三谷 日名 音五郎の水神の祟り Evil consequence by goddess of water on Otogorou

三谷 日名 音五郎の水神の祟り Evil consequence by goddess of water on Otogorou


明治20年頃 三谷日名中倉野呂の安蔵に 子が無く、尾原塚原の 屋号塚原の 国三郎の5男音五郎を 養子にしました。

尾原では 音五郎は 「今屋」での商売の傍ら 目打銅鉱山の 組頭をしていました。鉱山作業の技術は 三谷に来て 農閑期の砂鉄採取のための掘削工事に 役立ちました。ある時 音五郎は その技術を 買われ 円城寺の大家Taikeから「井戸が 涸れそうなので 新しい井戸を 掘ってくれまいか」と 頼まれました。その屋敷の西には 既に 深い井戸があり 水神の罔象女神Muzuha-no-me-no-kamiが 祀られていました。円城台地は 田が造れない程 水の利が 悪い地なので 乏しい水脈を探し 深い井戸を 掘らなければなりません。音五郎は 銅鉱脈探しで培った 神掛かった技で 東に移動した水脈を 探し当て 屋敷の東に 深い井戸を 掘り始めました。音五郎は 男前の上 筋肉は隆々としていましたので 屋敷の美しい娘は 上半身をむき出しにし 泥と汗で光る 力強い男の魅力を 惜しげもなく晒す音五郎に 惹かれてゆきました。

休憩の お茶を 運んで来ると 娘は 音五郎の傍を 離れませんでした。築くと 二人の仲は 縮まり音五郎は 恋の成就を 化気神社に 祈願する始末でした。井戸が 完成したので「円城寺は 寺の街じゃけぇ神道の神は 相応しくない」との理由 で 龍王が 祀られました。始め 滾々konkonと湧いた水も 祭られなくなった 罔象女神は 毎年 祭られる龍神に 焼き餅を焼き 龍王の神徳を 邪魔すると 両神は仲違いし 互いの威徳を 貶しkenasiたのです。ある日 円城の街の火事が 飛び火してし 消火に 使う水が 足りず 火の足が 速かったため 屋敷が 燃えました。音五郎は 気にしていた娘を 尋ね「三谷では米が ようとれん 家を建て直して 一緒に円城で 百姓をしよう」と 入り婿の癖に 三谷の家族を 裏切って いけしゃぁしゃぁと 言ったのです。勿論娘に異存はなく 心を逸らせHayarase 大工に 新築を 頼みました。大工は 急がされるままに 罔象女神を 祀ったまま井戸を 埋め 屋敷跡を 作平し 立派な家を 建ててくれました。

音五郎は 嬉々として 娘の家に入りびたりで 暮らしましたが 龍神のご利益は 得られず 米は 不作続きでした。村人は「音五郎はそのうち家を 傾けるぞ」と 陰口を叩きだすと その家は 物理的にも 傾き出し、しかも 龍神の井戸が 涸れかかったので 屋敷の西側に移った水脈を 再び探し 当て 新しく井戸を 掘りました。すると 新しい井戸の水を飲んだ 音五郎と娘は 死を覚悟する程 腹を壊しました。この水神の祟りは 治まるには 治まりましたが 娘の親戚は「音五郎は 厄病神に 祟られている」と 言って 娘を 音五郎から 引き離しました。娘を失った 音五郎は「円城は 土が悪く水も悪くて 米がよう採れん 水神に 祟られるばぁじゃ  化気神社の食物神の伊奢別命Isasawake-no-mikotoや 森神社の稲の神の宇迦御魂命Uka-no-mitama-no-mikotoの護る 三谷の方が まだましじゃ」と 嘯いてusobuite三谷に 戻りました。「音五郎の長男澄彦談」  井戸を潰すのは良くない:恐らく 建築安全基準が 無かった昔の頃は  深い井戸をしっかりと埋めずにいると 時が経ち 沈下したり、 病原体等で 汚染された土で 埋められ 土木技術的に 衛生的に 問題を残した事から  生まれた諺なのでしょう このような事件は 水神の祟りとされていました    三谷日名中倉野呂:北緯34度54分28秒東経133度47分19秒 屋敷跡は ブドウ畑になっていましたが 現在は 草原になっています 尾原塚原の塚原:北緯34度55分16秒東経133度45分2秒 庭に 古墳哩人軍塚があります。    中倉:多くは 製鉄地にある地名です 黒は 黒金を表すのでしょう 三谷834・1037番地等    野呂:なだらかな地形や 製鉄地にある地名です ノロとは タタラ鉄生産時の滓Kasuや 鍛冶鋳造時の滓  又は 滓による埋立地 或いは 滓が生産される地なのでしょう    今屋:尾原狼田606番地 北緯34度55分5秒東経133度45分18秒    尾原目打銅鉱山:北緯34度55分6秒 東経133度45分1秒 とされますが 実際には 坑道はありません 笹目の銅鉱山 北緯34度55分7秒東経133度43分32秒の事でしょう 三谷日名の砂鉄採取跡弥太郎田:北緯34度54分21秒東経133度47分14秒 日名地名は 陽の当たる地形 火のある所や 砂鉄の有る所に 付けられる地名です    弥太郎山:三谷880-883・919番    鉄採取跡・三谷原:北緯34度54分2秒東経133度47分11秒 細田1143・1155番地等    三谷:細田1120・1163番地等 北緯34度54分56秒東経133度46分55秒 美谷の転訛と推測します 雲母 あるいは 砂鉄の露天掘りの地と 思われます。隣地の地名は 渋里の雲母です シブ:鉱物が 地表に 露出している地に 付けられる地名です 渋里雲母:細田955・992番地等 北緯34度53分49秒東経133度46分51秒    化気神社:案田氣喜5番地 北緯34度45分19秒東経133度49分22秒    森神社:三谷陰地竹乢923番地 北緯34度54分25秒・東経133度47分49秒        平成28年(2016年)11月18日

 

田螺兵衛の出世 success in life of Tubu-bei


 昔 生真面目な 螺兵衛と言う青年が田 舎の貧しい百姓の家に 住んでいました。山に 刈りに柴刈りに 出かけた時 急に ウンコをしたくなりました。丁度 良い窪みが 有ったので そこで 用を足したのです。余りに 急だったので お尻を 拭く紙を 持ち合わせておりませでした。辺りを見渡すと 白い紙が 置いて有ったので クシャクシャに 揉ん(で柔らかくして お尻を拭きました。すると急に 雲が湧き 風が吹き出し 雷が轟き 大雨になったのです。螺兵衛は 股引Momohikiを 慌てて上げながら 松の大木の下で 雨宿りしました。松の枝の下に入ると 稲妻に合わせて ドカーンと松の木に 雷が 落ちたのです。螺兵衛は 気を失うと 心の中に 何やら神様らしい者が 現れ「こりゃ 螺兵衛  何であそこに ウンコしたかぁ  水神様の顔に ウンコを掛けて 御幣Goheiで 尻を拭いたじゃろう  水神様は今 顔Kanbaseを 洗っておられる 代わりにわしら 風神と雷神が お前を 罰として螺Tubuにしてくれる」と 言いました。気が付くと大きな 田螺になっていたのです。螺兵衛のお父さんが 帰ってこない息子を 心配して探しに来ると 水神様の祀られる所から 流れて来る溝で 大きな田螺を 見つけました。「なんとおおきな 田螺じゃ」と 感心して 大切に 田螺を 持ち帰り「螺兵衛は 神隠しに合ったようじゃ」と 言うと お母さんは「なんと悲しい事じゃ  じゃがずどほんぼっけぇ螺じゃぁ  螺兵衛の生まれ代わりかも 知れんなぁ」 と 言いうと、お父さんは「そうじゃ 水神様の申し子 じゃろうけぇうちで 護ろう」と 言って 庭に 池を造り 螺太郎と 名付けました。

年が暮れ 正月前になったので、お父さんは 化気神社に 詣でて お札を 頂いて水神様に 祀ろうと思い 山に登りましした。水神様が 汚れているのに 気付き「水神様ぁ  どこかの不埒者Huratimonが 汚しました わしが 浄めますんで 不埒物を 許してやってつかぁさい」と 詫びながら 綺麗にしてさしあげたのです。家に帰ると 直ぐに庄屋さんの所へ 年貢のお米を 運ぶために 曲がった腰で 少しの米と 粟や稗を 馬に積み始めました。螺兵衛は「辛そうじゃ  代わってあげてぇ」と 思いましたが 何もできません。お父さんは 庄屋さんから 借りて来た馬に 積み荷を やっとの思いで 積んだので 息が切れて 歩く事も 辛く ふらつきました。螺太郎は 思わず「あっ」と 叫びました。声が出るのに気付き「お父さんが 水神様ぁ 浄め 詫びてくれたんで 声がでるようになったんじゃ」と 思いました。そこで 螺太郎は「お父さん 実は‥‥」 と事情を話そうと思いましたが「まだ神様ぁ 完全に許してくれておらん」と 気付き あの時の話をしては 駄目だと 思いました。そこで「小父Ojiさん わたいWatakusiが 代わりに 庄屋さんに 届けます」と 言ったのです。お父さんは 誰が話し掛けたのか 解りませんでしたが 田螺のいる池の方から 聞こえるように 感じました。「螺が 話何ぞする筈が無ぇわい」と 思って馬を引こうとすると「小父さん 小父さん  わたいが 参ろう  わたいを 米俵の上へ 乗せてつかあせぇ」と 再び聞こえてきたのです。「不思議な 日じゃあ  よう空耳が 聞こえる日じぁ」と 思って 又手綱を取ると、螺兵衛は「小父さん  わしじゃぁ  世話になっとる螺の螺太郎じゃぁ」と 言いました。お父さんとお母さんは 田螺が 話せるのにびっくりしましたが お母さんは「螺太郎は 水神様の申し子じゃけぇ 話しが できるんじゃろう  米ぅ運ぶてごTetudaiを 頼んでみたらどうじゃろうか のう お父さん」と 言うと、お父さんは「そうじゃった  螺太郎は 水神様の申し子じゃった  甘ぇさせてもらおう  行っておくれぇ」と 言って、螺兵衛を 俵の上に 乗せ手綱を 持たせ 馬の尻を押したのです。螺太郎は「ハイドウ ハイドウ シイシイ ホイホイ」と 声を掛け 馬追い歌を 澄んだ声で 歌いながら 山や谷を越え 庄屋の家に 向かったのです。道行く人は 馬が 歌いながら ズンズン進むものですから「馬子も居らんのに 俵を運んでいる  えれぇ馬も 居るもんじゃ」と 不思議がりました。もっと 吃驚Bikkuriしたのは 庄屋でした。俵の上の 田螺が「開門 開門 山の上の螺兵衛の親爺様に代わって 螺太郎が 年貢の米ぅ 運んで来ました  納めてつかぁせぇ」と 大声を出したからです。庄屋は「螺太郎と名乗るなら 何処)ぞに 螺でも 居るのかのう」と 思って 馬の背を 探すと 大きな田螺が 俵の間に 挟まっているのを 見つけたのです。庄屋は「この珍しい螺が いつ迄も家Utiに いてくれたなら 国中の評判になって 商売繁盛するじゃろう」と 考え どうしたら良いか 思案しました。「田螺が 人の言葉を話せ 丘の上でも死なないのは 神様が乗り憑いtuiているからじゃろう  娘の婿Mukoになってもらおう」と 思い付き「螺殿 わしの娘の婿になってくれんかのう」と 尋ねました。螺兵衛は 真顔になって「有り難い話しじゃが わしぁ 唯の螺ですよ  娘さん達ぁ 承諾しますか  育てのお父 お母にも 聞いて見ないと おえん」と 答えました。庄屋は「育ての父と母と わしの娘にも 気を 使い 自分の現状の立場 を弁えwakimaetaた 立派な物言いじゃ  と言い 螺太郎を 抱いて 小作の家へ 出掛け「螺太郎を 婿にくれぇ  どうしてもくれぇ」と 頼んだのです。小作の夫婦は「本真かぁ  螺太郎は螺でぇ  庄屋さん所に 男の子は おらんけぇ 螺太郎を 跡取りにする気かぁ 螺太郎を 螺兵衛の成り変わりじゃと 思っているのじゃ  見下したりしないんなら承知じゃ」と 答えたのです。庄屋は「当たり前じゃぁ  こぎゃぁな立派な神様のご加護がある男螺は 他にゃぁ おらん きっと いつか神様が 人間にしてくださる  三人の娘を 連れてきている  誰が良いか 決めくれ」と 言うと、娘達は「そぎゃんな良い人なら 嫁になりたい」と「せんばりぇぇこ」ぅする 始末でした。小さい螺太郎が 娘達に押し潰されそうになった時 末の娘は 身を 引きました。螺太郎は「痛い 痛い」と 言うのに 姉達は 螺太郎が 欲しくて 争い続けたのです。お父さんは「決まった 螺太郎の嫁は 決まった」と 言い、お母さんも「そうじゃ  末の娘さんが良い なぁ  螺太郎」と 言ったのです。そうすると 二人の姉は「熱意が 足りん末娘ぅ 何で選んだんじゃ  末娘を嫁にしても 身代Sindaiは 貰えんのに」と 抗議しました。螺太郎は「末の娘さんが 良ぇ わしの気持を思いやって せんばり合いこから 抜けてくれたけぇ 小作の嫁で 良けりゃぁ わしの 嫁子になっておくれぇ  良美さん」と言ったのです。末の娘は「なんでうちの名前を 知っているのかしら 末長く お願いします」と 素直に 答えました。庄屋は「違う  婿に欲しいと言ったんじゃけぇ 螺太郎はわしの息子にする  そう言う約束じゃったよのう」と 言って 螺太郎を 庄屋の家の婿に したのです。お嫁さんは お婿さんを 大事にして 螺太郎のお父さんやお母さんにも 親切にしたのです。その年の暮れに 水神様のお祭りを すると言うので お嫁さんは お婿さんを 大事に懐入れ 螺太郎の家に 道々 話をしながらやって来ました。道行く人は 独り言を言う 美しい娘さんを 振り返って訝りibukariました。水神様の前に 来て お嫁さんは「素敵な お婿さんをくれて 有難うございます  螺太郎さんは きっと何かの不始末で 水神様のお怒りを受け 螺に されたのでしょう  私は 好な螺太郎さんと一緒に この水を守ります  どうか 祟りを お解きください」と 深々と頭を下げて 詫びました。すると 水の煙が 立ち込め 虹が周りを 取囲み 螺太郎の姿が 消え失せたのです。「もしや このどさくさに 烏か鯰(Namazuに 食われたんかも 知れないわ  田圃Tanboの泥に 埋まったのかも 知れないわ」と 思い 草原や藪の中 田圃の泥の中を「螺殿 螺殿」と 声を嗄らしkarasiながら 一張羅Ittyouraの宮参り着を 泥塗れDoro-mamireにし 探し廻りました。その時 後ろから 優しく肩を抱く者が ありました。温かい手を 感じ「さあ 家へ帰ろう  お前のお蔭で 元の螺兵衛に 戻れた」と 言う 透き通るような声を 聞いたのです。お嫁さんが 振り向くと 瞳を潤ませて 後光を頂いた じょうとこの若者が 立っていたのです。お嫁さんは 全てを 理解し ニッコリ笑うのでした。庄屋さんは 立派な息子が できて大喜びし 螺兵衛を 跡取にしました。この美談は 国中に広まり 押すな押すなと 訪ねて来る人が 増え 家は栄え 二人の姉に 立派な分家を出してやり 一族は ますます栄えたのです。「岡山地方に伝わる(田螺の婿入り)hukumusume.com/douwa/pc/jap/10/12.htm」「三谷日名の澄彦談」を基にした物語    平成24年(2012年)3月7日