吉川吉 吉川八幡宮当番祭 征韓祭 first festival to visit/Korean invasion festival


吉川八幡宮当番祭(八幡宮の歴史を知りたい人は当番祭をクリック)は 岡山県指定重要無形民俗文化財に 昭和30年3月18日指定されました。八幡宮境内に掲げられる案内板には「岡山県指定重要無形民俗文化財(昭和三十四年三月十八日指定)吉川八幡宮当番祭とうばんまつり    当番祭は古代から伝承された庶民の民衆的な祭りであり、日本的感傷やユーモアが祭の全体を通して伺い知ることが出来 極めて文化的価値の高い祭りである。十月一日の当指しTousasiから始まり十月二十六日の大祭、翌日の波区芸揚げHakuke-ageと一カ月にわたる長期の祭である。(平成二年から大祭日を十月の第四日曜日とした)当番祭とは「訪問する最初の祭」という意味であり 二人以上の八幡宮の氏子が 互いに訪問し合 い、氏子の繁栄と 豊穣を 神に祈り、同族の親睦と 絆を深める祭りである。

当指しによって 十才前後の男児二人を 当番(当人)とし 垢離取り(心を守る)という神事によって神人となり 祭りの主役をつとめる。当番の家では 庭に「波区芸」を 建てて神の降臨を 仰ぐ施設を作る。祭りの中心的なシンボルである。宵祭りの前日には  境内の「かりやうつ」の地に当番一行が落ち着く仮の施設(仮屋)を設ける。大祭日、当番一行は乗馬姿の当番様を守りつつ  八幡宮へ参詣し 仮屋で 参拝者から祝福を受ける。やがて 神事式典が行われ、午後は 四00m離れた旅所までの御神幸があり 最後は 当番、供人の走り競べがあって、祭りのクライマックスとなる。翌日、波区芸揚げの行事で、当番は 紳界から俗界 に戻り大祭の全てを終了する。吉備中央町教育委員会」と 記されています。

10月1日に「迎え当」「当指しTousasi」の神事を行います。吉川地区の 10歳前後男児を  神社の南北から 選ばれた候補者の氏名を 書いて 丸められた 紙片を  三方から宮司が  祝詞を奏でながら  神の意志を聞くために 榊御幣で吊り上げ、当番(頭番 当番子)2人を決めます。10月 鎌倉時代の頃と思われますが、かつての吉川八幡宮の神領は、御調別宮Mitugi-betuguuの荘園と椙原別宮Sugihara-betuguuの荘園であったことで、2人の当番が選ばれるとされます。

また 口開けの日 仮屋の場所 衣装等もこの日のくじ引きで決めます。当番様が決まると、神官は直ちに当家を訪ね 当主の承諾を得ます。そして神官は 当屋をお祓いし 浄めます。10月2日に 長期に及ぶ祭典が 首尾よく行われるよう 両当番関係者は 打ち合わせを行います。太刀持ちが 口開けの日を 籤で決めます。口開けまでに 両当番地区の人達は 餅を搗き 波区芸や 仮屋用の薦Komo 注連縄Simenawa 当番様用の円座 栗の木製の片木Hegi(白木の目録台)や 箸を作り上げます。

10月19日に当番は 垢離取大明神を祀る大岩の下の石組みで造られた小さい室(神饌Sinsenが奉納された祠 )に向い、当番 当主や肝煎達は禊(清流で藻を清める)の儀式を行います。塩垢離取大明神の神前に白装束(上古の風習)姿で 頭に榊の葉を付け(山岳信仰の名残)赴き 縄を神官が両端を持つ縄を跨ぎ(縄くぐり) 神の世界に入り、俗名を捨て当番様と呼ばれ、神として振舞い 神として扱われます。この2人は「垢離取りKOritoriの神事で「 清い心を守る」事を誓い、神人となり祭りの主役を務めます。

10月22日 当屋は 表庭に「神が降臨する依代である「波区芸」を立てます。もう一方の当屋は 10月23日に「波区芸」を立てます。10月1日に氏子が持ち寄った一升の米で仕込まれた「どぶろく」の樽を開け、神様に供えた後 直会Naoraiを 行ないます。勿論の事 当番様も頂きます。この神事を 樽の口を開ける事から「口開け」と言います。波区芸の竹の根元に 石菖を植え、御幣を付けた榊を 立て 波区芸の中には 祭壇を設け、山海の幸 田畑の幸を神饌として 片木膳に玄米 籾Momiを盛った5膳を 抜戸の神Nukado-no-kami 地主神 八幡3神に供えます。口開けが終わると、当番様等が白米を 杵で粉にし 捏ねて餅を作り 油で揚げ 伏兎糫餅Hutomagarimotiとし 当番様が 波区芸に供え 種族繁栄を祈願します。

10月24日頃(大祭の3日前)吉川八幡宮の東北側の境内の片隅等に 約十坪程のスギや ヒノキの葉の付いた枝で 輪郭を作り 注連縄をめぐらし 床に薦を敷いた 当番一行が 落ち着く 仮の施設(仮屋)を 作ります。仮屋打ちと 呼ばれます。当番様のお宮入りの時の御座所です。10月25日頃(現在は10月の第四土曜日)即ち大祭の前日 当番を先頭に警護部隊が 寄り添い、種々の時代の伝統衣装を着て 祭り関係者が 総出で 行列を作り「うオーウオー」と 威勢良い掛け声を かけながら  神社に着くと 神官が 出迎え 仮屋に入ります。午前10時頃 定刻になると 当番御頂杯式が 行われ、神前に対し「御前にお礼もうす」  楽座に対し「 舞台にお礼もうす」 神社の上官 神官 女官に対し「左座へ巫座へお礼もうす」と 双方の当番の肝煎達は 相互に 数回繰り返して 感謝の意を表します。子供神輿が  場を盛り上げます。翌日の大祭日には 朝早く 当家より花馬(着飾った馬)に乗る 白装束の当番様は お供と行列をなして 八幡宮に向い、神官の出迎えを受け 境内に設けられた傅守Moriと呼ぶ所へ  当番様を抱えて 午前9時頃に入ります。そして 当番様を中心にして 警固の供人達が 仮屋に入って 円陣を組みます。早速酒宴が 始まります。すると 地域の人達が 順次挨拶に 訪れます。お供の者達は お酒を頂きながら 地域の人達が お祝い品々を納めに来ると「お當番 大太刀持 伝守 介添 お手振 脇立 何れもお礼申す」と 言挙Kotoageを 飛び交わせます。10時半から 来賓者達と一緒に当番様達は 修祓所で お祓いを受けた後 神殿にお供え物を 納めると 宮司による祝辞奉上 巫女舞 玉串奉納と 神事が続きます。

午後になると 獅子舞が奉納され、神輿のご神幸式があり 馬 宮旗 絵馬  赤旗白旗緑旗群 宮旗 青竹 毛槍 円座を持つ当主 当番様刀群 太鼓 天狗面の先祓いの猿田彦 宮旗 傘 神官 御幣等 後払いの猿田彦 神輿の順に 400m離れた旅所吉川郷土館の北隣地)まで の御神幸を行います。旅所に 置かれた神輿に当番が それぞれ 玉串を供え 獅子舞を奉納すると 元のお隊列を組み 八幡宮に向かいます。 神輿が 宮に入ると 草鞋を履き 尻はしょり姿で 当番様が走り較べをします。その後 先祓い 神官 後払いが 宮に帰ります。猿田彦は 青竹がバラバラになる程に 地面を叩きつけ続けます。神幸のトリは 鎌倉時代の武勇の競い合いの名残として 供人達のガチンコは徒競走です。「三庄官」の比べ馬が 行われます。10月27日頃(現在は10月の第四日曜日)に「波区芸」を壊し 山の小高い所に持って行き 柏 松 桧等の立木を利用し 組み立て直し、祭壇をその前に作り 神饌を供えて神事を行います。すると 神様が 天に昇って行きます。再び 神社に戻り 祭りの終わりを 祀神に報告し、円座舞を当番が舞うと(円座の上で 開いた扇子を頭上にかざし左に一回、右に一回、左に一回る)当番が 俗界の人となり 俗名のを取り戻します。当屋に戻ると 七十五膳の儀式を 行います。波区芸のあった跡地で 米を炊き おにぎりを75個を握り 山に移した波区芸に 供えします。お供え物が少しでも減れば「波区芸揚げの印」と みなされ全ての当番行事を終えます。     征館祭:遠い過去には吉川当番祭は 神功皇后の三韓征伐の勝利を称える祭だったのでしょう 波区芸県:吉備中央町上加茂地区を中心とした、かつての賀茂郷波区芸県という説もあるようです

当番祭について、もっと詳しく知りたい人は、賀陽町史 賀陽町史追補版 吉川史 「吉川八幡宮当番祭 - Bing video」 をご覧下さい。当番祭は昭和30年(1955年)3月に県無形民俗文化財に指定されました。吉川八幡宮は、平安時代(1096年)に 岩清水八幡宮の別宮として建 てられ、本殿は国の重要文化財に指定されています。打ち割り法の部材は平成12年(2000年)11月に町重要文化財に指定されました。    問合せ 吉備中央町教育委員会 0866-56-9191 協働推進課吉備中央町観光協会 0866-54-1301

 

 

ハッケ(ハクケ)

吉川八幡宮、上竹の大八幡神社の大祭に「ハッケ」の神事が行われます。天に神様がいるとの信仰です。当家を浄め 門と井戸に注連縄を張り 酒を造ります。吉川八幡宮の場合10月22日、23日の口開けの当日、当屋の神聖な庭 に ハクケを立てます。

ハッケの構造と開け行事

頂上部の5枝を残した長さ約4mの 半径約5cmの根付の竹の枝を払い、その竹の頂点に3枝の栗の木を結び付け 根元に切り芝5切れ 根付の石菖Sekisyouを添えて 白砂を盛ります。 頂点より 約50㎝下に 藁Waraを縄で括り付け3本の御幣Goheiを刺します。 竹を立て固定し 榊Sakakiに幣を付け土 壇上の根元に立てます。「神籬Himorogi」と 言います。一丈程の高さに下より順番に3枚の薦Komoで 包みます。下の薦は 8つ編で 横幅は約2間、中の薦は6つ編、下の薦は4編で 約1間です。竹48本を3組のSakuを薦の上に巻き、その上を大縄で7巻き半、左上に左巻きに縛ります。 その前に石菖を植えた祭壇を設け、山海の幸 田畑の幸を神饌Sinsenとして供えます。ハクケの中に 別の片木膳に 玄米 籾Momiを盛った5膳と 大きな伏兎還餅Ùtomagari抜戸の神Haraedo-no-kami 地主神 八幡三神に供え 降神の行事を行います。「口開き」と言います。 「ハッケ」を当家の庭に祀った後、宮の後ろのご神木に祀って 大祭を始めます。 ハッケに付いて もっと詳しく知りたい人は 賀陽町史 賀陽町史追補版 吉川史をご覧下さい。 平成26年(2014年)10月2日