上竹 聖坊山の雨乞い Pray for rain at Hijiri-bou-Yama mountai


昔、上竹の龍王山に 旅のお坊さんが 来て、20日も 雨乞い祈願をしました。雨は 降らなかったので、村人は「もう待てん  偽坊主め」と 言ってお坊さんの周りに 割木Warigiを 堆くUzutakaku積んで 生きたまま 悪たれをついて罵りNonosiri 焼き殺した。ところが 翌日雨が 降りました。死んだ者は 帰らないので、村人 は 僧に詫び、涙しぃしぃ祠を 建てたそうです。それで 竜王山を聖坊山と 言うようになりました。「賀陽町史」「村人口伝」「吉備中央町の民話(1)」

 

聖坊山物語 story of Hijiri-bou-yama "Holy Priest mountain"

 昔、大村に 悪たれ小僧が おりました。子供の癖に 酒を飲み 暴れ回り、か弱い女子Onagoを 泣かしていました。大村寺の和尚が この少年に「何故に 悪たれるのか」と 問うと「坊さんは  托鉢Takuhatuすりゃぁ 飯が食え、経さえ読んどりゃぁ 尊ばれる。わしは いくら人のためになろうと働いても 誰も褒めてくれんし 食う物も もらえん  わしは どうすりゃぁ良ぇか 解らんようになった  じゃけぇ グレて 奪うんじゃ」と 答えました。それを聞いて「ならば 坊さんになりなされ」と 言って強引に 弟子にしました。少年は 不貞腐れながらも 寺に入りましたが、幼い頃の志が 蘇えると、龍王山に 入り  厳しい山岳修行を 進んで行い 心を 砥ぎ澄 せました。住職は その功を 認め 龍王山の東中腹に 建つの感応寺と 東興寺に 派遣僧として送り 弟子を持つ事を 許す程に 徳を高めました。ある夏の事、村は 日照り続きで 作物が枯れ 井戸の水も 干上がりました。村人は「このままjじゃぁ 村ごと死ぬ」と 大村寺の住職に 読経させ 広場で 朝から晩迄 天に向かい雨乞いを しましたが、雨は 一滴も降りませんでした。そんな雨乞いが 何日も続いた頃、住職は あの悪たれ坊主だった僧侶を村に呼び戻しました。それを見た村人は 昔の恨みもあり 雨乞いの不調に 気持ちが 荒れていたので 腹いせに ボロボロの袈裟Kesaを 着た みすぼらしい僧侶を 囲み 叩いたり 蹴ったりしました。殴られても 蹴られしても ジッと耐え「わしも 雨乞いに 加ぇてくれぇ」と 頼んだのです。「悪たれ者のお前が 雨乞いだと  袈裟ぁ着て 坊主の真似Maneぇして また何か 悪企みぃしとるんじゃろう」と 蔑みSagesumi 石礫Isitubuteを みまいました。やっと 体を起こすと 僧侶は「わしの命と引き替えでも良ぇ」と 天に向かい 住職の読経に 合わせて 読経し 始めました。 その余りに 熱い祈祷に 村人達は 圧せされ  割木を用意してやり 一緒に 雨乞いを し始めました。しかし 飲まず食わずの二人の雨乞いが 20日も 続きましたが 雨は 降りませんでした。村人達は お坊さんの周りに 割木を堆く積んで「善人面した 偽坊主じゃ 手伝うて損した 坊主なら人柱になってでも 雨\ぇ 降らせぇ」と 再び悪たれて 罵りnonosiri生きたまま 焼き殺しました。ところが 翌日 俄かniwakaniに 雨雲が現れ  見る見る内に 立ち込め 大粒小粒の雨が ポツポツと 降り始め、ついにザーザーと 抜け降り、滝の雨の様になり 村は旱魃から 救われました。村人は 悔やみ、詫びましたが 死んだ者は 帰りません。涙しぃしぃ祠\を建て 丁重 に葬り祀りました。それで 龍王山を 聖坊山と言うようになったそです。「村人口伝」を基にした物語 聖坊山:北緯34度51分24秒東経133度40分1秒 徳山大村寺:上竹谷口5600番地 北緯34度50分5秒東経133度39分37秒付近    感応寺・勘納寺:聖坊山の東腹  現地を 確認していません カンノウジ:上竹953-954番地等    東興寺:感応寺の隣  現地を 確認していません   聖坊:上竹986・988・992-1005番地東興寺の南方聖坊山の中腹        平成24年(2012年)9月24日