豊野 権現山 から池口 人間喰いたい We want to eat human


豊野の永浄寺Eijyou-jiの権現山の裏手の道は 上有漢Kami-Ukanに 出る近道でした。しかし、整備されておらず 歩いて行くには 不便過ぎました。だから よっぽど 急ぎの用がある者しか 利用しませんでした。与吉は 有漢の庄屋に 正月飾りを 届けるよう頼まれました。一夜飾りは、縁起が悪いと 道を急いだのです。しかし 日暮れが いつもより早く、何やら 大勢の囃子声Hayasi-goeが 聞こえて来ました。与吉は 逃げようと 思いましたが、アッと言う間に 近づいて来たのです。足が 竦んで 動けません。それでも、藪陰から 伺うと、鼻が高く 赤ら顔の 天狗達が 鉄棒\や 刀で 地面を叩きながら、オオーー、ギャアホオーと 奇声を上げながら 迫って来ていたのです。「人間臭ぇ 。人間臭ぇ。人間食いてぇ。」と 盛んに 探していました。すると 狐が出て来て、深い藪に 誘い 与吉の頭に チョコンと 乗りました。天狗達が 藪の上に 座る狐を見て、慌てて 逃げて行きました。「村人口伝」「岡山の伝説」「賀陽町史から池口の天狗p786」  豊野権現山:北緯34度53分19秒東経133度42分3秒 上有漢権現山:高梁市有漢町上有漢 北緯34度53分38秒東経133度40分54秒 大平山・豊野西の谷3420-1憩いの森:北緯34度53分56秒東経133度42分25秒

 

権現山の天狗物語 Tale of Tengu in Gongen-yama mountain

 豊野の永浄寺の建つ権現山の裏手を 抜ける道は 大平山に 続きます。上有漢に 向かうには 天福寺を 通る道があるのですが この大平山を 抜ける道は 直線的で 上有漢に向かう近道でした。しかし 整備されておらず 道幅も狭く 道脇の草や 笹が 覆いかぶさり 石ころが ゴロゴロしていて、歩いて行くには 不便過ぎました。だから 余程の急ぎの用がある者しか 利用しませんでした。与吉は 刎田Hanedaの大百姓から 上有漢の庄屋に 正月用の飾りを 届けるよう 頼まれました。大百姓の家長は「歳神様は 毎年 生まれ替られ 大晦日の朝早くに お見えになる 。 初めて訪れられるのだから 依代のお飾りが 無ければ どこの家に 降りてきてよいか 判らないし、神様を迎える気もないのか と 立腹して 神様は 山に戻られるかも知れん。仮に 年神様が 一日中お探しになっってくださったとしても 第一 葬式みたいで 気分が悪い。たった 一日前では 神様に誠意を 示せない 。29日では 苦の日じゃ。28日の今日中に 必ず届けて下され。」と きつく 言い渡されました。今日中に 絶対に届けようと 硬く心に決め、狼や 天狗に 遭遇する危険も省みず、雪や 霜の冷たさに 手先 足先の刺すような痛みを 堪えながら 昼とは 言え 林立する 凛烈な大木の陰の あくまで薄暗い中を 気味悪い気持ちを 押し殺して 少しでも早く 峠を越えようと 道を急ぎました。しかし、何故だか この日の日暮れはいつもより早く 訪れてきました。気色悪い 青緑の氷の張った池の近くに 来ると、何やら 大勢の囃子声が 聞こえて来ました。与吉は 逃げようと思いましたが  一本道なので 走り去る事は 出来ず、竦んむ 足を 手で 引きずりながら やっとの思いで 藪陰に 隠れました。しかし 十分に 身を隠せません。あの囃し声は アッと言う間に 近づいて来たのです。少し向うに 動くものがありました。狐でした。狐は 手招きし 与吉を呼んでいるように 見えます。狐に化かされると 思いましたが もう後は ありません。狐に騙されるか 追いかけてくる化け物らしい者に 捕って 食われるかの 二者択一です。勇気を 出して 与吉は狐に「あの恐とそうな者に 殺させる。あの恐とそうな者ぅ 騙して助けてつかぁせぇ。」と 頼みました。すると狐は 与吉の袂を 咥え もっと深い叢Kusamuraに 誘ったのです。狐は 与吉の頭を 押さえ もっと深く身を 伏せろと言うように 頭の上に 乗りました。与吉の姿は 完全に 藪影に隠れ 少し離れた所からは 狐の頭が 見えるだけになりました。それでも 与吉は 様子を知りたく 藪陰から伺うと 鼻が高く 赤ら顔で  口が裂け  髪Kamiを乱し 眼光が 虎のような 悪鬼さながらの 天狗達が 鉄棒や 木刀で 地面を叩きながら、薮陰に潜むものを 追い出しながら オオオーー・ギャアホオーと 訳の解らない 奇声を 上げながら迫って来ていたのです。

中の一匹が「人間臭ぇ。人間臭ぇ。人間食いてぇ。人間臭ぇ、人間臭ぇ。ここらに居るぞ。」と 叫ぶと 皆は 辺りを手分けして 盛んに 探しましたが 与吉を見付ける前に 狐を見つけました。天狗は 狐が 色々の物に化けて騙すので 狐に苦手意識を持っていました。そのお陰で 天狗達は 人間捜索を 途中で止め 権現山へ 帰って行きました。与吉は やっと胸を撫で降り下ろし、狐に お礼を言おうとすると 逆に 狐が礼を言って 帰って行きました。かつて 狼に 囲まれていた 子狐を 助けてやった事を その時 やっと思い出しました。与吉は 大役を 無事に果たし 村に帰り 村人に 称賛されました。池の口には 永浄寺の祠があります。「賀陽町史から池口の天狗p786」を基にした物語    刎田・ハ子田:豊野802・863番地等 豊野羽田818番地:北緯34度52分32秒東経133度41分25秒 羽田城跡刎田城跡:北緯34度52分30秒東経133度41分26秒 新池:権現山の西北 北緯34度53分41秒東経133度42分22秒  平成24年(2012年)2月18日

 

狐の恩返し Grateful fox

昔 病気の母を 看病しながら 暮らしていた息子がおり、家事の合間に 近所の家の手伝いをして 薬代を稼いでいました。ある日 薬を買いに町に行く途中 鼻がくすぐったく成り 思わず大きなクシャミをしました。すると弓を持った猟師が カンカンに怒りながら現れ「こら。小僧のんびり昼寝をしていた狐の親子を 狙っていたら お前が 業と邪魔した。わしが矢を放った瞬間 に お前のクシャミに驚いて 狐が飛び上がったので 矢が外れた。責任を取って 狐を捕まえて来い。それができないなら¥ 狐代を払え。」と 捲し立てました。息子は 困って薬代に用意したお金

を 全部 猟師に 渡しました。その夜 気落ちしながらも「お母ちゃん。御免ね、御免ね。」と言いながら 息子が 母を 看病していると、トントンと 戸を叩き 誰かが 訪ねてきました。扉を開けると 見知らぬ母子が 布包を持って 立っていました。見知らぬ母子は「昨日は ありがとうございました。おかげで 命拾いをしました。これを 薬代の足しにしてください。ずいぶん昔に 大金を拾いました。そのお礼として 落とし主から 私共が 頂いたものです。」と 布包を 渡しました。狐達が 嬉しそうに スキップを踏みながら帰った後 布包を 開けてみると 小判が ぎっしり詰まった それは立派な 財布が入っていました。息子は 狐の帰って行った方向に 深く首をたれ 涙して感謝しました。そのお金で 高価な薬を買い 母に飲ますと 母はみるみる元気になり  二人は 生き生きと 百姓を続けましたとさ。狐の恩返し - 栃木県の昔話 | 民話の部屋 (minwanoheya.jp) 「狐の恩返し」の民話は多くあります。狐の恩返し- 埼玉県の昔話 - 民話の部屋 | フジパンhttps://minwa.fujipan.co.jp/area/saitama_014」「https://www.youtube.com/watch?v=mzbjWAveS」「キツネの恩返し 山形県の民話 <福娘童話集 きょうの日本民話> (hukumusume.com)」「キツネの恩返し|龍ケ崎市公式ホームページhttps://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/kanko/kankokyokai/ RCCradio.rcc.jp/minwa/entry-6622.html」「https://arasujikun.com/archives/455」「nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=208」¥  平成24年(2012年)2月18日