井原 摩利支天のご利益 divine grace of Marisi-ten


昔 先祖が 虎倉城伊賀家配下の落人である 百姓が 井原に住んでおりました。先祖代々 摩利支天を 祀っていました。摩利支天の祠の側に 弘法大師が 村の子供の親切に 感謝してくれた栗の子孫の木を 植えると、栗の木は 摩利支天に 護られるかの様に 物凄い勢いで 成長し、桃栗3年柿8年と言われますが、1年目から 実が付き始め 5年もすると 大量の実を付け 枝は摩利支天の祠の上を 覆うばかりか 傍の畑も広く 覆う勢いに 育ちました。枯葉は 堆肥と成り、畑の物も 良く育ちました。沢山の良い実が 生ったので、町で 高く売れました。しかし、畑の日 当たりが悪くなっただけでなく 毬栗(Igaguriが ボタボタ落ちるので 農作業の邪魔になり、また 近所の者からも「木の葉が 飛んで来る」と 苦情が 出てきました。百姓は 思案の末 栗の木を 切る覚悟を 決めました。幹は 摩利支天社を 慕うように 斜めに 傾いて 生えており、枝も 複雑な形で 伸びています。最初は 自分で切ろうとし 摩利支天の祠を壊さないように 用心しながら 小枝を 切り始めましたが、伸びる勢いに 追い付けませんでした。仕方なく 亀山八幡宮の宮司に お祓いをしてもらい、植木職や 樵Kikoriを 雇って 切る事にしました。さすがは 専門家達で 綱を あちこち に張り、切込みを入れる 角度を決め 栗の木を 切り始めました。

栗の木は 思惑通り 摩利支天の祠の無い方に、メリメリと 音を発てて 倒れ掛かりましたが、途中から 張っていた綱が 一本切れ 倒れる向きを 変え 栗の木が 摩利支天の祠を 直撃しそうになりました。すると 激しい旋風が起こり その煽りAoriで 木が 捻じれるように 倒れる方向を 変えました。樵が「オン・マリシ・エイ・ソワカ」と 唱えると、突然 猪が 走り回って 辺りに陽炎Kagerouのような 不思議な光が 交錯し その直後 ドドーンと 轟音Gouonnを 上げ 摩利支天の祠の上に倒れ落ちました。しかし 不思議にも 複雑な枝の張りが 支えをし 栗の木の幹が 摩利支天の祠に 当たるか当たらないかの所で 止まっていました。事件に 気付き集まった者達は 摩利支天の働きに 感心し、八幡宮の神主に 摩利支天のご利益を聞いて 摩利支天社を大切にしました。「井原の村人より口伝」

虎倉城:岡山市北区御津虎倉 北緯34度50分13秒東経133度50分2秒 天正8年に虎倉城の城主伊賀久隆は主家の宇喜多直家に暗殺されると 伊賀一族であった土井氏は井原に 隠れ住みました。 井原摩利支天神社:北緯34度53分40秒東経133度45分21秒 亀山八幡宮:豊岡上 北緯34度53分57秒東経133度45分36秒    摩利支天王:元は風の神でした。陽炎を神格化した 仏教の守護神です。 オン マリシ エイ ソワカと唱えると 火難 水難 盗難 等の万難から守られ、護身だけでなく隠身 遠行 得財 論争勝利 等が 得られます。 隠身:周囲の風景に紛れて視認しなくなる事「https://ja.wikipedia.org/wiki/蓑」     平成24年(2012年)9月30日

 

弘法大師の栗の木 Chestnut tree pressennted from Saint Koubou


弘法大師が 下土井にやって来ました。下土井から 井原を 通り 富永に向かう途中 激しい空腹に 見舞われました。すると子供達が 栗拾いをし 焚火をして 焼き栗を ワイワイ騒ぎながら 食べていました。弘法大師が「栗を一つ 恵んでくれまいか」と 尋ねると、子供達は「なんぼでも拾えるけぇ 遠慮せんで 食べて行かれぇ」と 焼き栗を 腹が潤う程に 分けてくれました。子供達が「お父ちゃんや お母ちゃんに 持って行ってやろう」と 言って 栗拾いを 始めました。しかし 少ししか拾えず 高い処の毬栗を 落とすため 長い棒を 探して来て 叩き落そうとしましたが 思うように 落とせませんでした。それを見ていた弘法大師は「孝行な子 等じゃ  来年来て見られぇ  低い木になって 取り易ぅなっておろう」と 言って 森上に 向かい 立ち去りました.次の年 子供達が 栗拾いに来ると 枝が しだれていて 簡単に 栗の実を とる事ができました。栗の木を 切るとふつう 2年後でないと 新しい枝 に実がなりませんが、この枝垂れ栗は 翌年には 実がなったそうな。「井原の村人より口伝」

 

枝垂れ栗伝説 Weeping Chestnut Legend

長野県上伊那郡辰野町大字小野5983-1番地に「しだれ栗公園」が有ります。しだれ栗森林公園の「シダレグリ自生地」は 国天然記 念物に 指定されています。普通の栗の木と 異なり枝が 垂れ下がっています。枝垂れた枝は  昔 弘法大師が 栗の実を 採取しやすいように 枝を 下げてくれたとか  栗好きの天狗が 実を採るために 腰掛けたため 枝垂れた 等の言い伝えがあります。しだれ栗森林公園 (shidarekuri.com)

 

平成24年(2012年)9月30日

 

木に祟られる BE SCOLDED by a tree


昔の事なので 三谷のどこか解らないのですが 山の中に 荒神社と山上堂が 建っていました。その脇に 大きな樫の木が 生えていて 切ると 祟られると言い伝えられていました。荒神社は 4畳半程の広さがあって 暖炉を 囲んで 祭りをし 大人は 酒と肴で 宴を開き、子供が 甘酒と 赤飯を 食べていました。荒神祭も 山上堂の祭も 廃れ、社も 祠も 朽ち果てたので 土地を利用しようとして 樫の木を切る事になり、三谷村の者でなければ 祟られないだろうと 隣村の小森の木樵に 頼んで 切って貰う事にしました。 その樵は 引き受けましたが 三谷の荒神の祟りの言い伝えを 知っていたので、心配になり 日頃から 馬が合わない 江与味の樵に 仕事を譲りました。荒神の祟り伝説 等 知らない 江与味の樵が 木を切りました。木が ミリミリと 音を 発て 思い通りの方向に 倒れかけましたが 大きな枝の先端部分が 隣の木の枝に 触れ、大きく方向 を変え 切り口が 跳ね上がり 樵の顔面を 直撃しました。顔の骨が折れ、左の眼球が 飛び出し ダラリ とぶら下がりました。それでも   命に別状はなく 外れた目も修復されましたが、その眼の視力は 酷く悪くなったそうです。江与味の樵が 事故を起こしたので止む無く樵が 切った木を 運び出しました。すると 暫くして は 小森の樵は 酷い難聴になり 苦しみました。依頼主は、堅い樫の木が 欲しいと言う 彫刻家が 現れたので 縁起の悪い木と 知りながら 譲りました。木を譲ってもらった彫刻家は 悩める仏の像を 彫ると、胃癌になって 間もなく亡くなりました。依頼主が これで 祟りも終わろうと 思っていたら、納屋から火が出て、母屋を残し焼けてしまいました。皆は「荒神の木の祟りじゃ」と言い合いました。「三谷日百怪談」  平成27年(2015年)11月30日

 

平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備人出版】が発行されました。p298~P302に「たたる木」「切られない木」「椿は家に植えない」の民話が 載っています。平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。P64~P65に「ミサキ松」「墓の木」と 言う話が載っています。