吉川 西庄田の御崎様 Mr.Misaki shrine in Nissyouda


大正の頃 か 昭和の初めの頃か 解りませんが、旅の者が 疲労困憊し 空腹に 耐えられなくなって 西庄田に 辿り着きました。旅人は 家々を尋ねて 物乞いをしましたが、髪や髭は 伸び放題 衣服は 破れ汚物で汚れており 余りの 異様さ と不潔さ故に 食べ物を与える者もなく、一夜の宿を 貸す者も いませんでした。その者が 行き倒れましたが、それは 無念の表情をしていました。村人は 気味悪がって、屍を 乱暴に 裏山に 埋めました。処が その年 周囲の集落は 豊作でしたが、西庄田は 何故か 水不足し その上に 虫の害で 大変な 凶作となりました。翌年は 一転代わって 洪水が 起こり 又もや 不作となり 病が 流行りました。その上 特段の危険も 無い寺子屋の脇の浅い小川に 子供が 嵌り 死にました。村人は「あの旅人ぁ ぼっこう粗末に 扱われたけぇ 成仏できんで 祟っておるんじゃろう  飢えの苦しみ  不健康の悲しみ  死の恐怖ぅ  わし 等に それらを 教えようとしとるんじゃろう  供養しちゃらにゃぁ おえんぞ」と 話し合って、御崎神社を 建て 燈明し 御祓いをすると、西庄田に 平和が 戻ったそうです。それからは 御崎様を 敬っていましたが、いつしか お世話をする人もなくなり 荒んで ゆきました。「西庄田引地の村人より口伝」 近在の村に残る異る 伝説二では、この旅人は いずこかの山奥に 住み付き 村々の作物を 荒し窃盗を 繰り返したため、困った村人が 西庄田の人と 相談し御崎神社を建て 豊富な作物を 供えると、栗等の山の幸が 返され 悪行が収まったとされます。「村人小茂田村人より口伝」  西庄田公会堂:北緯34度49分25秒東経133度45分0秒 引地御崎神社:北緯34度49分24秒東経133度45分0秒 西庄田公会堂・西庄田生活センターの南の吉川橋ノ元3527番地の東側の山道を 北に登り 吉川3527番地を回り込むように 西に曲がると 吉川橋ノ元3527番地と吉川屋敷3522番地の間の北側の茂みの中に 御崎神社が建ちます。  平成26年(2014年)8月8日