風邪追い Driving away of cold ・風邪祈祷 Pray for prevalence of cold


 安政4年(1857年)3月2日、旭川の奥筋Okusujiより、風邪Kazeが流行りHayari始めました。江与美Eyomi 小森の村人は 天津神社Amstu-jinjya集まり 風邪追いを 祈祷しました。風邪の邪気を 封じ込めた玉串を 川戸に運び 邪気を追い出そうと 向かいましたが 途中雨になったので 川戸に行かず 神社に戻って 酒の宴(Utageを開きました。一人 一文ずつ集め 御初穂O-Hatuhoとして神主に渡しました。当然のように みんなは 風邪をひき 風邪が 村中に流行りました。風邪追いの担当者は 村人に 責められ 困ったそうです。「小森星原の村人のより口伝」「加茂川町史」 

 

竹乃の病 Takeno's disease

昔 竹乃と言う可愛らしい女の子が村里にいました。大人達は 風邪が流行らないよう 神様にお願いしようとしましたが 途中で雨になったので 止めて帰り 天津神社でお酒を飲んだのです。そのせいで 風邪が流行り 竹乃も風邪をひきました。お母さんは 風送りを中止した いい加減な大人達を なじりました。祈れ薬 医者気 付けInore-e  Kusure-e Isya-Kituke-e と言い伝えられていたので 坊様や 神主や 祈祷師えを呼んで 何日も拝んでもらっても だんだん 弱って行くばかりでした。医者に見せると問診 触診 望診 聞診(現在の聴診) 手足看法 候旨 按診し 排泄物体臭を丁寧に調べ「どこも悪い所が 見つからない不思議だ。不思議だ 。いずれ治る。」 と 匙を投げて 帰りました。

いつも口うるさいので 家族から邪魔者扱いされていた お婆ちゃんは 曲がって痛い腰を伸ばし オオバコ 紫蘇Siso Yomogi  くこ 母子草 杉菜 露草 きらん草を 集めて来て 煎薬Sen-yaku/Senji-gusuriを 作り 唱え事らしき事をブツブツ小声で 言いながら たっぷりの湯で煎じて 飲ませました。その直後から 竹乃は 不思議にも 急 に元気になって来ました。煎じ薬の効果も出てきて 咳は止まり 熱も収まり 痰も切れました。家族の者は「祈れ 薬 医 者気付け」の言い伝えが正しいと 話し合いました。お母さんはそれまで 邪険jyakennに 扱っていた お婆ちゃんを それからは尊敬し 大切にするようになったとさ。「村人の体験談」  お母さんは 可愛い娘が 死ぬかもしれない病気に成って オロオロするばかりで 竹乃に 水を飲ませる事を忘れていたので  竹乃は 脱水に 苦しんでいたのです。お婆ちゃんは それに気付き お母さんに悟られないよう 小言を言いながら 水を飲ませたのです。    祈れ薬れ 医者きつけ:昔は風邪(インフルエンザ)は 大変な重い病気でした.。風邪をひくと「糞垂れKusottare糞でも食べろ(糞食めKusohame/Kusyami)と 言って疫邪な神仏のせいだとして詰っNajittaのです。嚏usyammiは ハックションの擬音の変化したものと思われがちですが、糞食めが「くしゃみ」の語源だそうです。 風邪が 流行ると 医学も 薬学も発達していなかった頃は まず祈祷してもらい 祈祷に合わせて踊り狂い それでも効果が無いと 次いで 民間薬の知識の伝承に従い 生薬に頼り それでも効果が無いと 薬師に頼りました。優秀な薬師(医者)もいましたが 多くは いんちき医者でしたので 最後の手段として 薬師に診せたのです。尾原の一部では昭和初期まで 伝承されていました。「gogen-allguide.com/ku/kusyami.html」 江戸時代の診察kenkaku.la.coocan.jp/zidai/isya.htm問診:既往症や症状を患者から聞く。江戸時代の診察触診:脈をとったり患部に触れリして 反応を見る。江戸時代の診察望診:顔色や 目や 舌の様子や 挙動を見る。江戸時代の診察聞診:呼吸音 や動機を 耳を当て聞いいたり 体臭を嗅ぐ。江戸時代の診察・手足看法:手足の浮腫Husyu/Mukumiや 腫Haremonoを調べる。 江戸時代の診察候旨:背骨等のの曲がりや 歪み 肉付きや 片寄りを調べる。江戸時代の診察按診:臓器を押して 内臓の大きさや 位置や 硬さや 動きを調べる。風邪:上部気道の炎症を伴う 病気の症状の総称です。 軽症の病気と 言う意味ではありません。昔 流行性の風邪は 咳逆Sihabuki/Gaigyaku  咳逆疫Sihabuki-yami 夷病Ebisu-yamai 風邪Huujya  傷風Pinin 瘴風Syouhuu 傷疫Syoueki 瘴疫Syoueki 風疫Huueki 風疾Huusitu 疫邪Ekijya 冒寒傷冷毒Boukan-syourei-doku 天行感冒Tenkou-kanbou 天行中風Tenkou-tyuubuu 時気感冒等と 呼ばれていました。近世では 流行性感冒印弗魯英撒Inhuruenzaと 呼び 現在はインフルエンザと表現します。かつては 風邪の大流行には 台風や ハリケーンのように 名前が付けられました。江戸時代には27回の悪性の風邪が 流行ったそうです 。雲助風邪:明和3年(1766年)3月の初旬 半日閑話に「道中雲助並びに火消し 屋敷抱えの鳶ことごとく死す。」とあります。稲葉風邪:明和6年(1769年)関東に 流行した悪性の風邪です。お駒風邪:安永5年(1776年)女郎毒婦の栃木屋お駒浄瑠璃の芝居が 流行っていました 。 谷風邪:力士風  天明5年(1784年)相撲取り横綱の2代目谷風梶之助「土俵の上では 絶対に 倒れる姿を見せない。」と 豪語していた頃に 流行ったインフルエンザです。 谷風は「御猪狩風」に罹り 35連勝で 現役 44歳で あっさり 没しました 。 谷風邪の命名の由来は  彼の豪語に依ります。御猪狩風Oikari-kaze :寛政年(1795年)横綱谷風が 掛かり死亡しました。世話風邪:寛政年間(1789~1801)当時「これはおおきなお世話 茶でもあがれ。」と 言う流行言葉Hayari-kotobaが持て囃されていました。

お染風邪:寛政4年(1792年)お染久松の芝居が流行っていました。悲恋が 伝染するように感染し 罹ると お染の恋心のように 熱が出て 顔が赤くなったので この名が付きました。守り札に「久松留守」とか「お染御免」と 書かれ 軒に貼りました。 アンポン風邪:享和2年(1802年)感染源が 漂流民がアンボイナ出身の「アンポン人」だった.。 お七風邪:享和2年(1804年)に 八百屋お七小唄が 流行していました薩摩風:文化9年1812年)に 薩摩から流行し始めたインフルエンザ。ダンボさん風邪:ダンボウ風邪 文政4年(1821年) 旦方Tanbouは 仲間 知り合いの意味です。団子や 雪玉を ダンボと言う地方があります。小唄の囃Hsayasiの「ダンボサン ダンボサン」に 由来します。旦那さんの意味です。「都から乗せてくるまのたんほう風 ひくものもあり おすものもあり」と 言う川柳が 有ります。  ねんころ風邪:文化5年(1808年)ねんねんころころ」の歌が 流行っていました。「流行風邪 無情に 風も混じりけり ねんねんころり 用心せえよ」の句を残しました 。 津軽風邪:文政7年(1824年)津軽から 流行り出しました 。琉球風邪:天保3年(1832年)琉球の使者が 江戸に 持ち込みました。 亜米利加風邪:安政元年(1854年)アメリカからの黒船の乗組員が 日本に持ち込みました。スペイン風邪:日本には スペインから インフルエンザの流行が知らせが来ました。当時は 第一次世界大戦の最中で アメリカで大流行し アメリカ兵が ヨーロッパに 持ち込みました。戦争当時国は 自軍の弱体を 敵国に知られるのを恐れ 流行を 隠しましたが 参戦していなっかったスペインは それを 公表しました。大正71917~1918~1918年)日本では 約40万人が 死亡しまた。この時代から 世界的流行が 始まりました。」イタリア風邪:昭和22年(1947年)イタリアから流行し始め 全世界に広まりました。お染風邪:明治23年(1890年)に 流行ったインフルエンザは 直ぐに恋に染まるお染(伝染に掛けた)のように 伝染したので  江戸時代のお染久松の芝居が 流行っていた頃に 流行ったお染風が 再来したと考えました。「久松留守」の張り紙も復活しました。アジア風邪:昭和32年(1957年)香港から 世界に 流行し始め 日本では 約5700人が 死亡しました。港風邪:昭和43年(1968年)香港から 世界に流行し始め 日本では 約2000人が 死亡しました 。ソ連風邪:昭和52年(1977年)中国北部から 世界に流行しました。Aソ連風邪:平成19年(2007年)子供 老人に多く死亡者が出ました 。  新型インフルエンザ:平成21年(2009年)豚由来のインフルエンザです。小森の川戸:北緯34度56分38秒東経133度48分48秒    小森の天津神社:北緯34度55分41秒東経133度48分40秒        平成23年(2011年)8月15日