終末の予感  Presentiment of life-end


著者は 動物好きで 子供の頃から サラリーマン時代を 除き 犬あるいは 猫を 絶やさず飼っていました。15年前は ビーグル系雑種雄犬の瓢Huku 柴犬系雑種雌犬の百Momo ゴールデンリトリーバー系雑種雌犬の麻呂Maro ヨークシャー系雑種雌犬の栗Kuriを 飼っいました。2頭づつに分けて 犬を散歩させるのですが、瓢と百の散歩コースには 付近の犬に次々と 大怪我をさせていた 雄狼犬(ヨーロッパオオカミとシベリアンハスキーの雑種)の本丸Honmaruの散歩道だったので、時々 すれ違いました。本丸と出会うと百は 瓢の陰に隠れるのですが、瓢は 胸を張って狼犬の前に 立ちふさがって 百を守ったのです。

ある日 本丸が 飼い主の手を離れ 襲い掛かって来ました。瓢は 勇敢にも 立ち向かい、自宅におびき寄せ 素早い動きで 本丸の攻撃をかわし  本丸の口を 捕えました。すると本丸は 頭を 下げ腰を引き 壁際にへたり込みました。それからは 本丸は 瓢の子分として 振舞い 一緒に散歩するようになりました。著者の友人は ユリアンと 呼ぶ  秋田犬の雄を 飼っていて 犬のしつけ方教室ビデオテープを 作ろうと言い出しました。そのためには 犬社会の序列を 説明する必要があり、犬の喧嘩の 勝敗の決着の付け方 則ち犬社会の縦社会のルールを 撮る事になりました。「死んでも 恨みっこなし」と 合意して 2匹を 立ち会わせると、瞬時に ユリアンは 頭を下げ 後ろ向きになって 知らぬ顔をしたのです。ある深く 積雪したの日 に 犬の運動場を囲っていた 2mを超す柵 を瓢が 飛び越し 隣接する公園の野球場のブルペンから グラウンドに 飛びおりました。普段ならば 名前を呼べば 飛んでくるのに 雪の広場が 余程気に入ったのか1 時間程しても 走り回って 呼び声に 応えてくれませんでした。しかたなく 翌朝まで 放置すると、余程寒さに懲りたのか 2度と野球場には 近付かなくなりました。

瓢達は 一番北の 部屋のケージに 入れて飼っていたのですが いつのまにか 居間に一番近い書斎に続く 階段の下で 寝るようになりました。ケージのS字状の鍵 を外し、落とし錠を 開け、観音開きのノブ付きドアを 開け、両開き戸を 開けない とケージから 階段下に 辿り付けない筈です。どんなふうにしているのかと 隠しビデオを 仕掛けてみると 瓢がケージの鍵を 前足で明け、百と麻呂のケージを 開けてやり、ドアノブを 引き扉を体で押して開けていたのです。暫くして 瓢が ノブを引く と百が ドアを 押し開けるようになり、遂には百が 瓢のまねをするようになりました。

そんな 強く賢い瓢も 年を取り18歳になると 白髪も増え、後ろ足が 震えるようになってきました。それでも 未だ 散歩も良くし、近隣の犬のボス的存在では ありましたが、瓢を頼り切っていた 百は母親のように 瓢の世話をするようになったのです。ある日 百が 瓢の全身を いつもより 丁寧に何か 不吉な物を 舐めとるかのように 舐めてやっていました。するとその夜 いつもより 旺盛な食欲を見せた 瓢は、今まで屋上で 著者と添い寝したり 遊ぶ時以外2階に続く 階段を登った事は 一度も無いのに 階段を登ろうとして 転げ落ち胃捻転を 起こしてしまいました。

気付いて緊急に 手術をしましたが、翌日に 死にました。百は 瓢の死を予感したかのようでした。百と麻呂は 2週間程 夜になると 遠吠えしていました。時が過ぎ、引っ越す事になりました。すると引っ越しの前日に いつもは著者と 添い寝していた栗が、百と一緒に寝たいと 階段下から 離れないのです。麻呂は 著者の妹が 飼っていて溺愛され ビーㇷジャーキーを 多食していて 肝臓癌にかかっていたのですが、妹の都合で 引き取っていたのです。前日まで 一見元気そうな 麻呂でしたが、引っ越しの トラックに荷を 積んでいる時 8才で  苦悶の表情をして 急死したのです。栗は 麻呂の死を 予見したかのようでした。引っ越すと ビニールハウスの中に 犬小屋を作り 柵をめぐらし 木を植え木陰を作ってやりました。一匹ぼっちで 寝る事になった 百は3ヶ月程悲し気な 遠吠えをしていました。年を取り 18才になると 朝から晩まで 犬小屋に伏せるようになり、ゆっくりした散歩も 嫌がるようになり 抱っこして 排泄場まで 運ぶようになりました。ある日の夜に 栗が狂ったように 鳴きだすと、百は一度も 脱走したことの無かったのに 信じられない事に 1m半程の柵を飛び 越え脱走したのです。雨が降り 雷の鳴る暗闇の中 探すと家から2Km程も 離れている所で見つけたので 抱いて帰りました。翌朝 ケージの中で 毛布に 包まって安らかに 死んでいました。栗は 百の死を 予見し、百は 自分の死を 悟ったようでした。百が 死ぬと栗は 急に元気が亡くなり、食欲も細くなりました。血液科学的な検査をしても 超音波診断をしても歯槽膿漏ぐらいしか 異変は ありませんでした。食の細さに 手渡しで餌をやるようにしていましたが、ある夜に 元気な時程の 餌を食べたので とても安心し 寝ようとすると、栗は 何時もなら添い寝したがるのですが、著者の座る座布団の上で寝ようとするのです。朝起きると栗は 安らぎの顔をして 永遠の眠りについていました。栗は 自分の死を予見していたかのようです。「著者の経験」     犬は人より 優れた能力を持っています。犬の臭覚は 人の十万倍とも 百万倍も良いとされます。聴覚は人の6倍であるとされ、5 万ヘルツの高音を 聞き取るとされます。人が 感じられないような 紫外線 等の電磁波や ごくわずかな電流や 気圧変化や 重力変化等を感知するとされます。視野 動体視力 暗闇での視力も 人と比較ができない程 優れています。人の尿から 98%の確率で癌患者を 識別できるとされます。これらの能力を 生かし、人の妊娠 出産 排卵時期 恐怖 悲しみ ストレス 活動能力 戦闘能力 緊張 敵対心 恐怖  感情喜怒哀楽性別 年齢 病気糖尿病 低血糖 腎不全 肝不全 てんかん発作 等)死期(体臭 行動力 気力 血流 血色) 地震予知 悪天,候落雷 降雨 大風等) 飼い主の行動(お出かけ 帰宅 居場所 等)等を 性ホルモン オキシトシン ドパミン エンドルヒン アドレナリン ノルアドレナリン アセチルコリン コルチゾール 等のホルモン 等の分泌量の感知 あるいは それ等の作用からもたらされる体臭 体色 筋肉の緊張 発汗等の変化を 知る事が できるのでしょう。そうであれば、百や飼い主の麻呂や栗の終末の予知は 不思議な出来事ではな く絆の強さからもたらされた 当然の出来事だったのでしょう。帰宅の予知は 飼い主の乗り物の音の聴取や 飼い主の歩筋電 を感知するのだと言う人がいました。人におけるテレパシーを 確かめた研究は 多数あります。そこで ビデを カメラを仕掛け 瓢の様子を 観察すると自動車では 100m程離れた所で 耳を動かし始め、驚いたことに ランニングや徒歩では 200m程離れていても 反応しました。日を変えても 再現性が 確認されました。百で は 著者が見える所迄近づかない と反応しませんでした。

多くの動物は体力が衰えると 敵の襲撃を 恐れ 安全な場所 に身を隠そうとするでしょう。人に置いても 死の訪れや、死を 告げに親しい人が 枕元に立つという話を よく聞きます。死間近の人の行動には 特徴があると言います。例えば「親しい人や世話になった人に感謝の言葉を言うようになる」「親しかった人に 無性に会いたがる」「懐かしい所に 行きたがる」「介護している人に 気お使うようになる」「見舞いに来た人に しっかりと対応する」「ジッと自分の手 を見つめる」「黒い影等を見たと言う 死神を 見たと言う」「影が薄くなり透き通るようになる」「食欲がないのに 突然好物を食べる」「性格が 変わる・嫌いな人 を好きになる等」「顔色が変わる」「普段やらないことをする・部屋を掃除する等」法や秩序を順守する」「人に見えない人が 見える」「悪臭がする」等 不可解で説明のつかない現象もありまさが、医学や心理学で多くは説明できそうです。https://believeitornot666.com/nakunaru-tyokuzen」「fortuna-fortune.com/lifestyle/2285 死を迎えた人が 迎えに来たり、夢に出たりする現象は 極一部を除き「死の知らせを受けた人は予めその人が危険な性格であったり、危険な作業をしていたり、死期が迫っている事を知っていたりする」のですから、気になっていた事が 現実になっただけで 不思議な体験談として後付け て語ったものでしょう。 平成27年(2015年)1月25日

 

平成29年(2017年)3月31日に【岡山「へその町」の民話-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利吉備中央町図書館 吉備人出版】が発行されました。P285~P292に「死を巡る話」が載っています。平成31年(2019年)3月31日に【岡山「へその町」の民話 追補版-岡山県吉備中央町の採訪記録 立石憲利 吉備中央町図書館 吉備中央町教育委員会】が発行されました。p61に「あの世からの招き「死の知らせ」P62に「恩を忘れぬ犬」p63~P64に「火の玉」p49~p66に「亡くなる前に墓地の相談」の体験談が載っています。