尾原 重岡神社 Sigeoka-jinjya


通称重岡神社は 通称天神様と呼ばれる神社で 尾原重岡山1102番地  北緯34度55分8秒東経133度45分6秒の重岡山に建ちます。

神徳は学業成就で 祭典は3月20日の春祈念祭 10月の第3日曜日の例祭 11月23日の新嘗祭niiname-sai/sinjyou-saiです。氏子は加茂川町新山すなわち尾原、笹目、福沢 溝部 杉谷 粟井谷の地域の人達です。元亀2年(1571年)京都北野天満宮新山城主が奉祀Housiし、矢喰宮と 呼ばれていました。

天満宮は 当時新山城主新山民部守が 新山城の鎮守として 獅子頭を奉納、または 天正年 虎倉城伊賀久隆が 家来の宮重氏を 祢宣negi(神社で尽くす職員の様な身分の名)とし 獅子頭を 献納しました。明治6年に 天神社と改名し、明治43年5月10日、美作本村三平山智利火神社Tiribi-jinjya 福沢八雲山大國主神社 笹目中曽根八幡宮 溝部の大社Oo-yasiro・氏社Uji-no-yasiro:吉備中央町の資料では大社氏と記載されています)江与味村大字杉谷山高野神社を天神社へ合祀し、社号を重岡山の名にちなみ 重岡神社と改称しました。大正11年8月21日、本殿と幣殿と拝殿を改築しました。

菅原神Sugawara-no-Dousin 埴山姫命Haniyama-Hime-no-mikotoは 火産靈命Ho-Musubi-no-mikoto 稚産靈命Waka-Musubi-no-mikoto 大國主命Ookuni-nusi-no-mikoto 海神彦命Watatumi-no-mikoto 大年命Ootosi-no-mikoto 丹生都比賣神Niutu-hime-no-mikoto 足仲彦尊Tarasi-Nakatu-hiko品陀別命Homudawake-no-mikoto 息氣長足姫命Okinaga-tarasi-hime-no-mikoto 豐玉姫命Toyotama-hime-no-mikotが祀られています。重岡神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁 (okayama-jinjacho.or.jp)」「賀陽町史」「加茂川町史」 参道入口の手前に道標「右江与み 左大せん」 その右奥に 地蔵菩薩像「左大仙 ゆばら」鳥居「重岡神社」の正面に 手水鉢「奉寄進  右 大せん ゆばら〇  左 まつ山 なりわ〇  明治十三庚年八月吉日 施主〇〇」が あります。その奥に5段の階段の上に 鳥居 重岡神社の碑があります。  長い急坂の参道を ウネウネと登ると 数段の階段の奥に 随神門 合祀五十周年記念碑があり  隋神門には 櫛岩間戸大神Kusi-iwamado-no-ookam 豊岩間戸大神Toyo-iwamado-no-ookamiらしき 神々が 祀られています。60段弱の階段を登ると 対の狛犬「奉献」「奉献」 手水鉢と 対の燈篭「奉寄進 元請 市木鹿治」「奉寄進 天保六乙未十月吉日」があります。境内に入ると 木製碑「加茂川町指定文化財 重岡神社獅子頭  昭和六十二年八月吉日加茂川町」重岡神社由緒碑「重岡神社由緒 當社は顔輝二年京都天満宮与り勧請當時 新山城新山民部之輔益忠家の鎮守として天神宮と称し 獅子頭を奉納 明治六年天神社と改め奉祀 明治四十三年五月十日 本村三平山智利火神社 福沢八雲山大國主神社 溝部三宝山大歳神社 笹目中曽根八幡宮 杉谷高野神社を天神社へ合祀 社号を重岡神社と改稱し 地域の守護神としたお宮であります。祭神 菅原神 埴山姫命 火産霊命 稚彦霊命 綿津見命 大国主命 大年命 丹生都姫命 足仲産尊品陀別命 息長帯命 豊玉姫命 祭日 例祭 十二月廿日 元日祭 一月一日 祈年祭 三月二十日春分の日 火燈祭 八月十六日 新嘗祭 十一月二十三日 現社殿は大正十三年新築したものです 末社十一社 氏子区域 新山全域 氏子 三百拾仲 役員 宮司一名 祢宜一名 総代十三名 世話係 二十六名 境内地 四反八畝二歩 寄進 昭和二十六年度還暦記念 笹田準一 渡辺一雄 笹田毅 入澤通 浅桐三郎 藤澤弘毅 大塚高志 黒瀬ツヤ 小林啓子 西畝〇恵 光田〇〇 藤澤益恵 片岡志〇 津島静子 赤木孝 小林澄子 対の石柱「奉石井茂 亭木」「〇内昭和二年千一月」手水舎 「行森百江 江原〇 手水のマナー標」があります。それらの右手に 神輿庫 社務所と集会場が 建ちます。正面に 拝殿があり その左右に 対の燈篭「奉燭 文久三癸亥九月吉日」「奉燭 氏子中 森村世話人〇古」があります。拝殿の裏に本殿が繋がります。本殿の左には2基の灯籠と 狛犬 狛兎があり 右には 灯籠「奉燈 氏子中」と 対でない 2基の狛犬があります。

本殿の裏手には手水鉢  鎮魂碑 忠魂碑「明治四〇〇年七人建之 石柱:飯山地区遺族会 昭和三九年十二月建之」 燈篭 若宮 金比羅神 地神搭天照大神 大己貴命 少彦名命 倉稲〇命 埴安姫命 安政未年九月吉日 村中 九宮社が 祀られています。若宮は 新しく 最後の大戦の犠牲者 六九名の霊を 祀っていると 言われます。九宮社には 金毘羅神社 伯楽神 才の神神社 稲荷神社 城守神社 愛宕神社 荒神社 龍神社 祇園神社が 祀られています。伯楽神社の前には 牛の置物が置いて有ります。才の神神社には 八街比古神Yatimata-hiki-no-kam 八街比売Yatimata-hime-no-kami 久那斗神Kunado-no-kamiが 祀られます。

稲荷神社には事代主命Kotosiro-nusi-no-mikoto 仁徳天皇 天鈿女命Ame-no-Ùzume-no-mikotoが 祀られます。龍神社には大山祇命Ooyama-tumi-no-mikoto 綿津見神Watatumi-no-mikoto 豊玉姫命 淤加美神Okami-no-kami 水波那賣命Mizuha-no-me-no-mikotoが 祀られます。九社宮の右に2基の灯籠「奉寄進 願主 石井氏 天保五午歳八月吉日」「奉寄進 杉谷村氏子 〇保二戌八月吉日」と記念碑「合祀五十周年記念 安田幸子」が立ちます。

本殿の最奥の駐車場の広場に 多くの小さい社が 置かれています。何れの社にも 神も仏も祀られていません。

先程の九宮社の神々が かつて祀られていた社でしょう。例祭は正午より祭典が行われ、祭典が終わると 長刀 矛等の行列を作り 神輿(を担いで 境内を巡行し、隣地のお旅所へ 行列を連ねて行き 長刀振り 獅子舞を奉納して終わります。    新山城跡:尾原和佐田505-1番地の東尾原新山町628-1番地の北の山 北緯34度55分8秒東経133度45分26秒 新山民部守・新山Sinzan/Niiyama民部少輔益忠・新山右衛門佑益忠:伊賀久隆の祖父である 伊賀兵庫頭行隆の次男    伯楽神社:伯楽とは 馬の能力を見定める事の出来た人で 実名を孫陽と言う人 また天馬の守護をする星  牛の守護神を祀るのでしょう    城守神社:刈山城を護る独自の神を祀るのでしょう    火打岩:尾原1035・1107番地等 宮畝:尾原1082・1095番地等    宮ノ乢:尾原1084・1091番地等 宮ノ後:尾原1088・1098番地等    宮下:尾原1101番地 重岡山:尾原1102・1103番地    宮ノ前:尾原1108(北緯34度55分65秒東経133度45分9秒)-1120番地 矢喰宮 : 岡山市北区高塚108番地に建ちます  伝承によると、大吉備津彦命五十狭芹彦命Isaseri-hiko-no-mikoto・第2代吉備津彦命)と稚武彦命WAkatake-hiko-no-mikoto(初代吉備津彦命)が 温羅を討伐した時、命(伝承では五十狭芹彦とされていますが、恩羅と実戦したのは 義理弟の稚武彦らしい)が 放った双矢の内の一矢は 温羅の左眼当たり 一矢は温羅の投げた岩に 命中しました  境内残る岩が その時落下した岩で その脇の下向枝の大竹が その矢柄であるtoされます  よって矢喰宮と呼ばれました     平成23年(2011年)7月29日

 

尾原 福西に建つ重岡神社・金之神社・ごう様 Sigeoka-jinjya (Kan-no-jinjya Gou-sama) in Hukunisi

福沢西集落の西地域に 幸手橋が 猪木川に 架かります。南の分岐に入ると 直ぐにY字路となっているので 西に向かう(右・北)道に進むと 鋭角な三叉路になります。三叉路を 戻る方向に鋭く回ると 直ぐに3叉路となるので 西に向かう山道を進むと 左手 福沢日名堀西1359-4番地の南 約60m 福沢ヲンへ上ミソ子Onbe-kami-Sone1414-1番地の西約70m  北緯34度55分41秒東経133度43分26秒に重岡神社が建ち、金之神社Kan-no-jinjya とか「ごう様」とも呼ばれています。神輿庫が、有ります。堂内には 五社が有り、一番左の社は いかなる神を祀るのかわかりません。神宮大麻らしき物が 納められています。左から 2番目の社は 厳島神社で、祭神は 航海の神 美の神等である市杵島姫命Itikisim-ahime-no-mikoto  海の霧の神 縁結びの神等である田心姫命Tagiri-hime-no-mikoto  航海の神  知恵授けの神等である湍津姫命Tagitu-hime-no-mikotoです。中央の社は 恵比寿大黒社大黒像と 恵比寿像と 得体のしれない形の木の枝が 祀られています。木片は 大胆に想像すると 胎盤と胎児が 臍の緒で繋がっている造形です。社の横に牛の置物が 奉納されています。大黒様 即ち国造りの神 縁結びの神等である大国主命Ookuni-nusi-no-mikotoを祀る 出雲大社Izumo-ooyasiro(後述)の銅鳥居の近く神馬Sinme 紳牛が 安産の神の遣いとして 祀られます。恵比寿様 即ち 事代主命は 海の神 福徳円満等の神です。4番目の社には 巻物と錫杖が添えられ 社内には 大きな 銅製の鏡と祭具が 祀られています。いかなる神仏が 祀られるか判別できませんが、社の形は 弘法大師の座椅子を連想させる形です。社の傍に線香と蠟燭rousokuが 用意されていますので 仏教のお堂でも あるようです。錫杖を 持つ地蔵菩薩のご利益は 子供守護 戦勝等です。5番目の社は 大国主命を祀る出雲大社で 数巻の巻物と 本祠大神守護契 征戦完捷 身體健全 武運長久 禱reijiの札 短刀等が 奉納されています。懐刀は 婚礼衣装の付属品の用途が 有り 護り刀とします。

壁には 手作りされた乳房の絵馬が 奉納されています。乳房型絵馬の奉納は 安産の民間信仰として伝えられています。乳房型絵馬を 奉納する習慣のある県内の神社としては 軽部神社が 有名で 祭神は国土(床)形成の祖神である国常立命Kuni-no-Tokotati-no-mikoto と始めて生殖を 営んだ神 結婚式の神等である伊弉諾命Izansa-mi-no-mikoto 日本の祖神 縁結びの 神等である天照大神Amsaterasu-oomikami  離縁の神 縁結びの神である事解男命Kotosaka-o-no-mikoto 離縁の神 縁結びの神である速玉男命Hayatama-o-no-mikotoです。https://ja.wikipedia.org/wiki/軽部神社_(総社市)」  この神社は女性守護の神社であるようです。ごう様とは 護王神社に 祀られる 和気広虫Wake-no-Hiromusiの事かも知れません。 軽部神社・おっぱい神社・王子の宮・五社王子権現:総社市清音軽部2254−2番地 北緯34度38分17秒東経133度44分8秒 乳癌 泌乳 安産育児等の悩みの解消のご利益が得られます    御御・おご・御御前・おごぜ:他人の妻、他人の娘を敬う呼び名 女性の総称    御後Gogo:神等を敬い、神等の後ろの事 神社に参拝した時、神殿の後を拝むこと  神宮大麻:祓い串の御真gyosinを清浄な和紙や布でで包んだ 伊勢神宮の神札天照皇大神)    護王神社・子育て明神:和気の媚麻呂 和気広虫を祀り、のご利益は 足腰の健康 病気怪我回復 厄除け 災難除け 子育て 子供の成長の御守護です    和気広虫:弟  和気清麻呂と共に 朝廷を乗っ取ろうとした 弓削道鏡Yuge-no-Doukyouと争い 朝廷を守りました 天平宝字8年(764年)に恵美押勝Emi-no-osikatu(藤原仲麻呂Hujiwara-np-Nakamaro)の乱の逆徒の助命を 嘆願し 死刑を流刑に減刑させましたこの乱で生じた 孤児83名を 養育し 夫の姓葛木連Katuragi-no-murajiを 名乗らせる等、我が国 最初の里親制度施設養護の創始者 金之宮:静岡県富士宮市淀師字金之宮1381-1番地 北緯35度14分30秒東経138度36分2秒の金之宮は 兼宮子安明神社とも呼ばれ、主祭神は花之佐久夜毘賣命Konohana-sakuya-bime-no-mikotoで 配神は金山毘古神Kanayama-hiko-no-kami 金山毘賣神Kanayama-hime-no-kami     平成29年(2017年)4月10日