風神社 huu-jinjya


広面 風神社・雨坪神社・金比羅宮 Huu-jinjya and Amatubo-jinjya in Hiromo

429号線下加茂から 岡山賀陽線(72号線 吉備新線)に向かうと 左手に道路拡幅工事の時向きは逆ささにされた 道標があります。「右だいせん 左かも」と 記されています。この道を左に下ると 右手 北緯34度49分18秒東経133度48分35秒に槇iや 檜の大木に 守られた風神社が 見つかります。鳥居の近くに力石が 有りました。

摂末社に 建勲神社Take-Isao-jinjya 若宮神社 龍神社 淳霊神社Jyunrei-jinjya 稲荷神社 金刀比羅神社 雨坪神社(風神社の前身) 荒神社等が有ります。崇神天皇sujin-tennouの時代に、四道将軍Sidou-syougun五十狭芹彦命(Isa-Seri-hiko-no-mikoto吉備津彦命が面影道Omokage-miyi(山陽道と山陽道)平定の際にため この地に やってきました。その際に その部下である 鼓彦命Tudumi-hiko-no-mikotoが 雨坪の山麓に小祠を建て、志那津比古命Sinatu-hiko-no-mikotoを 祀りました。

雨坪の地から 開拓し始め 広野を耕地とし この地を広面と名付けたと言われます。風神社明細書によると 大和国生駒郡の宮幣大社Kanpei-taisyaの 龍田神社の御霊を 分霊し祀ったそうです。祭紳は 級長津比古命 級長津比女命 別名を天御柱紳Ame-no-Mihasira-no-kami 国御柱紳Kuni-no-Mihasira-no-kamiです。品陀別天皇Homuda-wake-no-sumera-mikoto 足仲彦天皇Tarasi-nakatu-hiko-no-sumera-mikoto 息長帶比賣命Okinaga-Tarasi-hime-no-mikotoが 共に祀られています。昔より 風災を鎮め 害虫を 駆除して 年穀を 豊穣賜る霊験が あるとされています。「手づくり ひろも今昔物語」 四道将軍である 吉備津彦命が 吉備平定の時、雨坪山の山頂近くにあった 鼓岩の上にお立ちになりました。そして、そこに小社(雨坪神社風神社)を建立された。「加茂川町史」 崇神天皇の時代 四道将軍の吉備津彦命の部下の臣 鼓彦命が雨坪山の山嶺に雨坪神社の小社を建立し、志那津比古命と志那津比女命を勧請しました。後 朱雀天皇の承平5年(935年)に現在の地に奉遷(鎮斎)して 風倉大明神としました。明治2年 風神社と改められ、明治45年6月境外末社 八幡宮を 相殿として合祀しました。昭和11年11月 神饌幣帛料併進神社に指定せれました。風神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁 (okayama-jinjacho.or.jp)」    風神社の秋祭は10月の第2日曜日に 境内神事 御旅所神事を行ないます。御旅所は 旧広上八幡神社です。長刀舞 獅子舞が 奉納されます。8月15日に 火燈祭をし 盆踊りが行われます。  龍田神社:奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6番地 北緯34度36分30秒・東経135度43分30秒に建ち、天御柱大神 国御柱大神を祀ります。

平成24年(2012)5月7日

 

著者の桃太郎物語 Stort of Peach boy

昔昔 吉備の国に温羅と言う温和な人柄の人が 朝鮮から亡命してやって来て 人々に慕われ 鉄産業を発展させました。大和朝廷は 自分達より吉備国が強くなると困るので、吉備国の人を鬼と呼んで 悪さをしていると言いがかりを付け 征伐軍を送りましたが 敗戦が続きました。そこで 桃太郎を大将にして 吉備国から戦士を募集すると、一番に猿が名乗りを上げ、犬や 雉を 誘いました。猿と犬が温羅の城の「鬼の城ki-no-jyou」にいどみましたが 鬼はとても強く 桃太郎軍は 押されがちでした。その様子を 大高山の頂上で見ていた 雉は 恐ろしなって 敵を前にしながらも 逃げ出しました。すると鼓の音が 追いかけて来ました。逃げても 逃げても 闇の中でも 鼓の音が追いかけます。異変に気付いた 猿は 物凄い速さで飛んで行き 雉を捕まえ 戦いの最前線に 送り込み 鬼と直接戦わせ 逃げられないように 猿と 犬は 雉を見張りました。桃太郎が 温羅を弓で片目を射抜くと 堪らず 温羅は  命の尽きる前に 一人でも多く 敵を倒そうと 船に乗り敵陣に 切り込もうとしました。しかし沢山血を流した 温羅は 目がくらみ 川に転落してしまいました。温羅は それでも鯰のように泳いで 川を渡ろうとすると 雉も 川に飛び込み  鵜のように泳ぎ  温羅に組付き 一騎打ちとなりました。組んずほずれずの戦いで 温羅と 雉は相打ちになりました。桃太郎は これで鬼達は降伏すると思いましたが、鬼の子分達は 逆らうばかりです。鷺の巣温泉に攻めて来ると 傷付き戦えそうもない鬼は 不思議な事に 翌日には元気になり、刃こぼれして 使い物にならなくなった筈の剣は 切れ味良い剣に 戻っていました。桃太郎は 妻を失いがっかりしていましたが、猿の娘を妻に貰い 幾らかは 心労を癒しました。それでも 心は 乱れていましたので  心を整え 新たな作戦を練るために 大高山に登り 敵状を視察しました。大高山には 軍師の置き忘れた鼓が 鼓の形の大岩になっていたので これに登るとポンポンと清清しい音がして 心が研ぎ澄まされました。桃太郎が 瞑想すると 鬼ヶ嶽温泉戦が 思い出され 鬼達は 温泉で傷を癒し 宇甘川の石を 砥石にして 剣を研ぐ姿が 見えました。そこで猿に 温泉と砥石を破壊するよう命じました。猿は 夜に 飛んでやって来て 砥石岩に穴を 明け水を出し 温泉に流し込み冷泉にしてしまいました。鷺の巣の鬼を退治した 桃太郎は 次に 化気神社の鬼退治に向かいました。    桃太郎:五十狭芹命Isa-Seri-hiko-no-mikoto・第2代吉備津彦命Kibituhhiko-no-mikoto大吉備津彦命  鬼ノ城で 激しく戦ったのは 五十狭芹彦命の異母兄弟の稚武彦命で 大和朝廷から吉備津彦命の職を 与えられましたが、兄の立場を 忖度し 直ぐに 兄に吉備津彦命の座を譲り、兄を 大吉備津彦命と呼んだとされます    鬼ノ城:岡山県総社市の鬼城山の鬼ノ城Ki-no-jyouは、白村江の戦Hakusukki-e-no-tatakai/Hakuson-kou-no-tatakaiで 新羅連合軍に 大敗した後、大和朝廷は (日本)の防衛のために築いた朝鮮式の山城で、吉備津彦命が 攻めた城では ありませんが、吉備津彦命が攻めた鬼ノ城跡に、後の恩ノ城が 建てられのかもしれません この辺りは当時の海岸線でした 猿:楽々森彦命 足守の吉川城主 墓とされる高塚古墳が 吉川忠霊神社の隣地北緯34度49分15秒133度45分10秒にあります  一日にi 百里 或いは3千里を飛び(飛翔と説明する人もいますが、早き走るの意味でしょう)、岩を 穿ち水を 出させる能力があったとされます   雉:留霊臣命 鳥飼部の長    犬:犬飼建 犬飼部の長 瀬戸内海岡山の犬島の長     鼓彦命五十狭芹命の軍師、鼓岩に案内し、鼓の音色で 乱れた吉備津彦命の心を鎮めたとされます  妻:高田姫命 楽々森彦命の娘 下高田に由来する名前です 五十狭芹彦命の妃の百田弓矢比売命Momota-Yumiya-hime-no-mikotoの死後、后となったとされます  鼓神社付近に祀られます 闇:五十狭芹命の部下の 夜目主命 岡山県倉敷市日差の住民で 闇でも 目が利きました 大高山Oodaka-yama鼓山吉備中央町広面広奥 岡山市との境 北緯34度49分11秒東経133度49分6秒 鼓神社北緯34度46分34秒東経133度49分33秒 岡山市上高田3628番地 鼓岩:大高山の添山の 小高山Odaka-yamaの麓のドンドン山 北緯34度49分9秒東経133度48分46秒 鬼ケ嶽温泉:岡山県井原市美星町烏頭 温羅が温泉に浸り 吉備津彦命から受けた傷を治しながら 戦ったとされます ドンド:広面1277・1278番地 ドンドグチ:広面1467・1472番地等 サキノス:竹荘486・497番地等 砥石岩:竹荘砥石場砥石岩 北緯34度51分2秒東経133度41分38秒近く    砥石岩:竹荘329・538番地 トイシ岩:竹荘333・533番地  平成30年(2018年)1月1日