小森 湯所荒神祭 強飯祭・飯盛祭 powerful deity festival in Komori-Yudokoro    glutinous rice festival/SERVING BOILED RICE festival


小森湯所の荒神祭は 強飯祭Gouhann-sai/Kowamesi-sai あるいは 飯盛際Mesimori-sai/Iimori-saiと呼ばれます。11月の寒い朝、当屋(祭の世話をする役の家庭)で 当屋の女主人が  近所のご婦人達を指 をして Namasu  けんちん汁 煮豆の3品の定番料理を作り、白米の飯と 多量の赤飯を 炊きます。午後になると 当連中(当屋になる可能性のある家庭)の男達が 化気神社の宮司と共に 当屋に集まり、まず「霜消Simokesi」行事を 行います。上座には 宮司と 当連中の20歳を超えた成人男性のみが 座し、招待者 見学者 女性 子供は 下座の炬燵Kotatuに 座ります。子供達等は 紋付き袴の正装姿の大人達を見て、気を引き締める事になります。上座の者達は 神主が 家内安全 五穀豊穣の祝辞を述べた後、1升の冷酒の完飲で 場を締め、下座の者と共に 粗飯Sohan(昼食として)を済ませます。霜消しが終わると 少しの休憩を挟み、天保11年(1840年)製の稲荷大明神の幟Noboriと 安政4年(1857年)製の三寶大荒神の幟の掲げられる門を潜り、神主を先頭に 氏子が打ち揃って 稲荷神社荒神社に お参りします。とは言って も稲荷神社と 荒神社は同じ境内にあり 拝殿は 同じなので 同時に参る事になります。神社に お神酒Omiki  洗い米  白米飯の神饌Sinsen(神様の食べ物)を お供えします。秋葉神社には 月読大神Tukuyomi-no-ookami 御井三柱大神Mii-mihasira-no-ookami 八幡宮二社 朝日夕日神 竃所三柱神Kamado-Mihasira-no-kamiが 祀られます。稲荷神社本殿 三寶荒神社の扉が 開けられ 御幣が施され、拝殿の祭壇に 神饌が 供えられ、灯明され、宮司が 稲荷神と 竃三柱神等に 祝詞Noritoを 挙げます。祝詞が終わると 神饌を 祭壇より下ろし 当屋から順に 神饌を頂きます。

お参りが済むと 当屋に戻り、再び宮司が 稲荷神 竃三柱神の御厨子等に向い祝詞を捧げ、集まった人達を お祓いし 神饌を頂きます。一服した後 午後3時頃から 座に卓袱台Tyabu-daiが 用意され、刺身 唐揚げ 煮物 酢の物 香の物等の肴Sakanaが 準備され 酒宴が 再開されます。この頃から小森温泉の仲居さんや 芸者さんが登場し、座を 三味線 歌で盛り上げます。男達は 綺麗なお姉さん達の参加で 気分を 高揚させ 酒宴が盛り上がります。

長老が 酒宴のお中止Otyuusiと本膳開始を 宣言すると 卓袱台を片付けられ 高足Takaasiの御膳に 乗せられた一掴み一口程の小豆御飯Azuki-gohan等 定番の料理(本膳)が 氏子の男性 見学者(観光者 招待者 近隣者)等の本膳参加希望者の前に 並べられます。一掴みの 小豆御飯を食べ終わると ご婦人達に お代わりを 勧められ、お代わりしたい者には 茶碗摺り切りの赤飯が 振る舞われます。お代わりは「大盛Omoriを下さい」と言う迄、ご婦人達の甲斐甲斐しい勧めで 半強制的に 次々と 赤飯が 注がれます。大盛は 茶碗に 3合は有ろうかと思われる程の赤飯を ご婦人達の特殊技能で ピサの斜塔と 表現されそうな程に 山と盛ったものです。これを 食べ切らないと 豊穣は 約束されない事になっています。だから 重い年貢に苦しめられ 空腹に耐えて来た時代を思い 1年に1回 鱈腹Tarahuku食べられる事 腹一杯のお酒を 飲める事に 感謝し 来年の豊作祈願と 新米が食べられる事を 願いながら 苦しさを堪えて 全てを食べるのです。

この間も ご婦人達の陰の協力で 男達や見学者の再開された酒宴は 続けられていますが、当屋の発声で お中止と称する飲酒の中断が宣言され 当指Tousasiが始まります。半紙を丸めて作られたお玉を 盆に乗せ 氏子達が 順次に 籤引きします。実際には 見学者等に 悟られないように お玉に目印があり、次期当家が 当たり籤を引き当てる仕組みになっています。来年の当屋が決まると 酒宴は 再開されます。この酒宴は 一人でも飲み足りないと 言う者が居れば「お中止」されず、皆は 大酒飲みに 付き合う事になり お酒を飲み続けます。最後の飲酒希望者が 飲酒を止めると、長老の合図で 本膳行事を終了し 席を片付けられ「来年の当屋を担います。「我が家は あばら屋ですが、お集まりください  宜しくお願いします」と 次期当屋が 挨拶し、当屋が「来年は宜しくお願いします」と 答え 当屋渡しを 取り交わした後、当屋は 稲荷神社と荒神社の御厨子を 部屋から 庭に廻った次期当家に渡し、役員は 幟を持ち 太鼓や笛で 囃しながら 小祠を次の当屋へ送り届けるのです。当屋の大役と 見送りを無事に果たすと、茶菓子を 振る舞われ皆は 家路に向かいます。

現在の事情

強飯祭は 小森に伝わる荒神祭りの独特の行事です。天保11年(1840年)には 既に行われていました。しかし 現在の小森の強飯祭は 前述の祭と少し異なります。かつては 12軒の氏子で 行っていましたが、現在は 4軒になってしまった事と 若者が少なくなって、また少しの若者も 厳重すぎる仕来りに 疑問を感じ 儀式を省略したがったため 簡素化されて来ているからです。手作りの料理も 外注になり、開催日も ご婦人方の水仕事の辛さを 考慮し 暖かい 10月に行う事が 増えて来ています。霜消も1升飲み切らない内に 次の儀式に移りますし、盛飯も 全部食べなくても良くなり 蓋をする事で 食べ尽くされたと 見做すようになったのです。勿論 小森温泉に 芸者さんは いなくなったので お姉さん方の 賑やかしもなくなりました。当屋送りも 部屋で 社を渡すだけとなりました。かつては 稲荷神社と荒神社とで それぞれ当屋を決めていましが、今では 1軒で2役を引き受けるそうです。現在は このお祭りを見学 見物する人は 殆ど居なくなりましたが、以前には 多くの報道員 観光客が 訪れたと言います。その人達の 指を咥えているのを そのままにする訳にもゆかず 膳に座らせていたそうです。ご婦人が 祭り等の表に出ない事は 備前地方に根強い男尊女卑の習慣ですが、暴飲暴食の祭に アルコール代謝が遅く 胃の腑の容量の小さい ご婦人達への配慮でも あるのでしょう。望めば ご婦人も 本膳を頂けますし、若い女性には 本膳参加が 促されます。この儀式を行った家庭 あるいは、若いご婦人が 儀式を全うすると「荒神子Koujinko」なる神童を 授かるとされるからです。   

湯所荒神社: 小森温泉旅館の下加茂寄りの道を 育麦庫Semikura方向に廻り、最初の交叉点を 左に進み 坂を登ります。育麦倉に行くまでの半行程の左上 北緯34度54分59.秒東経133度48分20秒に 赤い鳥居を供えた 稲荷神社があります。手前の祠が 荒神社で、最奥の祠が 秋葉神社です。    霜消し:歓迎のお酒で 早朝の霜の寒さを忘れるためのお酒です。作物の霜害除けの儀式でもあります。     平成24年(2012年)4月6日     平成の終わり頃から、このお祭は 中止されています。