上竹 ケサカケ 蛇女房 Snake-wife

 昔 徳兵衛と言う分限者が いました。山で 出会った美しい娘と 恋し お嫁にしました。お嫁さんは 働き者で 気立ても良く、村の評判の鴛鴦夫婦でした。徳兵衛は 清潔好きでしたので 世間体では お嫁さんも それに 合わせていましたが、次第に 生臭い物を 好むようになり、水浴する事が 増え、夜な夜な 徘徊する 等 奇行が 目立つようになりました。流石Sasugaの徳兵衛も 気持ち悪がり、夜は 煙草の貯蔵庫を 改造した座敷牢に 閉じ込めました。するとお嫁さんは 怒り狂い 見る見る内に 大蛇になり 正体を 現しました。「上竹ケサカヶの村人のより口伝」


昔 袈裟掛けに 煙草Tabakoを 栽培し 財を成したした 徳兵衛と言う男が 居りました。キリリとした顔立ちで 背も高く 筋肉質な体型で 清潔を好み 健康に 人一倍 気を使っていました。徳兵衛は 煙草の不健康そうな臭いが 気になりだし、あっさりと 煙草屋を止め 香水を扱うようになりました。当時は 風呂があるのは 分限者位で 庶民は 川で汗を流す位でした。高価な香を焚く事は 一般庶民には 程遠い高価の花でした。徳兵衛は 花の香りを 利用し 斬新な臭い袋や 香水を作り 安価で売り出したのです。自らも 店の看板になるべく 高価な麝香Jyakouを 付け、町を闊歩Kappoしていました。麝香の香りに 誘われて、娘達も かつて娘だった者達も 挙っKozotteて 店を訪ねて来てくれ 大繁盛しました。女性達は 分限者の上男Jyoutoko(良い男)の徳兵衛に 誘いの言葉を 掛けますが 仕事に 精を出すばかりで 相手にしませんでした。ある盆の日  親戚の法事があり 有漢に行った帰り道 澄んだ池の畔で 小俣の切れ上がった 細身で色白の娘に出合いました。娘は 麝香(の臭いに引き付けられ 徳兵衛に 近づいて 話しかけ 麝香を褒め 香りを楽しみました。徳兵衛 も 娘の放つ瑞々Mizumizusiiしい香り 透けるような光沢の肌 円らTuburaな眼Manako 小さい鼻 色気漂う大きめの唇 物静かなしなやかな仕草)に一目惚れし、二人は 恋をし 当時としては 珍しく 大恋愛の末 結婚しました。お嫁さんは 清潔好きの夫に気付かい 頻繁に水浴し 身体を浄め 良く働き それはそれは 仲睦ま(じく、人も羨む)鴛鴦夫婦でした。徳兵衛は たった一つの問題点を除いて お嫁さんに大満足でした。その問題点は お嫁さんが生臭い食べ物が 大好物で 丸呑みするように 食べる事でした。こんな不道徳で 不快な食生活を 止めさせたいと 思った 徳兵衛は 天福寺にお参りし  精進料理を 教えようとしました。料理の指南役の修行僧は 激しい修行を 毎日欠かさずしていたので 衣服や 肌は腐れた汗で  烏(Karasuの様な 不快な臭いがするのですが、お嫁さんは 喜喜として 修行僧の指導を受け「もっと知りたい  もっと上手になりたい」と それは 熱心に 精進料理を 学びました。お嫁さんは 精進料理を 徳兵衛 に 調理するのですが、お嫁さんの生臭物好きの性格は 日毎に 増すばかりで 清潔好きの徳兵衛と 夜の床を共にする事も 嫌うようになり、離れで 一人で寝るように なったのです。

しかも 夜な夜な 不思議な呻きUmeki声が するようになりました。徳兵衛が  そっとお嫁さんの寝室を 覗くと、部屋は 烏の様な臭いがしていて  お嫁さんは 体を悩ましげに くねらせていました。そんな事が 続く内 雇い人も 薄々 勘づく事になり「徳兵衛の嫁は 天福寺の修行僧を 想い 妄想している  恋狂いで 気が触れるかも知れん」と 悪評が 立ち始めました。徳兵衛は 真相を知ろうと 意を決し、お嫁さんの寝室に 潜み)待っていると、スーと 戸が開き 生暖かい風と共に あの烏の様な嫌な臭いを放つ 眼に見えない何者かが 入って来ました。徳兵衛は お嫁さんが 得体のしれない魔物と 浮気していると思い  お嫁さんを 護るために、また世間体を 繕うために、昔使っていた 煙草倉庫を改造した  良く清掃した座敷牢)に お嫁さんを 囲いました。それでも 煙草の脂の匂いが  かすかに 残っていました。

煙草の匂いを嗅ぐと お嫁さんは、口から涎Yodareを 垂らして 喉Nodoを掻き毟り)、眼を赤く染め のた打ちのた打ち 今にも死にそうな程に 苦しみ出し、次第に体を伸ばし始め 手足が小さくなって みるみる内に 大蛇よ成り、牢の格子を 潜り抜け 俵原池に向けて 逃げ出しました。徳兵衛は 奉公人や 村人を集め「わしの妻は 臭い物が好きな変態じゃと 思っていたが、本真は 大蛇Oo-Kutinawa)の化け物じゃった  わしを 誑かしtaburakasiとったんじゃ  退治してくれぇ」と 大蛇Oroti退治を 始めました。

皆は200尊の地蔵に 願掛けし 鈴や鉦や 太鼓や 笛を鳴らし、蛇の大嫌いな線香を焚き 松明Taimatuを点し、煙草の脂Yaniを 持って追いかけ回しました。大蛇は 線香や 煙草の匂いや 強い光を避けて  俵原池に 逃げ込み ザンブと姿を 消しました。

静かな いかにも平和気な水面を 見て村人は「徳兵衛の蛇女房も 烏の匂いの化け物も わし等に 何も悪さをしとらん  蛇女房殿は 徳兵衛のあの臭い麝香に さえ 恋したんじゃもの 烏の匂いに 恋するのは 当たり前じゃ  大蛇と言うだけで 嫌っていが 大蛇は 水の神様じゃ   鼠を食べる 地神じゃ  俵原池や 村の地を 護ってくれるかも知れん」「わし等の村には 毘沙門天様もおられる  もし 大蛇が悪さをすれば わし等を 護ってくださる」等 と言って 引き揚げました。徳兵衛は 意外な結末に 開いた口が 閉まりませんでしたが、村人の期待を背負う毘沙門天様を 大切に祀りました。毘沙門天は 大蛇が現れるのを 今か今かと 待っていますが 大蛇は 未だに姿を見せません。姿は 見えませんが 俵原池の主は 今も村を護ってくれているかも 知れません。「上竹ケサカヶの村人のより口伝」を参考にした物語

 袈裟掛:上竹2097・3817番地等 袈裟掛けは 玄賓袈裟を 掛けたとされる石に由来する 地名  玄賓の袈裟掛岩は 上竹キクモリ3199番地の裏庭 北緯34度50分44秒・東経133度39分46秒の毘沙門堂の隣にあり、その裏の藪の西の地蔵菩薩堂には多数の地蔵が集められています 竹荘八十八霊場・第六十七札所・地蔵堂:北緯34度50分43秒東経133度39分43秒 豊野 竹荘 上竹に祀れられていたものを 何時の時か解りませんが 集められました 俵原池:高梁御津線(31号線)長屋通う(78号線)等の正力交差点から ケサカケに向かい、岡山道を 潜って越え、道なりに 少し進んだ所の右側 北緯34度50分57秒東経133度39分35秒   平成25年(2013年)7月1日

 

童話・蛇女房:tyz-yokai.blog.jp/archives/1066135338.html」「http://onboumaru.com/153-hebinyoubou/2/貧しいのですが 心の正しい男が訪ねてきた旅の娘を 家に泊めてやりました。娘は そのまま男の嫁となって 共に暮らすようになり 男の子が生まれました。「納戸にいる所を見ないで」と 言われていたのですが、その訳を 知りたくて男は ソッと 納戸を覗いてしまいました。妻は 大蛇の姿をしていて 蜷局Toguroの中に 大事そうに 子を抱いていたのです。正体を知られた妻は 泣き続ける息子に 美しい玉を 与え、元の棲み処へと 帰っていきました。玉は 子の心を慰め 泣き止み、舐めると 乳が溢れ出てきました。ところが 美しく不思議の輝きを持つ玉が 欲しくなった殿さまに 召し上げられました。子が泣き止まなくなってので 困り果てた男は 蛇女房のもとを 訪ねました。実は 蛇が授けた玉は 妻の目玉だったのです。片眼の蛇女房は「かわいい我が子のため」と 残っていた もう一方の目を 夫に渡しました。盲目となった 蛇は 男に「寺へ釣鐘を奉納して 朝夕に鐘を撞いてくください」と 頼みました。そうして 蛇女房は 鐘の音を聞いて時と方角を知り生活しました。

 

昔 竹荘にの庄屋の女房は 山伏と良い仲になりました。山伏が死ぬと 山伏は 女房を忘れられず 幽霊となって 逢瀬を楽しんでいました。庄屋が それに気付くと 酷い方法で問い詰めたので 女房は 気が狂いました。世間体を 恐れ 庄屋が 女房を 座敷牢に 閉じ込めると、時が経つに連れ 角の生えた 大蛇になり「近くの大池に行って住みたいので 鉦と 太鼓で 見送ってくれ  許してくれなければ 祟り 人を取り殺し 郷を水で浸し 私の住処にする」と トグロを巻いて 庄屋を 睨み付けました。庄屋も村人も 怖れをなし 東雲寺の和尚に 頼み池に 送りました。この日は 大雨だったそうです。「上竹宮地曽根の村人より口伝」    平成25年(2013年)7月1日

 


童話 蛇女房 Snake wife in fairy tale

貧しいのですが 心の正しい男が 訪ねてきた旅の娘を家に泊めてやりました。娘は そのまま男の嫁となって共に暮らすようになり 男の子が生まれました。「納戸にいる所を見ないで」と 言われていたのですが、その訳を知りたくて 男はソット納戸を 覗いてしまいました。妻は 大蛇の姿をしToguroの中に 大事そうに子を抱いていたのです。正体を知られた妻は 泣き続ける息子に 美しい玉を与え、子供を男に預けて 元々の遠い故郷へと 帰っていきました。玉は子の心を慰め 泣き止み、舐めると乳が 溢れ出てきました。ところが その話を三木付けた殿様は 美しく不思議の輝きを持つ玉が 欲しくなって 召し上げられました。子が泣き止まなくなってので 困り果てた男は 蛇女房のもとを訪ねました。実は 蛇が授けた玉はの 妻の目玉だったのです。片眼の蛇女房は「かわいい我が子のため」と 残っていたもう一方の目を 夫に渡しました。盲目となった蛇は 男に「寺へ釣鐘を奉納して朝夕に鐘を撞いてくください」と頼みました。そうして蛇女房は鐘の音を聞いて 時と方角を知り生活しました。tyz-yokai.blog.jp/archives/1066135338.html」「http://onboumaru.com/153-hebinyoubou/2/」   平成25年(2013年)7月1日


大蛇に飲まれそう Man who almost swallow by snake


永禄11年(1568年)キリスト教を 日本に広めようとしていた伴天連が やって来ました。長い航海をするには 鼠による食料の被害を 無くさないといけないので 蛇や 猫を 船で 飼っていました。その蛇が 日本に着くと 逃げ出したのです。食物の獣を追って いつのまにか 上竹の神子山に やって来ました。大きく成長してい て 胴回りは 人の体よりも 太く 丈は ゆうに30mを 越え 口を開ければ 大人を一飲みされる程に 育っていました。狸や 狐では 物足りなくなって 人を 喰い始めました。大和山 矢倉山 豊壽山 権現山でも 目撃されるようになると 山に入るものが なくなりました。剛毅な男は 居るもので「山に入らにゃぁ 薪も採れんし 落ち葉も掛けん 百姓がままならん  村の者にも 採って来ちゃる」と 言って馬を引いて 神子山に 薪取りに入りました。すると 馬は 何かに怯え 動こうとしなくなりました。仕方なく そこに 繋いでおいて 薪採りをしました。十分に 薪を採って 馬の所に戻って見ると 馬は 大蛇に 絞め殺されていましたが、流石に飲み込めず 立ち去ろうとしていました。男は 鉈を持って「馬の仇 覚悟せぇ」と 斬り掛かると 蛇は長い尾で 鉈を打ち払い 襲い掛かって来ました。驚いて 飛び下がろうとすると 石に 足を取られ 不覚にも もんどりi打って 倒れました。大蛇は 足を捕え 男を飲み込み 始めました。男は「待ってくれ  なぜ頭から飲まんのじゃ  何か訳があるのか  わしには 可愛い女房と 娘がいる  別れを言いたいので 一度家に帰してくれ」と 尋ねました。すると 大蛇は「お前は 素早いけぇ とりあえず足に 食らい付いただけじゃ  前に "嬶kakaaは肥えていて旨いけぇ 代りに連れて来る"と言うたので 家に返してやったら 大勢で 圧掛けられた  その手に乗るか 」と 飲み込み続けました。「このままでは 飲み込まれる とりあえず木の枝でも 拾って蛇の口に つっかい棒をしよう」と 辺りを 手探りすると 丁度良い木の枝が 手に触れました。運が良い事にそれは 下草刈に用意していた良く研いだ 薄釜でした。男は 締め付けられ 息苦しいのを 堪え 鎌を大蛇の口に 掛けました。男がズルズルと 飲み込まれるのに合わせ 蛇の顎から 喉が スルスルと 切り裂かれて行きました。大蛇の力が 弱ると 蛇の首を 切り開き逃れる事ができました。「豊野矢野で作業中の人より口伝」  平成25年(2013年)7月1日

 

2017年3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録】が発行されました。p252~P264に蛇に関る民話が載っています。


袈裟掛の蛇女房 Snake wife in Kesakake (2)

昔 竹荘という村の庄屋の女房は 山伏と 良い仲となり、逢瀬を 重ねていた、山伏が 死んだ後、幽霊になり 彼女との逢瀬を 続けているうち、夫に 見つけられた。夫は 女房をひどく 辱めたので、そのまま女房は 気が狂い 恐ろしく 狂いだしたので 牢舎へ 入れて置いた。ところが 次第に身体に変化を きたし、髪の毛は 針のようになり、目は きらきらと 光り、口は 耳まで 避けて、時が たつにつれて 角も生えて、蛇身となり、座敷いっぱいに とぐろを巻いて、鎌首を上げて、亭主を ぐっとにらみつけ、「近くに大きい池があるので、そこに行く。この池に 行くについて は鉦や 太鼓で 囃して欲しい。もし 違背する時は、この郷中を 祟り、人は 勿論 取り殺し、土地は 池にして 我が住み処となす。言う通りにしてくれれば 何ら 障りはない」土地の人達も 気もそぞろ畏れを なして 一刻も早く 池に送った方がよいと いう事になり、備中笠岡東雲寺の住持に 依頼し、六月二十八日に 彼女を 池に送るよう準備した。近所の人達は 大勢見物に 行こうと 申し合わせた。当二十八日には、大雨が 降るわ降るわ、一刻ほどは 目も開けられない 土砂降りであった。これも珍らしい。「芝村哲三談」「【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録】が発行されました。p252~P264」  平成29年(2017年)4月4日