桃太郎物語異聞  Peculiar strories Momotarou story


福沢諭吉の桃太郎物語 Momotarou story by Yukiti Hukuzawa

昔、昔。お婆さんは 川で洗濯している時、流れて来た桃を 持って帰り 切ると、中から 桃太郎が 生まれました。大人になって、友達と 鬼が島に 鬼退治に行き、宝物を取り上げ 持ちかえり、お爺さん お婆さんを 喜ばせました。これに対し、福沢諭吉は 反論し「けしからん 桃太郎は 鬼が島に 強盗をしに行った  宝物は 鬼が大事にしていた物だ  宝の正当な持ち主は 鬼である 持ち主が定まっている宝物を正当な訳もなく奪ったのだから、桃太郎はまさに盗賊と呼ぶべき悪人である  仮に鬼が 悪者であったとすれば、世の中に害をなす者を 懲らしめた桃太郎の勇気は 讃えられるべきであろう  しかし 奪ってきた宝物を お爺さん お婆さんに お土産としてやったのであれば、この行為は 単に欲のなせる業で、卑劣な行為である」と 言ったと言われます。hamadayori.com/hass-col/art0/Momotaro.html」岡山の桃太郎伝説の主人公である五十狭芹彦命(代2代吉備津彦命 大吉備津彦命)は 吉備国を 義理の弟の稚武彦命に武力で占領させ、その功績で 朝廷から得た 吉備津彦命の職を稚武彦命から取り上げた行為は、侵略者であり強盗に匹敵すると言ってよいかもしれません。

 

讃岐の桃太郎物語 Momotarou story in Sanuki

孝霊天皇の娘に 百襲姫Momoso-himeが 居りました。8歳になった頃、大和の国から 弥生米の籾を 持って 讃岐に やって来ました。あまりに 可愛らしい女の子でしたので、当時 この地を支配していた 女好きの賊に 襲われる恐れがありました。それで 桃太郎と言う男の子の名前を名乗り、男の子の恰好をしていました。米作り 水路造りを 奨励し 讃岐東部を 豊かな国にしました。讃岐全体を手に入れるため、馬篠の櫓掛けの松から 出航し 船岡山から 田村神社に 居を移しました。瀬戸内海の民は 女鬼島(女木島) 男鬼島(男木島に住む海賊に困り果てていました。そこえ 孝霊天皇の命を受けて 弟の稚武彦命 五十狭芹彦命がやって来たので、海賊退治をするよう頼みました。兄の五十狭芹彦命は武勇 知識に優れていましたが 大して働きません。弟の稚武彦命は 勇猛果敢に海賊を退治しました。百襲姫は 溜池を作り、開墾し、最新式農業を普及させ讃岐を豊かにしました。それで、百襲姫は讃岐の農業殖産の神様なのです。tetsutanaka.blog58.fc2.com/」「http://mb1527.thick.jp/momosohime.html」「讃岐 鬼無の村人より口伝」

 

村のお婆の桃太郎物語 Nomotarou story by  old woman in the comunity

ひょんなげな話じゃ。子供のおらん爺と 婆がおって、山奥に ポツンと家u建てぅ建て 住んどった。ある日、爺が 山に柴刈りに、婆は 川に洗濯に行ったんじゃ。そねぇすると 川上から ぼっけぇ桃が、ポックリコ、ポックリコと 浮き沈みしぃしぃ 流れて来たんじゃ。ドンブラコ ドンブラコじゃぁ 激流じゃけぇ婆は 川に流されよう。せぇで 桃を持って 帰ったんじゃ。家に 持って帰ると、桃が  良ぇかざ(におい)じゃ。爺も 婆も 涎(odareを 啜ってSusuute待ち切れんで、早速桃ぅ 割って 食うたんじゃ。本に 美味かったそうじゃ。桃ぁ魔除けの霊薬じゃけぇ 爺と婆は 見る見る内に 若うなって 昔みてぃ に 愛し合うたんじゃ。せぇで 男の子を 産んだ。桃のお陰で 生まれたんじゃけぇ 桃太郎と 名前を付けて 育てたんじゃ。ところが 物凄えMonge-e怠け者に 育ったんじゃ。そりゃぁ 父母が 孫みてぇに思うて 我儘Wagamamaばぁ 聞いてやったんじゃもん がんたれ(腕白)になって 当たり前じゃ。

飲んで 食うて 女誑しtarasiばぁの毎日じゃ。麓の村の者ぁ 桃太郎を 見ると 逃げ出し、石を放って 追い払うようになったんじゃ。ある日、桃太郎が 旅の娘を見つけて 悪戯Itazuraぁしようとしたんじゃ。桃太郎は ぼっこう力が 強かったし 悪賢かったけぇ 自信満々で娘に 挑んだんじゃが、その娘ぁ もそっと強うて 簡単に やっつけられたんじゃ。桃太郎は 生まれて初めて 打たれたButareta上に 初めて喧嘩Kenkaに負けたんじゃ。見りゃぁ 天女さんみてぇな別嬪Beppinさんじゃ。心の中のモヤモヤが 一変に無くなって、清ぇ心に なってのう。こぎゃぁな 女子Onagoを 嫁にしたいと 思うたんじゃ。思わず「嫁になってくれぇ  幸せにするけぇ  嫁に成ってくれんのなら わしい死ぬる」と ごだ(無茶苦茶な頼み)を 並べたんじゃ。そぎゃんしたら 娘ぁ「やる木言うTyuu木に、根木言う木ぃ接ぎ木して、この糞と言う肥料を やって 死ぬ気で 修行せられぇ そしたら 嫁になってあげらぁ  」せぇで鬼退治 しんされぇ」と やり返したんじゃ。桃太郎ぁ 娘を 嫁にしとうて せえからは 武芸に 読み書きに 励んで 父母を思う 親孝行になったし、麓の村の 柿太郎とも 友達になったんじゃ。そうこうしておると 鬼ヶ島に鬼が 住み付いて、近くの村の物ぅ 盗むは 若ぇ娘ばぁじゃぁのうて 小綺麗な婆ぁ迄 連れ去るように なったんじゃ。すると 桃太郎は「お母ちゃん 餅をこさえてぇな 友達の妹の梅ちゃんが、鬼が島の鬼に 攫われたsaraweta 助けに行かにゃぁおえん   餅を弁当にするけぇ  お母さんの作る餅は 美味しく力が 湧くけぇ」と 言うたんじゃ。婆は「そんならしてあげらぁ」言うて、黍団子ぅ こさえて ゆたん(ふろしき)に くるんで  腰に 結わえて やったんじゃ。「行っておいでぇ」と 言うか言わん内に、張り切って 出かけたんじゃ。爺が「元気じゃのう  もうあねぇな遠くに 行っとる」と 驚く程の速さじゃった。猿が出てきて「桃太郎さん そぎゃぁに 急ぇで 狭ぇ日本 どけぇ行くんならぁ」と 言うんで「なんじゃ  猿さんか  鬼が島に 鬼退治に行きょうるんじゃ」と  答えると 又 猿は「お腰の物は 何じゃろうか  美味しそううなかざがしとる  一つ貰えりゃぁお供を します」と 言うもんじゃけぇ「やるとも  やるとも  鬼退治の良い友よ  一つやるけぇ 友達に なろう  そうは そうじゃが 梅ちゃんが 心配じゃ」と 言って黍団子を やったんじゃ。

次に雉Kiji 犬 蟹Kani 蜂Hatiが やって来て 5匹も 友達ができたんじゃ。鬼ヶ島に着くと お婆ぁさんが 何かしておって「桃太郎ちゃんじゃぁねえか  わしじゃ柿太郎の妹の梅じゃ  鬼に 婆さんにされてこき使われ取るんじゃ  鬼をやっつけて おくれぇ  辛うて叶わん  鬼に頼んで 元の娘に戻してもろうてぇな  今は  鬼共ぁ 餌を探しに出かけとる」と 言うので桃太郎「梅ちゃんか 灰神楽Hai-kaguraを 被ってまるで 灰坊じゃなぁ  なんで 梅ちゃんは 鬼に食われんのか」と 尋ねました。梅ちゃんは「鬼は名前に拘るkodawaruんじゃ この前の子は 苺Itigoちゃんじゃった  美味そうに食うたんじゃ  むげぇ事じゃ  うちは 梅じゃけぇ 酢っぱそうで 食えん  梅干し婆ぁにしちゃる  掃除 洗濯ぅせぇと言われて 婆ぁに されたんじゃ」と 答えたんじゃ。

皆は「そねえに悪ぃ奴か 皆でやっつけよう」と 勇み立つと 梅ちゃんは慌てawateteて「お願いじゃ  鬼を ぼっぉう傷つけんで  殺さんで  改心すりゃぁ世のために立つ人達じゃけぇ」と 訳の解らん事ぅ言うんじゃが、桃太郎は「まぁ良ぇ  梅ちゃんの頼みならそうしょう  皆 持ち場に隠れんせぇ 猿さんは 敷居の陰ぇ 雉さんは2階ぇ 蟹さんは 徳利の中ぇ 蜂さんは水瓶Mizugameん中ぇ 犬さんはお竈Okudoじゃ」と てきぱきと指図ぅして 鬼が帰るんを待ったんじゃ。鬼が「おい 梅干し婆ぁ  今帰ぇたぞ  餌ぁ おらんかった  自棄酒Yakezakeえするけぇ 用意しねぇ  おお 喉が 乾ぇたぁ 水瓶Suibyouの水ぅ飲もうか 痛ぇ 何じゃ 蜂かぁ  何でこねぇな所に 蜂が居るんならぁ  ギャ 眼に 毒が掛かった  良う前が 見えん  眼を ゆすごう  竈の湯は これか  ギャギ  なんで犬が 竈から飛び出すんじゃ  咬ま)れた  婆ぁ  焼酎徳利ぅ 持って来ぇ  傷の消毒じゃ  ありゃ かすり傷じゃったか  徳利に何か入っとる  振り出しちゃろう  痛ぇ  蟹じゃ  蟹に指を挟まれた  部屋ん中ぁ  おえん  きょうてぇ事ばぁ起こる  外へ出よう  ありゃぁ 油が敷かれとる  滑って転んで大痛県じゃ  こんな 生活 飽きた県じゃ  猿に引っかかれた 尻が 浸みる  何かに2階から 突かれた  雉じゃ  きょうとうて 雉ぃ撃った(うんこをしてしまった) これぇてつかぁせぇ もう邪な糞Jya-na-kuso/Jinakusoあせん  人を食うた真似や 人を舐めた真似ぁ せんけぇ  集めた 宝物ぁ 全部渡す  子分にしてつかあせぇ」と 梅ちゃんに 仲裁を頼んだんじゃ。猿が「やい鬼ぃ 桃太郎さんに 降参か  心配無用じゃ  梅ちゃんが 口を利いて命乞いしてくれとらぁ」と 言うと、遅れて帰った子分共に 鬼ぁ「桃太郎さんに 降参した  桃太郎様に 逆ろうちゃぁおえんぞ  村から 預かった物ぅ持ってきて 助けて来た 娘達ぅ お連れしねえ」と 意外な事を言うのです。梅ちゃんが「じゃろう じゃけぇ殺さんでくれぇと 言うたんじゃ  鬼さん達ぁ 本真ぁ 正義の戦士じゃ  都にゃぁ 金や 権力を 使こうて 表向きは 正義面ぁしとって 女子ぅ 食い物にしたり 宝物ぅ騙し盗る 本真Honma)の 鬼達おるんじゃ  せぇで 都の鬼達が狙ぅとる 宝物ぅ 本真の鬼から守るために 持って来たんじゃ  娘達ぅ 守るため連れて来たんじゃ  桃太郎さんが 鬼さん達の大将に 相応しhusawasiiい人じゃと 解ってもらうための芝居じゃった  試すような 真似ぅして御免」と 鬼と 桃太郎の間 に割って入ったんじゃ。桃太郎ぁ「そうかぁ  鬼さん達ぃ これからぁ人のため世の中のために 一緒に働こう  わしも 頑張るけぇ  猿 犬 雉 蜂 蟹の皆Minnaも 本真の鬼退治に 行こう」と言うと 皆は「面白ぇ一緒にやろう」と 都の本真の鬼を退治したとさ。桃太郎が「父ちゃん 母ちゃん 今 帰った 土産は無いぞ おまけに 梅ちゃん等ぁ連れて来た」と 言うと、母親は「何を言うとる 良う見ねぇ 梅ちゃんは あそこで 柿太郎と笑っとろう  どこの別嬪)さんじゃ 苦労者と 顔に書ぇとる 辛抱強ぇ嫁さん 連れて帰って 最高の土産じゃ」と 言って梅干し婆ぁの顔を 洗わせ 灰神楽を落とさせました。桃太郎ぁ その顔ぅ見て「いつの間に入れ替わったんじゃ  ありゃ やる木と根木の娘さんじゃが」と 言うと やる木と根木の娘は「良くうちの言う事ぅ聞いて立派になられましたのぅ うちは 嬉しい   お前さんなら都の鬼を 懲らしめてくれると 思うたんじゃ 末長く 可愛がってください」と 三つ指を付きました。父母 友達に 祝福され桃太郎と やる木と根木の娘は 目出度く 結ばれました。これも一昔  平成24年(2012年)5月10日

 

もう一つの桃太郎伝説

穴の海Ana-no-umi(瀬戸内海の一部)に 小悪な鬼が出没し、海賊行為を 働くとの報告を 受けた 五十狭芹彦命Isaseri-hiko-no-mikoto(大吉備津彦命 第2代吉備津彦命 岡山の桃太郎)は、児島 女鬼島 男鬼島等の征伐のため 義弟の稚武彦命Wakatake-hiko-no-mikoto( 第一代吉備津彦命)を 総大将にして 兵を送り、吉備中山海岸沿いに 矢尾の大河に 進みました。川で 洗濯していた島の住人 矢尾大川Yao-no-Ookawaに 教わり、眼前に広がる浅瀬は 満潮時には 軍船の通過が可能で 児島まで 渡航できる事を知ったので、そこで 満潮を待ちました。再び 兵を募ると 邑久Okuの朝日の寶傳Houdenの犬島の住人 犬飼建が 応募に応じました。犬飼建は 航海術 水泳に長けており、穴の海の浅瀬 暗礁 島々を めぐる複雑な潮流を 良く知っていました。犬島は 島影が多く、船を隠すのに好都合な地の利が ありました。鬼と言われる者達が やって来て、穴の海の島々を 要塞)化し 魚漁をするので、犬島の漁業権と 交通権が 制限されるようになっていたので 犬飼建は 鬼共に 好意を持っていなかったのです。交友のあった 讃岐綾歌猿王の陶鬼無村Sue-muraの猿王や 貴南徳田の佐料の雉ケ谷の住人 留霊王を 推薦しました。猿王は 陶芸家で 崖登りや 木登りを 得意としており 猿尾 猿飼 窯口 瓶山 生子 匡夫 加勢屋 飼野から 兵を集め、陸軍を結成しました。留霊王は 足が速く 身心ともに耐久力にすぐれ 狼煙norosiの扱いに手慣おり 雉子尾 雉尻 佐料 各帰来 鳥飼 大武連 志保山 佐佐桃 志武路から 兵を集め 諜報部隊を結成しました。犬飼建は 犬島 正勝 佐料 是武 犬尻 犬飼から 兵を集め 海軍を結成しました。その頃 女鬼島の鬼の大将の嫁取りの話が 進んでいました。山田郡の衣女Kinujyoなる村娘が 海難した折、鬼共に 助けられて その大将に 惚れてしまい、鬼の大将も 衣女の別嬪Beppinぶりと 心優しさに 惚れました。近い内に 鬼が 娘を迎えに来るらしいことを 知ると、鬼の格好をして 衣所を 誘拐Yuukaiし 醜いMinikui女と 取り替えれば、鬼の大将が 怒り短気を起こし 衣女を 取り戻そうとして 洞窟から 出て来るだろうと 考え、その時 待ち伏せして 殲滅senmetuしようと しました。鬼の大将の使いに 変装した留霊王の兵士は 衣女の家へ 迎えに来たように 装いました。衣女の両親は 喜び 山海の珍味で 最高のもてなすと、兵士達は 十分に飲み食いした後、両親の頭を 緋色の袋から 一尺余りの鉄棒を これみよがしに 取り出し、頭を殴って 失神させました。同姓同名の鵜郡Utagun(綾歌郡宇多津)の娘に 白無垢Siro-mukuの衣を 着せ、鬼の大将の使いが 迎えが来るのを待って 偽の娘を 引き渡しました。気の付いた両親は「娘が鬼に 攫われた  鬼に攫われた  誰か助けて呉れ」と 村中を走り回ったので、その騒ぎを聞 き付けた鬼の兵は 周囲を 探索し 鬼の兵の出で立ちIdetatiをした者共 が 娘を無理矢理 引連れ去ろうとしているところを 発見し、緋袋から 取り出した 鉄棒で 打ち負かし、娘を 女鬼島へ 連れ戻りました。鬼の大将は 喜び、鵜郡の衣女を 里に送り届けさせました。五十狭芹命のくれた礼金で 懐が 潤っていた鵜郡の娘が、ウキウキと 帰路に付いたのは 言うまでもありません。村人等に 信頼されていた鬼達の評判は、衣女の両親の大騒ぎで 損なわれたので 稚武彦命軍は 軍議を開いて 更なる作戦を練りました。稚武彦命の兵は 生島Iku-simaに 上陸し、兵馬を神在ケ浜Jinzai-ga-hamaに 隠し、船は 犬飼建が 指揮し  生島湾に 隠しました。漁から帰って来た鬼共を 朝廷軍は 一気に多勢で襲い、鬼出Onidasiで忽tatimatiに 生け捕りました。また 生島湾の木出Kidasiで 待ち伏せして、鬼達が 水汲みに来た所を 取り囲んで 捉えました。鬼達を 言葉巧みに 別々に尋問し、本拠地の女鬼島の構造 兵力 大将等の情報を 聞き出す事に 成功しました。さらに 気の弱い鬼の中には 道案内を引き受ける者まで出ました。突抜泉Tukinuki-izumiの名水で 心身を清め 鬼待Onimatiから 出帆し、もう 勝利も同然と掛け声勇ましく、櫓音を弾ませ「櫓先Rosen 櫓先」と 声を 掛け合わし 西南に進み 島々を 攻撃しました。島々には 鬼達の物見台が 設置されており、狼煙により 稚武彦命の進軍状況を 女鬼島に 知らされました。巧みな 犬飼建軍の櫓さばきで 友兵を輸送し、猿王軍 留霊王軍は 岸壁も ものともせず上陸 襲撃すると、反撃能力を 失った島々の鬼共は、次々に 本拠地 女鬼島へ 退却し 桃谷に 上陸しました。この島には 堅牢の穴Kenroi-no-Anaという1千人は 入れようかと思われる 大岩窟が ありました。接近戦では 鉄棒の威力に 勝れない事を知っている 朝廷軍は、弓矢を 以て 攻撃し 守る鬼共は 島一面に 廻らされた石塁Sekirui(石垣で作った防御壁)に 隠れ投石で対抗しましたが、石塁も 天高く打ち上げ落下する矢から 逃れるには たいして 役立たず、造り放しで 役立たずの石塁を 築切Tkukiriと 朝廷軍は そしりました。鬼達は 天守閣なる大洞窟に 立てこもり、大手門なる鉄の大扉を 閉めました。猿王が 困っていると、戸板の国司の息子なる者が「鬼に殺された父の仇を 討ってくれ 蜂の子を 捕るやり方と 同じように 巣穴の前で、焚火をして 鬼を燻れIbureばよい 燻製Kunseiに されて動けなくなる」と 妙案を申し出ました。岩窟の入口に 生木を積み上げ 火を付け 煙が立ち上がると、大団扇Oo-Utiwaで 扇ぎに 扇ぎ 煙を洞内に 送り込むと、煙が充満し島のあちこちの排気孔から煙が 漏れ出ました。これには 堪らず 鬼達は 抜け穴から 岩窟を脱出して、船を 奪取し 男鬼島に逃げました。鬼の大将等は 鬼ケ崎に 上陸し 男鬼島の鬼共と 合流し、追う 朝廷軍は 島の東側 王谷Oo-daniに 上陸しました。この島には  ヂヂの穴という 岩窟がありました。鉄棒持Tetubou-motasi(鉄砲持し)の見晴らし台から 朝廷軍の様子を見た物見は 大軍で有る事を 報告たので、船に 乗れるだけ乗せて 中津(高松西方)へ逃れ、武器を 調達しました。鬼の大将の安全な脱出を 助けるため 島に残った鬼達は 矢を射かけられないよう岩陰に潜み、敵が近付いたのを 見計らい一気呵成に 肉弾戦をしかけ 戦場は地獄の修羅場と化しました。鬼達の大奮戦も 多勢に無勢 逮捕され 稚武彦命の前に 引き出されると、稚武彦命は 部下が 無残な殺され方をしたのに 腹を立て 物の怪Momo-no-keに 付かれた如く 鬼達に 切り付け 刺し貫き その皮肉を 引き千切り 投げ付けました。稚武彦命の霊が 乗り移ったかのように、朝廷軍兵士は 捕えられた鬼を 悉く八つ裂きにしました。逃走した鬼の大将を 追って 朝廷軍は 弦打港Turuuti-no-minatoに 上陸し、王暮Ookure(大暮辺りで 日暮れを迎えたのですが 奇襲を恐れ 闇を突いて 青木 定木の林を 抜け 本津川を 南に進み、左岸に 渡り 大古屋の見通しの良い所へ  陣を敷きました。それでも 鬼達は 夜襲を掛け 戦果を上げました。暗闇)の中 朝廷軍は 盲滅法Mekura-meppouに 矢を放ったので 矢が尽きてしまいました。朝廷軍は 是武の海賊砦 香西で 態勢を整え 反撃する作戦を立て、中間Nakatukiの矢職人が 矢を持って到着するまでの間、鬼共に弓の稽古を しているように 思わせるために 弓弦の弾く音を 昼夜問わず 発していました。矢が 届けられても  弓の素振りは 止やまなかったので「弦音はすれども 矢は 何時までも 飛んで来ない 矢が 尽きたのに 弦音を立て ごまかそうとしている」と 誤解して鬼達は 再び夜襲を 掛けました。雨あられと降る矢に 一溜まりも無く 朝廷軍に大敗し、鬼達は 戦死しました。その屍を 累々と重ね合わせ 鬼ヶ塚に 積み上げました。悪臭を 放つようになると 土が 被されました。戦いに 巻き込まれた弓職人は 弓塚に、矢職人は矢塚に 葬られました。稚武彦命は 中津で 兄に戦果を 報告し、没収品を 披露しました。「上笠居村史 P658~P664 鬼ヶ島」

児島:現在の児島半島 北緯34度31分10秒東経133度53分15秒  かつては穴 の海に浮かぶ島でした    鬼島:現在の女木島 北緯34度23分35秒東経134度2分59秒 男鬼島現在の男木島 北五34度25分33秒東経134度3分36秒    岡山県早島町矢尾:北緯34度37分11秒東経133度49分35秒    岡山県徳芳の大川神社:北緯34度37分23秒東経133度49分3秒    岡山県東区宝伝:北緯34度35分33秒東経134度6分0秒    岡山県東区犬島:北緯34度33分47秒東経134度6分5秒    讃岐綾歌猿王:綾南町陶 陶駅 北緯34度15分0秒東経133度56分52秒高松市    鬼無佐料:北緯34度20分2秒東経133度59分30秒    綾川町陶猿尾讃留王さるおう: 陶村北原御下屋敷があった 讃留王墳墓 北澤池の東 北緯34度15分28秒東経133度56分3秒    綾歌郡綾川町枌所東 猿飼:北緯34度10分51秒東経134度0分29秒    窯口:わかりません 綾歌郡綾川町瓶山十瓶山:北緯34度15分45秒東経133度56分47秒  綾歌郡綾川町畑田生子山公園:北緯34度14分46秒東経133度58分55秒 匡夫:わかりません 加勢屋:わかりません 綾歌郡綾川町飼野上:北緯34度14分14秒東経133度57分12秒 香川県三豊市財田町雉子尾:北緯34度6分48秒133度47分21秒 雉尻:わかりません 各帰来東かがわ市帰来:北緯34度14分15秒東経134度22分7秒 鳥飼:わかりません 三豊市 高瀬町佐股大武連:北緯34度9分12秒東経133度44分54秒 三豊市仁尾志保山:北緯34度11分1秒東経133度40分2秒 佐佐桃:わかりません 志武路:わかりません 高松市御厩町字正勝:北緯34度18分21秒東経133度59分15秒 是武・高松市鬼無町是竹:北緯34度20分24秒東経133度59分42秒 犬尻:わかりません 犬飼:わかりません 山田郡:現在の高松市の牟礼町各町を 除く木太町 林町 上林町 三谷町 西植田町 菅沢町以東    鵜郡綾歌郡宇多津:北緯34度16分12秒東経133度45分24秒    生島神在ケ浜・神在鼻:高松市神在川窪町 北緯34度22分23秒東経133度58分35秒 生島湾鬼出木出:生島湾 北緯34度22分12秒北緯133度58分0秒    桃谷:わかりません    堅牢の穴:高松市女木島 北緯34度23分48秒東経134度3分2秒     今治市上浦町井口戸板:北緯34度15分24秒 東経133度2分44秒    男木島鬼ケ崎:わかりません    男木島王谷:わかりません    男木島ヂヂの穴ジイの穴:高松市男木町洲鼻 北緯34度25分44秒 東経34度3分38秒 鉄棒持鉄砲持:わかりません    高松市飯田町王暮大暮:北緯34度19分27秒東経134度0分5秒    高松市飯田町青木:北緯34度19分16秒東経134度0分11秒    高松市飯田町定木:北緯34度19分2秒東経134度0分10秒    本津川:北緯34度19分46秒東経134度0分8秒    大古屋:桃太郎に爺婆の居住地 高松市鬼無町鬼無の桃太郎神社 北緯34度19分10秒東経133度59分10秒    是武の海賊砦香西東町:北緯34度20分45秒東経134度0分28秒    高松市中間:北緯34度17分18秒東経134度0分7秒    高松市鬼無町鬼無鬼ヶ塚鬼塚:北緯34度19分4秒東経133度59分20秒    弓塚:弓塚  矢塚は高松市西山崎町北緯34度17分9秒 東経33度59分23の山崎八幡宮の近くにあるそうです    讃留霊王神社矢塚:鵜足郡井上郷玉井村現在の丸亀市飯山町下法軍寺西尾 北緯34度14分51秒東経133度51分0秒         平成24年(2012年)5月10日

 

温羅伝説 | 国民宿舎 サンロード吉備路<公式ホームページ>による温羅伝説https://www.qkamura-s.com/kibiji/2014/03/20/

温羅伝説 桃太郎の鬼退治で知られる「桃太郎伝説」、このおとぎ話のベースになっているのは「温羅伝説」と 言われている。 桃太郎が 吉備津彦命で、鬼は 温羅。伝説上、吉備津彦命は 悪行を重ねる温羅から 吉備津の国を守った英雄として 描かれている。 その物語をひもといてみると・・・ 吉備津彦命、朝廷より温羅退治の命を受け吉備津の国へ派遣される  第十一代垂仁天皇崇神天王の第三皇子の頃 吉備の国に 異国の王子が 舞い降りた。 名を温羅といい、身長四・二m、両目は 虎か狼のようにらんらんと 輝き、髪や 髭は ぼうぼうとしていて、性質は 極めて凶悪。 温羅は 備中国(新山総社市奥坂)に 居城を築き、西国から 都へ送る貢物や 婦女子をしばしば 略奪したり、気に入らぬ者は 大きな鉄の釜(鬼の釜)で煮て 食べたりしていたと いう噂から、人々は 温羅を「鬼神」と 呼び、その居城を「鬼ノ城」と 呼んで 恐れていた。 温羅の悪行に たまりかねた人々は 大和朝廷に 温羅退治を申し出る。さっそく 武将が 送り込まれたが、温羅は 神出鬼没にして 変幻自在。武将は ことごとく破れ去った。 そこに 白羽の矢が立ったのが、武勇に優れた 五十狭斧彦命 (後の吉備津彦命)。 命は 大群を率いて 吉備の中山に 陣を張り、片岡山(倉敷市矢野)に 石楯を築いて 戦いに備えた。 戦いは 互角、一度に二矢を放ち見事、温羅の左目に命中  いよいよ合戦の時。吉備津神社から 命の放った矢は、鬼ノ城から 温羅が 投げた岩と 空中でぶつかり合っては 落ち、なかなか勝負が つかない。矢と 岩が落ちた場所と いわれているのが 吉備津神社と 鬼ノ城の中間地点にある矢喰宮(岡山市高塚)。 ここには その時ぶつかり合って落とされた弓矢が 祀られていると言い伝えられている。 そこで 命は 神力を発揮する。強い弓を使って 一度に 二本の矢を 放ったのだ。 これには 温羅も 不意をつかれ、一本は 温羅の投じた岩と ぶつかり 落下したが、もう一矢は 命の狙い通り、温羅の左目に 命中。 温羅の目から 吹き出した 血潮は 血吸川(総社市)に流れ、下流の赤浜まで 真っ赤に染めたという。 互いに姿を変え、逃げる温羅、追う命 遂に捕らえたり  命に 追われた温羅は 雉に姿を変えて 山中に隠れた。 しかし、機敏な命は 鷹となって追跡。 そこで 温羅は鯉に化けて血吸川に逃げ込んだ。これを逃すまいと、命は 鵜となって鯉に姿を変えた温羅にくらいつき、噛みあげた。これが 鯉喰神社(倉敷市矢部)と 呼ばれる由縁である。 絶体絶命の温羅。最後に おのれの「吉備冠者」の名を 命に捧げたため、それ以後、命は 吉備津彦命と 改名された。 温羅の魂を鎮めんと御釜殿に首を埋葬 その後  捕らえられた温羅は 首をはねられ、首は 首村Koube-mura(岡山市首部)に さらされた。 ところが その首は 何年たっても 大声を出して 唸り続けたのである。 命は 部下の犬飼武命に命じて 犬に その首を食わせたのだが、ドクロとなった首は なお、うなるのを 止めなかった。 そこで命は 吉備津神社の御釜殿の土中深くに 首を埋めさせたものの、なお十三年間 うなり続けた。 ある夜のこと。命の夢枕に 温羅が立ってこう言った。「わが妻、阿曽郷(総社市阿曽)の祝の娘阿曽媛に 神饌Mihiを炊かしめよ。そうすればこれまでの悪行の償いとして、この釜をうならせて 世の吉凶を告げよう」と。 これが 今に伝えられている吉備津神社(岡山市吉備津)鳴釜神事である。

 It is said that the legend of Momotaro ”peach boy“ was known for the chase the ogres away, the basis of this fairy tale is Onra legend     Momotaro is Kibitu-hiko-no-mikoto “a precious

man who governs Kibitsu” and the ogre is Onra    Kibitu-hiko-no-mikoto was described as a hero who defended the country of Kibitu from Onra who has been committed crimes one after another    We will read the Story The prince of the foreign country descended to the country of Kibi province during the period of the 11th emperor “Suinin-tennou/emperor”    The name was Onra or Ura, was 4.2m in height, his both eyes shined like tigers or wolves, his hair and beard were unkempt and his character is extremely heinous    Because Onra built a castle in Nii-yama/mountainOkusaka in Soujya-si/city”, he often looted tributes from the western countries to the capital and women and girls, and he boiled in a large iron kettle “Oni-no-kama” & ate the unpleasant persons, people feared Onra by calling him Oni-gami “ogre god/ fierce god" and the castle by calling ki-no-jyou "Ogre‘s castle" and people who were unable to bear any longer in the misdeed of Onra, offer to the Yamato imperial court to exterminate Onra The court sent the warlords without delay, but because Onra was sinsyutu-kibotu “be everywhere at once, appear as god & leave as devil” and hengen-jizai ”constantly transforming“, all the warlords were lost the wars  Therefore, Isaserihiko-no-mikoto who was a brave warrior, Siraha-no-ya wo taterareta “was shot by an arrow with the white feather, be selected”    The Mikoto leaded the hordes and pitched a camp on Naka-yama/mountain in Kibitu, built Isi-dates “stone shields” on Kataoka-yama “Yano, Kurashiki-si/city” and prepared for the fight    The time for the battle had come at last    The arrow which Kibituhiko-no-mikoto shot from Kibitu-jinjya/shrine, bumped into the rocks which Onra threw from Ki-no-jyou, in the air each other and fell, the fight was not nearly finished    It is said that the arrows and the rocks fell on the place of Yagui-guu/shrine which is located at the halfway point between Kibitu -jinjya and Ki-no-jyou    It is said that the bow and arrow which was dropped by bumping into each other at that time are enshrined here    So the Mikoto exerted divine power, namely he shot two arrows at once with a strong bow    Even Onra was taken off guard for this action, one of the arrows bumped into the rock that Onra threw, and fell, and the other arrow hit Onra's left eye as Mikoto aimed for    The blood that blew out from Onra's eyes flows into the Tisui-gawa/river, it is said that the blood dyed Aka-hama where is the downstream, to bright red    Onra who was chased by the Mikoto, transformed into a green pheasant and hid in the mountains, but the Mikoto who was agile, was transformed into a hark and tracked Onra    And Onra turned into a carp and took refuge in Tisui-gawa, Mikoto was not going to miss this and Mikoto turned into a cormorant and he bit up to Onra who had turned into a carp   This story is the reason that this shrine called koi-kui-jinjya “shrine of eating carp” (Yabe, Kurashiki-si/ city)     Because Onra who got into a desperate situation and gave his name of Kibi-no-kajya to the Mikoto, the Mikoto had been renamed Kibituhiko-no-mikoto since then    Onra who was captured, was beheaded, and the head was exposed in Koube-mura/village “Koube Okayama-si/vcity”    However, the head continued to shout and continued groan how many years pass    The Mikoto ordered Takeru Inugai "the dog in Momotarou legend" who was the subordinate of the Mikoto, the head was made feed by his dogs  but the head which became a skull still did not stop the groan    So the Mikoto buried the skull deep in the ground of Okama-den “building for rice‐cooker” of Kibitu-jinjya, but the skull continued growl for thirteen years    One night, Onra appeared in the dream o the Mikoto and said that「make my wife” Aso-hime who is

the daughter of Houri “any of those who serve god in Shinto” in Aso-no-gou/country “Aso in Soujya-si“, cook rice as the food for gods, then, I will recognize that you made atonement for the your misdeeds during the past and I will tell you the good or bad luck of the world by sounding this

rice cooking pot」   This is the Narukama-sinji “Sounding-pot-Shrine ritual” of Kibitu-jinjya in Okayama-si, which is still being continued even now

鬼ノ城:北緯34度43分36秒・東経133度45分46秒 白村江の戦いHakusuki-e-no-tatakaiで 唐と 新羅連合軍に惨敗した為 大和朝廷/倭(中大兄皇子)は 唐の侵略の防衛の目的として、対馬から 畿内に 防御施設を 築きました  鬼ノ城Ki-no-jyouは その一つで 朝鮮式山城です  名前は 同じですが温羅の居城とは 異なりますが 温羅の鬼の城の跡地に 築かれたのかも知れません 吉備の中山:北緯34度40分07秒・ 東経133度51分15秒  吉備津神社の裏山  元宮 奥宮 磐座の他にも 吉備の中山には 沢山の史跡が 点在しています 「吉備の中山を守る会 事務局 〒701-1212岡山市北区尾上363 石井方 TEL:090-6437-5195」 吉備津神社:北緯34度40分14秒・東経133度51分2秒 岡山市北区吉備津931  大吉備津彦命(五十狭芹彦命)を祀り、命の一族が 配祀されます  摂社に 温羅も 祀られています  吉備津彦と は職業名で 初代は稚武彦命です。吉備武彦も 吉備津彦です 吉備津彦神社北緯34度40分36秒・東経133度51分50秒 34度40分36秒・東経133度51分50秒  岡山市北区一宮1043 JR岡山駅からJR吉備線で 備前一宮駅下車 一宮駅より 約0.3km 徒歩3分北緯34度緯39分47秒・東経133度49分32秒 楯築遺跡Tatetuki-iseki 又 は 楯築墳丘墓があり、形状は 双方中円形墳丘墓で. 片岡山古墳とも 呼ばれます 石楯:温羅に備え吉備津彦命が築き、防戦準備をしたとされる神社の跡で、奇岩怪石が 散在しますが この石群では 戦いの防御の役に 立ちそうもありません 矢喰宮:北緯34度41分32秒東経133度48分6秒 岡山市北区高塚108 大小4つの矢喰岩が あります 086-803-1332 (岡山市観光コンベンション推進課)岡山総社ICより 車で1分    鯉喰神社:北緯34度40分2秒東経133度49分15秒 倉敷市矢部109 岡山総社ICから車で約10分 086-426-3851 (倉敷市教育委員会文化財保護課) 首koube:岡山市北区首部 北緯34度41分9秒東経133度53分46秒    阿宗神社北緯 34度42分49秒東経133度46分44秒  総社市奥坂96 阿曽姫が巫女をしてo.or.jp/search/18484/    血吸川:北緯34度43分50秒東経133度46分12秒から 矢喰宮に向け 流れ 足守川に 合流します。    24年(2012年)5月10日