吉川 千木 火の御前神社 Hi-no-misaki-jinnjya shrine " Shrine enshrined soul of wemen unfortunately died in fire"


 光林山神護寺の末寺の金福寺は 千木に有りましたが、文政年間(1818年から1830年)に全焼しました。1人の信者が 火に入り、2体の木製仏像を 持ち帰りましたが、死亡しました。その犠牲者を 火の御崎として 祀りました。「吉川史」  吉川山ノ田7048番地の南に 墓が立ちます。千木の地を 後醍醐天皇が 隠岐の島に流される時 この地に通り掛かり、従者の女性が 病気で亡くなり、金福寺の近くに 葬られました。金福寺の近くから ここの地に下ろした時、立派なお棺に 遺骨が 納められていました。「高貴な墓を守る千木の村人のより口伝」    文政の頃 人が 寝静まった御前2時頃 金福寺に 火の手が上がりました。火の勢いは 凄まじく 消化どころでは なく 寺の者は逃げ惑うばかりで、村人が 駆けつけた頃には 大半が 焼け落ちていました。すると 一人の女性信者が「本尊阿弥陀様」と 叫んで大火傷を 覚悟して 火に飛び込みました。直ぐに 火傷し 自由を半ば失いながらも 四天王木像の内2尊を 抱え どうにか 裏山迄 逃げましたが、その場に バタリと 倒れ込みました。村人数人が 駆け寄り 安全な所迄 担ぎ出し 手当をしようとしましたが「仏様を宜しく」と 消え入るような声で 頼んで  息を引き取りました。感謝した村人は この女性を「火の御前様」と 呼んで祀りました。残念ながら2尊の仏像は 大切にされなかったそうです。「偉い人の墓守をしていた女性より口伝」

千木集落の北端 吉川向7086番地と 吉川森奥7170番地の中間点辺りに 北に向かう 山道が有るので 入り、道なりに 竹藪の中を東に 進むと 手水鉢Tyouzu-bati有ります。次いで 摩利支天社が 建ち、更に 西に 火の御崎神社が 建ちます。火の御崎神社の右奥には 石塔のようの石が 転んでいます。前述の 高貴な布陣の墓には「〇〇宮( 国構えにム貝:圓でしょうか)禅定門位  〇〇四年八月」と 刻まれているように見えます。右縁に刻まれ る字は風化が進んでおり 苔が生しているため 読めません。吉川史に「光林山神護寺の末寺 で 金福寺は 千木に有りましたが、文政年間に全焼しました。1の信者が火に入り 2体の木像仏像を持ち帰りましたが、死亡しました。火の御崎として 祀りました」と 伝えられます。禅定門の字が 刻まれているので 葬られた人は男性でしょうが、近くに 水野御女の地名がありますので 後醍醐天皇の忠臣 水野良春の関連者の女性が 後醍醐天皇に仕えていた 可能性も あります。遺体は 油のようなもので ベタベタであったそうで 長い時間 棺が保存されていた事から推測して 非腐食性の素材で 作られていたのでしょう。しかし 火の御崎の祠は 北緯34度50分10秒東経133度44分54秒に 建ちます。なお 後醍醐天皇に 寵愛され  隠岐の島配流に随伴した 阿野廉子は 従3位で、正平14年/延文4年(1359年)に 河内国の檜尾山観心寺(大阪府河内長野市寺元475番地 北緯34度26分14秒東経135度35分55秒)で 亡くなっています。吉川史に「光林山神護寺の末寺で、金福寺は 千木に有りましたが、文政年間に全焼しました。一の信者が 火に入り 2体の木像仏像を 持ち帰りましたが、死亡しました。火の御崎として 祀りました。」と 伝えられます。元 金福寺近くに有った事から推測し、金福寺に に貢献した者墓かも知れませんの墓かも知れません。長い時間 棺が保存されていた事から、非腐食性の素材で作られていたのでしょう。しかし、火の御崎の祠は 北緯34度50分10秒東経133度44分54秒に 建ちます。  後醍醐天皇:鎌倉時代の後期から初期の第96代天皇で 南朝の初皇です  但し 在位途中に二度の廃位と 譲位を 経験しました  その間 翌元弘2年 / 正慶元年(1332年)隠岐島に流されました 火の御崎と思われる墓:吉川屋敷7048番地の南 北緯34度50分7秒東経133度45分4秒    水野御女:吉川7016-7018・7059-7061番地  平成26年(2014年)8月8日 後醍醐天皇:鎌倉時代の後期から南北朝時代初期の第96代天皇で、南朝の初代天皇です  但し 在位途中に二度の廃位と譲位を経験しました  その間、翌元弘2年 / 正慶元年(1332年)隠岐島に流されました 尊い女性の墓:吉川山ノ田7048番地の南 北緯34度50分7秒東経133度45分4秒 檜尾山観心寺:大阪府河内長野市寺元475番地 北緯34度26分14秒東経135度35分55秒    火の御崎神社・摩利支天社:千木集落の北端 吉川向き7086番地と吉川森奥7170番地の中間点辺りの北の竹藪の中 北緯34度50分10秒東経133度44分54秒    仙久山金福寺:千木 北緯34度50分1秒東経133度44分55秒    光林山神護寺:北緯34度49分6秒東経133度45分2秒付近 吉川東苅尾1188番地後  平成26年(2014年)8月8日