竹部 鬼突    鬼突き岩 Rock made a hole at a stroke by  ogre

鬼の城に住む鬼達が 妙見山に遊びに来て 道に迷って困っているところに、村の娘が帰り道を急いでいました。鬼は 帰り道を訪ねたくて 娘に近づくと 娘が余りに美しかったので、鬼は一目惚れし「結婚してくれ」と言って迫りました。娘は 鬼を見て恐ろしくなり 逃げ出しますが、逃げても逃げても鬼は追いかけて来ました。曲がり道を廻った所に岩が有ったので、娘は羽 織を岩に着せ 藪陰に隠れました。鬼は 羽織を見て 娘と勘違いして抱きしめ 激しく岩を突くと、岩に穴が空きました。この衝撃の痛みに堪えかね鬼は泣きながら逃げて行きました。「吉備中央町の民話(1)」「村人口伝」「https://blog.goo.ne.jp/junko-f1/e/06204b64c6e61e488441b8483653a9bb


 金山 Copper mine

鬼月岩の近くに 銅鉱山があり 鬼突竹部1番地) 櫻ヶ乢竹部2番地) 疊石竹部7番地) 金山口竹部11番地) 神子切竹部23番地) 金山竹部36番地) 車谷竹部42番地)  小屋口竹部46番地)の地名があります。鬼突岩に 残る杯状穴は 銅鉱山の採算と 作業員の安全を 祈ったものでしょう。広面の雨坪岩も 同様な杯状穴が有り 近くの風穴と言う 試掘抗に 向けて彫られています。

 

豪快通岩鬼の力伝説 Legend of the power of the  ogre who penetrates the rock vigorously

県が 備前 備中 美作と言われていた頃、当地が 備中国賀陽郡竹部郷と 呼ばれていた頃の話である。ここから 南方に 妙見山と言う高い山がある「岡山市との境界山」。この山の中腹に  昔から 鳥取県大山神社へ 通じる大山道と言う 当時の大街道が 設けられていた。この頃 備中鬼ノ城あたりには 結構鬼が 住んでいたと言う事だ。その中の一鬼が たまたま 妙見山あたりまで 遠遊していたと言う。ある日 この大山街道を 一人の和服姿の娘が 竹部郷の方へ向かい歩いていた。鬼は「なんと 美しい娘だろう  俺の嫁 にしてやる」と 少し離れて 跡を付けてきた。これに 気付いた娘は 恐ろしくなり走り出した。やっとの事で 竹部郷に入った。息も切れ切れとなった娘は もうこれまでと とっさに 思い付き 羽織を 脱いで そこにあった岩に 打ちかけると 少し離れた 茂みの中に 身を潜めた。鬼は 羽織を見るなり その岩を娘と思い いきなり抱きついた時 岩に亀頭のあとが付いた。これが 今も残っている この「鬼突岩」であると 言われている。その頃から この地に「鬼突き」と言う地名が付き 有名となり 今でも 土地台帳には「鬼突き〇番地」と 記されている。「案内版」

 


温羅と竹部の娘物語 Tale of Onra and Takebe's Daughter

昔 百済の王子が 戦争に敗れ、嵐の中 ドンブリコ ドンブリコと 波に揉まれながら トンブリ島から 日本に 亡命して来たので その王子は トンブリの子と 呼ばれました。吉備国に 赤く染まる川を 見付けると その川から 砂鉄を 採取し、鬼城山に 鬼ノ城を築き 鉄を生産し始めました。すると 山の木々は 燃料として刈られ 禿山Hage-yamaとなり 鉱毒で荒れ、まるで 地獄の様相になって 行きました。この有様を知った 村人は「雄鬼の集団が 住み付いた」と 恐れたので トンブリの子等を 鬼と呼びました。鬼とさげすまれても 嫁の欲しい年頃の者は 女性との巡り合いを求め 妙見山辺りに 繰り出しましたが、雄鬼等を見ると 村人達は 逃げるので 村の娘達と 話す機会すら有りません。やけくそになって 大岩を お手玉にして遊んで 鬼城山に帰って行きましたが、トンブリの子 一人は 諦めきれず 出会いを求めて 里々を廻り廻り遠回り道にしたあげくに 道に迷いしました。 地理不案内をよそに 唐突に歩き回った事を 後悔しながら彷徨っていると、日が傾く頃  鬼)付近で 山葡萄を採取していた 気立ての良い美しい 村娘を 見かけました。顔を菅笠で隠して居ても 赤毛で 碧眼 鷲鼻の面立ちは隠し切れず、また着ている物は 朝鮮虎の毛皮でしたので、娘は 悪鬼と 思い込み 必死に逃げました。トンブリの子はトンブリの子で 帰り道を 尋ねる最後の機会を 逃してなるものかと 追い駆けました。タッタカ、タッタカ、逃げても 逃げても 鬼が追いかけて来ます。「逃げ きれない 捕まって 食われる」と 覚悟した時、道の曲がり角が 見えました。娘は道の曲がり角に 来た時、咄嗟に羽織を 大石に着せかけて 林の中に身を隠しました。トンブリの子は 曲がり角辺りで 娘に追い付けると思いましたが、そこには 娘の姿は無 く 羽織の着せられた岩が 有るだけでしたので、トンブリの子は落胆し 崩れ跪きました。顔前の羽織から 芳しい乙女の香りが 漂て来ます。整った顔立ちの娘の姿が 瞼の下に 浮かぶと、長い間 禁欲続きだったトンブリの子は 過敏に反応し 意志と関係なく男性としての生理が モリモリと 顔を覗かせました。思わず 岩に大きな穴が 空く程に激しく付いたのです。激しい衝撃は 激しい痛みを 齎しました。余りの痛さに 悶絶する姿に 娘は笑いを堪え切れませんでした。トンブリの子が 娘に気付き、目と目が合うと トンブリの子は 羽織を優しく渡し 新山の鬼城山への帰り道を 訪ねました。娘は羽織を受け取り 震える唇で 鬼城山への道を告げると、トンブリの子は お礼を述べて先程の鬼畜に勝る行いを見られた事を 恥じて 気まずそうに立ち去りました。娘は二度とあの鬼のような形相の男には会いたくないと思い、トンブリの子は 嫁にするには あの純情そうな 娘以外 考えらないと思いました。しかしこの二人は結ばれたそうです。この間にどのようなドラマがあったのでしょうか。㊟豪快通岩鬼之岩伝説 トンブリ子温羅伝説(鯉喰神社付近で聴取)新説温羅伝説 竹部住民から聴取した阿曽媛伝説を基にした物語  トンブリ島:小さくて丸い島 トンブリとは 唐鰤子Tou-buriko(唐から輸入したハタハタの卵)の転訛とされます トンブリ子伝説:昔 朝鮮で戦争があり敗れた王子がトンブリ島で 亡命政府を立ち上げましたが、敵に 追われ大波に 揺られ日本に渡海してきました  製塩 製鉄業に優れていたので 地元民はトンブリの子と 呼んで敬いました  阿曽国の支配者 吉備ノ冠者に 認められ 阿曽神社の巫女をしていた 娘の婿に向かいいれ、吉備の冠者の位を 譲りました  岡山のおとぎ話では 桃太郎は ドンブラコと 流れて来た桃から生まれます  大きな桃がドンブラコ・ドンブリコと 表現される程に 浮き沈みして流されて来ますが、そのような 大波の川で 洗濯していたとすれば お婆さんは 急流の犠牲になった事でしょう 竹部住民から聴取した阿曽媛伝説:鬼突岩に 登場する竹部の娘は 実は 阿曽姫で、美男子好きの阿曽姫と 醜男の温羅を結婚させるのに吉備の冠者は苦労したみたいです    鬼突岩:北緯34度49分18秒東経133度47分44秒 近くにある竹部金山銅鉱山の安全と成功祈願の神事に用いられたのであろうと推測します。   鬼ノ城・きのじょう総社市 北緯34度43分23秒東経133度45分56秒 朝鮮式山城で 中大兄皇子白村江の戦いに 敗れたので、唐の来襲に 備え建築したとされます  岡山の桃太郎の鬼退治伝説に 登場する鬼の城とは 異なります 鬼城山:総社市奥坂 北緯34度43分39秒東経133度46分4秒 阿曽城山:総社市東阿曽 北緯34度42分41秒東経133度47分33秒    血吸い川新池:総社市西阿曽 北緯34度42分42秒東経133度47分2秒    鬼の差し上げ岩:総社市楯築遺跡 北緯34度43分59秒・東経133度45分29秒    新山集落:総社市黒尾 北緯34度43分23秒東経133度45分19秒    阿宗神社:総社市奥坂96番地 北緯 34度42分48秒東経133度46分20秒 手玉岩:加茂市場 北緯34度51分16秒東経133度45分32秒    妙見山:竹部と岡山市北区の境 北緯34度48分40秒東経133度47分16秒  温羅:朝鮮の人と言う意味があるらしい  平成25年(2013年)5月2日