三谷・大木 塚ヶ塔 Tuka-ga-tou


塚ヶ搭の地名は塚ヶ乢Tuka-ga-tawaの訛った地名で あるとされ、塚が沢山あると言う意味で塚十Tuka-ga-touの字を 当てて住民は 生活用語として使っていたと されます。また その逆で 塚十に 塚ヶ塔の字を当てたとも されます。卵が先か 鶏が先かに 似た論争ですが、塚ヶ塔は 重みのある字なので 好んで使われ、正式な地名に 成りました。完全に 破壊された塚もあり、またしっかりとした 調査が無いので 塚の数は知れませんが 10基以上の弥生時代後期の古墳が 有りました。「三谷日名の村人口伝」


吉備高原北部広域農道の才の乢から 三谷日名に向かい 日名集落から 北東に登る 最初の道を上り、三谷中倉928番地の下を北緯34度54分16秒東経133度47分1秒の柳井田池に向かう途中の、鍵の手に廻る分岐を 上ると 墓地に出ます。墓地の右手 北緯34度54分27秒東経133度47分20秒の急坂を、神子坂と呼びます。この北緯34度54分28秒東経133度47分19秒の峠を 塚ヶ乢と 呼びます。塚ヶ乢の左手 北緯34度54分27秒東経133度47分17秒の山を 後ろの山と呼びます。塚が乢から下大木に続く道が 日名集落から かつての豊岡小学校への通 学路でしたが、現在は 大がっそと なっています。その途中 北緯34度54分34秒東経133度47分13秒辺りと記憶しますが、弥生時代後期の物と推測する古墳が 有りました。素焼きの陶器の破片が 出て来たのを 記憶します。後ろの山の頂上より やや西に 崩れた数基の古 墳が有ります。この古墳群より 更に南西の位置 北緯34度54分24秒東経133度47分10秒に 町指定文化財の古墳は有ります。2基は こんもりとした円墳と 解りますが 1基は 石が転がっているだけの状態です。この山には 他に 数基の 古墳が有ります。この辺りには 古い炭焼き釜跡が 数知れず 有ります。後ろの山の東の山にも 幾つかの古墳が有りましたが3基は 植林用の道を造るため 消失しました。塚ヶ乢の東北 北緯34度54分29秒東経133度47分20秒の塚より、素焼きの釜 等が 発掘されました。ここを南 に下ると、古い墓場があります。更に東に進むと幾つもの炭焼き窯の跡があります。中の一つに周囲が石垣で囲まれ、焦げ跡の無い物が北緯34度54分28秒東経133度47分27秒と予測する辺りに有ります。 三谷:細田1120-1142・1151・1161-1163番地 塚ノ前:大木918-919・936番地 塚ヶ搭:大木922-925・930番地  平成25年(2013年)5月10日