竹荘 恋田の山上様 Mr.Sanmjyou-sama in Koida


恋田の 三上様は 高梁御津線(31号線)を豊野から正力に向かい その途中 新谷写真館を過ぎると 右に入る道が分岐します。多地公会堂を過ぎると 右手北緯34度51分31秒東経133度40分29秒に岩泉池があります。これが大滝の成れの果てです。池の反対側に多くの石造物が祀られています。一番左は 地神碑で その右の小さい石碑は 魔法社です。その右の仏像の台座には「五〇〇大先位  岩山市右衛門 前嶋岩治良 前嶋房蔵 前嶋直八 市村銑蔵 大月佳蔵」と 記されています。次の山上大権現神変大菩薩らしき仏像の左縁に「荒組住人」と 記され、その後ろに 小さい石碑があります。その右の山上大権現らしき仏像の右縁には「講組十八人 安政(正の下に 攵)五年十一月 小井田組 山根組」と、その後ろの山上大権現らしき仏像の頭部は 割れていて 左縁部に「講組十五」と 記されています。 総称して 三上様と 呼ばれています。山上様の訛りと 考えられます。それ等の右に 常夜燈が 立ち「奉燈」と 記されています。   3人の上人の意味で3上様と言うのでしょうか。「竹荘恋田の三上様は、大滝のほとりにあります。なぜかこの滝では、入水Nyuusui自殺する人が 後を絶たなかったのです。噂Uwasaが噂を呼んで 自殺希望者がドンドン集まって来たからです。村人は この事態に困惑していました。見ると大蛇が 自殺希望者がくると、不思議な力で 呼び寄せて餌にしていました」。「賀陽町史」

山上様の妖怪蛇退治物語 Storyof slaying the Sname monster by Mr.Sanjyou-sama

 竹荘恋田の大滝では 入水自殺する人が 後を絶えませんでした。「この大滝で入水すると 苦しまずに、しかも確実に死ねるし 屍Sikabaneが 誰にも見つけられないので、誰にも 迷惑が 掛からない」と 言う噂が 噂を呼んで 自殺希望者がドンドン集まって来たからです。村人は この印象の悪い事態に 困惑しました。ある日、山岳修行をした経験のある 勇敢Yuukanな村の男が 何日も 滝の見える場所で 何事が起こっているのか 観察しました。名所とは 言っても 毎日 自殺願望者が 訪れる訳ではありません。根気よく見張っていると林檎Ringoのような良い香りが 棚引いて来て 麻薬に侵されたように 心地良く 思考する意欲がなくなり そして香 りに 誘 われ 母なる海に 包まれたい気分になったのです。しかし 心の強い男だったので「おえん  意識ぅ保たにゃおえん  じゃが眠るンを堪えると 鬱陶しUttousiiい 嫌な気分になる  口の中で 林檎の熟みUmi過ぎたかざ(におい)や 味がして 舌べろが 腫れたような感じがする  六月頃の寝苦しい夜に感じる感覚じゃ  鬱陶しさに 勝って 見張らにゃぁおえん」と 思い直し 10日間程 怪しげな誘惑に耐えながら 観察を続けると、特に気怠い(Kedarui快い気分になる日が やって来ました。気を張り直し 辺りを窺うと 入水自殺の名所と聞きつけた者が、滝の上にやって来ていました。渦巻き迸Hotobasiruる滝を見下ろすと 死の恐ろしさが 蘇ったのか 飛び降りるのを 躊躇しています。すると 滝壺に白い大蛇Orotiが現れ 赤い舌を ベロベロ出して を送り出しました。快い感覚に抵抗し 尚も観察すると 大蛇の発する魅力的な悪臭が 漂って来ました。あの憂鬱な体の反応が 起こり 次第に高まって来ます。半面 大蛇の気に触れた自殺願望者は 恍惚Koukotuの表情になり、蟠るWadsaksamaru迷いが消し飛んだのか 静かに吸い込まれるように 滝壺に飛び込み、ゆるりゆるりと 自分の意志で 大蛇の口に 向かっって進んで行ったのです。大蛇は 入水願望者を 大きな口を開けて待っています。大蛇の口が 入水者を 包み込むように 飲み込みました。飲み終わると 大蛇は雷光を発し 水に隠れました。男はこの光景を見て「並の者なら 大蛇の法力に 掛かって 催眠され飲まれてしまう  わしが 無事だったんは 奇跡じゃ  もそっと 滝の近くで 見張っとったら 催眠されて 食われたじゃろう  桑原 桑原」と 考えながら 村に帰って、皆Minnaと 対策方法を相談しました。男は「わし等の手にゃぁ合わん  今  一宮に役行者En-no-gyoujysa(山上様)の技の伝承者の三上様が おいでになっておる  役行者様は大蛇退治の名人じゃけぇ その伝承者じゃたら 大蛇退治ぅできよう  頼もう」と 言うと、皆は「そねぇな偉いお方に 頼むNはんは 恐縮するが 他に良ぇ方法が見つからん  無理を承知で 頼もうや」と 言う結論になりました。村長Mutraosaが 腰を低くし 行者を訪ね 事の仔細を伝え 大蛇退治をお願いすると、三上様は快く引き受けてくれました。行者が 恋田にの大滝の崖上に立つと 大蛇が現れ、大きく開いた口からシャーシャー と気を繰り出します。その度に 行者は ふら付き 倒れそうになりましたが、直ぐに 体制を整え 印を結び 孔雀明王の呪法を続け 毒気を消し 続けました。大蛇は 自殺希望者を 苦しむことなく死なせてやっていると確信し、行者は 村人の苦しみを救う使命を 必ず果たす覚悟していたので 互いに譲るわけには 行きませんでした。3日間の 長い長い互角の法力の鬩ぎ合いSemegi-saiでした。大蛇は 食い貯めができるので さほど体力の消耗を しませんでしたが、苦行を続けていた 行者は 痩せ細っていたので 息も絶え絶えになりました。それを見た大蛇が を確信し 気を緩めた瞬間に 行者は 信じられない程の 天まで響き渡ろうかと思われる程の声で を入れると、一瞬にして大蛇は もんどりうち 死に絶えました。村人は 感謝し 行者をもてなし お礼のお金を差し出そうとしたのですが、行者は「その錢を使うて ここにわしの石像を 祀りなされ  二度と魔物は 住みつく事はなかろう」と言って、寡黙に悠然と 立ち去りました。村人は 行者の言う通りに 山上様 三上様等の石仏を作ると、それからは 大滝に邪悪の蛇は 住み付かなくなり、自殺志願者が 来ても 滝壺に向かうと 山上様の法力によって戸惑ったあげく 自殺を取り止めました。そればかりか、ここで知り合った男女の自殺希望者達は 不思議にも 恋に落ち 生きる喜びを感じ 立ち去るので 恋田と呼ばれるようになりました。「賀陽町史」の三上様伝説をもとにした作り語     恋田・肥田:竹荘1787・2124番地等 肥沃な地が 地名の由来も考えられます。美濃国から 土岐大炊亮頼武Tok-ooino-suke-Noritake(彦太郎)が 竹庄肥田村に落ち延びて来て、肥田の名を 名乗り 住み付いたとされます。 肥田氏の名田が 恋田等の地名域を広めたのでしょう。 施鬼免:竹荘2024番地  恐らく 庶民が墓を 造る事が許される以前の いわゆる投げ打ちや 姥捨て山と呼ばれる庶民の共同墓地の場所でしょう   仏教行事施餓鬼に関る と思われますので寺の管理地だったかも知れません    役の行者・山上大権現・神変大菩薩Sinben-dsaibosatu:山岳信仰を 極め幾多の妖怪大蛇を 退治しました  中臣鎌足Nakatomi-no-Kamatari  大海人皇子Ooama-no-oujiを助け、その後 吉備国一宮Iti-no-miyaに来て 吉備中山を いわゆる黄金噴く地としました  孔雀明王教の妙法を 会得し あらゆる毒を 消滅させ得ました   雲を操る術も会得したので  雨乞いの仏神としても 崇められますhttps://ja.wikipedia.org/wiki/役小角」  平成23年(2011年)9月29