細田 三谷原   コソコソ岩(1) Kosokoso-iwa "whispering-rock" (1)

 昔 備前国の御津郡円城村細田に こそこそ岩が 有って、夜分 そこを通ると コソコソと言う物音がしたと 言われます。この岩は 幅5尺(約1.5m)の岩で、女性の妖精が 棲むと言われています。こそこそ岩 (こそこそいわ)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)」「岡山文化資料」 平成24年(2012年)8月20日

こそこそ岩(2)Kosokoso-iwa(2)

こそこそ岩から  底なしの洞窟が 続き、世に害成す魔王 が荒神によって封印されていて、魔王族の青い色の血を引く 血を注ぐと 蘇えるとされ、夜に 一人で 傍を通ると 話し掛けて来て、それに 応じた者が 青い血の人間でないと解ると 脅し  威嚇を恐れ逃げると 追い掛けるとされます。逆らうと 傷付けられます。コソコソ岩の前を走って 通り抜ければ 何も起らず、話し掛けられても 知らない振りをして ゆっくり通り過ぎれば  何も起こらないとされます。「三谷陰地の村人より口伝」 平成24年(2012年)8月20日

こそこそ岩(3)KOSOKOSO-IWA(3)

吉備高原北部広域農道(奥吉備街道)の 細田公民館下の 三谷に下る 旧道の分岐点と 三谷集落西端の民家との 中間辺りの山側の採土で 窪んだ道より 2m程中側 北緯34度54分3秒東経133度47分4秒の近くにコソコソ岩が有り、脇に せせらぎが 有ります  ここは三谷に接した 細田に属し、道路脇の駐車場の奧に なります。鐘の穴を掘る工夫が  庭石に良いと言ってコソコソ岩を 持ち去ろうとすると 誤って怪我をしたと 言われます。村人が 岩のある平地を 畑にするため 破壊しようとした時は 大爆発音がして  工夫の鼓膜が 破れたと 言われます。平成27年(2015年)10月に 三谷陰地の男が この岩の近くの木を 切ろうとしたところ  岩を 避けるように 倒れ 撥ねた木で 顔面骨折しました。片目が 飛び出し ブラリと 垂れ下がっいましたが 治療を 受けると視 力は低下しましたが 失う事はありませんでした。 平成27年年(2015年)12月31日

鐘の穴 kan-no-ana "chime hole"

三谷原の三谷川対岸に 鐘の穴が有ります。銅採掘の試掘穴です。縦坑約100m、横坑約200mが こそこそ岩に 向けて 掘られているそうです。実際には 銅は採れず 蝋石Rousekiが 採掘されました。昭和の中頃迄 子供達達は 蝋石で 地面に 絵や S合戦 ケンパ等の遊びの 陣図等を かいて遊びました。旱魃Kanbatuの時には、鐘の穴に溜まった水で、辺りの田を潤したそうです。とても冷たい水が、尽きる事がなかったそうです。「三谷日名の村人のより口伝」 平成24年(2012年)8月20日

妖怪カルタ コソコソ岩 Kosokoso-iwa of spectre Karuta "Traditional Japanese playing cards"

妖怪カルタの 読み札には「こそこそと話し声する岩の中」と 記されています。説明の概要は「岡山県御津郡円城村にあった巨石で、夜に近くを通ると こそこそと 話し声が 聞こえたと伝えられます。あの名高い 芭蕉の俳句が彫ら れています。ある時から、コソコソ岩の近くを通ると 不思議な事に 話し声が聞こ えてくるという噂が 立ちました。岩に刻まれる字を 詳しく調べると「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の「蝉」 の字が「人」になっています。www.gunmanet.or.jp/takotubo/karuta.htm 三谷原付近の岩は 花崗岩しか 見つかりませんが  写真の岩は 花崗岩に見えません。 平成24年(2012年)8月20日


こそこそ岩物語 tale of Kosokoso-iwa

昔 三谷村の少年が 加茂市場に お使いに出されました。帰る頃  三谷原に差し掛かる頃には 辺りまっ暗になりました静まり返り 自分の足音が ヒタヒタと 良く聞こえるようになり、誰かが 後を付けているような 気がしました。確か この当たりには 狐がいて 人を化かすと 言います。遠くの狐の鳴き声がすると恐くなって、急ぎ足で 逃げるように 進みました。すると 足音が パタパタと 追い掛けてくるのです。更に 速度を上げると  足音も バタバタと 追い掛けてきます。長く早足で歩いたので 息が切れて苦しく、逃げるのを 諦めて後ろを向くと コソコソと 話しかける声が 聞こえます。可愛らしい少女が 岩の陰にいて、穏やかに 近付いて来て「青い血が欲しい」と 澄み切った声で 話し掛けて来ました。優しく 誠実そうな仕草なので 気を許し、少女の目を見ると 眼の光は 氷のように冷たく 剣のように 残忍でした。少年は 一度に 血の気を失い、顔面蒼白に なりました。少女の姿をした妖怪は「何と美しい青い顔です事  青い血の持ち主なのですね  そうで あればあなたは 人間との間に生まれた 魔王様の御子です  青い血を 分けてくださいませんか」と 言って 迫って来ました。少年は「わしの血は 赤い  鐘ノ鐘の穴のゴンゴKappaは 青い血をしているそうじゃ  ゴンゴから 貰ってくれ」と いうと、少女は「あれは 魔王様の卑しい眷属Kenzokuです ゴンゴの血では 役に立ちません  この岩に 封じ込められ瀕死の魔王様の復活には、魔王様が この村の娘に 産ませた子の青い血でなければいけないのです ほんの少しで良いのです 魔王様に 掛けて差し上げれば、青い血の細胞を 万能細胞に変え 瀕死の魔王様の組織が 再生され 蘇生なさるのです」と 答えました。

少年は「わしには、ちゃんとした父ちゃんがおる  わしは 魔王の子なんかじゃぁない」と 言うと、少女は「そんなに 自信があるのですか  本真に あなたが言う父さんが、本当のあなたの父さんですか」と 言われて、少年は 以前に悪さをした時 お父さんに叱られ「こんな腕白者は わしの子じゃぁない」と 言われた事を 思い出し、少しの不安を感じ 戸惑いました。少年の戸惑いを見た 刹那Setuna、少女が信じられない速さで 翻るHirugaeruと 手に痛みを感じました。痛い所から 血が滲んでいます。「この女子Onagoが 伝説の鎌鼬Kamaitatiなのか」と 一瞬思いました。女は 赤い血を見て「青い血では ありませんでした 勘違いしてごめんなさい  早く いになされぇ(かえれ)」と 妖怪の姿に なったのです。少年は 恐ろしくなり 逃げました。すると 妖怪が 追い掛けて来ました。「目の前から消えろと言うので 逃げているのに 何で 追い掛けるのだろう」と 思いながも 逃げに逃げました。「三谷に向かえば 親戚がるので 逃げ込もう」と 必死に走り親戚の家に 辿り着きました。母親が 余りに遅くまで 家に戻らないので 心配して 訪ねて来ていました。母親に 抱き付き 暖かい胸の中で泣きながら さっきまでの出来事を話しました。母は「おまんのお母Kanでございますー オマンの母 | オマンノハハ | 怪異・妖怪伝承データベース (nichibun.ac.jp)と 妖怪の真似をしながら「あそこのあの妖怪は 魔王の秘密を暴こうとする者を 脅して追い掛けるんじゃ 何じゃ茅Kayaで手を切っとるんか」と 抱きしめてくれました。夜泣き石 - Wikipedia」「鎌鼬 - Wikipedia「岡山文化資料」「三谷陰地の村人より口伝」「三谷日名の村人のより口伝」を 基にした物語。 こそこそ岩の正体は 岩に盃状穴を彫る音 あるいは 蝋石坑道を掘る音や 工夫も話し声が 辺りが 静かになった夜に 聞こえたのでしょう。コソコソ岩のような 伝説を持つ岩は 全国に幾つもありますが、実際に 音が聞こえたのは このコソコソ岩だけでしょう。現在では 坑道の掘削をしないので 音はしません。            https://ja.wikipedia.org/wiki/夜泣き石」 夜泣き岩に似た伝説は 吉備中央町では 杉谷の千光寺の観音、清水の清水寺の梵鐘、新山の子宝観音 等の伝説があります。

写真はゲゲゲの鬼太郎の作者である水木しげるさんの妖怪カルタに示されるコソコソ岩として紹介される岩です「閑さや岩にしみ入る人の声」と刻まれています  水木しげるさんが岩目(細田⁺三谷  広面)に目玉の妖怪を亜世田にあの世とこの世の境を、塚が塔の古墳等を視察に来た時の案内人の2名(故人[この物語の語りべ達]と90歳を超える上田東のご老人のお話によると「コソコソ岩には浅い穴が掘られているだけで「字」等は何も刻まれていない」と言います  昭和中期、コソコソ岩のある辺りは 著者の子供の頃の遊び場でしたが、字の書かれた岩を見た事が有りませんwww.wind.ne.jp/takotubo/karuta.htm

 河童の住処とされる鐘の穴:日名の集落より西西南に登り広域農道に向かうT字路を左に下り橋に出た所を三谷川に沿い、農道を100m程登った所の左岸、北緯34度54分3秒東経133度47分10秒の近くにあります  元文の頃(1740年頃)銅山を探し試掘された穴で、縦坑は深く、底なし感が有ります  かつては岩盤に四角い穴がはっきり見え、何やら文字が岩の壁面に刻んでありましたが、現在では堆積物が覆い 被さっています。文字は 苔がむしていて、どこがどこだか解り難くなくなっています。ここが河童の住処とされますが 子供達が近づくと危険なので、妖怪(ゴンゴ・河童)が住んでいる事にしたのでしょう。  平成24年(2012年)8月20日