護王神社 Goou-jinjya


京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385番地 北緯35度1分20秒東経135度45分31秒の 護王神社の主祭神は和気清麻呂Wake-no-Kiyomaro-kou 和気広虫WAkre-no-Hiromusi-himeです。和気清麻呂と姉の広虫は 流刑にされながらも 弓削道鏡Yuge-no-Doukyou(孝謙天皇の恋人日本三悪人/平将門 足利尊氏の 皇室乗っ取りの策謀に 抵抗して 皇統を守ったので、孝明天皇嘉永4年(1851年)に に護王大明神の神号を与えました。この事件の過程で 和気清麻呂が 宇佐へ配流される途中 道鏡から町の刺客に 襲われたましたが 300頭の猪に 救われました。この伝説に 基づき  明治23年(1890年)に 護王神社に「狛猪」 が置かれたので「いのしし神社」の俗称があります。大正天皇の即位の際大正4年(1915年)に 政敵の孤児の救済事業に功績のあった広虫が 合祀されたので 子育明神の異称が ありますhttps://ja.wikipedia.org/wiki/護王神社」    和気清麿の御利益は 足腰や健康の守護 厄除開運 災い除け 一願成就 土木建築の守護等で、 和気広虫のご利益は 安産 子供の守護 合格 学業成就等です。吉備中央町では 護王神社に主祭神として天児屋根命素戔嗚尊 等が 祀られる事があります。よく似た読みの 護国神社は  国家のために殉難した人の霊英霊を祀るための神社です。 ㊟神社の前に付された地名は他の神社と区別する為に付けられていて、神社の正式名称でない場合があります


 円城 辻屋敷の護王神社 Goou-jinjya in Tuji-yasiki

下土井下加茂線(372号線)の横倉口を 北に向かう分岐を 進み、円城横倉1042番地の北に 位置する円城横倉1020番地の北に 墓場があります。この辺りを 辻或いは辻屋敷と 言います。その墓場の西側の林の手前に  一宮社が3社建っています。左の社は 護王神社で弓矢護王大神を祀り、中の小さい社は不明の社で、右の社は荒神社摩利支天社で 護王 天児屋根命Ame-no Koyana-no-mikoto 天太多満命Ame-no-Hutodama-no-mikotoと 摩利支天大神を祀ります。    横倉口:上田東 北緯34度53分32秒東経133度48分37秒    1020番地の北の墓場:北緯34度53分42秒東経133度48分37秒    蘭塔墓:僧侶等の墓標で台座の上に卵型の石碑を乗せた物で、蘭塔墓無縫塔の事ですが、ここでは家形の墓標 (石祠sekisi)のことです。    辻屋敷:円城 北緯34度53分42秒東経133度48分38秒付近    護王神社の弓矢護王大神:弓矢八幡大菩薩は 応神天皇品陀別命Honda-wake-no-mikoto)で、武神(弓の神) 文教の祖紳 国家鎮護の神(皇室の祖神 都の守護神)厄除けの神等です また太陽の神である天照大神Amaterasu-oo-mikami  戦いの神である武甕槌神Take-Mikaduti-no-kami  剣の神である経津主神Hutu-nusi-no-kamiです  多くの護王神社の祭神は和気清麻呂です ここでは 天児屋根命を始めとする春日神の事でしょう    横倉:円城866・1085番地等 小丸山:円城893・905番地等 番原:円城990・1011番地等 魔利支天:円城1013-1015番地  平成26年(2014年)8月14日

 


 円城 国只家の魅大王 Midaiou of Kunitada family

 辻屋敷の円城横倉1045番地の西の辻(Y字路)北緯34度53分4秒 東経133度48分37秒に 三宮社が建ちます。厨子の左から順に 魅大王社 導通神宮 護王大王宮が 祀られています    魅大王社:いかなる神を祀るのでしょうか 魅大王は摩利支天であるかもしれません 近くの辻屋敷(前項目)の社群に摩利支天社が含まれます    導通神宮道通様と呼ぶ神は 藤憑Tou-byouと呼ぶ蛇神を祀ります    護王大王宮:いかなる神を祀る神社かわかりません。近くの北緯34度53分43秒東経133度48分39秒の辻屋敷の護王社には弓矢護王大神を祀ります  平成26年(2014年)8月14日

 

円城 横倉の護王社 Goou-sya in Yokokura

 429号線上田東森マヘ1943-3番地の土井橋から 土井横倉方向 則ち 南西に進むと 円城横倉935番地の北西隣地に円城横倉937番地があり その南隣地 北緯34度53分45秒東経 133度48分29秒に円城横倉943番地の方の護る 護王社が 建ちます。 森前:上田東1829・2037番地等 森マヘ:上田東1936-1943番地 横倉:円城866・1085番地等 搭楽坊:円城853-855番地 石橋・イシバシ:上田東1831・1919番地等 平成30年(2018年)2月2日

 

大木 大木三所様の護王神社 Goou-jinja in sanjyo-sama

豊岡上小森線(371号線)沿いの須用田橋を渡り、金比羅神社の北西の交叉点を 左(東)に周り 大木Oogi臺519番地の東の向山の麓 北緯34度54分25秒東経133度46分35秒に大木三所様不動明王堂が建ちます。荒神社で 秋に荒神祭りをします。甘酒神様であると村人は言います。

堂内には3社と1石仏が祀られています。向かって一番左の小さい一宮社には 不動明王 13仏 16番神平野大明神を 祀ります。左2番目の最小の社には 紳変加持 仏陀加持の札が 納められています。紳変大菩薩(役行者)が 祀られるのでしょう。右から2番の社は 天津神 八百万の神が祀られています。右端の社は 御王社です。右端の仏の梵字bonjiは この写真では読み取れません。    御崎前:大木554-557番地  愛宕ノマエ:大木472番地    行免:大木491・508番地等 臺:519番地   空蔵下タ:大木24・525番地    大官屋シキ:大木531番地    平成25年(2014年)5月11日

 

下加茂 高尾護王社

 下加茂の多目的広場のゲートボール場(北緯34度51分28秒・東経133度49分8秒)の宇甘川の向い 下加茂大下1616番地と下加茂大下1654番地の間の比較的広い東に登る道を進むと 野仏と数基の墓石と思われる石柱等( 北緯34度51分28秒・東経133度49分17秒と予測)が 乱雑に放置されています。かつて墓場だったのでしょうか。その東に北に向かう細い獣道様の山道が 有るので 進むと 北緯34度51分29秒東経133度49分17秒と予測する所に若宮大神を祀る一宮社が 建っています。元の道に戻り東に 進むと 右に山道が見付かりますので、右の細い山道を進むと 北緯34度51分29秒東経133度49分21秒と想像する辺りに かつて社が有ったと思われる石組が有ります。北に向け更に進むと いかなる神を祀られるか不明の一宮社が 有り 更に進むと谷に出合い 高台に一宮社の護王社が 祀られています。北側に 先程まで登って来た比較的広い道が見え、社を迂回し北側に進むと その道に辿り着けます。   龍王:下加茂1582番地 臺新町:下加茂1588-1606番地    カガソ・カカソ:下加茂1607・1614番地等    大下:下加茂1612・1684番地等    高尾:下加茂1623番地     平成26年(2014年)10月2日

 

高富 柿山素嗚 Goou-jinjya of Kakiyama-Susa-no-ou-jinjya神社の護王神社Goou-jinjya of Kakiyama-Susanou-jinjya

高富中曽根2088番地の西 即ち高富ソラ2678番地の北西西 北緯34度55分33秒東経133度49分47秒に 素盞嗚神社が建ちます。 その境内に 拝殿 本殿の他 一宮社二社と石組みの祠 および手水鉢(があります。奥の大きい一宮社の祭神は わかりません。 小さい社は 護王神社で 丸い石が奉納されていいます。    中曽根:高富2088・2138番地等 ソラ:高富2676・2683番地等 法シ畑ヶ:高富2615番地 祇園山:高富2663・2670番地等 ギオンマヘ・ギオンマエ:高富2671・2723番地等 祇園前:高富2673番地 堂脇:高富2694番地  平成25年(2013年)9月12日

 

竹部 青樹神社の護王神社 Goou-jinjya of Aoki-jinjy

北緯34度49分24秒東経133度46分52秒 竹部青樹264番地に 青樹神社が建ちます。境内末社に秋葉神社 護王神社 森神社の3宮社があります。森神社:殆どの森神社の祭神は五十猛命ですが、吉備中央町では高谷森神社五十猛命Iso-Takeru-no-mikotoの父である素戔嗚命Susa-no-o-no-mikotoである場合が多くあり、三谷森神社のように 宇迦之御魂命Uka-no-Mitama-no-mikotoの場合があります。妹の大屋都比賣神Ooyatu-hime-no-kamiと 抓津姫神Tumatu-hime-no-kamを 配する場合もあります  全国的に見るとられます   護王神社:祭神は和気清麻呂を一般には主宰神とします  和気清麻呂の姉の和気広虫をしばしば配します 吉備中央町では 天児屋根命Ame-no-koyane-no-miko 等や素戔嗚命を祀る場合があります    青樹:竹部264番地(青樹神社) 宮ノ上:竹部265-266番地  平成24年(2012年)7月4日

 

竹部 乗木荒神社護王神社 Goou-jinjya in Norik

484号線の乗木下橋に地神碑等が有り、その近くの竹部石塔945-2番地から 北西に登り、竹部ノリ木895番地の右の山道を進むと 北緯34度50分19秒東経133度47分44秒に乗木荒神護王神社が建ちます。近くの小さい社の神様はお留守です.ノリ木:竹部844-848(北緯34度50分19秒東経133度47分46秒)906番地等 荒神:竹部860-868番地 荒神ノ前:竹部869-870番地 乗木山:竹部1009(妙福寺 北緯34度50分7秒東経133度47分37秒)-1010番地 石塔:竹部918・957番地等 平成26年(2014年)6月27日

豊岡上 亀山八幡宮の護王社 Goon-sya of Kameyama-Hatiman-guu

亀山八幡宮は豊岡上亀山184番地 北緯34度53分59秒東経133度45分35秒の亀山に鎮座します。本殿の右側に大きな一宮社と小さい一宮社と三宮社が建っています。大きい社は 竈神社Kamado-jinjyaへっつい様で、小さい一宮社は斎宮Saiguu/Ituki-no-miyaです。三宮社の左の厨子は若宮社で中の厨子は祇園神社です。右の厨子 は護王社で 祭神は 天児屋根命であると 村人は教えてくれました。 御供田下:豊岡上114番地 正面:豊岡上135-142・181番地 地頭原:豊岡上143-161番地 宮地:豊岡上166・179番地等 宮脇:豊岡上169番地 亀山:豊岡上181-182・184番地等  平成29年(2017年)10月8日

 

豊岡下 舟掘下の護王神社 Goou-jinjya in Hunabori-simo

県道豊岡上小森線(371号線)沿いの豊岡下船堀前Hunabori-mae548-1番地から 北に登ると右手に 大師堂が 建ちます。そのまま山道に入り 暫く登ると 右上 北緯34度54分54秒東経133度46分47秒に小社があり、護王神社の案内標識が立っています。 舟堀前:豊岡下548・549・551番地 台道上・臺道上:豊岡下558番地 大藏谷東:豊岡下563番地 石ヶ搭:豊岡下587番地 墓ノ前:豊岡下588・737番地     平成25年(2014年)2月26日

 

細田 野呂の護王神社 Goou-jinjya in Hosoda-Noro

奥吉備街道 (吉備高原北部広域農道)の細田才ノ乢から 300m南西の細田美セ747番地の鋭い角度を持つ交差点を 北東に300m程登り 道なりに 北に曲がり 更に600m程登ると 細田仁王626番地があります。そこより60m程手前の 北西に向かう山道の分岐を 90m程 進むと 北緯34度54分3秒東経133度46分38秒に一宮社が5社建ちます。一番手前の社は 大山社で、2番目の社は 三十六天神宮で、3番目の社は 摩利支天社です。4番目の社は 護王神社で 護王神が祀られています。最も奥に建つ細長い社は 七屋神社です。    三十六天神宮:三十六天神宮の祭神は解りません 天津神の36柱を祀るのでしょうか 大山白:細田502・511番地等 エボシ岩:細田508・509番地 イノ子:細田510番地 仁王:細田514・627番地等 戸出:細田517・547番地等     平成30年(2018年)3月27日

 

細田 石段の護王神社 Goou-jinjya in Isidan

奥吉備街道 (吉備高原北部広域農道)沿いの細田才ノ乢から 約300m南西の細田美セ747番地の鋭い角度を持つ交差点を北東に300m程 登り 道なりに北に70m程 登ると 左手の高台 北緯34度53分50秒東経133度46分44秒に護王神社が建ちます。隣地の細田石段739-2番地の方が 護ります。    三王:細田716・805番地等 サンヲフ:細田759番地 山王:細田803番地 野路マヘ:細田727番地     墓ノ西:細田728番地    石段:細田739番地 美瀬:細田742番地    美セ:細田747番地     平成30年(2018年)3月27日

 

和田 青樹の護王社青樹宮 Goou-dya in Wada-Aoki

 和田上集落と和田下集落の中央当たり 和田216-1番地の北 北緯34度53分14秒東経133度44分39秒に護王社が建ちます。青樹宮Aoki-guとも 呼ばれます。「昔 青樹山宗林寺Syuurin-jijiが 有った頃、宗林寺の仏像を盗んだ男が ここ迄逃れて来ましたが、仏に祟られ 視力を失いこの地で 行き倒れた、あるいは 宗林寺の僧兵が 追跡し この地で捕縛し 切り殺した」と 言われます。村人が哀れな 泥棒を悼み、御崎Misakiを 祀ったのが この神社の始まりだそうです。近年建て換えられました。天土大神Ametuti-no-ookamiと 八百大神Yao-yorozu-no-ookamiを 祀ります。    御前:御前は種々の意味が有りますが、ここで恨みや この世に名残を以て俘虜死した人の霊 あるい身寄りのない人の霊(供養してくれる親族のない霊) 天土大神:天神地祇、即ち八百万神の事でしょうか   土祖大神Hanioya-no-ookami大土御祖神Ootuti-no-mioya-nokami土之御祖神Tuti-no-mioya-no-kami大土之御祖大神Ootuti-no-mioya-no-ookami等土地田畑の神で、天孫降臨の際の道案内の神である 猿田比古大神と同神ともされます 青木山:和田127-129番地(素戔嗚神社 北緯34度53分12秒東経133度44分5秒) 狐岩:和田163・931番地等 宗林寺:和田144-146(北緯34度53分14秒・東経133度44分43秒)-159番地等 イヤ谷:和田215・216番地(北緯34度53分13秒・東経133度44分39秒) 青木渡:和田217-219番地 倫曽祢:和田230・231・233番地  平成.25年(.2013年)1月12日

 

和田 土居家の五社宮・岩古屋根命社 Iwa-no-koyane-no-mikoto-sya of Doi family

和田下集落の西側地区 和田金田4番地の北方向の道沿い 北緯34度53分5秒東経133度44分43秒に この辺りの土居一族の護る 社群が 建ちます。手前の社は5社神社であり、2番目の社は天神地祇八百万の神を祀り、3番目の社には若山咋命Wakayama-kui-no-mikotoと 岩古屋根命Iwa-koyane-no-mikotoが 祀ると言われます。4番目の社に祀られる神は解りません。   岩古屋根命:天児屋根命Ame-no-Koyane--no-mikotoのことでしょうか    金田:和田3・4番地 鳥居向:和田104・106番地    青木山:和田127-129番地 宗林寺:和田144-159番地     平成25年(2013年)8月16日

 

上竹 陰地御王神社 Goou-jinjya in Kamitake-Onji

陰地御王神社の旧社格は 無格社です。岡山自動車道賀陽インターチェンジから北へ4km程進んだ 上竹陰地の北緯34度50分22秒東経133度40分26秒 上竹丸山前4716番地に 御王神社が建ちます。祭神は素盞嗚命Susa-no-o-no*-mikoyto  天兒屋根命Ame-no-Koyane-no-mikoto 天鈿女命Ame-no-Ùzume-no-mikoto 高丘親王Takaoka-sinnouです。主な祭事は4月23日の春季例大祭 8月28日の献燈祭 12月23日の秋季例大祭です。連絡先は 電話番号0866-54-0061番です。天平宝字2年(758年)に奉斎し、平城天皇の頃大同年間に大八幡神社勧請とともに 向鎮護神として鎮祭した神社です。興国4年(1343年)11月23日、麻留山Maru-yamaの地に奉遷しました。明治21年(1888年)8月6日存置Sonti-negaiの許可を得ます。昭和17年(1942年)10月13日社名復称を許可され 、昭和17年12月17日 移転改築を許可され、昭和2年(1927年)9日12月23日遷宮を遷宮を 行いました。御王神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁 (okayama-jinjacho.or.jp)」 賀陽町史追補版では 祭神に高丘親王の名前は有りません。後村上天皇の頃 興国4年 石井源左衛門満利によって竹の荘の惣郷の御王神社を丸山に移し、同時に竹荘郷の神明と惣郷の神主の先祖の高丘親王等を合祀しました。高丘親王は 平城天皇の第2皇子で 嵯峨天皇の皇太子ですが 僧侶と成り、唐に向かいました。帰国し 諸国を行脚した後 多気庄を開発しました。「賀陽町史追補版」    御王神社はかつて 朝 昼 晩に 鉦 太鼓を 叩き 神事が行われたそうですが、現在は 守る人もいないに同然だと言います。拝殿前には 金神Hituji- Saru-Usitora-no-Konjin 御歳皇神Mitosi-no-sumekami 大国主命Oo-Kun-nusi-no-mikoto 言代主命Kotosiro-nusi-no-mikoto 5柱大神 御王大神 天神(土+心)祇諸神Tenjin-Tigii-no-syogami産土大神Ubusuna-no-ookamiのお札 矢倉神社の木札が 納められた箱が備え付けてあります。村人によると 五穀豊穣 厄病退散 家内安全等のご利益が 有るのだそうです。更なる情報を知りたい人は賀陽町史追補版をご覧ください。    丸山・麻留山:北緯34度50分22秒東経133度40分30秒    高丘親王:高岳親王Takaoka-dsinnouと同人物です    坤艮金神:国常立尊Kuni-no-Tokotati-no-mikotoを艮の金神、豊雲野尊Toyokumo-no-mikotoを 坤hiytuji- aruの金神と呼称します    矢倉神社:かつては矢倉山の東に建っていましたが、現在は 納地矢倉の北緯34度50分21秒東経133度41分33秒 納地矢倉2043番地に建ちます 荒神ノマヘ:上竹4609・4670番地 荒神ノハナ:4672番地 丸山前:4716-4718番地 加門:上竹5284番地 陰地荒神社:34度50分21秒・133度40分26秒 平成26年(2014年)4月23日

 

 上竹 宮後の護王神社 Gooujinjya in Miyasiro

多数の石仏を祀る袈裟掛け阿弥陀堂の前を 東の道を北に進み 東に回り 陸橋を渡りると上竹平ツカ3075番地に 立派なお宅が有り、その北側の斜面 北緯34度50分49秒東経133度39分51秒に一宮社が 建ち 護王大神が祀られます。 エボシ岩:上竹3040番地 ケサカケオク:上竹3055・3194番地等 平ツカ:上竹3075番地 墓のマヘ:上竹3169番地  平成25年(2013年)8月1日

 

黒山 護王神社 Goou-jinjya in Kuroyama

黒山表1041番地の北の 金毘羅神社の北の山の中腹の北緯34度47分29秒東経133度45分28秒に 三宮社と 一宮社と 御崎神社が祀られる石組みの祠が 並び、境内の南側に 一宮社を 納める石組みの厨子が有ります。三宮社の左の厨子は  御崎神社 で天理御崎神太魂Tenri-Misakisin-hutotamaが 祀られており、中の社は 寶王神社で、右の厨子は 護王神社で 護王神魂Goousin-no-mitamaが 祀られています。一宮社は 五社神社で 五社神魂が 祀られています。    天理御崎神太魂:天理御崎はいかなる神か解りません    寶王神社:熊本県熊本市北区龍田町弓削489番地(北緯32度50分48秒・東経130度47分8秒)の寶王神社の祭神は孝謙天皇(ほうおう様お藤姫宝王大明神法皇大明神)で 浮気封じ 夫婦和合 子授けの他 五穀豊饒に神徳があるとされ、木彫りの男女の性器を奉納して祈願します  山口県周防大島町森の北緯33度54分48秒東経132度21分22秒の神山神社の祭神は天照皇大神Tensyou-kou-taisin 岩吾彦命 大鹿嶋命Ookasima-no-mikoto(天児屋根命の十代目後裔) 天児屋根命Ame-no-koyane-no-mikoto 天種子命Ame-no-taneko-nomikoto (天児屋根命の孫) 奥津彦命Okutuhiko-no-mikoto 奥津姫命Okutu-himeno-mikoto 大己貴命Oo-Namuti-no-mikoto 蛭子命Hiruko-no-mikotoです    五社神社:社名は5柱の神を祀るという意味で、同一の社名であっても 祭神は一定でありません「https://ja.wikipedia.org/wiki/五社神社」 護王神社:多くの護王神社は和気清麻呂を祀ります  豊岡の亀山八幡宮の御王神社の祭神は天児屋根命です    牛王畑:黒山592・593番地 大草田:黒山995-997番地    表:黒山1041番地 金ノ庭:1074-1078番地     平成26年(2014年)10月5日

 

田土 仁熊の天兒屋命神社 Ame-no-koyane-no-kami-sya in Niguma

仁熊公会堂の北の道の北に石垣の大きな台座の上 北緯34度51分33秒東経133度44分37秒に 二宮社と石で組まれた祠が祀られています。石組の祠には  如何なる神が祀られているか解りません。二宮社は  御王神社で左の厨子には 丸い大きな石が祀られ、右の厨子には 天兒屋命Ame-no-Koya-no-mikotoが祀られています。5軒程の氏子でお祭りをしていたが、2軒となったのでお札を納めるだけになったそうです。

この石垣の台座に この他に3社が有り、新しい社も 造られましたが、台座の石垣が崩れたために 放棄されたそうです。仁熊集落のあちこちの個人で祀る小社が 有ります。複数の小社を祀る者もおります。金神Konjin-syaや 摩利支天Marisi-ten-syaと思われます。西側の高梁御津線(31号線)に戻る辻 北緯34度51分34秒東経133度44分38秒に大日如来の石碑が立っていました。 塚ノ元:田土2959・3018番地等 先宮地:田土3010・3014番地等 荒神元:田土3027番地 仁熊:田土3040・3062番地等  平成25年(2013年)12月20日

 

田土 瓜尾の護王神社 Goou-jinjya in Urio

高梁御津線(31号線)を 川合神社から西に向かうと 宇甘川が迫る所に土生橋が架かっているので 渡り 大きくS字状に曲った後 ドンドン登る と賀陽土生庭園が 有ります。西に向かう分岐は 直ぐに 2つのT字路になるので 道なりに進み 田土屋シキ3700番地を 右手に見て 山道を登ると 北緯34度51分19秒東経133度43分9秒に 地蔵菩薩が祀られています。左手に荒神宮の鳥居が 立ち 鳥居の奥上に 一宮社が 2社建ちます。左の社は 瓜尾荒神社で 右の社のなかには更に一宮社が2社あります。その左の社は 護王神社で天太玉命Ame-no-Hutodama-no-mikoto 天児屋命Ame-no-Koyane-no-mikoto 天鈿女命Ame-no-Ùzume-no-mikotoが 祀られており、また経津主神社Hutu-nusi-jinjyaであり 疫神八十禍津賣神Yaso-Magatu-me-no-kami-syaでもあります。その右の社は 経津主神社です。    八十禍津賣神・やそまがつめのかみ:八十禍津日神Yaso-magatu-hi-no-kamiの事でしょう  伊邪那岐命が 黄泉国Yomi-no-kuniから逃げ帰り 洗い落とした穢れたの垢から生まれた神で、多くの災いをもたらす神です    ハブヤシキ:田土3521・3530番地等 紙屋・カミヤ:田土3524・3533番地等    平成29年(2017年)9月5日

 

 豊野 吉倉護王神社・天児屋根命社 Goou-jinjya in Yosikura

 尾原賀陽線の中宮入り口から分岐に入り 北に向かうと 豊野屋シキ2335番地で道は鋭く曲がり 西に向かいます。吉倉生活改善センターから北西に登る と  豊野タワ1862番地の北 北緯34度53分4秒東経133度41分59秒に 阿彌陀堂が建っています。その右手奥の高台に 護王神社が 建っており 天児屋根命Ameno-Koyane-no-mikotoが祀られています。その右手に石グロ(石組みの祠)があり 吉倉荒神が祀られています。    才介上:豊野1824・1825番地 タワ:豊野1862・1899番地等    カジヤ・可じや・カシヤ・鍛冶屋:1844・1888番地等  平成29年(2017年)8月17日

 

湯山 川合神社末社の護王神社 Goou-jinjya of Kawai-jinjya

北緯34度51分28秒東経133度44分17秒 田土川合山3113番地及び湯山川合山2番地の川合神社の境内に 摂末社が 3社祀られています。中の社が護王神社で、祭神は天児屋命Ame-no-Koyane-no-mikotoです。 川合山:湯山1・43番地等 繁田坊・繁丹坊:湯山46・180 番地等 寺内:湯山74・131番地等  平成24年(2012年)7月17日

 

吉川 木村講組護王大神社Goou-ookami-sya of Kimura-kou-gumi

 岡山賀陽線(72号線)吉備中央公園から吉川槇谷線(307号線)に向け 西に曲がり 道路の北側を見ながら進むと 北正行バス停吉川前4700番地の東に かつて墓場であったらしい空き地があり 大きな何も刻まれていない石の碑が立ちます。その東側 北緯34度49分48秒東経133度45分21秒に 木村講組が護る護王大神社が 建ちます。付近に木村姓の者が 多く住みます。 石塔:吉川4447・4789番地等 箱根谷:吉川4466・4473番地 神崎:5013番地 蓮ノ下:4201番地 森屋前:吉川4201-4203番地 前:吉川4638・4763番地等  平成24年(2012年)9月20日