高谷 台ヶ峰 斎藤一興の髭塚 Memorial tower of Saitou-Kazuoki's beard


高谷長丸の河田家の裏山に 斎藤九畹Saitou-Kyuuen(斉藤一興)の髭墓が 有ります。斉藤一興の遺事書と共に 斉藤家の菜邑Saiyuu(領地)に 形見の髭が 送られて来ました。村人が 相談して髭を埋め 石碑を立て 供養しました。「加茂川町史」  斉藤一興は(宝暦8年:1758~文政6年:1823年)は 江戸後期の 岡山藩の学者です。幼名は 岩之助 または 清次右衛門で、諱Imina(目上の者から呼ばれる名前)は二興Nikou Azana(同輩や目下の者から呼ばれる名前)は 文貫Bunkanと九畹です。岡山藩 斉藤久興の養嗣子Yousis(家督を継ぐ子供:寛政9年:1797年に家督相続)で、実父の上坂貞固の3男です。

家督相続時の知行は(領主が行使した所領支配権)400石で、身分は 大組の組頭(名主を補佐して村の事務を執った村役人 文化3年:1806年) 勘定奉行(勘定方の最高責任者で財政 や天領支配などを司る 文化4年:1807年) 寺社奉行(宗教行政機関 文化5年:1808年) 大目付(高家を 監視して これらの謀反から 藩を守 る監察官 文化10年:1813年) 寄合(高禄高の無職 文化13年:1816年)に 出世しました。江村北海に 儒学を学び、六如Rikunyoに 詩を学び、井上四明 赤松滄州Akamatu-Sousyuu 管茶山Kan-Tyazan) 武元君立Takemoto-Kunryuu等と 交遊しました。寛政11年(1499年)池田家履歴略記」を 完成させました。「加茂川町史」     髭塚:高谷台1038番地の上方に 台ヶ峰キャンプ場 十力城跡に 木野山神社が建っています 入口から5m位下った、右手の林の中、道より1.5m程奥 北緯34度51分49秒東経133度46分36秒に 髭塚が立ちます  平成24年(2012年)12月2日