加茂市場 加茂市場公園 Kamoitiba kouen park


高梁御津線(31号線)と落合加茂川線(66号線)の加茂市場での交叉点安藤神原家の隣地)の南に 堀川橋があり 川に堀川に架かります。その南側に浜崎井堰(北緯34度51分57秒東経133度45分18秒)が 宇甘川に 設けられています。浜崎遺跡から細い堀川(日之御前井溝)が 北に向け180m程流れ 堀川橋の直ぐ北で 細田川 北緯34度52分3秒東経133度45分23秒で 合流します。細田川は ここから東に 向きを変え 宇甘川に架かる貫抜橋の120m程東 北緯34度52分2秒東経133度45分30秒で 宇甘川に合流します。宇甘川と 堀川と 細田川に挟まれる地域が 加茂市場公園です。公園の 南に駐車場が隣接し、駐車場の北に 公園の案内板が建ちます。

案内板には「加茂市場地区は 加茂大祭の開催地である 総社宮を中心に開けた地区であり 昔ながらの景観は 伝統を重んじる加茂大祭にとって 大変重要なものとなっています。当地区には 波止hatoを初めとして歴史的な土地改良施設や 関連する地域資源が 今もなお 残っています。当事業では こう言った施設の機能強化と 保全を図り 地域コミュニティーの発展を 支援します。  事業の内容⓵日之御前井堰 ➁飛び石 ③遊歩道 ④波止 ➄休息広場 ⑥水車小屋 ⑦駐車場 平成12年3月岡山県地方振興会」と記されています。

井堰近くに、水汲み場 休憩施設 水車小屋があります。波止は 浜崎井の隣りと公園中心部等にあります。中心部の波止の案内板には「加茂市場の波止 この堅固な石組みは宇甘川の洪水から総社宮や周辺の土地を護るため造られた石出し水制で このあたりでは “波止”と呼ばれています。いつごろ造られたのかは はっきりしませんが 古老の話によると 江戸時代(寛永年間)の築造ではないかと いうことです。川の流れに直角に近い角度で 大きな自然石を 組み合わせて造られた この水制は 洪水時 流れを川の中心部へ押しやり、川岸の浸食を防ぐ役目をはたしています。

 この辺りには 大小6基の「出し水制」が 供えられていましたが 近年の河川改修などで 築造当時の姿をとどめるものは 4基だけとなりました。ふるさとの原風景が 町内各地で 姿を消しつつあるなか 周辺の景色に溶け込み 厳しい自然に対峙する波止の姿は 加茂川町の景観の一つとなっています。 平成9年四月一日 加茂川町」と 記されています。この地域の宇甘川には、昭和35年(1959年)頃には 飛び石や洗濯場が ありましたが、現在は 小規模な「飛び」は 何度かの台風で流され 細田川と宇甘川の合流点の少し手前の洗い場にある物を除き 跡を 留めません。

洗濯場は 貫抜橋(高橋御津線と落合加茂川線の交叉点から 南東に180m程)の上流側橋元、貫抜橋の下流10m程 60m程 90m程の惣社宮側の川岸より下る石製の階段の下 に計4基残っています。また波止は4基残っているとされますが 貫抜橋の下流にあった波止2基は 無くなっています。貫抜橋と現在残る大きな波止の中間辺りに 波止の残骸を思わせる、石組が 造られております。細田川と宇甘川の合流点の 細田川には、日之御前井堰と 大きな石で造られた飛び石があります。落合加茂川線と高橋御津線の交叉点の北西隣地に 日之御前橋が細田川に架かります。子の50m下流にも井堰があり、飛び石の痕跡が残ります。高橋御津線と落合加茂川線の交叉点から 南東に180m程進と 貫抜橋が 宇甘川に架かり 更に150m程進むと 加茂総社や 祭會舘 公衆便所が建ちます。

お祭会館の北は 親水広場になっていて 緩かな川の流れとなっています。加茂大祭の時には この河川敷で 家族は お祭鮨を 囲んで昼食をとる風習が ありましたが、現在では家族ぐるみで 加茂大祭を 楽しむ習慣は少なくなり 昭和の頃の賑わいは ありません。堀川は 明治初期に 水嵩を増した宇甘川の水流を 総社宮を 迂回させ 細田川に注ぐために 掘削しました。これに熱心に協力した人が 浜崎新左衛門と言う人物でした。

 新左衛門は 所謂流れ者で 本名は解りませんが、世話をしていた浜田氏が 家人に加え 浜崎と名乗らせたようです。新左衛門は 敬虔なキリスト教信者であったらしく、逞しい奉仕の精神で 堀川掘削に 努めたので、後に 恐らく浜田氏が 浜崎原に 供養碑を立て 位牌を守ったそうです。この公園と関係ないのですが、公園の東隣地に大きな「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑が立っています。かつては 近くの山の中腹に 立てられていたと言います。村人によれば、村の娘が 片山氏に 子守として雇われ 子守していた時 猟師に烏か獲物と間違われ 撃たれた 或いは 川合神社の方向田土藤沢城 大畑城  または小谷城の岩の間を 通るような 小さい城から 矢を放たれ 柴刈りをしていた少女の供養碑(御崎様)である と言います。

後者の伝説の条件に該当する城は 小谷城主の館の横部屋敷(安藤屋敷)しかありません。天正15年(1587年) 小早川隆景が 筑前国名島に 移封されると、伊賀家久は 幼い弟の太郎次郎(後の神原久良)大原城の伊賀惣右衛門(後の神原惣右衛門に預け隆景に従って 名島に移りました。惣右衛門は かつて伊賀家の配下であった 小谷城の森大蔵に 太郎次郎に城を譲るよう迫りましたが、頑として拒絶したので 伊賀久隆(家久の父)の恩義を忘れた大蔵に 怒り 小谷城や横部屋敷を襲い 大蔵一族の男衆を一人残らず殺し、女子供を国外に追放した と言う伝説があります。しかし石碑が この事件に係るかどうかは 解りません。浜田家は かつて 近くの山の中腹にあったと されますが、この山は 城山では ないようです。

近くに神原(金原を連想させます) 金屋(金谷を連想します)湯山(湯は溶けた鉄を連想させます)肥無田(廃砂によって不毛の地になった事を連想させます)の地名があり 赤土を採取したと思われる切り地や窪みがあり、流田(鉄穴流しを連想させます) 三十田(たたら製鉄を重ねた事を連想させます)藤沢(鉄穴流しの砂鉄分離に藤製の蓆を仕掛けた沢を連想します)塩田(廃砂或いは砂鉄を連想させます  また塩田は不毛の地ともされます )垣之内(人足寄せ場を連想させます)日南(火砂・砂鉄や火場を連想させます)井出溝(鉄穴流しの水道を連想させます)大潰(廃砂或いは土砂採取によって土砂崩れを起こした事を連想します)湯笹(湯は溶けた鉄を、笹は砂砂即ち砂鉄を連想させます)地名があり 藤沢山金毘羅神社が祀られ「谷渡り提灯祭」(宇甘川の安全祈願を連想させます)が行われ、日の御崎橋(火の御崎 火の神加具土命"生まれてすぐに父親・伊弉諾尊に細断されます"を連想させます〕があり、貫抜橋(たたら製鉄の溶鉱炉加具土の湯の注ぎ口「かんむき」を連想します)また宇甘川上流には シブリ坂(鉱石等が むき出しになった地を 連想させます)金久曽(金糞即ち製鉄後の廃棄物ソブを連想させます)黒ガ子(黒鉄kuroganeを連想させます)等の地名があり、湯山の神原(神原橋 新神原橋 神原2号橋 神原バス停)と通称される処の郷士安藤神原家(太郎次郎を祖とします 北緯34度51分19秒東経133度44分20秒)と並ぶ 御北神原家Okita-koubara-ke(神原惣右衛門を祖とします 北緯34度51分19秒東経133度44分20秒)稲荷神社には、味耜高彦根大神Ajisuki-takahikone-no-ookami(農業神 蛇神 雷神で 大国主命の子  国津神でありながら 天津神である天稚彦命の喪屋を 蹴散らしたとされます)鉱山の神である金山毘古神Kanayamahiko-no-kami 金山毘女神Kanayamahime-no-kamiを祀る事等から、この地は かつてたたら製鉄が 盛んに行われていて、廃砂が 宇甘川を荒していたのではないかと想像します。総社宮の森神社は 洪水によって高谷まで流され、明応5年(1496年)6月に 貴船神社は 御津紙工Sitoriまで流されたそうで、それぞれ後に森神社 或いは宇甘神社Ukai-jinjyaが( 岡山市北区御津紙工1587番地)が 祀らTれています。 鍛岩:加茂市場229番地 學校:加茂市場246番地 塩田:加茂市場289・311番地等 馬場免:加茂市場348・356番地等 父御崎:加茂市場352番地 鍛冶屋:加茂市場358番地 車場:加茂市場367・368番地 浜崎・濱埼:加茂市場357・382番地等 井戸前:加茂市場406番地 流田:加茂市場434・452番地等 垣之内:加茂市場594番地 日南:加茂市場718・742番地等 日南:加茂市場1031番地 城山:加茂市場888・991番地等 神原:加茂市場912・939番地等 藤澤:加茂市場988・989番地 釜ノ淵:加茂市場1019・1101番地 井手溝:加茂市場1046番地 大神岩:加茂市場1075・1147番地等 金屋:加茂市場1096・1467番地等 燈明田:加茂市場1097・1105番地等 三十田:加茂市場1108・1111番地等 肥無シ田:加茂市場1119・1229番地等 大潰:加茂市場1125・1312番地等 駒ヶ市:加茂市場1442番地 藤禰田:加茂市場1665番地 早稲田:加茂市場1693-1695番地 大倉:加茂市場1697・1807番地等 湯笹:加茂市場1761・1778番地等 水通し:田土813・929番地等 浅池:田土865-868番地 シブリ坂:田土872・911番地等 廣草田:納地1197-1202番地 廣草木::納地1203・1204番地 樋口・樋ノ口:納地1226・1386番地等 車:納地1243番地 金久曽:納地1291・1307番地等 潰戸:納地1308番地 槇ノ乢・槇乢:納地1309・1328番地等 黒ガ子:納地1333・1376-1378・1388番地等  令和3年(2021年)6月25日