福沢 飯野山   闇米詐欺 Dark Rice Scam

太平洋戦争の戦後の コメ不足の折り、町から食べ物を求めて 田舎に人々が やって来ました。ある百姓が 荒神祭に 使う米を 預かって 稲荷神社に 保管していましたが、お金欲しさに 闇に流しました。米は 保存方法が 悪く腐ったと言い逃れるつもりでしたが「保管方法が 悪くて 米が 腐りかけていた」と 買い求めた者達が 言いがかりをつけ 責任を問うと、腐っていないことは 解っていましたが 村人に 横流しした事を 知られるのが怖く 平謝りして 全額を 弁済しました。偶然に 同じ理由を付けた 詐欺のラジオ報道を 聞いて「不正を働いた わしは  稲荷様と荒神様に 祟られたに違いない」と 恐ろしくなり心を改め、荒神祭には 自分達の食べるための米を 代りに使い、芋で その年を 食い繋ぎました。「福沢の村人の話」


粋なお稲荷様の怒り Anger of houghtful  Inari-goddess


大きな戦争が 終わり、日本国中は 食べ物が 不足し、お米が 高く 売れました。昭和14年に大旱魃が 起こり 大変な飢饉が 起こりそうな世相でした。福沢村の百姓が 金毘羅様に 五穀豊穣の神様が 祀られていると思い込んで「飯の山と言われるのだから さぞや お米作りに ご利益があるだろう」と 信じ、険しい山道を 登り飯野山のお稲荷様に「金比羅様 お米がいつもの年位に採れたら 腹の減った人達に 分けてあげますので 豊作にしてください」と お願いしました。すると神様は どう言う訳か「そんな事なら わたくしではなく 讃岐の金毘羅様に お願いなさいな」と お告げになるのです。お百姓は「横着な神様もいるものじゃ」と 思いながらも さっそく 讃岐に出かけました。足を痛め困っていると 口が細く 目が細く 極端な出っ歯の細身で 獣臭の強い 親切な人がいて「代参なされ」と 教えてくれました。親切な 人の指導で 代参を試みるため 願書を認めsitatame近くにあった 金比羅神社らしき小社の軒に 置きました。すると 田植えの終る頃に 讃岐の金刀比羅神社の お札を あの親切な人が 届けてくれました。大切に 神棚に祀り 心を込めて稲を育てると 近所のお百姓達は いつもの歳の半分位しか お米が 採れなかったのですが、そのお百姓の田は 金比羅様のご利益を得て 豊作でした。お百姓は 金毘羅様に お願いした時の約束通りに 約束を守ろうと、女将さんに 篤志分のお米の管理を 頼みました。ところが 欲張りな女将さんは お米の半分を困っている人に施した様に見せかけ こっそり隠し、お百姓が 留守をした時に 人目を忍んで 持ち出し 闇市Yami-itiに流し へそくりを 蓄えようとしました。米を やっとの思いで しかも安く買えた人達は 喜んだのですが、俵の中を見ると お米は 全部腐っていました。女将さんの お米の隠した場所が 適切でなかったからです。カンカンに怒って お百姓を 訪ねて来て 苦情を言ったので、女将さんの不正が 暴露され、女将さんは 村に住めなくなり。どこかに 逃げ出しました。。

村人達は「御稲荷さんも 金毘羅さんも 豊作を司る神様じゃ  神社の名前ぅ 間違ごうた位は 許して呉れたんじゃが、欲張りぁ 許してくれんで 稲荷様に 祟られてお米ぁ腐さったんじゃ」と 話し合ったそうです。神様を間違った男は 恥じ入って 飯野山の稲荷様に 誤りに詣でると あの親切な人が現れ「あなたは本真に いい人じゃ 神様が 正直で賢い良い嫁さんを 紹介してやる」と おっしゃっていた   次の日に 家の戸に 鍵を掛けずに待ちなされ」と 厳かに伝えました。男は それを信じて 翌日は 戸に鍵 を掛けずにいると 激しい稲妻が 何回も近くの山に落ち 火柱を上げました。すると逃げ出した女将さんそっくりの 内臓脂肪を たっぷり蓄えた 娘が 戸を けたたましく開けて「助けて」と 叫んで 飛び込んで しがみ付いてきました。嵐が 止んでも「嫁さんにしてくれ」と 言っ て出て行かないのです。男は「前妻そっくりな 怠け者らしい女を 紹介するのか  無粋な事をする神様もいるもんじゃ  じゃが 行き所もなさそうじゃ」 と 思いながら 仕方なく 家に置いてやりました。ところが 娘は働き者で 朝から晩まで 男に寄り添い  仕事を手伝うので 次第に脂肪が 取れて 稲刈りをする頃には すっかり痩身し 美しい体形になり 稲の束を力強く 運んでくれました。男は 稲束を 担ぐ娘に 愛しい眼差を向け「粋な稲荷様から 稲妻を賜った」と 思い その娘を妻に迎え 死ぬまで寄り添いました。そうな。「福沢の村人の話」 を基にした物語 飯ノ山稲荷神社:福沢と有漢の境 北緯34度56分24秒東経133度43分8秒  平成23年(2011年)10月6日

 

諏訪神社 Suwa-jinjya shrine

上房郡史によれば 飯野山城は 飯山兵部尉が築城したと 言われます。築城の時代は 解りません。虎倉合戦の開戦の前の城主は 伊賀三郎五郎 あるいは 新山玄蕃充家住と 言われます。上加茂合戦のおり この城を守った 山県三郎(国吉)は 甲斐の武田氏族が 安芸に移住した時に 従い毛利氏の将となった人物です。毛利軍が虎倉城を攻撃した時には、飯ノ山城は 大将毛利輝元の本隊に 攻撃され奪われました。その跡を 任され山県三郎兵衛山県国吉 が 城の防衛に当たりました。甲斐の諏訪神社を祀り 備中攻略に 加担した人物です。諏訪大社Suwa-taisyaは 長野県の諏訪湖周辺の4か所にある神社で 諏訪大社全体で祀る主祭神は 建御名方神Take-Minakata-no-kami(上社本宮 大己貴神大国主神沼河比売奴奈川姫の子)八坂刀売神Yasakato-me-no-kami(上社前宮・下社主 建御名方神の妃)です。