豊野    天福寺の法螺貝 Trumpet shell of Tenpuku-ji temple


天福寺は 町内最高峰の大平山の山腹、豊野カセ谷3412番地にあり、天台宗の修験の寺とし 役小角の開基と 伝えられます。豊野の修験者が 大平山の峰より 大法螺貝を吹き、伯耆国の大山の頂上に住む修験者と 交信していました。 その法螺貝は 8升位の大きさで、魔除けの霊力と、雨風を思いのままにする霊力が ありました。 しかし 大き過ぎたために  この大法螺貝を 意のままに吹けるものは この修験者だけでした。伯耆大山からの知らせで  戦争や 盗賊から寺を 守り、村に火事があったり 旱魃があったりすると 雨を降らせていました。 山伏の死が迫ると「この法螺貝を 意のままに吹ける者は 私しか ません  未熟な者が 吹けば 災難を招き、嵐や 洪水が 起こりかねませんので 埋めてください」と 遺言しました。住職は「あの者より上手にあやつれる者は 将来にも現れまい」と 山伏の遺言に従い、法螺貝を死ぬ前に埋め、その上に 銀杏の木が 植えました。それを見て 山伏は 穏やかな笑顔を残し 亡くなりました。平成27年の銀杏の木は3代目です。「豊野 カセ谷の村人のより口伝」「賀陽町史追補版p828」

 

鬼の足跡 Demon's Footsteps

ある時 大平山の鬼達が 天福寺を襲い  火を付け 強盗を働きまた。高僧達は 御本尊を 守る為に 屋根に逃れ、本尊を 高く掲げ、読経し 仏の救い を求めました。鬼達は 仏の祟りを 恐れ、逃げ出しました。その時の大鬼 小鬼の足跡が 岩に残りました。「村人口伝」

 

上加茂合戦 Kamigamo-battle

天正の頃 宇喜多直家織 田信長方の羽柴秀吉と計らって、毛利輝元を裏切りました。輝元は 宇喜田の護る岡山城を 攻めるため、宇喜田の第一の配下 虎倉城伊賀久隆の領土を 侵略しました。吉川元春は 美作を、毛利輝元は有漢を、穂井田元清は馬越 鼓田等南部地域の小城を 次々と 攻め落としました。輝元等は 虎倉城を落とすため 藤沢城に集合し 虎倉に向かいましたが、深い霧で進路を誤り 上加茂で 戦う事になりました。ところが 3万の毛利の大軍は 半数の虎倉軍に 加茂崩れと呼ばれる 侮辱的な敗北を 喫しました。一部の兵は 大平山を抜け、四つ畔城に 逃げようとしましたが、日が暮れ 道を失いかけました。通路に有った天福時を 襲い 火を放ち、その明かりで 道を照らし 四つ畔城に 逃げ帰りました。「村人口伝」

 

天福寺の法螺貝物語 Story of TRUMPET SHELL OF TENPUKU-JI TEMPLE

昔 伯耆国の大山と天福寺の山伏は 仲良し 互に行き来し 何か異変や 用の有る時は、法螺貝を吹いて 合図をし合っていました。伯耆大山の山伏が 険しい山を登り修行しようとしていると 隣国安芸国の鬼共が 美作に攻め込んでいました。驚いて大山に戻り、法螺貝を 天福寺に向けて吹き 危険を知らせました。天福寺の山伏は 危険に備え、総出であらゆる想定をして 待ち構えました。幸いにして この時は 安芸の鬼共は 天福寺を避けて竹荘に向かい 御津に向け攻め続けました。しかし 上加茂で大敗し 安芸国に 逃げようとしたのです。その一部の鬼は 大平山を超え 溝部に向かおうとしたのです。鬼共が 天福寺を見つけ「丁度よい寺がある  財宝と食料を奪い 寺を焼いて夜道の明り取りにしよう」と 攻め込んで来ました。見張り役の山伏が 八升はあろうと思われる大法螺貝を 吹き 鬼共を 威嚇しましたが、寺の境内に 雪崩れNadare込み 残酷に振舞い ました。「大風よ吹け」と 大法螺貝を 虎落るMogaruように吹くと、大風に鬼共をよろめかせ 攻撃を阻止しましたが、鬼共は策 を練り 大風を利用しようと 宿坊に 火を放ち ました。鬼共は 勢い付いて本堂に 襲い掛かり 宝物や 備蓄の食糧を 奪い始めました。御本尊の薬師如来像だけは 守ろうと 住職や 高僧は 火の立ち上る本堂の屋根に 逃れ 御本尊を高く掲げ 必死に読経しました。

「雨よ 降れ」と 大法螺貝を 天に向け雷Ikadutiかと 思える程に激しく吹く と 空は掻き曇り バケツの水を ぶち撒けたような 抜け降りに成り 燃え盛る火が 下火になると、御本尊は 瑠璃色の光を発し 辺りは七宝造りの如くに 煌びやかに映えました。その光を 浴びた鬼達は 仏の祟りを恐れ 逃げようとしました。大雨で ぬかるみんだ道に 鬼共は 足を取られ 天福時の炎の明かりを 頼りに  ぬたうちながら 溝部に向かって逃げて行きました。

すると 法螺貝の霊力の籠った雨は 岩をも柔化させていて 岩に鬼達の足跡が 付きました。鬼達はこの足跡を見るのが 恐ろしく 2度と天福寺に 現れる事は 有りませんでした。この時の足跡は、現在も残されています。この時の事かどうかは 解りませんが、この大法螺貝の吹き手が 死を 間際にすると「この法螺貝を 意のままに吹ける者は 私しかいない。 未熟な者が 吹けば 災難を招き、嵐や洪水が起こしかねないので、誰も触れないように 埋めてください」と 遺言しました。天福時の住職は「あの者より 上手にあやつれる者は 将来にも 現れまい」と 山伏の遺言に 従い 法螺貝を 死ぬ前に 埋め、誰も掘り出せないように 法力を以て封じ その上に 銀杏の木を植えました。それを見て 山伏は 穏やかな笑顔を残し 亡くなったそうです。平成27年の銀杏の木は3代目です。参詣する人達は、銀杏の木に、長寿と 子沢山を 願いました。「豊野カセ谷の村人のより口伝」「上加茂合戦」「賀陽町史追補版」を基にした物語  法螺貝:法螺貝は 大風を起こす力があり、法螺貝は 水を出し寺の火事を防いだり消したりする事ができ、法螺貝は 魔除けになるとされます  仏教の教えでは 諸 仏を 招集させるとされます 銀杏の木:銀杏の木は、魔除け(実が臭いので悪魔が嫌う)に成り、長寿(枯れ難い)と子宝(沢山の実が付く)に恵まれる ご利益が有るとされます  平成23年(2011年)7月23日

 

豊野 天福寺の大ほら吹き Such a braggadocio at Tenpukuji ”blowing a trumpet shell”

昔 天福寺の法螺貝を持ち出し「この大法螺貝は 風を起こす事ができる  安くしておくから買ってくれ」と 言って、実演しながら 行商する貧乏な山伏が いました。修行中の俗世が 忘れられない山伏が「あまりに暑い日が続くので 風を吹かせて、暑がる人を 涼ませてひと儲け(\)しよう」と 思い買い求めました。汗をかいている旅人がいたので、涼しい風を お求めください  安くお分けしましょう」と 商売を 持ち掛けました。旅人は 喜び 涼しい風を 買い求めました。普通の大きさの法螺貝ならこの山伏でも 鳴らせるのですが、この大法螺貝は 大き過ぎて 未熟なこの山伏では 鳴らそうとしても 鳴りませんでした。何度か 試みる内に 偶然ポアンと 音が出ました。風が吹くには 吹きましたが 大雨になったのです。ずぶ濡れにされた客は「涼しければ良いと 言うものではない」と 山伏を非難しました。「あの野郎 大法螺吹きめ  風と一緒に 水が出た  また酷い目に合うのは 叶わん  誰かに売って 買った時のお金を 取り戻そう」と 思い「この法螺貝は 水を出せる  安くするから買ってくれ」と 売り歩きました。山越えを しようと 思っていた山伏が「ほう 水が出るとな  水筒代わりに成るのか  軽くて底も尽かない 便利だ」と 言って買いました。山越えしていると 鬼が出て来て「喉が渇いた  水をくれ  くれなければお前の血を すするぞ」と 言って迫って来ました。山伏は 大法螺貝を 吹いてみると、前の山伏と同様に 上手く鳴らせず ブブプーと 臭い汁と 一緒におならの様な変な音が しました。鬼は おならの様な音と 臭いが  嫌いだったので、その男を 酷く傷めると、法螺貝を 見るのも忌々しいらしく そそくさと逃げるように 立ち去りました。

「あの野郎  大法螺吹きだ  水は出なくて おならの汁と音が出たと  鬼に 酷い目に合わされた  また鬼に 酷い目に合わされるのは 嫌だ  誰かに 売り付け 買った時のお金を取り返そう」と 思って「この法螺貝は 魔除けに成る  鬼も嫌って逃げる  安くするから買ってくれ」と 売り歩きました。暫くすると 修業が 進んであと一歩で 悟れそうになった山伏が 悪鬼の囁きを 払い切れずに 悩んでいたので 買いました。瞑想を 開始すると、案の定 瞑想を邪魔しに悪鬼が 出て来て、甘い俗世の喜びを 語りかけて来ました。山伏は ここぞとばかりに 法螺貝を高らかに 勢い良く吹きました。すると 大風が吹いて 洪水になりました自分の犯した罪の大きさに 驚き 恥じて、法螺貝を 天福寺に納め 現生の心の病の治癒と 安らぎを齎してくれる 薬師如来の慈悲に 縋ろSugarouうとしました。天福寺の山伏達は 大法螺貝を見て「盗まれた 役小角(En-no-Oduno由来の法螺貝を 届けてくれて有り難い」と 言ってその山伏を 弟子にしてやり、大法螺貝の使い方の修業を させました。自由自在に 大法螺貝を操り、自在に 風と 雨と 悪魔を司れるようになった山伏に「立派な弟子が 育った」と 役の小角も 浄土で大喜びしました。「豊野カセ谷の村人」との冗談話     平成23年(2011年)7月23日