小森二川 兎の宴 The Feast Surrounding the Rabbit


明治5年(1872年)2月26日 小森の中黒 大師辺りに 猪が出て 田畑を 荒らしました。神原 此畝 名梅 二川 双六から 人が 集まり 猪を 退治しようと 酒の席を 設け 相談し、天津神社で大猟祈願し 意気揚々と 大師山に 繰り出しました。猪を 見つけると 猟犬達は 勢いよく 追い掛けましたが、猪よりも 足の速い筈の犬達は 追い着けませんでした。それでも 猪が 激しく走り回リ 遥か八幡渕まで来ると 避け切れなかった兎が2羽撥ね飛ばされました。村人達は大喜びで 二川の家に黒田邸に30人程が 集まり 祝い酒6升を楽しく飲みました。すっかり出来上がると 犬の活躍について話題となりました。兎は  吉三郎が25匁、茂平が 8匁で買い取ったと 言われます。「加茂川町史」 昭和24年(1925年)頃 同じように猪狩りをしていて兎が4羽捕れました。そこで兎2羽を捌いて 囲炉裏を囲んだ宴が 田中邸で行われ、猟犬の自慢話が始まりました。   神原:楽しかったのう 名梅:何がじゃ  犬共は 猪に駈け負けておった  何でじゃ 犬の方が速かろうに 二川:わしは  わしの犬の言葉が 解るんじゃ  わしの犬は「猪を 追い回すのが楽 しくて、捕まえるのは 楽しくはないんじゃ   猪と格闘して 怪我でもしたら 損じゃ」と 言うとった  アッハッハ    双六:酔いたんぼのお前様に 犬の言葉が 解るか  わしは 猪の言葉が解る  イヒッヒ  猪が 言うには「わし等 猪は 命がけで 逃げておる 犬共 は飼い主に 褒められたくて わし等を 追っているだけじゃ  気合 が違うんじゃ」と 言うとったぞ 此畝:ようまぁ シャーシャーと 口に出まかせを たれるもんじゃ じゃが  確かに わし等にしてりゃぁ 犬が仕留めてしまったら 猪を仕留める楽しみ が無いけぇ 猪を 追い出すだけで 犬を褒める  よう わしの犬は 働いたじゃろう ウッフッフ 引撫:しかし お前様等は 猟果もないのに何で 上機嫌なんじゃ  こうして飲みたいだけじゃろう クックック 図星じゃろう 吉三郎:アンゴウこくな 犬の餌が 有り余る程 獲れた 十分な猟果じゃ  あの時と同じに 兎を5銭で 買う  次の楽しみに 犬に 精を 付けさせようと思うておる 茂平:こけ  お前の晩飯にするんじゃろう  わしこそ犬に精を付ける 4銭で買い取る 大師:あれだけ 追い回したけぇ、当分は  猪も出てこめぇ  エヘッヘ 真地:じゃぁじゃぁ 今日の猟は 上々じゃオホホ  馬鹿馬鹿しい気もするがのう 中黒:楽しい酒じゃった ワツホッホ   神原:わしは未だ取らにゃあおえん物があるけぇ 返らせてもらう 名梅:酔いたんぼに 何がT捕れると言うんじゃ 二川:カカアの機嫌取りじゃ  酔うとる方がとりやしい 双六:しけてるのう ここらでパット芸者でも揚げようぜ  此畝:すまん  これで失礼する  脂粉の匂いがすりゃぁ 嫉妬深ぇカカアに 首根っ子う 獲られる 撫撫:お前のカカアは 円城の娘じゃたよのう 吉太郎:加茂の提婆ぁ人ぅ取る言うぞ 茂平:ハハハ 平和じゃのう 大師:生麦大豆二升五合

 「昭和30年(1955年)三谷野呂の百怪談」

中黒:小森1556・1695番34度55分3855分38秒東経133度48分20秒辺り    大師Daisi小森2246・2606番地等 北緯34度55分38秒東経133度47分39秒辺り 現在大詩集落は消滅しました。 双六Sugoroku小森1838・2157番地等 北緯34度55分14秒東経133度47分58秒辺り    神原Kanbara小森539・54034度55分1055分10秒東経133度48分 32秒辺り 此畝:調査中 名梅Nabai小森1735・1889番地等 北緯34度55分25秒東経133度48分16秒辺り    二川Hutagawa1864・1889番地等 北緯34度55分5秒東経133度48分4秒辺り    引撫Hikinade豊岡下1847・2339番地等 北緯34度55分22秒東経133度47分18秒辺り 真地Madi1443・1814番地等 北緯34度54分59秒東経133度47分2秒辺り    天津神社:北緯34度55分44秒東経133度48分38秒    真地乢Madi-tawa豊岡下1495・1496番地 北緯34度54分59秒東経133度47分21秒辺り    大師山:小森 北緯34度55分59秒東経133度48分25.秒 「昭和30年(1955年)三谷野呂の百怪談」 平成24年(2012年)3月12日

加茂川町史:猪、鹿追いを安政2年(1855年)7月20日に行いました。どなたか偉い方の忌中であったので、発砲が禁止されていましたが、村人が「獣害が甚だしいので 「脅し銃Odosi-jyuu」を使わせて欲しい」との訴えをした所、なぜか郡役人は「かってにせよ」と許可しました。被害を見かねて命令違反に 目を瞑ってくれたのでしょう。神原で 兎が2羽しか取れませんでしたが 酒宴)は盛大だったそうです。    

加茂川町史:明治5年(1872年)2月26日に猪追いが 行われました。中黒 大師より下の集落が 大猪を1頭取ったので 柳平邸で飲みました。神原 此畝 名梅 二川 双六の衆は 八幡淵で兎を2羽 捕って酒6升を買い求め飲みました。兎は吉三郎 茂平が 買い取りました。

加茂川町史:小森での虫追いは、嘉永6年(1853年)稲の害虫が大発生して困ったので 6月15日に 行われました。                    

加茂川町史:小森での風邪追いは 安政4年(1857年)3月2日に行われました。旭川の上向こうから 風邪が 流行りだした時、江与味から 連絡があったので 明現宮(天津神社)に 村中の者が集まり、お祓いを受け祈願し 川戸に追い出そうとしましたが、雨になり中止し、神社に戻り酒1升を 用意して飲みました。    風邪追いも 虫追いと同じような行事です。あまり行う地域が多くなかったようで、掛け声の実例を聞けませんでした。    平成24年(2012年)3月12日