上田東    亥の子祭 Inoko-festival "Festival at he hour of boar, or around 10:00 pm on inoko-tuki (the day of boar in the month of boar or October under the old calendar) by children"


旧暦10月(亥の月)亥の日の夜から 明け方に、亥の子と 言う行事を 行いました。玄猪Gentyoを 亥の子の祝い亥の子祭りとも言います。猪の好き嫌いの無い食欲や 何を食べても 食中りSyoku-ayariしない健康や 多産に 肖りayakari 新米で 亥の子餅(小豆餅)を 作って食べて、万病退散 子孫繁栄を 祈ります。炬燵Kotatuを 出し 火災除けも 祈ります。子供達が 亥の子歌を 歌いながら 藁の束(藁鉄砲)や 猪子石で 田の神である 山田の案山子を 天(山田)に 返すために 地面を叩いて廻ります。俗には 子供達が 蚯蚓Mimizuの繁殖を願い、土竜Moguraを 追い遣るのだとか 言い伝えられます。御褒美Gohoubiに お菓子や 蜜柑Mikanが 貰えます。ある種の 収穫祭です。10月10日の夜に 行う時は 十日夜Toukanyaと言います。現在の亥の子祭りは 松尾神社の宮司が 司り 御祓いをし、その後 餅等を 祀り、飲み食い 歓談します。子供が いなくなったので、地面を叩く行事や 亥の子歌は歌う 行事はなくなりました。亥の子歌の歌詞を覚えている村人は、いません。「上田西村人より口伝」「https://ja.wikipedia.org/wiki/亥の子」 この行事は いつの間にか 日本から 絶えました。亥の子歌の練習が 勉学に 差し障ると言う理由だと 聞いています。子供達が 歌の作詞作曲に 熱心で、練習に力を入れたからです。

上田東の亥の子宮:429号線信濃集会場より東の上田西行田2340-1番地の北東東の林の中 ハートフル浄水場の西 北緯34度53分39秒東経133度49分4秒に建ちます  南に八坂神社が隣接します 亥の子餅:旧暦10月亥の日亥の刻に 食べる餅で、普通の餅や 茹で 小豆を 塗しmabusiた餅等です 亥の子石:亥の日の夕方から 翌朝早朝にかけて、子供達が 各農家を 縁起の良い歌を歌いながら廻って、石に 繋いだ 人数分の縄を 引き緩めして 地面を 搗く石の事です  子供達が 石を搗くと 餅や菓子や 小遣い等を 貰えます  石を搗いた跡が 深いと 喜ばれます  石の形や 重さは 色々です 亥の小唄:褒め言葉歌や 嫌われ言葉歌(お土産をくれなかった時、歌います)や数え歌等様々です  子供達が 相談して 歌詞を作ります「亥ぃの子 亥の子 亥の子の夜に 餅搗き祝え 江弁須様Ebesu-san大黒様Daikoku-san 亥の子のように 金銀湧いてくる 繁盛せぃ繁盛せぇ」「亥ぃの子 亥の子 亥の子の晩に 餅搗きせんで 祝わん者は 鬼の子産めぇ 蛇の子産めぇ やっさんの尻ぅ 煮え湯で焚けえ よいやさ よいやさ」「おいでんさった おいでんさった 江弁須様 大黒様 1に俵ぁ運んで来 2にニッコリ笑うーて 3つ酒ぇ造られて 4つ世の中太平に 5ついつも幸せに 6つ無病息災に 7つ無い物無いように 8つ屋敷を広うして 9つ蔵を建ち並べ 10でどっさり大判小判 金銀白金湧いて出た この家ぁ繁盛 繁盛」等が 例です。 山田の案山子:田の神 農業の神 土地である神の久延毘古Kue-bikoの事です 山の田の中に立つシシオドシ(鳥脅し)の普通の案山子では ありません  一本足なの で歩く事は出来ませんが、世の中の事 神の世界の事で知らない物が無い程の博学者です  ボロボロの服を常時着ているので、崩彦Kuzure-bikoとも呼びます「https://ja.wikipedia.org/wiki/久延毘古」 加茂川町の亥の子祭:高富五明 高谷の十力でも亥の子祭が 行われていました。  平成23年(2011年)11月25日