天神社 Ten-jinjya/Amatu-kami-jinjya 天満神社 Tenman-jinjya


天神社とは  高天原に住むとされる神々天津神 多くは日本皇室や古代力豪族の祖先とされる神々)が 祀られる神社や 菅原道真Sugawara-no-Dousin/Sugawara-no-Mitizaneを主祭神とする神社ですので、祭神は様々です。例えば、北海道札幌市北区篠路4条7丁目2番地 北緯43度8分46秒東経141度21分54秒の茨戸天満宮の祭神は 天照大御神 品陀別大神 保食神 菅原道真 大物主神 崇徳天皇 天香山命、北海道江別市野幌代々木町38番地1番地 北緯43度5分47秒東経141度31分11秒の錦山天満宮の祭神は 天照皇大神 菅原道眞公、青森県弘前市西茂森1丁目1-34番地 北緯40度36分6秒東経140度27分35秒の祭神は 菅原道真 朝臣命、福島県耶麻郡猪苗代町中小松西浜甲1615番地 北緯37度31分4秒/東経東経140度7分5秒 小平潟天満宮の弘前天満宮祭神は 菅原道真、桐生市天神町1丁目2-1番地 北緯36度25分20秒東経139度20分4秒の桐生天満宮の祭神は 天穂日命 菅原道真公、埼玉県所沢市小手指元町3-28-29番地 北緯35度47分21秒東経139度25分43秒の 北野天満宮の祭神は 櫛玉饒速日命 八千矛命 菅原道真、大阪府河内長野市滝畑 北緯34度22分56秒東経135度31分20秒の天神社の祭神は 天照皇大神 伊弉諾命 伊弉冉命、奈良県大和高田市三和町2-15番地の天神社の祭神は 高皇産霊神、徳島県徳島市入田町天ノ原94番番地 北緯34度2分27秒東経134度26分15秒の天神社の祭神は 天目一箇神 菅公 天児屋根命 武甕槌命 武経津主命 麻能等比古神、京都府京都市上京区御前通今出川町上る馬喰町北緯35度1分52秒・東経135度44分6秒野の北野天満宮の祭神は 菅原道真公です。https://www.weblio.jp/content/天神社」「https://ja.wikipedia.org/wiki/天満宮 藤原時平の陰謀によって 大宰府へ左遷された 菅原道真は 失意の内に没しました。彼臣下の味酒安行が 道真を 天満大自在天神Tenman-Daijizai-tenjinとして祀ると、疫病流行 旱魃り続き 醍醐天皇の皇子が 次々と病死し  重ねて清涼殿に 雷が落ち 死傷者を出しました。朝廷は これらが 道真の祟りと 怖れ 道真の罪を赦す等し、清涼殿落雷事件から 道真の怨霊は 雷神とみなし、火雷神が 祀られていた京都の北野に 北野天満宮を 建立して 道真の祟りを 鎮めようとしました。鎌倉時代に 時代が下ると 怨霊として恐れは 薄れ、慈悲の神 正直の神 冤罪を晴らす神 和歌連歌等芸能の神 現世の長寿と来世の極楽往生に導く神 海難除けの神 怨敵調伏戦勝祈願王城鎮護の神と なりました。江戸時代以降には 学問の神して 信仰されるようになりました。近代では 雷神として農耕の神とも みなされました。https://ja.wikipedia.org/wiki/天神信仰」  ㊟神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります

 

井原  井原の天神堂 Tenjin-du-in Ihara

加茂市場落合線(66号線)亀山八幡宮辺りから 南西に 下土井方向に戻り、直ぐ 長田駐在所付近から 西に向かい、井原出シ上943番地より 西に墓場を幾つか越え登ると 頂上付近 倉木池の東の北緯34度53分50秒東経133度45分26秒に地神搭と共に天神社が 建っています。堂内の広間に囲炉裏Iroriが有り、五宮社の両脇に 一宮社 が祀られます。 向かって左の一宮社は 祇園神社須佐之男大神Susa-no-o-no-ookamiが祀られています。五宮社の一番左の社は 金刀比羅神社で、次の社は八百萬神Yaoyorozu-no-kami(天神社)吉備津宮 木野山本社 上山大社 八幡宮(八幡宮大神) 御崎宮(御崎大明神 水象女命Mizuha--no-me-no-i  鳴雷神Naru-ikaduti-no-kami)が祀られています。

中央の宮は 天神社天満神社菅原道真Sugawara-no-Dousin-kouの像が 祀られています。右から2番目の社は 龍王社です。右端の社は 木鍋八幡宮で 応神天皇と思われる像が 祀られています。右の一宮社は 荒神社であり 火産霊Ho- Musubi-syaです。独鈷Tokko/Dokkoに見える物を 両手で 腰辺りに持つ 怒髪した3面の荒神像が祀られます。愛宕山前:345井原番地 祢宜屋敷上:井原347番地 愛宕屋敷:井原471-473番地 神子田:井原732・735番地等 地獄谷:井原763・810番地 寺山:井原821・863番地等 寺屋敷:井原867番地 辻屋敷:井原872番地 観現乢:井原891番地 祢宜田:井原905-909番地 北堂鼻:井原911番地 馬引免:井原921・922番地 地蔵前:井原924・1367番地 天地ノ山:井原939-940番地 出し:井原946・947番地 天神山:井原1024-1032番地  平成25年(2013年)10月10日

 

井原 寄峰の八百万宮 Yaoyorozu-guu in Yorimine

井原向長畑327番地の北に 空屋になっていますが 井原新屋敷135番地が有ります。そのお宅の北側の林 北緯34度53分39秒東経133度45分50秒に お堂が建っています。 お堂の中には 三宮社を挟んで一宮社が左右に1社ずつあります。 三宮社の内の左の厨子は 八百万神宮Yaoyorozu-no-kami-syaで、中央の厨子は 森神社で、右の厨子は 祇園神社である荒神社です。 牛王西:井原110番地 六万坊上:井原112番地 才ノ前:井原113・114番地 堂ノ西上:井原134番地 新屋敷:井原135番地 長福:井原290・302番地等 愛宕山:井原303・346番地等 金子谷道下:井原313・320番地等  平成29年(2017年)6月3日

 

上田西 光則の天神社 Ten-jinjya in Mitunori

上田西の北緯34度52分56秒東経133度47分42秒の荒神堂内の左端に小さい一宮社と五宮社が祀られます。一宮社は 木山神社で 山王様が 祀られています。五宮社の左端の社は 八幡大神宮天神宮菅原道真の像が祀られます。2番目の社は木山宮八幡大神 木山神社大神 天神社大神を祀ります。3番目の社は 三寶荒神社で、5番目、即ち右端の社は 祇園天王宮です。    光乗:上田西798・1570番地等 圓若・円若:上田西779・818番地等 信坂後:上田西797番地 宇津波:上田西819番地 宇津和:上田西822・841番地等    穴住:上田西824・829番地等  平成25年(2013年)6月6日

 

上野 上野の天満神社 Tanman-jinjya in Ueno

 北緯34度50分48秒東経133度47分44秒の上野天満696番地に 天満神社が建ちます。通称 天満様 天神様 天神さんと呼ばれます。旧社格は 村社です。菅原道真Sugawara-no-dousinを 祭神とします。宝暦9年4月15日、筑前国太宰府の天満宮松平宗政が 勧請し、明治元年正月に 宗政が 天満天神宮の釣鐘を 奉納しましたが、大東亜戦争時に 徴発せられました。また 宗政の室 藤子姫が 経本を奉納しました。天満宮と呼ばれていましたが、明治の改革で天満神社と 名前を変えました。 宮司宅の電話番号は 0867-34-0823です。天満神社(加賀郡吉備中央町) | 全国神社ドットコム (jinja-jpn.com)」  484号線を 投打川に添い 西に進み、竹部公民館の東竹部加茂市場線(366号線)を 北西(左)に登り、岩井谷川の分岐の東北の山道を 北に歩いて登ると 社が見つかります。自動車を 利用場合は 大変遠回りになりますが、構わず そのまま北に進み、途中の西集会場の東の路を 東から東北に進み、上野要木906番地の 広い道が交差する上野農協前ふれあいバス停のある広い道の変則的な五叉路(見方によれば七叉路)の内 バス停を目標に 中でも細い真南に伸びる道を 進みます。途中 左に大日稲荷神社を見ながら下ると 山道となるので南東に向かう広い分岐を進むと 天満神社が見つかります。

祭は1月1日(最近は宮司の都合で1月2日)の初祈祷 8月15日の夏祭り 10月25日(最近は第4日曜日)の秋祭りを行います。当家や肝煎kimoiriや 演技者は輪番制でしたが、最近は 氏子も減って 笛太鼓の技術を持つ者も少なくなり、推薦になりがちだそうです。笛の稽古には  最近では リコーダーやハーモニカを 使う時も有ります。初祈祷は 宮司 総代5総代 各集落の小総代が10時頃 神社に集合し 座(最近はパイプ椅子)し、宮司が 祝詞を挙げ、伝統や 由緒等を述べ 祈願をします。祈願が 終わると 榊Sakakiを奉納し、両側に 蝋燭Rousokuを立て、7つの神饌Sinsenを お供えします。神饌は  山の物として 林檎ringo等の果物 海の物として スルメや昆布等 田の物として米 畑の物として大根等の野菜 塩 酒 水です。以上の神事が終わると 直会naoraiを行います。直会は 神事の打ち上げの宴会と 思われていますが、実は 神霊が 召し上がった物を頂く事により 神霊との繋がりを深め 神霊の力を借りて 御加護を得るものですから 直会も神事に含まれます。直会は 祭祀の斎戒を解き、平常に 直り合う 儀式でもあります。ちなみに 神社から 餅等を頂く行為を「直(なお)らう」と 言います。夏祭りは 3時頃から始め、初祈祷と同じように 神事と直会を行います。直会が終わると 紳祇場に集まり 盆踊りをします。踊りは 主に松山踊りです。9時半ごろより スターマイン 等の花火を揚げ 終了します。秋祭りは 例祭の前日 神輿を出して祭り、当屋と 総代と 神職が 神社に夜籠りします。祭日の10時頃から 神事を始め 直会を済ませます。神輿を飾り立て 担いで、笛太鼓で 囃しhayasi 毛槍や 傘や 幟Noboriの行列を 作り、神祇場までの道中を 賑nigiやかせながら 進みます。最近では 神輿は 鳥居を潜った後 軽トラックで 神祇場へ運びます。広場では 棒使い 獅子舞等が 奉納され 酒宴が開かれます。肴Sakanaは 煮しめの串物 で蒟蒻Konnyaku 竹輪 芋 卵等です。酒宴が進むと 子供相撲が始まります。かつては 裸で廻しを締め 女性禁制でしたが、現在は 平服で男女共闘です。審査員が 3番勝ち抜き 5番勝ち抜き等勝負の成り行きを見て 大関を決めます。大関は 500円と 弓矢の3点セットを頂けます。成績優秀者には  賞金が出 賞金総額は1万円程になります。最後に 籤引きKujibikiのお楽しみが有ります。籤引きの商品は 寄付で賄います。祭りが 終了すると 神輿等は 神社に帰り 収納されます。かつて 神輿は 蔵の天井に吊るされましたが、現在は 老人が増え 下ろせなくなるので 床に置きます。なお毎月1日に 老人会は 清掃等に励みます。

紳祇場:上野要木903番地から南に進み、上野長尾佐635番地の隣の高原上野公民館の前を通り、右手を見ながら進むと 北緯34度50分48秒東経133度46分42秒に広場が有り、小さい社と 神輿台が有ります 大日稲荷神社:大日神社と稲荷神社を合祀した神社 あるいは大日神社の事と思います 稲荷信仰の中心は 稲荷大神で、宇宙全体を覆うものが稲荷大神ですので、稲荷大神の中心となる神は 宇迦之御魂大神Uka-no-Mitama-no-ookami (女神)です  ちなみに 千葉県白井市根1338番地 北緯35度47分12秒東経東経140度2分47秒の大日神社の祭神は天照坐皇大御神Ame-Terasimasu-sume-ookamiAme-Terasimasu-sume-ookami、大館市比内町独鈷字大日堂前8番地 北緯40度11分22秒東経 140度36分28秒の大日神社の祭神は 大日霊貴命Oo-Hirume-muti-no-mikoto 豊玉彦命Toyotamahiko-no-mikoto 倉稲魂命Uka-no-Mitama-no-mikoto 金山彦命Kanayama-hiko-no-mikoto 応神天皇Oujin-tennou 猿田彦命Saruta-hiko-no-mikotoです 肝煎:世話人 纏め役の事で 人と人との間を取り持ち 組織を指導する人達の事です 天満:上野661-717番地 投打:吉備高原都市北住区 上野2136・2266番地 投打:竹部2251・.2273番地等 要木:上野632・826-913番地 長尾佐:上野上野571・659番地等 天満:上野661-717番地 蛇口:上野761-793番地 廣常:上野794-825番地  平成25年(2013年)5月10日

 

上野 番神社の天神社

 上野牛立1789番地の西 北緯34度51分13秒東経133度46分4秒付近に番神社が建ちます。上野天満神社の御旅所で、拝殿の構造は荒神祭りの夜籠り堂に似ています。拝殿の中には八百萬神社の幟(のぼり)と天満神社の幟と小さい神輿らしき物が 収納されています。境内に3社が祀られています。中央の大き目の社は 天満神社ですが、額に何やら面を乗せる座像姿の神が祀られています。光背の形は炎に似ているので坐像は不動明王にも思えます。向かって左の社の扉が壊れていて、祭神はお留守です。番神社:この番神社は伝法三十番神社のように一社で全ての番神を祀る神社なのでしょう  ちなみに 香川県丸亀田村町番神宮の祭神は 三十番神です。不動明王:「動かない守護者」の意味で、明は「神秘的力を有する呪文」の意味で、仏法に反する者を恐ろしい姿で威嚇し、力ずくで仏法に従わせます    牛立:上野1677・1824番地等 馬立:上野1825・1892番地等     京仙:上野2003-2009番地 才ノ乢:上野2108-2122番地    轉岩:上野2123-2131番地 投打:上野2136-2266番地  平成25年(2013年)1月23日 

 

大木 大木三所様の八百万社 Yaoyorozu-sya of Sanjyo-sama-in Oogi

豊岡上小森線(371号線)沿いの須用田橋を渡り、今比羅神社の北西の交叉点を 左(東)に周り、向山の麓大木oogi臺dai519番地の東の北緯34度54分25秒東経133度46分35秒に 三所様が建ちます。荒神社で 秋に荒神祭りをします。堂内には 3社と1石仏が祀られています。向かって一番左の小さい一宮社には 不動明王 13仏 16番神を祀ります。左2番目の最小の社には紳変加持仏 陀加持の札が祀られます。右から2番の社は天津神 八百万の神が祀られています。右端の社は御王社です。右端の仏の梵字bonjiは この写真では読み取が、大日如来Dainiti-nyoraiの様子に見えます。 行免:大木491・508番地等 臺:大木519番地 空蔵上:大木527番地 地蔵廻リ:大木528・529番地  平成25年(2014年)5月11日

 

大木 大木三所様の天津神社 Amsatu-kami-sya of Sanjyo-sama-in Oogi

豊岡上小森線(371号線)沿いの須用田橋を渡り、今比羅神社の北西の交叉点を左(東)に周り、向山の麓の大木臺519番地の東 北緯34度54分25秒東経133度46分35秒に大木三所様不動明王堂が建ちます。荒神社で 秋に荒神祭りをします。甘酒の神様であると村人は言います。堂内には 3社と1石仏が祀られています。右から2番の社は 天津神 八百万の神が祀られていますので天神社でしょう。 愛宕ノマエ:大木472番地 行免:大木491・508番地等 婦道ノ下:大木494-498番地 臺:大木519番地  平成25年(2014年)5月11日

 

大木 菅原大神宮 Sugawara-no-ookami-guu in Oogi

大木堂元260番地の南東の山の中の北緯34度54分14秒東経133度46分23秒付近 上大木公会堂の近くに社が建ちます。右の一番大きい社が 萬松山吉祥寺と金毘羅宮が祀られ、中の社に 菅原大神國津神社が祀られています。 萬松山吉祥寺:大阪市天王寺区六万体町1-20蛮地北緯34度39分37秒・東経135度30分55秒の万松山吉祥寺Kissyou-ji曹洞宗の寺院で 赤穂藩藩主浅野家祈願所であり、赤穂浪士四十七士のと石像があります 岡山県小田郡矢掛町上高末kami-kouzue4050番地の萬松山吉祥寺Kitijyou-ji曹洞宗の寺院で、4月の第2日曜日に境内の「淡紅色の海棠kaidou」を鑑賞する祭りが開催されます 大萬:大木226番地 神子堂:大木230番地 墓ノ上:大木231番地 東城:大木237・242番地等 丸山:大木241番地 堂元:大木252・260番地等 神子常東:大木263番地 常元墓:大木289番地  平成25年(2013年)1月25日

 

尾原 重岡山の天神様・矢喰宮

尾原重岡神社を参考にしてください。

 

下加茂 日吉神社の天満神社 Tenman-jinjya of Hiyosi-jinjya in Simogamo

 北緯34度51分46秒東経133度49分25秒 下加茂稗谷1479番地に 日吉神社が建ちます。拝殿の右の社は 稲荷神社で、稲荷神社の右の小社は 天満神社と注連神社Sime-jinjyaが合祀されています。天満神社には 菅原道真Sugawara-no-Dousin/Sugawara-no-Mitizane公の像が祀られ、注連神社には 天鈿女命Ama-no-Uzume-no-mikotoが祀られています。その近くに常夜燈が立ちます。 注連掛稲荷神社Tume-kake-Inari-jinjya/Simekake-Inari-jinjya/Asitome-Inari-jinjya福岡市博多区上川端1-41番地に建つ神社で、祭神は不明ですが、主な神徳は五穀豊穣 商売繁盛 鍛冶屋の神です 大寺:下加茂1311・1397番地等 宮荒神:1374番地 稗谷:下加茂1479・1505番地等 台・臺:下加茂1519・1586番地等 龍王:下加茂1582番地  平成23年(2011年)11月3日

 

下土井 船山城山の天神社 Tenjin-sya on Hunayama-jyou-zan

下土井大上江21番地の西 北緯34度52分58秒東経133度 分45秒付近が船山城跡です。 主郭の北東に2つの社が祀られています。小さい社は 城山様と呼ばれており、隣の社が摩利支天社で、その近くに天神社が祀られています。    勝山城跡:下土井1632-1番地の北の丘 北緯34度52分40秒・東経133度15分40秒 倉城:下土井239・1029番地 城山:下土井519・554番地等 城平:下土井539・573番地等 倉城:富永1248・1253番地等 荒神曽根:下土井501・509・番地 大上江:下土井529・633番地等 寺角:下土井556・559番地等  平成23年(2011年)7月1日

 

竹部 乗木の天神社 Ten-jinjy in Noriki

通称天神様と呼ばれ、旧社格は村社です。北緯34度50分41秒東経133度47分24秒 竹部美民城761番地に 乗木天神社が建ちます。連絡先は電話0867-34-0823です。春祭新年祭は4月18日 夏祭根付祭は6月第3土曜日 火燈祭盆祭は8月16日 秋祭例大祭は10月第4日曜日 冬祭新嘗祭Niiname-sai/Sinjyou-saiは12月28日に行われ、他に毎月 1日 15日参詣 社頭祈願祭 地鎮祭 厄払い 宮参り等がなされます。氏子は賀陽町大字上竹(田中 山神 月原 信原 中寄 岩井田 南 乗木)の人達です。吉備中央町 天神社 - 検索 (bing.com)」「天神社 (komainu.org)

「当社は応永元年九月、備中国竹部郷の鎮守として創建され、備中足守藩の加持家一統が代々尊崇し、社殿を造営して 社領として、山林数十町歩を寄進する等の至誠を捧げている 江戸期には 備中芦守の藩主豊臣公定Toyotomi-kinjyou(木下公定Kinosita-Kinsada)公の祈願所として 崇敬が篤かった。享保二年には 公自著の桑華蒙求Souka--moukyuuと言う書籍を献じて 社領を奉っている。安永九年には 社殿を改造営した。昭和二年十月 神饌幣帛料共進神社Sinsen-Heihakuryou-Kyousin-jinjyaに指定されたと 神社庁叢書に記されてる。

行事終了後、総会を行う。夏八月一六日として準備組合を決め 夏燈祭を行う。秋十月の第四土日曜日とした。  冬一二月一八日 定日として、行事終了後懇談する。尚氏子一同で田植え後根付け・豊作祈願祭を行う」「天神社(社叢)由緒沿革」https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/

天神社の例大祭

10月第4日曜日に行われます。当人(祭りの当番 当番子 春の例祭時に決める)は 両親が健康な家の長男が務めます。当人が決まると 行事が手筈tehazu通りに進められます。祭りの当日の午後1時過ぎに 当人の近所の者が掲げる当番幟 赤い幟を立てて 槍を先頭に羽織 袴hakama白足袋sirotabi姿の当人が首に玉串を刺して、同じ姿の父母に連れられ 同じ姿の親類の者を従え 天神社に向かいます。道中で神社側の行列の迎えを受け 互いに挨拶を交わし、神社側の先達で 神社に入ります。2時頃に当人 両親 親類 氏子総代による神事を行い、神事が済むと 神主と当人が玉串を奉てんし、氏子全員を従えお旅所の杉神社へ向かい 御神幸を行います。午後3時ごろに 天神社に戻ります。子の健やかな体育 知育を祈願します。「村人口伝」

桑華蒙求:天神社宝物足守藩主木下公・公御寄進書籍は 古書の箱の表書きに「桑華蒙求 一部 共三冊 備中上房郡竹部村天満宮蔵書」と記され、書納箱の底書には「(寯)惟管相公者才学宏博独歩古今是以詩客歌仙無不祟敬(篤)予有自撰桑華蒙求之書頃年印刻巳成(招)召本村妙福寺僧集寄納壱套於神庫蓋以常掌斎供之道場也因再命他後曝涼不失其時水火能避他災於我志願足守県主葵峰豊子 享保二龍集丁酉春二月穀旦徒」と記されています。松山藩校の教科書と言われます。㊟()内の字は実際の書体とは異なります「天神社(社叢)由緒沿革」 葵峰(葵峯Aihou)豊子:足守藩第六代藩主であった木下キン定の事で、葵峯は雅号で 豊子は豊臣氏所縁の者で有る事を表しています。「天神社(社叢)由緒沿革」    神饌幣帛料共進神社:明治の神社制度において、旧官国幣社の例祭等の時、神饌(食べ物の供物又は料金) 幣帛(食べ物以外の奉納品、又は料金)が奉られtatematu-rare、皇室又は国庫より共進されました。府県社及び郷社は府県より 村社には市町村より幣饌料が共進されました    神社庁叢書:神社庁が発行するシリーズ物の書籍    御齋神社・菅公神社Kankou-jinjya菅公とは菅原道真公の事です 御齋神社の祭神が八幡紳である事があります  天神社の御斎神社の祭神は建美那方大神Take-Minakata-no-ookami    御嵜神社:天神社の御崎神社の祭神は眷属大神    夫婦岩:竹部616-623番地 勝負坂:竹部635・639番地    美民城:竹部747-769番地 ノリキ・ノリ木:竹部844・906番地等 荒神:竹部860-868番地 石塔:竹部918・957番地等     平成24年(2012年)8月28日

 

竹部 菅后神社 Kan-Kisaki-jinjya

 菅后神社の祭神は菅原道真(菅公kankou)の妃・菅后姫大神です。 「竹部 乗木天神社・天神様」の項目を参照の事

                        

竹部 乗木天神社の杉神社 Sugi-jinjya of Tenjibjya-in Noriki

下加茂より臼井橋を渡り、吉備高原都市に向かう途中の鳴滝に向かう道の手前の竹部馬場1090-1番地の左(南)の田の中 北緯34度49分57秒東経133度47分31秒に社が建ちます。乗木天神社の境外摂社でご祭神は杉大明神とされ、杉が植えられており 社名も杉神社と言われます。藤の木が 大蛇のように絡んでいます。付近の10軒程の家で管理していて、天神社のお祭りの時のお旅場所です。主祭神は 天御中主神Ame-no-minakanusino-kamiで岡家女神Okakeme-no-kami 五帝龍神Gotei-ryuujinが祀られます。南手に火御崎神と〇想社大明神が祀られる右の小社と、摩利支天社と田中大明神を祀る左の大き目の小社が建ちます。    岡家女神:罔象女神Miizuha-no-me-no-kamiでしょうか    田中大明神:田中家先祖若宮三社 天照皇大神Tensyou-kou-taijin-guu 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命宮Masa-ka-akatu-katuhayahi-Ame-no-Osihomimi-no-mikoto 田中家先祖宮姫宮の合祀宮です    田中家先祖宮姫宮:田中家の祖霊社なのでしょう     臼井橋:北緯34度50分0秒・東経133度47分23秒 天神社:竹部美民城1035番地 北緯34度50分4秒・東経133度47分34秒 馬場:1090・1107番地等 杦ノ免:竹部1070・1089番地等  平成25年(2013年)4月9日

 

豊岡上 地神社の天神社Ten-jinjya of Tijin-sya in Toyookakami

豊岡上上中須賀290番地の隣の北緯34度53分58秒東経133度45分512秒 豊岡地区農村公園内に地神社が建ちます。5つの厨子が有り、愛宕神社 天神社 鎮守神社(鎮守宮) 鎮火神社 御崎社が祀られています。    供養石西:豊岡上224番地 地頭原:豊岡上238番地    上光寺:豊岡上289・411番地等 犬免:豊岡上309・534番地等 常光寺:豊岡上324番地  平成25年(2013年)1月25日

 

 豊岡下 天計神社の天神社 Tenjinjya-of Amahakari-jinjya

 北緯34度55分31秒東経133度46分30秒 豊岡下大勝2667番地に天計神社Amahakari-jinjyaAmahakari-jinjya建ちます。拝殿の左に荒神社祇園神社 天神社)が、右に若宮が祀られています。寛弘の頃 舟掘上の3社を青年達が背負い遷宮したと言われます。天神社はかつて 天神山に有って、山を神輿が1周する旅神幸を行ったと言います。天神山は 北緯34度54分37秒東経133度46分37秒にあります。城山ですが、その役割は不明です。「村人口伝」 大勝:豊岡下2510・2772番地等 大勝山:豊岡下2825番地 天岩:豊岡下2826番地 天神山:豊岡上1117-1120番地 豊岡下 天計神社の荒神社 天神山城の項目を参照ください  平成23年(2011年)7月12日

 

和田 土居家の八百万神社 Yaoyorozu-no-kami-sya

  和田下集落の和田金田4番地の北方向の道沿い 北緯34度53分5秒東経133度44分43秒に土居清吉入道Doi-Kiyoyosi-nyuudou頌徳碑が立ち 多くの社が祀られています。この辺りの土居一族が護る社です。手前の社は五社神社であり、2番目の社は天神地祇 即ち八百万の神を祀ります。    土居清良:永禄3年(1560年)大友氏よって祖父の土居清宗や父の土居清晴は伊予石城で戦死し 一家は没落しました。15歳の時 清良は土佐一条氏の被官となri 数々の功績により伊予大森城主となりました。 その後は 西園寺氏に属し、大友氏 一条氏 長宗我部氏の侵入に対抗しました。毛利氏の援軍として、中国地方各地を転戦しました。配下の者全員に鉄砲を装備させており、総勢300名程の小軍でしたが、圧倒的戦力を有していました。四国の謙信と呼ばれていました。    金田:和田3・4番地 美山口:和田51番地    大鳴:和田66-82番地 鳥居向:和田104・106番地    平成.25年(.2013年)1月12日

 

和田 末広の天神社  Ten-jinjya in Wada-Suehito

和田宮本1250番地の東北 北緯34度53分26秒東経133度44分47秒に天神社と大師堂が建ちます。天神社拝殿裏手に 一宮社が2社祀られています。一番手前の小さい社は 江羅末広三宝荒神社です。大きい社も三宝荒神社で 速素戔嗚尊Haya-Susa-no-o-no-mikoto 神素戔嗚尊Kamu-Susa-no-o-no-mikoto 素戔嗚尊が祀られています。 宮本:和田1250番地 天神:和田1251・1252番地 天神:和田1698-1700番地 天満鼻:和田1273番地 燈明田:和田1297番地  平成25年(2013年)8月19日

 

上竹 村社天神社 Tenjinjya in Kamitake

上竹惣道の上竹惣堂761番地 北緯34度51分13秒東経133度40分42秒に村社天神社が建ちます。上竹天神社とも呼び、通称天神様で 旧村社です。氏子地域は 賀陽町大字上竹(田中 山神 月原)で、祭典は4月14日の祈年祭 10月10日の例大祭 11月25日の新嘗祭です。連絡先は宮司宅で、電話番号は0866-54-0482です。貞観3年(861年)9月25日竹荘津村の龍王山高峰に 出雲国から天穂日命Ame-no-hohi-no-mikotoを勧請し 創建したと伝えられます。伝説によると 龍王山が鳴り響いたので 村人は驚き怪しんで占いをすると、龍王山の頂上の小祠の神威と解り、花山帝の頃寛和kanna2年(985年)9月25日に 現在地の惣道山に新宮を造営し 奉遷して 氏神とされました。惣道の地名は この時4方に道を開いたために付けられました。その後正暦4年(994年)一条天皇勅命北野天満宮から 菅原道真公を勧請して 惣道天満宮と命名しました。元和Genna2年(1616年)9月25日に 小堀遠州により社頭が修復され 延享3年(1746年)板倉周防守Itakura-Suou-mo-kamiが 本殿を改造営し、明治6年(1873年)天神社と改称しました。大正11年 昭和11年(1936年)に大営繕を行いました。祭神は 天穗日命Ame-no-hohi-no-mikoto 須佐男命Susa-no-o-no-mikoto 菅原道眞Sugawarsa-no-Dousinです。天神社 (岡山県吉備中央町上竹 神社) - グルコミ (funse.net)」「天神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁 (okayama-jinjacho.or.jp)

賀陽町史追補版によれば 祭神は天穗日命 菅原道眞 譽田別命Homuda-wake-no-mikoto 素戔嗚命Susa-no-o-no-mikoto 仲哀天皇Tyuuai-tennou 神功皇后Jinguu-kougouされています。摂社は八幡神社 龍神社 明地神社で、末社は猿田彦神社 荒神社 若宮神社です。更に詳しく知りたい人は、賀陽町史追補版をご覧ください    高梁御津線(31号線)を新町より南西進し コメリを過ぎて 天神下バス停より北西に向かうと 直ぐにT字路となり、村社天神社の「村社天神社 寄進 新谷多一郎 昭和四十いt年四月吉日建之」の門柱を傍にして 額字の無い鳥居が有ります。直ぐ その北西側に社が有り 2尊の脇侍を伴う仏像らしき神が祀られています。この社を神宮子尊一宇堂と呼びます。ここより田中公会堂前を通り、北北東に50m程進むと 「明徳 寄進 平野躍夫 平居勘一 福本京一 昭和十一年四月吉日建之「惟聲 寄進 平川彦一 平野喜太郎 溝川鉄夫」の門柱が 立ち、左手に小社が建ちます。

 

階段を登ると「献設金婚記念 山本亀吉 加津 昭和十三年一月吉日」「献設 銀婚記念 石井円平 久代 昭和十三年八月吉日」の石の柵を左右にして、狛犬が 置かれています。「當社大営繕特惣献念 昭和拾壹年四月二十五日建之」の碑と石燈籠の奧の階段の上の隋身門の閽神Kadomotri-no-kamiは 菅原道真の姿に似た隋身(門守神) 左右に祀られています。櫛石窓命Kusi-iwamado-no-mikoto 豊石窓命Toyo-Iwamado-no-mikotoでしょう。随身門を潜ると 拝殿と本殿が正面に、右手に神輿創庫 社務所が建ちます。拝殿の左手前には 「奉献肥田不二を偲ぶ 當邑 森下勝三郎 唯生 平成十年十二月吉日」の狛犬と「奉燈 願主 松藤仙左エ門 昭和十一年正月吉日」「奉燈 願主當邑松藤七蔵 昭和十一年正月吉日」の石燈籠が配置されています。

左手に「法身 寄進 石井財一郎 昭和十一年〇〇 」手水舎emizuyaが建ち、左手奥に 大津神社が祀られ、左手奥に 一宮社の2祠が祀られています。小さい祠には 秋葉大神が祀られます。大きい祠には 保食神社Ukemoti-no-kami-sya/Ukremoti-jinjysaの額が掛かっています。拝殿の左隣に、神輿の長床があり、その奥に大きな石碑が立ち「天神社御鎮座 一千年奉洲祝祭(宇)時明治三十五年三月建之(に似る字)當社人皇五十六代清和〇天皇 御宇貞観三年巳丑(貞観三年は辛巳の筈)五月(創祝)而所 祭天穂日(𠇭:命の異体字)(に似るがムの下に天)後人皇六十六代○ 一條天皇御宇正暦四年癸巳九月 (にス)(敕:飾or勅)合祀管原神至寛弘二年十月 賜神鎮地當(𠆢に一の下に丁)宮田存字再来神 威赫々(に似るが下部は天)(慈に似るが心がない)奉行一千年祭即録傳」と記されています。「丑寅未申の方向に御紳井が有り、余人(一般人)が水を汲む事を禁止しました。この宮は鳥居に額字を掲げず、馬に乗ったままで鳥居を潜ってならない」と 伝えられてきました。

丑寅未申の方向に御紳井の一基は、神宮子尊一宇堂の隣地の防火用水池の南の他の畦北緯34度51分7秒東経133度40分40秒(天神社の南南南西 約120m) もう一基は 賀陽荘の東から天神社の向かう参道の起点の右側 北緯34度51分13秒東経133度40分43秒にあります。この神社の祭礼では 75膳を供える事が習慣になっています。75膳の下げ方 頂き方にも作法が有ります。保食神社には 田中十社大神 立五社大神 山神三社大神が祀られています。  板倉周防守:板倉 勝澄Itakura-katuzumiは伊勢亀山藩初代藩主 板倉重治の長男で、享保9年(1724年)に家督を継ぎ、延享元年(1744年)3月に伊勢亀山から備中松山に鞍替えされており、周防守 相模守を務めています 龍王山:調査中です  隋身門:随身Zuijin/zuidsinとは、平安時代以降の貴族の外出時の近衛府の官人(令外官 警護官)を言います  隋身門とは随身の姿の守護神(門守の神 閽神 看督長kadoosa 矢大臣 右大臣"左大臣")像を左右に安置した神社の門の事です 立五社大神:立地域に祀られていた5社を合祀したのでしょう  ちなみに倉稲魂神Uka-no-mitsma-no-mikotoを主祭神とする 大己貴命Oonamuti-no-mikoyo 保食神Ukemoti-no-kami 大宮能姫神 太田神を稲荷五社大明神といいます    宮ノ前ワキ:上竹746・776番地等 コゴロ:上竹748・767番地    宮ノマヘ:上竹753(北緯34度51分14秒東経133度40分45秒)・758番地等 惣堂:上竹761番地(天神神社・北緯34度51分12秒東経133度40分42秒)番地等 鳥居ノ内:上竹1204番地 コメリ・上竹742-2番地:北緯34度51分15秒東経133度40分49秒 田中公会堂前:北緯34度51分9秒東経133度40分41秒  平成25年(2013年)3月7日

上竹 神宮子尊一宇堂

上竹惣堂761番地 北緯34度51分13秒東経133度40分42秒に村社天神社が建ち、その南 上竹鳥居ノ内1204-3番地に神宮子尊一宇堂が建ちます。堂内に「天下泰平 国土安全 五穀成就  本願主當講中   奉再新築神宮子尊一宇堂内安全人快楽如意圓萬祈(イ❘文:信でしょうか) 〇〇昭和五戌辰年四月十四日欽行 三部傳法大阿萬萬闍立〇 万彩色信心施主 山神中曽 福崎與七 五十八才」、道外軒

「皇紀千六百一年昭和十六年巳年八月吉祥日欽行 奉修彩色神宮子佛像三區萬人快楽如意圓満祈(イ❘文) 天下泰平日月清明 彩色信心施主 山神中曽 福崎與七 五十八才」の札が 掲げられます。2尊の脇侍(卍の字のある台座に立つ毘沙門天らしい像 正座する弘法大師らしい像)を伴う仏像釈迦如来らしい像)神の他 狐の置物 大黒天像が 祀られています。神宮とは伊勢神宮 あるいは天照大御神や豊受大神の意味ですが、卍の印を持つ仏像が 祀られています。門柱には「四海清(言遍に盛) 新谷多一郎 〇〇人教徒中 明治貮拾申庚一月吉日」「獻設 教内安全」と記されています。北側奥にも祈祷所らしき建物が有ります。   ソフドウ:上竹762番地 鳥居ノ内:上竹1204・1211番地    惣堂:上竹761番地 宮ノ前・宮ノマヘ:上竹1205・1224番地  平成25年(2013年)3月7日

 

上竹 離小屋城の天神社

高梁御津線(31号線)から かよう総合スポーツ公園に向い その手前の変則5叉路のカヨー中央観光バスサンデーツアーズ(賀陽自動車教習所前)から西に下り、上竹小ヤ5718番地の南の山を登ると 北緯34度49分25秒東経133度39分32秒に 6社を祀る小屋 即ち天神社の建物があります。 最左の一宮社は 火之御崎神社で、次の大きな一宮社は天神社で菅原道真Sugawara-no-Dousinの石像神が祀られ 絵馬が2枚奉納されています。正面の小さい社は 荒神社で丸い自然石が祀られていて、潤雨jyunu)の祈願が 叶った事が感謝されています。右手の次の一宮社は 稲荷神社で保食大神Ukemoti-no-ookami)豊受大神Totouke-no-ookamiが祀られ、その右の隠れて見えない一宮社には 如何なる神が祀られているか解りません。その隣左から2番目の二宮社は 伊豆那神社とその末社で、右端の二宮社は 稲荷神社とその末社です。現在 これ等の社を守る人はいなくなっています。    伊豆那神社・伊豆田神社:高知県土佐清水市下ノ加江3135番地 北緯32度55分5秒・東経132度55分20秒 に建つ神社で、祭神は伊豆那彦命 伊豆那姫命です  冷水の湧き水の神々で脚気にご利益が有ります    大坊ジリ・大坊シリ:上竹5615-5618番地 キョウノマヘ:上竹5634番地 般若坊・ハンニャ坊:  上竹5629-5633番地 小ヤ:上竹5645・5752番地等     平成25年(2013年)12月8日

  

上竹 八天宮

高梁御津線(31号線)から かよう総合スポーツ公園に向い 自動車施設とスポーツ公園の間の道を西に進むと 公園用の駐車場が有り、更に進むと 右手に大村浄水場が有ります。大村浄水場より 上竹アイガ谷5656番地に向かう道の途中の右手に 八天宮(はってんぐう)の鳥居が建ち、北に登ると 北緯34度49分50秒東経133度39分28秒に社が建ちます。社の境内は狭く 堂内の左右に一宮社があり、中央に三宮社が2社祀られています。いかなる神が祀られているか解りませんでした。この神社を守る唯一のご婦人によると、近くに離小屋城跡がありますが、戦いの天神で 山の神では無いそうです。

八天神社:佐賀県藤津郡塩田町谷所乙766番地 北緯33度6分4秒東経130度3分24秒に建つ八天神社の主祭神は 火之迦具土大神Hi-no-Ksgututi-no-ookami(軻遇突智神Kagututi-np-kami 火産霊命Homusubi-no-mikoto) 建速須佐之男大神Takehaya-Susa-no-o-no-ookami(素戔嗚尊Susa-no-o-np-mikoto)等です。 

アイガ谷:上竹5651・5662番地等

平成25年(2013年)12月8日  

 

上竹 陰地御王神社の天神地祇社 五柱大神社 Tenjin-Tigi-sysa and Gahasira-no-ookami-sya of Onji-Goou-jinjya

上竹丸山前4716番地 北緯34度50分22秒東経133度40分26秒に御王神社が建ちます。御王神社は かつては朝 昼 晩に鉦 太鼓を叩き、神事が行われたそうですが、現在は、守る人もいないに同然だと言います。拝殿前には、艮金神Hituji-saru-Usi-tora-no-Konjin 御歳皇神 大国主命 言代主命 5柱大神 御王大神素盞嗚命 天兒屋根命 天鈿女命 高丘親王takaoka-sinnou) 天神(土+心)祇諸神 産土産土大神Ubusuna-no-ookamiのお札 矢倉神社の木札が納められた箱が備え付けてあります。荒神ノマヘ:上竹4609(北緯34度50分27秒東経133度40分23秒)・4670番地    上竹丸山前4716番地・護王神社:北緯34度50分22秒東経133度40分30秒    荒神ノハナ:4672番地丸山前:4716-4718番地    上竹ヨコヒ4290番地:北緯34度50分24秒東経133度40分19秒     加門:上竹5284番地 陰地荒神社:北緯34度50分21秒133度40分26秒     平成26年(2014年)4月23日

 

岨谷 大古屋天の天神社

総社賀陽線(57号線)大和郵便局から南下し大古屋集落に向かいます。岨谷Suwatani大古屋3636番地の南西の沢向うの杜の中 北緯34度45分29秒 東経133度40分44に天神社が建ちます。境内には拝殿と本殿に当たる柱組の社と、一宮社が3社建っています。一宮社の3社にはいかなる神が祀られているのかわかりませんが、一番奥の社には「我可郷は 山の恵みに生きる里 寿」と刻まれた白い石が奉納されています。

本殿の中には、一宮社と 格子の扉ある厨子があります。一宮社には薬師如来が祀られ、不思議な形のあずき色の石が奉納されており、傍らにメッセージを伝える白い石が奉納されています。扉ある厨子には 菅原道真公座像が祀られています。    大和郵便局・鳥中田568-1:北緯34度47分20秒・東経133度41分5秒 岨谷大小屋3636番地:北緯34度45分29秒・東経133度40分48秒 神田:岨谷3414・3431番地等 的場:岨谷3421番地 古墓:岨谷3510番地 墓山:岨谷3525・3536番地等 狐山:岨谷3530・3532番地 草葉谷:岨谷3560・3563番地等 山神西:岨谷3580番地 大古屋・大小屋:岨谷3631・3754番地等 マヘ墓ノ元:岨谷3644番地  平成27年(2015年)11月25日

 

 田土湯の尻 天之神宮 

高梁御津線(31号線号線)が田土で宇甘川を田土橋を渡る所の東の田土長重618-5番地のY字路を鋭い角度で東北に折れると、北側の崖の途中に一宮社が建ち、天之神が祀られています。 長重:田土612・630番地等 權太:田土591・629番地等 才ノ前:田土619・644番地等 堂ノ上:田土697番地 赤御堂:田土701・716番地等     平成29年(2017年)9月14日

 

豊野 東の敬神崇祖社

豊野清水Seisui5494番地の神官宅  北緯34度52分27秒東経133度42分18秒のお宅の敷地にお宮が建ちます。祀られる神は解りません。又お宮の西の高台に大木があり小社が祀られています。    行者田久:豊野5480・5481番地    清水:豊野5483・5565番地等 小和田ノロ:5489・5498番地 稲護堂の下:豊野5491番地     平成29年(2017年)10月20日

 

西 佐与谷城の天神社

西の太谷山の頂上 北緯34度48分54秒東経133度39分5秒付近が佐与谷城(天神山城・大離城)です。北東側に 朽ち果てそうな比較的大きな一宮社の祠が立っていて 天神が祀られています。離小屋城の天神と佐与谷城の天神は 仲が悪いので、南北に向かい合うと 不幸が起こるとされましたので、離小屋城の天神社は 東向きに建てられ、佐与谷城の天神社は 北向きに建てられているとされます。    天神:天津神(素戔嗚命を除く高天原に産まれた神々) 又は天満神菅原道真命)の事ですが、ここでは 経津主神 建御雷神と想像します 離小屋城の天神社:上竹5718番地の南の山 北緯34度49分25秒・東経133度39分32秒に6社を祀る建物があります 天神社の祭神は 菅原道真です サヨ谷:西3729・3748番地等  平成24年(2012年)4月5日

 

納地 室納下組荒神社跡の金毘羅常夜燈 Konpira-Night light in the ruins of Koujinjya of Simo-gumi in  Muronou

黒土北線(305号線)が室納で大きく北に張り出す辺りに 室納公民館が建ちます。その西に 鋭い角度で太い道が北に分岐します。鋭い角度で囲まれる高み 北緯34度50分20秒東経133度41分50秒に金比羅常夜灯が立っています。天神社 荒神社 明治十二年 卯ノ八月吉日 惣氏子中と刻まれています。室納下組荒神社の跡地です。西隣地は納地室納Muronou荒神前1673-2番地です。 宮ノ前:納地1611・1643番地 中矢倉仁子:納地1612番地 寺地:納地1639番地 荒神前:納地1673・1993番地等 慈眼寺脇・慈眼寺䏮:納地1676番地 寺:納地1683・1684番地  平成29年(2017年)8月30日

 

宮地 大和神社の天神社 of Yamato-jinjya

 宮地宮谷445番地 北緯34度47分47秒東経133度45分7秒に 大和神社が建ちます。明治43年(1910年)に 大和村北 西 岨谷 宮地にあった35の小社が 村社八幡宮に合祀され、一村一神社となし、大和神社と改名されました。その合祀された小神社に 大和村大字北の古和田の古和田神社Kowada-jinjya(祭神不詳) 前砂maezakoの天神社少彦名命Sukunabikona-no-mikoto)   岨谷の大小屋の天神社菅原道真) が含まれます。     御崎之前・和泉寺:宮地137番地(北緯34度48分1秒東経133度41分58秒)    宮乢:宮地432・481番地等    黒田:宮地274・446番地等     古和田「小和田」:北244・362番地等 前砂:北2399・2497番地等  大小屋「 大古屋・大小屋」:岨谷3631・3754番地等  平成16年(2004年)8月24日

 

吉川 吉川神社の天神社

北緯34度49分11秒・東経133度45分07秒 吉川苅山3932番地に 吉川八幡宮が建ち、多くの摂末社が 合祀されています。その中に 河内田向山天神社(祭神・菅原道真) 河内田岩崎岩崎大明神社(祭神不明ですが 恐らく祓戸四神が有ります。近くに天神後の地名があります。 向山:吉川251・252番地 河内田岩崎:吉川532・535(北緯34度48分59秒・東経133度45分40秒)番地等 天神ノ后:吉川275・276番地 天神後:吉川277番地 天王山:吉川433・444・446番地  平成24年(2012年)7月7日

 

 

吉川 小茂田の天満宮 

吉備新線(72号線 岡山賀陽線)の沿いの吉備中央公園のT字路の交叉点を西に向かい、片山商店のある交差点の西の十字路を右に、即ち北に向い、次いで大きく曲がる辺りの右側 北緯34度49分52秒東経133度44分50秒に小茂田上組荒神社が建ちます。

境内には古い祠の右に 天満宮が有り 天神が祀られます。その東に地神が祀られ、その後ろに何やら意味ありげな石碑が2個 横倒しにされています。    松尾:吉川5242・5418番地等 塚ノ元:5275・5288番地等    古己:吉川5252・5318番地等    こわん:吉川5608-5614番地 小茂田:吉川5325・5714番地等     平成25年(2013年)6月12日