神瀬    年末の念佛踊りBuddhist incantation using chanting, drumbeating, and dancing


上田の神瀬Kanseの年末Tosisueで 今でも 念仏踊りが 行われており、町重要無形民俗文化

財に 指定されています。かつて 本宮山円城寺は 境外にも 杉谷村杉谷口千光寺北緯34度56分26秒・東経133度44分56秒) 井原村青木坊北緯34度53分37秒・東経133度45分22秒) 上田村厳浄坊跡(不明) 年末村智教坊跡・子安観音 神瀬向196番地の北西 北緯34度55分32秒・東経133度50分27秒)江与味村玉泉寺岡山城下門田東山畑に移転し金剛山常住寺円務院となりました 北緯34度39分7秒・東経133度56分46秒)等の末社を有する大寺院でした。 年末村智教坊跡が 現在の神瀬子安観音堂ですです。不動明王(不動様) 観音菩薩(観音様) 龍王(龍王様) 地蔵菩薩(地蔵様) 毘沙門天(毘沙門様)が祀られています。

 

人々は 8月16日に 観音堂 (子安観音堂)に集まり 仏様に般若心経を2度唱えます。その後、鉦Kane 太鼓(Taikoを打ち鳴らし、南無阿弥陀仏Namu-Amida-butu とか 光明編照十万世界Koumyou-henjyou-Jyuuman-sekaiと 書いた紙笠Kamikasaを 被り 竹製のササラと合わせ  棒を互いに ガシガシと摺合せて リズムをとります。庭の中央で叩く 太鼓の音頭取りOndotorが「ただ今の唱えTonaeまするは 南無阿弥陀仏のお念仏は お不動様と 観音様 龍王様へ、村中安全 五穀豊穣Gokoku-houjyoou 祈念Kinenし給えTamaeて 敬てUyamatteて申す」と 言い揚げると、先達Sendatは 竹の両端に 切り紙を付けた「さいはら」を グルグル回しながら進み始めます。

胴太鼓の合図と 堂の前の導師の鉦に合わせ、輪を作った人々は 参道側では 3名の介助役の声に合わせ ナムアミダーブツ、ナムアミダーブツと、その反対側では 3名の介助役の声に合わせ ナムワカアミダーブツ、ナムワカアミダーブツと 唱え ササラを鳴らし 踊ります。

一区切りの念仏が 終わると、導師が「只今奉げた念仏は、お地蔵様毘沙門様Bisymon-samaへ、村中安全 五穀豊穣 祈念し給えと敬って申す」と唱えます。村人は 先の動作と 念仏を繰り返しながら 計10回、丸く廻りなが ら夜更けまで踊ります。

一時期 祭りは 自然消滅しましたが、村に 流行病Hayari-yamaiで 死者を出した事で 復活しました。 「一遍上人の布教に感化し 阿弥陀を 念ずることで 浄土Jyoudoに行ける」と 信じているのでしょううが、仏を祀るMaturu事に 重きを置かず 村の安全を祈祷Kitouする事に 重きを置く 昔ながらの豊年の行事でしょう。 最近では 人手が少なく 介助役は1名づつで務め、周回数も 長過ぎるとの意見が あって 計4周等に 減らすそうです。ササラや 合わせ棒で 音を出す仕草は 地や空気を清め 外敵の侵入や 猪鹿Tyoka等の害獣 害虫 疾病の追放を 祈願する 威嚇Ikakuの動作でしょう。    年末の子安観音堂: 案田から 五明や神瀬に向かい 化気神社の横を通り、五明に向かう道から 千ロリン村キャンプ場に向かう道が 分岐します  右に曲がる 次の民家の中を通る分岐点を 北に向かいます。北に進むと 神瀬の年末に向かう道に  分岐します  年末に 向かうと 左手に森神社(神瀬集会場)があります。やや進むと 山道になり、左に曲がる分岐が あります  曲がり鼻の 左に下る小道の先・神瀬森ヶ乢196番地の北西、北緯34度55分32秒東経133度50分27秒に 子安観音堂があります    光明遍照十万世界:光明遍照十万世界、念仏衆生摂取不捨Nenbutu-Syujyou-Sesyu-Husyaの略です。「阿弥陀仏の慈悲jihiの光明は 全世界を隈Kumaなく照らし、南無阿弥陀仏の念仏を唱える全ての人は 一人残らず 見捨てることなく 浄土に導かれる」と 言う意味です。    さいはら:先祓いの事でしょう。

ささら:竹や木等で 作製される 洗浄 器具や 楽器や 大衆舞踊の装身具の一部を「ささら」と 言います 。年末念仏踊りに用いられるささらは 合わせ棒とこすり 音を出させます。竹を8筋に割ってある 祭具が ササラで、のこぎりの歯のような突起が 並ぶ祭具が 合いの棒です。     平成23年(2011年)10月7日