番地:北緯34度49分42秒東経133度48分53秒 岩目:広面1612-1615番地 岩目:広面2321・2853番地等 ミコイワ:広面1661-1663番地 サイノコ:広面1739・1764番地等  平成29年(2017年)4月1日

 

三納谷 三納谷素盞嗚神社Minoutani-susanoo shrine

三納谷妙見735番地の北東 北緯34度53分7秒東経133度46分38秒に辺りに 三納谷奥集会場が建ちます。三納谷城の出城とされている場所です。地神宮の石碑等が 構内の入り口の岸に祀られます。集会場内のは向かって最右の宮は 荒神社で 妙見様 素盞嗚様 御崎様が合祀され、右から2番目の宮には 妙見宮が祀られており、右から3番目の宮は 三宝荒神社で 三宝荒神が祀られており、中央の宮は 祇園社です。左から2番目の大き宮には いかなる神が祀られているか解りませんが、御崎神社と思われます。最も左の宮は愛宕宮です。三納谷に点在していた神社が 管理上の理由で集められているのでしょう。 才門:三納谷319-320・368番地 明見:三納谷710・735(北緯34度53分5秒東経133度46分36秒)828番地等 大師:三納谷792・806(北緯34度53分0秒東経133度46分32秒)・1377番地等 大師古屋敷:三納谷807番地  平成25年(2013年)3月13日

 

和田 青木山素嗚神社

Ssa-no-o-no jinjya in Wada

吉備中央町和田青木山分31秒東経133度44分50秒付近に素盞嗚神社が建ちます。昔 吉備津彦命KIbituhiko-no-mikotoが吉備国を統治していた時 北方の守護のため牛頭天王を和田の素盞嗚神社 落合の木山神社 蒜山の福田神社に祀った「富永の村人より口伝」ので素盞嗚神社は 通称 山王様と呼ばれます。農業振興 agricultural developing  病気平癒recovery  from illness 交通安全traffic] safetyが御紳徳です。主な祭典は10月第3日曜の前日の例祭、12月16日の新嘗祭(にいなめさい)、4月16日 の祈年祭です。ちなみに福田神社 木山神社 素盞嗚神社 鬼ノ城Ki-no-jyou 備中国分寺は南北に直線に並ぶと言われています。「富永の村人より口伝」 

祭神は建速素盞嗚大神Takehaya-susa-no-o-no-ookami 櫛稲田毘売大神Kusinadahime-no-ookamiで、氏子地域は和田 下土井 井原の一部 加茂市が元兼 高谷 平岡 美原の一部 尾原の一部です。境内には摂末社として龍田神社 地神社 稲荷神社 武布都神社 火雷神社 金刀比羅神社 御崎神社 主馬岡神社 雨岡神社 荒神社 不明の社 一之神神社 〇神社が建ちます。


素盞嗚神社は 村上天皇の御代天暦元年(947年)、和田の青木山の中腹へ加茂の荘の総鎮守として 山城国八坂祇園社(現在の京都八坂神社から勘請し、初め牛頭大王宮と言われました。当時 加茂の荘は人家が少なく 山野は生い茂り、魔物が住んでいるように思われる寂しい所でした。その当時は仏法が持て囃されたりHayasaretari信源上人が 岡山に寺を建てようとして建設地を探していました。この地に来て「これぞ吾が求める山」と定め、仰ぎ見る山を青木山と名付け鷲鷺寺(しゅうろじ)を建立し、牛頭天王を 勧請されたと伝えられています。本殿は 明暦3年に再建された春日造りです。また幣殿 拝殿 社務所等は昭和12年に再建されました。明治2年素盞嗚神社と改称され、明治4年社格制度大政官布告されると同時に郷社に列格されました。備前加茂大祭参集神社の一社です。「加茂川町史」素さの嗚神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁 (okayama-jinjacho.or.jp)

素盞嗚神社は 女性に優しい神様を祀る(まつる)のです。室町時代の狛犬が尊いとされています。「村人口伝」素盞嗚神社の氏子衆に「この神社は女性を大切にする、女性のための神社である」と言う伝説がありますが、櫛稻田姫命を妻にすると荒ぶる神であった素盞嗚命は 和歌を嗜むTzasinamu程に穏やかになり民を思う善神に変身した事で 先の伝説が生まれたのでしょう。

信源上人が京都の八坂祇園神社を青木の山(仰きの山・急峻な山の意)に勧進し、素盞嗚神社が誕生した。青木の山とは 仰ぎ見るべき神聖な山と言う意味であると言われます。すぐ隣の大山Oo-yzmaに牛頭山宗林寺Gozusan-Syourin-ji/が有ったので、宗林寺が別当(神社等が神社等を司る職)になり 神社を管理した。牛頭山宗林寺は井原 元兼 下加茂に移転し、井原に青木の祠を 元兼に萩の坊を残している。明治4年(1871年7月2日)近代社格制度が発っせられたが、加茂川地区で この時点で郷社(ごうしゃ)に指定されたのは素盞嗚神社だけで 他の神社は村社Sonsya 等から 後世に昇格した。第2次世界大戦敗退後 この近代社格制度は廃止された。本殿は 築350年と言われている。拝殿は昭和12年に 改修した。備前加茂大祭芸能保存会が 昭和50年に結成されたが、素盞嗚神社の芸能保存会はそれ以前から運営している。かつては 加茂大祭で「馬飛ばし」が行われ、各神社8頭の神馬 8頭の宮司乗馬 加茂総社紳馬1頭 計17頭を社の中を走り回らせ 曲乗りを見せていたが、農業 林業の形態が 機械導入に伴い変わると、農耕馬 材木運搬馬の数が減り 馬飛ばしをするには馬が不足した。加陽町椿等近隣村の集落の協力でも支え切れなくなって 馬飛ばしは中止した。「宮司口伝」

青木山・大山:和田素盞嗚神社の北側 北緯34度53分30秒東経133度43分59秒の高峰で、元宗林寺が建っていました。現在は観音堂が建っているのみです 牛頭大王宮:天暦元年(947年)和田青木山の中腹へ加茂の荘の総鎮守として 山城国八坂祇園社(現京都八坂神社から分霊を勘請し、牛頭大王宮と称した「岡山県神社庁素戔嗚神社」 宗林寺・旧鷲鷺寺(旧Syouro-ji)・旧鷲林寺Syourin-ji・旧秀倫寺Syuuri-ji加賀郡吉備中央町下加茂田中2046番地に建つ真言宗御室派の寺院で、ご本尊は聖観音菩薩bosattuSyou-Kannonです 青木の祠・青木山明王寺不動院:北ィ34度53分37秒東経133度45分22秒 不動明王が祀られていたのでしょう 萩の坊:北緯34度51分51秒東経133度45分54秒 加茂市場元兼にある観音堂です 本尊は如意輪観音菩薩Nyoirin-Kannon-bosatuで、その像は飛騨の匠HIda-no-takumiの作と言われています    鳥居向:和田104・106番地 青木山:和田127-129番地(素戔嗚神社) 宮ノ後:和田130-141番地 宮ノ谷:和田171・183番地等 宗林寺:和田144-146(北緯34度53分14秒東経133度44分43秒)・159番地等 鳥居タワ:和田186・207番地等 鳥居奥:和田193・205番地 鳥居上:和田208・236番地 鳥居:和田235番地 鳥居下:和田209・212北緯34度53分10秒東経133度44分38秒)番地等 輿休:和田245番地 馬場:和田300・360番地等  平成23年(2011年)8月2日

 

和田 素盞嗚神社の一之神社

Itinokami-sya in Susa-no-o-no-jinjya

吉備中央町和田青木山129番地林道宮の谷線の終点 北緯34度53分31秒31秒東経133度44分50秒付近に 素盞嗚神社Susa-no-o shrineが建ちます。龍田神社 地神社 稲荷神社 武布都神社 火雷神社 金刀比羅神社 御崎神社 主馬岡神社 雨岡神社 荒神社 不明の社 一之神神社 〇神社が建ちます。一之神社は 摂末社の中で破格に大きく、素盞嗚神社の摂末社の中で一番大切な父神 伊弉諾尊Izanagi-no-mikotoが祀られています。 髪総:和田105・107番地 髪惣:和田107・117番地 青木山:和田127-129番地 宗林寺:和田144-159番地 狐岩:和田163・169番地等 狐石:和田164・165番地  平成25年(2013年)3月25日

 

和田 素盞嗚神社の〇神社

Kokoroyosi shrine in Susanoo shrine

 〇の字は収の辺に決の作り字で表されています。「こころよし」と読みます。須佐男命Susa-no-o-no-mikoto 稲田姫命Inadabime-no-mikoto 大巳貴命Oonamuti-no-mikoto 少彦名命Sukunahikona-no-mikoto 塞神Sai-no-kamiが祀られています。徳島市南佐古七番町6-6番地の快神社の祭神はスガノミコトスサノウ) 岡山県玉野市八浜町八浜1092番地の快神社の祭神は海中から拾い上げた快い音楽が聞こえる木材 一之神社の左隣の社然としている箱は、蜜蜂の巣箱です。 青木山:和田127-129番地 宗林寺:和田144-159番地  平成25年(2013年)3月25日

 

上竹 大宅八幡大菩薩社(仮称)Ooya-hatiman-daibosatu-sya 山神野呂八幡社(仮称)Yamagami-Noro-Hsatiman-sha 上竹山神オクノハラ2286番地と上竹kamitake八幡yahata3292番地の中間地点の北 北緯34度50分46秒東経133度41分6秒に大宅八幡大菩薩社が建ちます。堂内には 二宮社が有り、左の厨子には 大宅荒神素戔嗚大神 大宅八幡大菩薩が祀られ、右の厨子には山神野呂八幡神社のお札が納められおり 山神八幡神社と山神荒神が祀られていると聞きました。この社より少し下った所の左手の大きなコンクリート桝の脇には 石で組まれた祠水神社が有り、御幣が祀られています。右手に入る道には道標が立っており「へんろみち 天正5年」と刻まれています。この東の農道の東 北緯34度50分30秒東経133度41分24秒に聖徳岩があり その奥に岩に囲まれた鳥見山岩間寺があります。地名の山神の名の起りは 素戔嗚荒神社が、裏山(鳥見山の事でしょうか)の頂上に祀られていたからだそうです。 聖徳岩:上竹陰地に聖徳岩があります。昔 聖徳太子が座って休憩したと言われます 卵形の岩で周囲は20尺と 15尺の物があるらしい「日本伝説体系十巻」 しかし この他にも聖徳岩は幾つも有るそうなので 恐らく大村寺の正徳階段を造る時に掘り出された石を 聖徳岩と言って、一部が 手水鉢や庭石に加工されたのでしょう 鳥見山岩間寺:鳥見岩の名前の由来は入口に鳥居状の大岩の門があり、それで鳥居見山とか鳥居目山と名付けられ、後世に訛ってトリ目山 トリ見山 さらに鳥見山となったのだと言われます 信仰の中心は高さ2.4m 幅2.7m 奥行き2.4mの巨岩です 手水鉢の台座も聖徳岩と言うそうです 的場・マトバ:上竹1521-1529番地 山神:上竹1539・1551番地等 ドウメン:2297番地 矢倉:上竹2349・2380番地等    藤堂:上竹2351・2362番地等 オク・ヲク:上竹2291・2333番地等  平成25年(2014年)5月9日

 

宮地 大和神社の定国神社 Sadakuni-jinjya of Yamato-jinjya

 宮地宮谷445番地 北緯34度47分47秒東経133度45分7秒に 大和神社が建ちます。明治43年(1910年)に 大和村北 西 岨谷 宮地にあった35の小社が 村社八幡宮に合祀され、一村一神社となし、大和神社と改名されました。その合祀された小神社に 定国の定国神社(荒神社:猿田彦命 定国神社:素戔嗚命 龍神社:豊玉姫命があります。    宮乢:宮地432・481番地等    黒田:宮地274・446番地等    定国 「定國」:岨谷1205・1233番地等 龍王山:西2935・2949番地等 天王山:西1303-1318番地 神田山:西1280・1281番地  平成16年(2004年)8月24日

 

吉川 北正行の素盞嗚尊宮 Susa-no-o-no-mikoyto-guu in Kitamasayuki

吉川東4742番地に 北公会堂が有ります。ここのT字路を南に向かうと 吉川高尾4528番地の隣地に 地蔵堂が建ちます。地蔵堂の道向かいには 地神碑と常夜灯が立ちます。そこより山道を東に登ると  三宮社が建ち、左の厨子は敷鎮大神宮で〇日女が合祀されています。中の厨子と右の厨子は摩利支天社でいずれも経津主命Hutunudsi-no-mikoto建御雷命Take-Mikaduti-no-mikotoが合祀されます。更に上ると素盞嗚尊宮Susa-no-o-no-mikoto syaが建ち 大己貴命Oonamuti-no-mikoto(大国主命)奇稲田姫命Kusinadabime-no-mikotoが合祀されます。左に石グロの祠があり朽ちかけた小社が祀られ、右に石グロ(石組みの祠)と常夜灯が立ちます。 〇日女:〇之の字は示偏に隹となっていますが稚日女命Wakahirume-no-mikotoの事と思われます 地蔵堂:北緯34度49分41秒東経133度45分19秒 摩利支天宮:北緯34度49分42秒東経133度45分24秒 素盞嗚尊宮:北緯34度49分42秒東経133度45分25秒

平成28年(2016年)3月10日