小森 育麦庫 Semikura "stockpile warehouse for wheat seed"


江戸時代 明暦3年(1657年)岡山藩は 育麦蔵制度(囲み米制度)を 作りました。この地区では 麦が 主産物の時代でした。田地一反につき 生産された 麦の2升を 拠出させ、凶作時の植え付けに 備えました。旱魃Kanbatuが 起こると、種籾Tanemomiまでも 食用にされる事が あります。そのような時に 備え蓄えて置いた種籾を 農民に貸し付け、収穫した折り 返却させる制度です。岡山藩に186箇所 設けられたと 言われます。旧加茂川町には 小森前405番地に 田中家が守る一戸が 残されています。岡山市にも 一戸が 残っていると 伝え聞いています。旧加茂川町には 平岡 野原 下加茂 三納谷 井原 豊岡 小森 三谷 柿山 広面 上加茂 円城 上田 案田 細田 黒瀬 大王 和田 笹目 為藩 加茂市場 杉谷 尾原 江与美(旧旭町)に 有ったそうです。小森育麦蔵は 役を 終わると 蚕小屋として使われ、現在は 車庫になっています。「加茂川町si史」

1832年(天保2年)東北地方に 大飢饉が発生天保の大飢饉洪水 冷夏 旱魃 害虫発生 疫病が次々襲い、日本全土に 広がって行き1939年まで 続きました。町や 村に 行倒れや 捨て子が 溢れ、1軒に1人の割で 餓死したと 言われます。百姓一揆や 打ち壊しが 発生し 社会の治安が 乱れました。統治者達は 年貢の軽減 配給 囲米Kakoimai放出 新作物(蕎麦そばの栽培等)の開発 普及 野草の調理法(食卓便覧)の普及 糠団子(糠蕎麦小麦の団子)等の新調理法の開発普及 酒造禁止 高騰Koutou禁止 隠米Inmai禁止 等様々な禁止令を 進められました。近世の飢饉・日本歴史学会・菊地勇夫」「明治百年100大事件・三一書房・松本清張」     天保7年(1836年)岡山は 大変な寒さで、ひな祭りの頃まで 雪が降り、5月に 氷が張りました。雨が続き 田の水は 温まる暇もなく、夏と言うのに 綿入れを着て 田植えをする程でした。結局作物は 平年の2割も 収穫できませんでした。食べられそうな物は 木の芽、芋幹Imogara 草の根 鼠 蛙 蛇までも 食い尽くしました。仕舞には 莚Musiroを粉にしたり、毒草を毒抜きしたり、死体まで食べたと 言われ、あちこちで 年寄りや 子どもは 口減らしされました。この時 育麦蔵の籾Momiが配給され、究極の結果に終わらずに済みました。https://ja.wikipedia.org/wiki/申年がしん」        余談ながら。天保8年(1837年)大阪町奉行所の与力の 大塩平八郎は 蔵書を売って 貧民救済に 当てていましたが、奉行所に 売名行為として 非難されました。老中 水野忠邦の弟である 大阪町奉行跡部良弼Atobe-Yosisukeは、米の買い占めで 大儲けしていた 北風屋の米を 将軍 徳川家慶就任祝いとして 江戸幕府に 贈りました。それらの悪政に 憤り、平八郎 は武器弾薬を買い 門下生と 百姓とで 義勇軍を組織し 反乱を企てましたが、内通者が出て 目標を達成できず 花と散りました。この事件が 明治維新に 大きく影響したと伝えられます。https://ja.wikipedia.org/wiki/大塩平八郎の乱

育麦蔵の様な 種籾備蓄 余剰米備蓄制度等は 江戸時代の各藩で 色々の名前で 整備されました。

 

天保の飢饉と稲荷さん Severe famine in tenpou era & Oinarisan "deep‐fried tofu"

天保の飢饉の時 豊川稲荷に 奉納された荷油揚げに包んだ寿司が 稲荷寿司の始まりとされます。稲荷の狐は 鼠天Nezuten鼠のテンプラ)が 好きと 信じられていました。通常の年には 豊川稲荷に 鼠天 を奉納されましたが、天保の飢饉の時は 米が酷い不作だったので 米を餌にしていた鼠が 極端に繁殖できず 極端に 数を減らしました。鼠がさっぱり 捕れず、捕れたとしても 大方は 人が食料に しました。仕方無くて 鼠天の代わりに 油揚に木耳Kikurageと干瓢Kanpyouの寿司を詰めて 鼠の形にして 奉納しました。稲の神様は 食べる米が足りないのに 米の寿司を 奮発してくれて 嬉しかったのでしょうか、お稲荷様のご利益が有って 飢饉は 去って行きました。それで その寿司を 稲荷寿司と 言うようになって、稲荷の狐に お稲荷さんを 供えるようになりました。www.toyokawa-map.net/others/inarizushi.html

小森の育麦庫:北緯34度55分14秒東経133度48分23秒 三谷の森神社:北緯34度14分25秒東経133度47分49秒 小森湯所の稲荷神社:北緯34度54分58秒東経133度48分20秒 愛知県の豊川稲荷神社:北緯34度49分28秒・東経137度23分31秒

お稲荷の形は、大きく分けて2種類あります。関東で作られる 丸い俵原形のお稲荷は 鼠の姿を 模擬していて、関西で造られる三角形のお稲荷は、狐の耳を 模擬しています。形の違いの境界線は 関ケ原辺りとされます。 平成23年(2011年)10月14日

 

黒土 黒土郷蔵 Goukura  in Kurotuti

高梁御津線(31号線)沿いの黒土中尾1357番地の西から 始まる黒土北線(305号線)を 南に約240m進んだ所の四差路を 東(左)に曲がり 約390m進むと 北 (左)に曲る三叉路が あります。その分岐黒土宮の東784番地の西)を 北に向うと 今宮八幡宮に 辿り着きます。八幡宮の鳥居の両側 北緯34度51分39秒東経133度42分17秒に 黒土郷蔵が 建っています。案内板には「吉備中央町指定重要文化財黒土郷蔵 平成七年四月一日指定 この郷蔵は江戸時代松山藩亀山藩の所有していたものと思われる。これらの郷蔵とよばれる蔵は、年貢米の保管 または凶作に備えに貯穀のためなどに村々に設置された蔵である。しかし 時代の変遷とともに取り壊され 現在に至っては そのほとんどが現存していない。このような移り変わりの中で 黒土の郷蔵は保存状態が良く(平成五年修復)当時の様子を知る上で 歴史的に価値があり貴重である。吉備中央町教育委員会」と記されています。令和5年(2023年)2月4日